第3話  構想

「只今から無礼講であるとお許しが出た」と言う忠兵衛の声に、一合升に酒を満たして組頭達が小夜を取り囲んだ。


「では改めて幸田村の萬歳を」と、忠兵衛が升を掲げると、一同が小夜に向かって「萬歳」と升を掲げて飲み干す。


 忠兵衛が「おぬしらは村よりもお小夜か」カラカラ笑うと、「お小夜様こそが幸田の村そのものでございます」と、言葉が返る。


「姫様は中村の社にはよく参られまするのか」

 人垣の中から問う声があった。

「今の声は中村の信助か。済まぬとは思うが中村の社には正月以来参っておらぬ。先ほどの清助殿が子のことか」

「左様です。久三様が嘆いておられましたので」


 松の周りには病の回復を言祝ことほぐ名主の輪ができていたが。自分の名を聞き取り久三が抜け出てきた。

「先ほどはご無礼仕りました」

「なんの。あれで一度になごみました。なのに何を嘆くことがあるのです」


「あれほどよくご存じなのは、余程に繁く社に参られてのことと想いまして。ならば我が家へのお立ち寄りもあって然るべきにと残念に思いましたので。いや、しかし正月以来と聞こえましたが」

「寺で人別帳を見たのです」


 通常なら村人の生き死には村長である名主が寺に届けでる。


「こたびは清助殿と妻の育子殿がともに神職であるが故に、村長の久三殿には届け書きを送り、二人で寺に挨拶に行き、人別帳に記載をしたとのこと」

「ややっ。そのようなことがございましたか。それは重ねて気がつきませんでした」


「それに村人個々のことは父、八郎太の覚え書きにも記されて居る故、それに加筆した私の方には万が一にも遺漏が生じない仕組みとなっています」


「と申されますと、八郎太様は七ヶ村全ての村人をご存じであったといわれますか」

「たかが三千七百七十三人。造作も無かったろう」

 サラリと詳細な数を並べる小夜に

「ならば姫様も……」と久三と組頭が顔を見合わせる。

「知っています」

 輪の後ろにいた組頭の一人が声をあげた。

「では、私のこともご存じだと言われますか? 姫様とは初めてお目に掛かる組頭の新参者ですが」


「知っている。下村の藤吉であろう。父上が病気でお前が後を継いだ。西村の女子おなごと、今、どうなっているかまでは生憎知らぬが」


 波のように広がる驚きの声と、西村の女に懸想けそうしているのか。という笑い声が交差して広がった。

「なっなにゆえそこまでご存じか」

 誰も知らない筈の好いた女との秘め事までも言われ、知っていてくれた嬉しさを越え、恐怖を感じて藤吉が叫んだ。


「西村に行った折に、よく下村の者が姿を見せると村の者から聞いた。それが新しい組頭の藤吉だという事。おなごに会いに来るようだともな。それに先ほど新参者と自分で言ったであろうが。新参の組頭は藤吉以外に居らぬ」


「成る程。聞けば他愛の無いことよ。自分で暴露しておるわ」

 謎が解けたような笑い声を聞いた安兵衛が怒声を上げた。

「他愛が無いとはなんだ。元は姫様が藤吉の親父殿の病気まで知っておられたからではないか。」

「では私めのことは」と顔見知りの者さえも手を上げるのを制して小夜が安兵衛を呼んだ。

「安兵衛。そう怒るな。皆も聞け。先程、些事さじで我が手を煩わせるなと安兵衛が我が身を案じてくれた。しかし、このように、些事が集まると大きなものや違うものが見えてくる。その見え方、面白いと思わぬか」


