第8話 回復

「お布施を……」

 

小夜が、女から出た銀の粒を三つ出して和尚に渡すと、和尚が驚きの声をあげた。

「これは……なんというものを持っているのだ」

 小夜が怪訝な顔を向けると和尚が言った。

「知らぬようだが、これで寺の屋根を直して崩れた塀の普請ができる」

「ご冗談を……えっ。それほどのものなのですか」

 笑いかけて、和尚の真顔を見た小夜の声も変わった。

「そうじゃ。腕の良い細工師ならこの一粒を延ばして一畳ほどにもできようか。そのうえこの銀は時が経っても色が変わらぬ。それ故白金と言い、この世界のものでは無いと聞く」

 和尚は女の卒塔婆を振り返り、

「あの女性にょしょうが持っておったのか」と聞いた。

冥府めいふから持ち帰ったのであろうかな」

 小夜は和尚に頭を下げて山門を出た。


 木戸をくぐり、離れに近づくと、すでに障子が開けられ、座敷に松の端坐たんざしている姿が見えた。

「今帰りましたのか」

「はい」

 小夜は駆け出して座敷に跳び上がると、昨日よりも強く祖母に抱きついた。

「このように起きておられて良いのか。寝具さえもかたづけられて」

「一夜ごとに力がみなぎるように思えて、とても寝てなどおられるものか。引き換えにお前が命を削っておるやも知れぬというに」

 

 漢鬼の果実から出る霊水は尚、小夜の身体に活力を残していた。

「案ずるなばば様。私とて、このように元気です。無理で身体を壊してもいない」

「ほんに。お前の顔を見て安堵した。その顔は私を喜ばそうと秘め事をしている幼かったとき、そのままじゃ。ではそのことは問いますまい。それは良いとして、お前、襦袢は着てないのですか」

「あっ。忘れていました」

 小夜は声を出して笑った。

「さきほど、ある女性にょしょうに差し上げました」

「なんと」

 呆れて口を開けたままの祖母に、「食事を……」言い置いて小夜は部屋を出る。

「タキ」と名を呼び、「ばば様には普通の朝餉を」と命じた。

小夜は祖母の体臭が、健康な汗の臭いになったことを知り、病が、完全に快癒したことを知り、鬼の館に向けて合掌した。


 何時の頃からか、人は鬼の存在を知り、恐れた。


 人は噓を言い、だました報いから逃げて心に闇を作る。

 鬼は、人の噓、偽りを見抜き、人の作った心の闇に蓋をして閉じ込める。

 そうして悟りへの道を塞がれた人は、自分が作った無明の闇を彷徨さまよい歩くのだ。


「逃げまい」

 小夜は自分に言い聞かせた。

 噓、偽りは、逃げようとする弱い心、誤魔化そうとする卑怯な心から生じるのだと、あの女が教えてくれた。

「ばば様が元気になったのは、漢鬼様のおかげ」

 自分が受ける苦痛が、祖母の回復と引き替えになっているのは紛れの無い事実だ。

 それならば、この身を供えることに何の理不尽なことがあろうか。 

 そう考えたとき、小夜から鬼の恐怖が無くなった。

 漢鬼の無垢な魂に、自分自身も浄化される思いがして鬼の館にむかう足取りを軽くした。


 目覚めると全身に気怠さを感じるのはいつものこと。

 特に昨夜は漢鬼に腕を食された。

 漢鬼の舌が腕に強く巻かれたそのとき、左腕に衝撃を受けた。

 腕を失ったのだと感じた。

 痺れたような感覚が肩から胸に広がり、同時に波打つような痙攣に襲われて小夜は歯を食いしばって耐えた。

 頭の芯が燃えるように熱を持った。

「こんなものッ……」

 小夜が顔から汗をほとばしらせながら左腕を見ると、肘から先が消えている。

 肩から腕にかけて鳥肌が立ち、青ざめていた。

 筋肉が硬直して失われた腕からは血の一滴さえも出てはいなかった。

 痺れと緊張が解けて血が噴き出す前に小夜は漢鬼の「逃げよ」という声を聞いて意識を失った。

 

