第3話 祖母

 朝霧の冷気で目覚めた小夜は、身じろぎもせず、感覚だけで周囲を伺った。

 笹の病葉わくらばが積み重なった上に裸身で横たわり、湯文字、襦袢、着物と帯が掛けられている。


「帰らねば」

 祖母が気になった。

 湯文字を着けようと立ち上がりかけたとき、下腹からおりのようなものが落ちた。

 見ると、小指の先ほどの銀の粒で、それが十数個湯文字の上に落ちている。

 漢鬼の唾液が小夜の体内で銀に変わったのだとささやく声がする。

 急ぎ衣服を身につけ、辺りを見回せば、そこは冥界との境ででもあるのか、一歩戻れば鬼の館が見え、一歩進むと館は消えて、帰る路が現れた。

 ここは、獣と老婆のむくろがあった場所に違いない。

 だがそのいずれの世にも、昨夜見た老婆の死体は見当たらなくなっている。

 

 小夜は銀の粒を集めると袂に入れ、急ぎ屋敷に帰った。

 裏の木戸を抜け、離れに行く。

 立ったままで障子を音も無く開くと、寝入った祖母の、いつになく血色のよい顔が見える。

 安らかな寝息を聴き、小夜は思わず安堵の声を上げた。

 鬼が「三夜で治す」と言った約定の一夜は叶えられたのだ。


 小夜が障子を閉め、離れから出るのと、祖母の呼ぶ声が聞こえたのが同時だった。


 急ぎ戻ると、祖母は上半身を起こして、お腹が空いたと微笑んだ。

 小夜は祖母に駆け寄り、背後から抱きしめる。

「ばば様。お加減は」頬摺りをした。

「昨夜から驚く程に良くなった。こんなことが本当にあるものか」

「よかった」

「これもあの不思議な夢を見てからのこと。姫神の使いが現れて、お前が子を成すであろうから気を確かに持てと言われた。私の命と引き換えに、お前が何かとんでもないことをしているのではないかと気懸かりでならぬ」

 祖母はそう言って、抱きしめる小夜の手を握り返して慈しんだ。

「はい。しております」

「やはりそうか。一体それはどのような」

「それを申せば、今までの事が全て無駄になりますので今は申せませんが、悪しきことではありません。それに、ご覧ください」

 小夜は立ち上がり、祖母の前で一回りしてみせる。

 如何なる傷も責め苦の痕も、現世うつしよでは消え去っていた。

「このように元気です。どこもどのようにもなってはおりません」

 小夜は離れを飛び出し、勝手口で「タキ。起きよ。ばば様に粥じゃ」 

 まだ寝ている使用人頭のタキを起こし粥を命じた。


 その日、祖母の苦しげに咳き込む声を一度も聞くこと無く過ごした小夜は、鬼の館の方角を伏し拝んだ。

 

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