第4話  宴

 座敷での宴が始まった。

 床の間を背にした松と小夜を名主達が半円で囲む。

 その後に組頭が従うので、松達は六重に守られた形になる。

 酒を酌み交わし酔うほどに、遠慮の無くなった名主が小夜に声を掛ける。


「小夜様のご決意、新たな施策は刮目して伺いまして、これ程の旨き肴は滅多にあるものでは御座いませんが、厚かましくも、もう一品所望したき品がございます」


「私がどのようにばば様の病を治したか知りたいのですね」


 名主が悲鳴を上げる。


「で、でありますから、私の訊きたいことがどうしておわかりになるのか」


「それは、解るのだから仕方がありません。とは申しても納得はできまいが……。はて、なんとしよう」

 小夜は首を傾け、

「ここに居る者は、我が腹心である。ゆえに申すが、まあ、所望しょもうされたとおり、酒の肴にとでも思って聞け」


 ザッと音がして皆が小夜に向かって座り直し、姿勢を正した。

「いや。だから飲みながら聞けば良いのです。無礼講だと申したであろうが」


 忠兵衛が「それが統領というもの。慣れなされ」

「ふむ。では是非も無い。分からぬ事は聞き直せ。私も酒を飲んだせいで順序立て話が出来ぬやもしれぬ。それにこういう話では小夜としてか統領としてか言葉が定まらぬ」

 小夜なりに、組頭と年の功がある村の長、それに気の置けない者とは言葉遣いを選んで変えている。それが酒のせいで境界が危うくなっている。


「どうぞご自由に話されませ。我等には統領の小夜様であり、姫様であります」


「うん」と頷いて語り始めた。

「ばば様が病で伏せて居られたとき、私は人ではない声を聞き、総社に行って、百度参りの願を掛けた。満願のその帰りに銀の鈴を拾い、宮の姫のつかいめ様にお会いした。拾った鈴はつかいめ様のものであった」


「つかいめ様とは、そも何者でありましょうや」

「それは神様のお使いというようなお方でありましょうか」


「私は宮の祭神である姫神様のお使いであると聞いた。そのつかいめ様が、私の命とばば様の命を取り替える覚悟があって願を掛けたのかと問われた」

「なんと理不尽な」


「私は、そのときはそれでもよいとお答えした。今この村に必要なのは、私よりもばば様であったからだ。するとつかいめ様は、お前には使命が有る故、生きろと言われた。  

 その使命とは子を成し幸田の行く末を神社かみやしろともども安寧あんねいする事だと言われた」


 松が、

「まことに。夢枕に現れた狩衣かりぎぬの者は、小夜が子を産む故それを見るまでは生きよと申された。あれが姫神のつかいめ様であったのか」

 一同は顔を見合わせ、不思議なことよとささやき合う。

「その時はそのように思っていたが、父の残した書簡を読んでいて、今はそうではないと気がついた。それは後で述べよう」

一同は声も無く小夜を見つめる。


「つかいめ様は、祖母の病を治す者は鬼であり、代償として手足の肉を食らわせば、祖母を治してくれるだろうと言い、その覚悟を訊ねられた」


 鬼は忌み嫌うものと聞いて育った松が、

「なんと。鬼……と言ったか」


「はい。そう申しました。はじめ、ばば様の病を治すこと。私の赤子をばば様に抱かせることを引き替えに、この手足をくれてやるつもりだったのです」


「……」


「なれどばば様。それに皆も。今考えてみれば、私も可笑しな事を言ったと笑えてならぬ。鬼に手足を喰われた、そんなおなごに懸想けそうする殿方など居ようはずも無く、ならば赤子が授かる道理も無いことに気付かなかった。愚かであった」

 くすくすと笑う小夜に、座が凍り付いた。


「何と恐ろしいことを」とねが呟いた。

「恐ろしいのはよこしまな心ゆえじゃ。百度参りの帰り、私は祭神の姫の使いに会い、そして試された。人が噓、偽りを申さぬ限り鬼は約定を違えず、理不尽なことはせぬ故、恐くないのだと教えてくだされたが、その通りであった。それに喰われた腕は現世では元に戻る。このとおり」


袖をたくし上げ両腕を並べてみせる。喰われたという左腕の方が、明らかに白く瑞々しく力に満ちている。


「痛みはございませぬか」

「ない。それどころか、見よ」


 とねから受け取った杯を、左手の一振りで放り投げる。杯は、居並ぶ者達の頭上を風を切り裂いて飛び、庭の彼方で石にあたり砕ける音がした。

「なななっ何と」

 驚きの声の中、小夜は帯に挟んだ鈴を取りだし、一振りした。


「これが、つかいめさまからくだされた鈴」


 鈴のは、りッと鳴り余韻を残さないが、それでも広がる音の波はこの世のものでは無いことを皆に伝えた。


「漢鬼様という鬼との約定のとおり、ばば様の病は癒え、私もとても元気になりましたが、私の力はそのころ授かりました。そして漢鬼様は、この家と村の民をも含み、邪なものから見守って下さる。とは申せ」

 小夜は言葉を切り、自分自身に言い聞かせる。

「自らを正しく生きぬ者を、鬼なるものは救ってはくれぬ。偽りは鬼が最も唾棄だきするところだ。我々は偽りのない日々を過ごすためにも強くあらねばならぬ」

一同は、この世のものではない『もの』とよしみを通じた心強さと恐ろしさに、不思議な高揚感を持って「心得まして御座います」と、頭を下げた。

 小夜は言葉を継ぐ。

「父の残した書簡を読んでいて、私のやるべきことは、子を産むことではないと知った。私は村の民の生活を楽にする。安心して年を取ることができる村にして近隣の手本にする。その為には村が豊かであらねばならぬ。新田の開発、棚田の安定した収穫こそが我が成す仕事である。我が両親は、私にそれをさせるために、ある世界から私をここに連れてきて道筋をつけて行った。今頃はまた、どこぞの世界で同じようなことをしているのであろう」


「では小夜様は、異なる世界からお出でになったと言われますか」

「しっ、しかし姫様はここでお生まれになり、ここでお育ちなされたではありませんか。私はずっと一緒におりましたよ」

 使用人達の頭でもあるタキが、たまりかねて口を出す。

「この実体ではない。我が意識のことを申しておる。何をおいても私は幸田の者であらねばならない。そのために父、母が残してくれた記憶とともに、村一番の賢者であるばば様が私を教育なされた」


 しんっと静まる中、安兵衛が「驚きました」と大声で空気を揺るがす。

「そうと聞けば、我々は益々村の為を考えてはたらかねばならぬ。小夜様はどうか統領として我々の命、自在にお使い頂きたい。のう、皆様方」

「おのれ、安兵衛が。またしても儂が言おうとしていたことを」

 吉次が口を歪め、だが皆と共に嬉しそうに同意した。

 小夜が笑みを浮かべ、「さて」と手を叩く。


「それゆえに先程組頭には、こうあれば良いと思うところはなにかと訊いた。その問題意識こそが大事である。これからは思う事があれば自由に言え。やりたいことは遠慮無く届け出よ。一人でできないことは皆でやればできる。その為に出た失敗、損失は私と村全体が被ってやる」

「有り難い」

 数人の組頭が感に堪えきれずに声を上げ、「申し上げたきことが」と手を上げた。


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