第7話 元服

 小夜は、亡骸を襦袢で包み背負うと、まだ明けやらぬ道を菩提寺に向かった。


 和尚は、朝早い小夜の訪れを、喜びと驚きで迎えてくれた。


「お小夜は来る度に儂を驚かすが、今朝はとびきりじゃな」

 小夜に背負われた女の顔を見て、和尚は「何と良い顔をしている。これは悟者の顔だ」と言い、「我が家、ゆかりの者」と言いかけた小夜の言葉を制止した。


「訳など無理に作るのではない。心配せずとも弔って進ぜる。おぬしの縁を儂に聞かせるなど片腹痛い」

 和尚が村の人別にんべつを全て掌握していることに気がついて、顔を赤らめる。

「どうかよしなにお願い申し上げます」 

 和尚は頷いて、墓地の一隅を寺男に掘らせて女を弔った。


「そう言えば中村の神官が子が生まれたと挨拶に来た。後で人別帳を見るがよい」

「逝く者と来る者……。時は折り重なって流れるのですね」

「輪廻転生に任せて流されるでは無いぞ。産まれた意義は己が作らねば」

「はい。肝に銘じております。私が生まれて最初に聴いた言葉がそれでした。幸せを手に生まれた者も、不幸を手に生まれた者もいっときでしかないと」


 和尚の口癖を揶揄やゆして言うと

「何故か儂の言葉は大人に通じず赤子には理解されるでの」

 小夜は可笑しそうに両手で口を覆う。


「でも私は母に、『小夜は幸せになるために生まれてきた』と言われましたよ」

「おお。お前の母親も人物であったの。お前の幸せは幼き頃より松殿が仕込んでくれたことじゃが、それがお前のためになることを知り、陰でお前を支えておった。お前自身は、さぞ辛いと思ったことであろうがな」

「はい。鬼とはきっとこのような……と思う程に」

「だからこそ幸せの意味を知ることができるのじゃ」

 松は連れ合いが他界した後、自分の知識を全て幼い小夜に注ぎ込むことにした。

 知識は、細竹で叩いて詰め込むように。ことわりは村々を走り回らせ、争い事を見聞きさせることで考える力をつけさせ、宇宙の生業は母に経文で習った。


 まだ鬼を知らぬ小夜が、これが鬼かと思う程に厳しくあたる祖母こそが誰よりも自分をいつくしんでくれているのだと知ったのは、片時も小夜から目を離さず見守っていることを知ってからだ。


あぜで滑って田に落ちた七歳の小夜は、立ち上がると懸命に畦を直し、土を整えて倒した苗を植え直した。


 一緒に居た庄屋の娘は、「小夜様は姫様なのだから、そんなことは村の者に申しつければ良いではありませんか」と言ったが、「そんなことをすれば、ばば様に竹で叩かれて、ご飯も食べさせて貰えない」そう言って娘にも手伝うこと、人に漏らすことを禁じた。

 川に入り着物の泥を落として、何食わぬ顔で館に帰ると、祖母がたらいに湯を入れ足を洗っていたのだ。

「このまま湯を捨てるのは勿体ないのでお前が使ってかたづけよ」

 そう言って座敷に上がった祖母と入れ替わりに、母が新しい着物を持ってきてくれた。

あのときは偶然に助けられ、運がよかったと思っていたが、そうではなかったのだ。

     

 小夜が十五の秋。

 

 総社に、宮総代として列席した父と祖母の供をした帰り道、「小夜はこの村をどう思う」

 突然祖母に問われた。


 小夜はこの歳の頃、答える前に質問の意図を考えるようになっていた。

『どう思う』という茫洋とした問いの後には、矢継ぎ早に来る追求の矢が潜んでいる。

 単純に『好き』とか『良い』などと答えようものなら、たちまち問い詰められて祖母の杖が凶器に早変わりする。

 もっとも、この頃は小夜も扇子を帯に隠し持ち、祖母の杖を難なく防いではいたが。


 慎重に「良い村ではあると思います」そう含みを持たせて答えながら、従者の六助が持つ、神社が出した直会なおらいから餅と昆布を抜き取り、こっそり袂に入れた。

 質問の後は、祖母の意図に沿った答えができるまで食事は与えられない。それに備えたのだ。

 父親がクスリと笑い、それを見逃してくれた。


「米が多く取れ蓄米があるので飢饉や天災への備えがあります。それゆえ人の心が落ち着いています」


 幸田は七ヶ村で一つの郷としての体裁を持つ自治の集落である。古くは荘園としての歴史を持つ。

 その全体面積と同じ他村の面積を比較しても、幸田全村の田は収穫が多い。その理由を小夜は知っている。


「そして平和です。他村のように争い事が無く、野盗にも襲撃されません。それで食に困らないから心が豊かになります。幾つかの問題はありますが……」


 答えを完結させない。これが祖母の問いに答える秘訣なのだ。

「平和とは何だ。それは何故」

「他村の争いは水の取り合い、年貢の肩替わりに起因するものが殆どです。我が村も水は少ないのですがその分、水田を減らして野菜などの作物を作るので、土が傷まず稔りが多いのです。それは持てる田、全てから米を取ろうとする他の村とは違う父様のお考えがあるからです。加えて村は常に戦に備えているので、野盗が来ません」