「たしかに」安兵衛が答えると、他愛も無いことと言った組頭が「恐れ入りました」と頭を下げて、

「誠に感服仕りました。成る程。些事も集まれば嫁取りの予想までつきまするな」

「いや。私には女子おなごに振られた藤吉が、悲しみのあまり畑仕事に手がつかず、田畑が荒れる様子まで目に見えるぞ」

「これはお人が悪い」

 一際、笑い声が広がるなか、

「よいか皆。『先んじて知る』それが全てを征すると心得よ。とは言え今日は座興として聞くが、安兵衛。そなたは、先んじて何が知りたい」


「それは、日和ひよりが判れば有り難いですな。明日の、いや月の。年とまでは申しませんが」

「ふむ、たしかにそうだ。つぎ庄蔵は」


「私は作物の値段が知りとうございます。どこで売るのが高く売れるかと」

「それもそうだ。松五郎」


「私は、天下の成り行きを知ることが出来ればと。これほど面白きことはありませぬ」

「庄蔵と通じるところが有るな。他にはあるか。吉次はどうか」


「はっ。私めはやはり八郎太様の手伝いをしておりましたので、棚田によき用水路を早く作る方法があれば知りとうございます」


「ふむ。では安兵衛。皆も、それを知るのはどうすればよい」

「いや。どうすればと申されましても……」

「できぬか」

「何と言っても日和は自然のことでありますからなあ」

 升に入った酒を一口飲んで安兵衛が首をひねる。


「ならば一案ではあるが、日和のことは年寄りに聞いてはどうであろう。年寄りは長年の経験がある。それも一人二人ではなく五人、十人に訊き、最も多くの者が判じた予想を用いるなどはどうか」

 吉次が安兵衛の升に酒を注ぎ、頷いた。

「それはよいお考え。こうしては如何か。的中した者には褒美を取らせましょう。年を春夏秋冬四つに区切り、季ごとに最も的中した者を賞すれば、年寄りも励みになりましょう」

「それはよい。安兵衛。采配を取ってみぬか」

「おん統領のご命令としてならば。『統領』のお名を使わねば、年寄りはなかなか言うことを聞いてくれませぬ」

「許す。ただし無理強いはするな。当たらぬ事を苦にする者が無きように。戯れ事でもするようにな」

「承知致しました。中々面白そうですな」

 忠兵衛が、

「ふむ。年寄りは『姫』の言う事をきかぬか」

 と安兵衛に訊ねる。

「あっいや。反目しての事ではございません。ただお年寄りの方々に限らず我々にしましても、姫様という言葉には、余りにも愛らしい幼き頃の姿が焼き付いておるからであります。むしろ、姫様が直接お年寄りに申せば、よろこんできくことでしょうが」

「成る程。『姫』ではおねだりになるゆえ、直接言われなければきかぬ……か」


 小夜には男達の、誰よりも小夜に近付きたい。という気持ちが見える。

 この気持ちは大事にせねば。しかし利用してもならぬ。ではどうする。


 そのとき忠兵衛が、「ならば明日から一律に統領とお呼びすれば良い。まあ、しばらくは自分の近しさを自慢げに姫と呼ぶ者もおるであろうがな」

 組頭達の、「はっ」とこうべを下げる姿を見て小夜は、「万人を鬼と思えば良いだけのこと」と心を決めた。

 鬼に対した誠実さ。鬼が求める潔癖さ。鬼が持つ厳しさ。

 それこそがこれから統領として村を牽引するために自分に必要なものだと考えた。

 

「では、皆の知りたきことが分かったので、それをまとめて解く方策を述べる」

「なんと。まとめて解決するなどと、そんな術がまことにございましょうか」


「街道に沿って人が集まる市を作ればよい。茶を飲み、食事をする場所なども作り、作物、旅人用の簔、笠、合羽、足袋などを商いする。手洗い場や、清潔な廁などもあれば旅人や女子は助かるであろうし足が止まる」

「小夜様はいつもその市に居られますか」

 安兵衛が信吉を小突く。

「小夜様のなさることがそれだけの筈があるまい。とくと聴け」

 小夜は、安兵衛を見てにっと笑い、

「一同、杯を伏し心して聴け」

 小声で発せられた言葉は波のように人々に伝わり、たちまちしんと静まりかえった。


「只今、普請すると申した市の立ち寄り所の真の姿は秘事である。まことは行き交う人々から天下の動静を聞き探るにある。而して表向きの生業なりわいは市場が顔であるから、村の区画を作り、そこに売りたいものを置く。銭の代わりに幸田の村内では木札で購うことにする。銭で購う者が有れば、それが他所から来た者と知れよう。その者からは道筋の話。何処を何時発ったか。物産の売れ筋、値段を訊く。加えて外から入る銭は幸田を潤すことにもなる」


「売りたい物は何でもかまいませぬか」

「構わぬ。米を除き、麦、野菜、果物などの作物のほか鋤(すき)、鍬(くわ)、鎌、縄などを置けば良い。ただし幸田草鞋こうだぞうりや武具などの戦に関するものはこれまで通り、外に出してはならぬ」


「上村の孝造、お訊ねします。集めた内容のご報告はどのように致せばよろしいか」


「一日の終わりに寄り集まり報告会を開く。報告の内容を四つに分ける。些事、小事、中事、大事とする。些事は日頃の注意すべき事。蝮が出たとかだ。可笑しきこと珍しきことなども書いて市の板に貼り、皆が見れば良い」


