第2話 統領
陣幕を張った幸田屋敷前の広場に、幸田上村・中村・下村・東村・西村・南村・北村の七つの村から、それぞれ五人の組頭を従えた七人の名主が並んだ。
頂点に位置する統領家の命で参集するときの服装は、具足などの武具こそ着けないが、戦備えで集まる。
右端に統領直下の組頭五人が並び、左端に、
松と小夜は緋の縁取りをした白の掛下に白の袴を着用し、松は刀を、小夜は腰刀を佩く。 白い衣装は、神の吉祥を現し戦を勝利に導くとされ、また白は戦場のどこからも見えて指揮の采配を際立たせる。緋の縁取りはともに血を流す証しとして、祖父が定めた統領の戦衣装だ。
陣羽織、大太刀姿の藤井忠兵衛が列の外から「統領殿が登壇される」と声を掛けた。
一同が頭を垂れる中、式台に登壇した統領の松が「皆、ご苦労でした」と参集の労をねぎらった。
「礼を言うに上から申すが、作法である。病に伏せっておりましたその節は、それぞれに見舞いていただいたことを有り難く、感謝する。おかげで今はこのとおり息災じゃ」
「いや、以前よりお若う、お元気に見えまする」
列中からの声に一同が、そうじゃと頷く。
「孫が命懸けで治してくれました」
式台の横で控える小夜に、誇らしげに目線を送ると、小夜は、はにかんで横を向いた。
可憐に見えるその横顔が、「おお。姫様がいつのまにあのように美しく成られた」と、久方に見る者に感嘆の声を上げさせる。
「此度の病で、何時倒れてもおかしくない歳になったと気付かされた。この上は元気な内に若き者に任せて、我は後見をしながら余生を送るが村のためと心得た。小夜はここに参れ」
壇上に上がった小夜は、口許を引き締め、眼を鷹のように見開いて、居並ぶ四十四人を見渡した。
「これなるは幸田七ヶ村の統領、幸田八郎太の娘、幸田小夜である。紛うこと無き後継の血筋としてこれより我に代わりて祖霊の志を継承させる。 一同の者は身命を賭して、如何なる時も幸田小夜の下知に従え」
松の大音声に「はーっ」と一同が答える中、松は伝来の、貞忠の刀を小夜に授けて壇を降りた。
忠兵衛が「それでは幸田上村の名主。上田太助。報告せよ」
「上村、田畑に憂いはありませぬ。人も五百二十二と変わりませぬ。皆、壮健です」
小夜が「承知した」と答える。
「次、幸田中村の名主。中田久三」
「中村、田畑は前回どおり。人は先月赤子が産まれて、女が一人増えまして御座います」
小夜が「承知した」と答えると、久三がにやりと笑った。
忠兵衛がすかさず、「新規のお改めである。変わらぬだの、前回のとおりだのの言葉は用いてはならぬ」
小夜が侮られていると見て牽制する。
「藤井様。構いませぬ」
忠兵衛への呼称を改めて姓で呼び、小夜が笑った。
外部との折衝は今後忠兵衛が行う事になる。そのためには先生や忠兵衛ではなく、元のお侍として遇しなさいと祖母に言われていた。
「急な参集ゆえ、村のことを把握せぬまま来ているのでしょう。儀礼なれば見過ごします」
久三が目をむいた。
「これは心外な。私が村のことを把握してないと言われましたか?」
「そう申したのだが。久三殿は耳が遠くなったか」
幾人かが笑い声を上げる。
「はて。何を持って私が把握をしていないと言われるのかお聞かせ願いたい」
「良いのか。皆の前で言っても」
「まことのことであれば」
小夜が「ふっ」と声を出して息を吐く。
「では、中村の人の数を男女で分けて申して見よ」
「男、二百八十八人。女、二百九十七人で御座います」
「先ほど女の赤子が産まれたと申されたが」
「含んでおります」
「まずそこが違う」
「なんと」
「女児と申したが真(まこと)は男児である。よって男二百八十九。女二百九十六となる」
「そんな筈はありません」
「子が生まれたのは
「よくご存じではないか」
一同が感嘆する中、久三は
「そのとおり相違ありませんが、私は書面で届けを受けております。まさか子を作った清助殿が男女の判別方法を知らぬ訳がありますまい」
一同は、ご当主こそ男のものを見たことがあるのか。違いをご存じなのかと言わんばかりの笑い声を上げる。
「では、赤子の名を申して見よ」
「
なんと雅びた名をつけたものよ。
益々得意満面の久三に、一瞬口を開けた小夜が猛烈に笑い出した。
「解った。久三殿。そなたの読み間違いじゃ。それは、かずこではなく、いっし誕生と読む。どこぞに清一と書かれているはず。それが赤子の名じゃ。いくら神官の家柄とは言え、赤子の時から『子』はならぬ」
一同は小夜を真似たように一拍静まりかえった後、どんと太鼓を鳴らすように爆笑の声を鳴り響かせた。
その後、競って詳細な報告をする名主の最後に、幸田北村の現状報告を聞き終えた小夜は刀を翳(かざ)して、
「只今より幸田七ヶ村全ての村の采配を、この幸田小夜が取る」
と宣言した。
これにより、生殺与奪の権を含む七ヶ村の全権が小夜に移譲された。
一同が「はーっ」と頭を垂れる中、小夜は式台を下りた。
「各々方。藤井忠兵衛でござる」
忠兵衛が前に出る。
「兵を百年養うは、この一日用いるためにある。と孫子の兵法書に書かれておってな」
ゆらゆらと、誰にともなく話しかける。
「折角才覚があっても、女子と言うだけで今の世ではままならぬ。故に、養われていた儂の出番となった。組頭の幾人かは見知らぬ顔もあるが、幸田の中ではいままでどおりの忠兵衛で良いぞ」
「まあ。我等が折角藤井様と申しておりますのに」
小夜が不満の声を上げる。
「儂が言いたいことはじゃな、この統領は才覚が効きすぎる。ということじゃ」
まあ聞け。と小夜を目で制する。
「女子と侮る者も現れよう。それ故に益々才覚が鋭くなる。鋭さに人は時に恐れを抱く。恐れで足が遠のく者も現れよう。その時には儂の所に参られよ、とな」
「恐れながら」 下村の組頭の一人が手を上げた。
「下村の安兵衛。藤井様に申す。ご懸念すべきはそのことにあらず」
「ほお。何かな。申してみよ」
「懸念すべきはご報告を理由に、小夜様に会いたき
「や、安兵衛。何を言う」
「そうじゃ。何を自分だけがしたり顔をするか。裏切り者と
慌てて安兵衛を非難する喧噪の中、大八車に積まれた樽酒が運び込まれた。
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