「野盗のことは城の侍に任せれば良いとは思わぬか。そのために我等は年貢を納めているのではないのか」

 何故、何もしない武士に年貢を納めているのかは、幸田に属する村、それぞれの長が理解するべき事の一つだ。

「幸田の村が侍の武力に支配されないのは、武力を武士に頼らないからです。武力を他に頼めば、頼んだものも武力に支配されます」

「それで……」

「他所の村の百姓は武士に支配され、年貢を納められない百姓はまた一段下の小作に落とされていますし、国同士の戦があれば雑兵として働かされます」

「ふむ……」

「でも、幸田の村は支配されていないので、国同士の戦には動かされません。幸田村は男の数だけ武具が備わり、女の数だけ弓矢がありますが、それを使う者がよく鍛えられているので幸田と闘うよりは仲良くして食を得ようと考えるのです」


「戦が無いのに武具を備えるのは無駄な金遣いではないか」


「それは結果と備えが逆になっています。武具を備えているが故に平和なのです。無駄ではありません。不遜ながらご領主様二万石のお侍四百人は、父上の下知に従う村人三千人に勝てません。幸田はご領主が五度代わられた折、三度戦をして全て勝っております。なのでお殿様は父上と仲良うしてくださるのです。平和のためには備えが要ります」


「備えとは平和のためにあるものか」

「いえ。それは何事に於きましても。村であれば嵐や出水、水枯れ、飢饉に備えなければなりません」


「お前の知識はそれに備えることができますか」


「備えなければならぬと思っています。父上は棚田に新しい水路をお考えです。私は何のお手伝いが出来るかを考え、その知識を得たいと思っています。それでお城の縄張りをした水野様。棟梁の大西様をご城下の佐山にお訪ねして溝普請の事を教えて頂こうとしたのですが、そこの小僧共が私を女と侮って邪魔をします。いつか懲らしめてやろうと算段しているところなのです」


「ほほほほ。まあ恐ろしい。小夜に睨まれたるは一生の不覚と、後で悔やむであろうな」

「ははは。何と佐山まで駈けていったか。だがそれは小夜に非がある。いきなり行っては来られた方も会わぬのが定法。今度、忠兵衛殿に書状を書いて貰う故、それを持って、まあ行くだけは行って見よ。教えを受けられるか、先方に知識があるかは別であるが」


祖母が笑いをこらえて、


「小夜。あと一つ訊くが、その小僧どもとやら、懲らしめる前に籠絡してやろうとは思わなんだのか。お前の器量で、なびく風情を見せれば何事も叶えてくれそうなもの」


「ばば様。なれどそれは本心ではありませぬゆえ、後で私が卑怯者になるではありませぬか。正々堂々と生きられぬ者に、幸田の民は命を掛けて従いませぬ」

「これは母者。一本取られましたな。ではこれでようございますな」


 祖母が立ち止まり振り返った。眼に涙を湛えて小夜を抱きしめると、

「ああ。やっとお前を心置きのう抱ける」と言った。


「今からの私はお前の師では無い。ただの婆じゃ。お前は私の可愛い孫」

 戸惑う小夜に、父が、

「ばば様はお前が成ったと認めてくだされた。これからは母様のように甘えて良いということぞ。我等と共にある日も残り少ない」

 その時はその言葉の意味を深く考えなかった。


 幼い頃――目覚めたときは、いつも祖母の腕の中だった。

 泣いた記憶がある。悲しいのでは無かった。あれは祖母に抱かれたくて、あやされたくて泣いたのではなかったか。

 甘えるとはなんと甘美な。切なささえも伴うものか。


 抱きしめた腕を緩めて松が言う。

「おや。いかがした。小夜の涙を見るは赤子の時以来じゃ」

「息ができなんだのです。ばば様が新しい技で私の息を止められたのかと思った」


「最早お前は幸田の跡取り。そのような無礼はせぬ。これまでは鍛錬のために野山を駈けさせましたが、それほど遠くまで行っていたのなら明日より乗馬を許しましょうか。のう、八郎太殿。時が惜しい」


「ならば黒毛を頂けませぬか」


「ときに荒ぶる馬だぞ。よいのか」

「荒ぶる時は走り足りないのです。黒毛はなりが小さいのに飼い葉をよく食べ、私の言葉を解します」


「ならばそうするがよい。それから、このような道すがらでは有るが、この月の末に小夜の初冠ういこうぶり(元服)を執り行う。忠兵衛殿に烏帽子親となり、いみなも付けて貰うが、これよりは幸田村の小夜ではなく、幸田小夜となる。さすればお前には三千の民がお前に命を預ける。その重みをしっかり受け止め、成したきことを勇を持って成せ。その為の知識は前世から継いでおいた」

 それが時折閃く記憶のことだとは理解したが、何の役に立つとも思えないまま今に至っている。


『私は記憶の中の私と同じ年になった。その年になれば私は記憶のなかの私になれると思っていたがそうではなかった。だが――それにしても、垣間見える世界は何と言う緩やかな世界だろう。食物は豊富で争いの種もない理想の郷。生きていくことの心配も無く、ただ学ぶためだけに時が与えられている』 なのに私の、あの間延びした顔はなんだ。この私はあんな顔をしたことなど一度も無い。


「じゃによって、お小夜の元服は、皆が待ちわびていたことでもあった。儂もどれだけ嬉しかったか知れぬ」

 和尚が小夜の元服を思い出して懐かしむ声で、現世に引き戻された。 


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