「伝言を貼っても良いですな」

「いいだろう。そしてここからは安易に取り扱ってはならぬ事項だ」


 小夜は『記憶』から取りだして練り上げた構想を言葉で形にしていく。

「今から言う事は文では残る危険があるので覚えよ」

 座が緊張する。

「小事は、関係する者の他に知らさぬが良きと判断せしこと。中事は、各村に被害を与えるとおぼしき事。大事は、全村に被害をあたえると憂慮せられること――小、中事は書面にて我が館に鍵の掛かる箱を備えるのでそこに入れよ。急ぎの時は各々の裁量を持って寺の鐘にて知らせよ。すなわち中事は鐘三つ。大事は鐘四つ。四つ鐘が鳴った折には直ちに、今、此処に居る者がこの場に参集すること。服装は構い無しとする。他に、秘事は鐘を鳴らさず伝令による。今回のように」

「では、その寄り所である市は、私に任せて貰えぬか」

 松が名乗り出た。


「仕事が無くなると退屈で、死にはせぬかと案じていた」 

「有り難い。そうであれば、ばば様の手下てかを作らねばならぬ」

 小夜が手を打つ。


「各村は刀自の手下となる、弓の修練を終えた目端の利くおなごを二人だせ。その者には村の売り物を任せる他、人の話をよく見聞きする諜者としての役目を持たせる。またその内の数人が同時に近隣に出向き、諸々もろもろの相場も探れば市で出す作物、品物のの価格が決められよう。庄蔵と松五郎。これで知りたきことを捜せぬか」

「はい。驚きました。確かに妙案であると」


「では二人は、より早く、より正確に事がなるよう工夫をしてくれ。物の価格はときが命ぞ」

「かしこまりました」


「次に、各村は月ごと市での売り上げの四割五分の銭を上納させる。その金銭は市の諸々を賄うためと、刀自の手下達の食事と賃金。そして余剰を蓄えて治水治山の普請の資金にする」


 小夜は、用水路をと言った吉次に、

「吉次、今のところは、まず資金と知識を蓄えようぞ」

 と言った。


「まことにそのとおりで御座います。先々代様は、やるときは全村の命運を賭けて一気呵成と、よく申されていました。力を蓄えましょうぞ、姫。いや、お小夜様。いやご統領。そのお考えがありさえすれば、必ず治水治山は叶います」


「まだある。その知識についてだが」


 これこそが、小夜が統領としてやらなければと思っていたもう一つのことだった。

「塾を作る」

「じゅく でありますか」

「じゅくとは何でしょう」

「塾と申すは学問と練武の場所だ。我等が、藩、領主の支配を受けないで存続しているのは、武に優れているからだけでは無い。藤井様の知識と、ご指導によるところが極めて大きい」

 異論を挟む者はいない。


「知識とは育て深め伝えていかねばならぬものだ。知の無き者は、智慧も無く、いつか必ず知あるものに凌駕される。それはいつか武家による支配を許すことになる。智慧や知識はなにものにも代え難い武器なのだ。それゆえ村の子は全て塾で学ばせ塾で鍛える。そのようにすれば組頭の負担が減る。各家で学ばせている家長の手間が無くなり、憂い無く、夫婦で働くこともできるし組頭も得意な分野を分担して教育すれば余裕が出来る。余裕があれば、自分を高めることができるのではないか」


「なるほど。これは良い」

 忠兵衛が感嘆の声を上げた。


「これまで村の学問所は聞いたことが無い。藩によっては百姓の学問を脅威になると禁じているところもあるほどじゃからな」


「で、ありますから、塾を創るのは武家が我らに物言えぬ今なのです。塾長のこと、お願い申し上げます。私をお導き頂いた様に村の子供達をお導き下さい」


「わかった。引き受けよう。ただ、あと一人二人、知り合いの人物をな。塾頭、師範として呼ぶことになるやもしれぬし、されば村には負担が掛かるが……」

「おっしゃるように、塾には金がかかるでしょう。ですがその子供らが将来此の村を救い、育ててくれるのであれば、我等は苦労を楽しみに変える事が出来ます」


 小夜は皆の頷く顔を見て、

「子等のため。我等の行く先のため。流す汗の何が惜しかろう。なあ、皆の者」

「おーっ」と一斉に手が上がる。

 その声は、続いて「えいえいおーえいおーッ」

 と、

 鬨の声が湧き上がる。

 松が大広間の障子を開け放った。

「決めごとはこれまでとする。じ後は心ゆくまで呑んで食べて楽しもうぞ」

 

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