 さすがに今朝は怠く、目だけを開けた。

 うつぶせに寝た目の前に、腕は有った。

 髪が口にかかり、含むと霊水の味がした。肩に重く掛かる黒髪を掴もうとする意識より早く、左手が動き髪を掴んだ。

 束ねた髪に、漢鬼が霊水を含ませてくれたのだと知り、髪を絞り喉を潤す。   

 気怠さが消えた。

 左腕がやけに軽く動く。子供の頃の、存在さえも気がつかない程軽い身体の一部が戻っていた。

 しなやかさと強固さも感じ取れる手を開き握って、小夜はつぶやき、安堵の笑みを浮かべた。

「乗り切った」

 これで祖母は安泰だ。幾日か後には以前のように、また山を見て歩くだろう。

「だが心は緩めまい」

 小夜には女の残した、代わりのもう一夜があった。


 その夜、小夜は漢鬼に言葉の意味を尋ねた。

「『逃げよ』とは何からで、何の意味がありましたのか」

「お前には『怖れ』がなかった」と漢鬼が涼やかに言った。

「逃げようとすれば、恐れがでる。我等には人が感じた想いが手に取れる。それを食す。それが人の味なのだ」

 ごんごんと笑いながら赤鬼が姿を現した。

「あの女が鶏を持ってきたぞ」

 漢鬼も笑った。

「鶏には怖れも怒りも憎しみも無いのだ。それを自分の足と引き替えにしろとな」

「自分の身体の値打ちを自分で鶏以下に貶めおった」

「我等を愚弄したな」

「愚弄された」

 鬼は肉を食うのでは無いのだ。

 鬼が吠えた。

「女の腕は二度食した」

「肘までは『怖れ』と『嘆き』の味がした」

「肩までは『怒り』と『憎しみ』の味がしたな」

「だが、お前の腕は何の味もしなかった」

「感謝の味が致しませなんだか」

 赤鬼と漢鬼が顔を見合わせた。

「あれは苦い」

「あれは渋い」

 小夜は思わず笑みを浮かべた。

「さりながら覚悟をして参りましたので、恐れはありませぬ。祖母も病から立ち直りましたので感謝申し上げるばかり」

「では、お前の肉は要らぬ。お前の身体から出る気と汗が、殊のほか良いのでな」

「あと一つお訊ね致します。現世に戻りますと、この身体に残された漢鬼様のものが銀などに変化しますが、持ち帰ってもよろしいのでしょうか」

 赤鬼と漢鬼が笑った。

「お前は自分で吐いた唾を返されたら何とする」

 漢鬼の言葉に、小夜は頭を下げた。

「まことにその通りですが、私どもには余りに価値のあるものなのでお訊ねしました」

「ふむ。欲の味もしなくなったか」

 赤鬼が消えた。


「女が消えたな」

 漢鬼が言う。

「はい。魂は宇宙そらに、骸となった身体は寺に埋葬致しました」

「よくぞ女の念を解き放った」

 鬼が小夜を褒めた

「お前にはまことがあったのであろう」

「そう言って頂ければ嬉しゅう存じます」

「鬼が人を嬉しがらせたか」

「人をではありませぬ。私が嬉しいのです。私を褒めて下さいました。ですから私が嬉しいのです」

 褒めるこころには愛でる気持ちが含まれていると思った。

 小夜が漢鬼の腕を握る。

 小夜は漢鬼の心が見えた気がした。

 『逃げよ』とは、痛みを感じる前に気を失えと、そんな意味もあったのだろうか。

 果実を握って出す水が、人には霊水としての効果を持つことも、鬼が人間界で吐く液が金や白金に変化する事も鬼は知っているに違いなかった。

 漢鬼の中に愛おしさを見つけたと感じた。

 

「女との約定も成った。お前の希むものを言え」

「今は……何も考えることができませぬ。いつか参上して申し上げてもよろしゅうございましょうか」

 漢鬼への愛しさが芽生え、全身が水に溶けた泥のような感覚になっている。小夜が訊ねると、漢鬼が怪訝な声を出す。

「再び来ることを厭わぬのか」

「厭いませぬ。されど、手足を食されるのはごめん被ります」

 漢鬼が笑い声をあげた。

「お前の肉は味がせぬゆえ要らぬ。だが、覚悟が出来ぬ間に喰らわば美味であろうな」

「それはいやです」

 思わず叫ぶ小夜を笑い、

「それまではお前を見守ろうぞ」

 鬼がそう言った。 


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