空色サイダーは無炭酸。

cancan

『空色のサイダー』



 2020年。その夏は、いつもより少し冷たく静かで――

 特別だった。

 



 高校生、最後の夏休み。

 僕はアルバイトをしていた。


 卒業の前にクラス皆と想い出をつくるために金がほしい、なんてことではなく。

 やることがなかったから働いているだけ。

 

(――まるで気の抜けた炭酸)


 炭酸がなくなってしまった炭酸水はもうサイダーではない。

 ただの砂糖水。名前にたいして意味も存在も価値もない。


 僕と一緒。

 で、学生という社会的な立場と存在意義をまっとうしているのかどうか? 

 聞かれれば『NO』


 世界に対して透明な人間。

 そして問われる人間としての価値。

 将来に何になりたいのか。

 その疑問の答えは、小さい頃から絶賛検討中のままだった。

 

 長い長い思考中。


 でもバイト時間は何も考えずに作業に集中できる。

 前は小説を書くインドア派だったが、今はただ体を動かすことを好きだった。

 

「はじめまして、私は空乃梢そらのこずえです」


「……」

「はじめまして、私は空乃梢です」

 二回ほど同じことをいわれ、初めてその言葉が僕に向けられているものだと解った。

 視線を向けると中学生女子……いや高校生か。


「あぁ、はじめまして。僕の名前は――。えっと、新しいバイトの方?」


 見たことのない顔。涼しげな色のセーラー服。

 適当にゆるく結ばれた三つ編み。

 顔に対して大きめの眼鏡。

 レンズは薄いので本当に視力が悪いのかどうかは疑問だ。

 瞳の色は少し茶色だった。


「いいえ」

 問いかけに対して返答は短い。


「じゃあ、ここで親御さんが働いているとか?」

「いいえ」

「えー、じゃあ何?」

 何しにここに来たんだ。

「探偵です」


「探偵?」

「はい」


「誰が?」

「私が探偵」


 ただ単調にそれが事実であることを伝えられる。

 まるで感情が感じられなかった。


「その探偵がここに何の用?」


 探偵ってなんだ? ごっこなのか。

「少し質問。させてもらってもいいですか?」

 声には抑揚がない。


「僕に?」

「はい」


「何の? この仕事についてかな」

「はい」

「仕事関係ね……まあ、いいけど。何?」


 とりあえずごっこに付き合うことにする。 

 空乃梢は顎に手をあてる。


「この仕事、あなたのしているこの仕事は、荷物を相手に届けることで間違いはないですか?」

「そうだね。配送業だから」

「何でも、どのようなものでも?」

「家に入りそうな大きさなら何でも運ぶかな。この会社は引っ越し業務もやっているから」


「質問は終わりです。握手してもらっていいですか?」


 なぜ?

 と考えたが手を差し出す。

 彼女が僕の手を握った。

 力を入れたら折れるのではないかというくらい華奢だった。


「そう、それはよかった」

「……」

「で、結局。その探偵さんはここへ何しに来たんだ?」


 彼女は「ふむ」と一息ついて。


「つい先日……8月1日ですね。事件がありました。赤坂で起きた殺人をご存じですか?」


「ああ、確かニュースで見たかな」


「被害者の名前は河上実かわかみみのる25歳。職業は小説家――若年層向けの、いわゆるライトノベルの作家。2年前にテレビでアニメ化されており、去年は映画も全国で上映された。いわゆる人気作家というやつですかねぇ」


 そういいながら、眼鏡の位置を両手で直す。


「へえ」

「ご存じですか?」

「まあ、いちおうは。有名な人だからね」


「状況を端的に説明すると、高級ホテルの最上階。推定犯行時刻は1日の夜9時から12時の間、死因は絞殺……首を手で絞められていた。あざのあとから犯人はおそらく右利き。手袋をしていた。手の大さは普通。男性。被害者は部屋の真ん中、絨毯の上で仰向けになって倒れているところを翌日に発見された」


「犯人は?」

「見つかっていません」

「目星はついている?」

「はい」

「じゃあ、早く捕まえてくれ。いや、あなたは探偵だから捕まえるのは警察の仕事か……」


 ふと彼女と視線が合った。


「被害者が最後に会った人物がこの配送会社の社員だったことはご存じですか?」

「いったい誰が?」

佐藤順二さとうじゅんじが重要参考人としてあげられています」

「佐藤さんが? なぜ?」

「DNA鑑定です。犯行現場で佐藤順二のDNAが出てきました」

「そうか……でも佐藤さんは二日前から会社に来てないぜ。なぜか連絡が取れない……てかよく佐藤さんのDNAだと判別できたな」


「確かに。何もないところから事件現場のDNAと『誰なのか?』を適合することはできません」

「犯行現場に佐藤さんに関係するものでも?」

「配送履歴を確認しました」

「そういうことか」


 警察の捜査線上に佐藤さんが浮上して当然。


「佐藤は推定犯行時間帯に荷物を配達したと考えられています。ただ……結局その荷物は届けられていない。どうやら誤配送だったらしく、持ち帰られていました。この会社のデータにも【配送先間違い】とありました」


「……」


 会話に間ができる。


「状況証拠だけ考えると佐藤順二が犯人です」

「なるほど。簡単な事件だ」

「普通だとそうですね」

「普通だと?」


 ひっかかる。

 僕の怪訝な表情にも彼女は顔色一つ変えない。


「はい」


 あくまで淡々とした返答。


「じゃあ、今回は普通ではないと?」

「はい」

「一見すると単純な事件です。河上(作家)が泊っているホテルの部屋に佐藤(配送業者)が荷物を届ける。荷物を渡す瞬間に部屋に入り込み首を絞める――最後に部屋を出るだけ。オートロックで鍵がかかる」


「単純な話だ」

「そうでもありません……ホテルには監視カメラがある。なぜ映像が残るのにに平気で犯行を行ったのか?」

「佐藤さんが映っていた?」

「はい。荷物を届けた人間がホテルに入ってくる映像が中央ロビーに設置されたカメラに残っています。これで佐藤順二だと判断できました」


「残念だけど……佐藤さんが犯人だな」

「はたしてそうでしょうか? 足りないものがあります」

「何が?」

「私は人を殺すにも理由が必要だと考えています」

「理由がない?」

「はい。佐藤には河上を殺す動機がありませんでした」


「後先考えずに殺してしまったとか? だからカメラに自分が映っていても気にしなかった。会社に無断欠勤しているのもそれが理由で。警察に捕まる前にどこかに逃げ出したかったのではないかな」


「もう一つ気になる点が……」


 指を立てる。


「まだあるのか」

「配送された荷物が大きすぎる」

「それが?」


 この会社では大きい荷物など珍しくない。


「大きい荷物を間違えて配送するのでしょうか?」

「よくあるミスだ」

「はい。ただ配送側のミスであっても、河上さん側はどうでしょう? 頼んでいない大きな荷物を部屋の中に入れますかね?」


「雑誌社や企業のサプライズか何と勘違いして中身を確認したかったのさ」


 有名な作家ならあり得る話。


「ああ、なるほど」

「怨恨の線は本当にないの?」

「調べた限りは――恨んでいたとか揉めたとかの情報はありません。それ以前に彼らには接点が全くない」


「でも状況証拠は揃っているんだろう」

「はい。しかし佐藤順二の勤務状況はいたって真面目だったそうです。むしろ模範的。今までずっと真面目に働いてきた人間が、何の恨みもない人間を突発的に殺しますかね?」

「確かに佐藤さんは真面目だ。ただもっと詳しく調べれば何かでてくるかもしれない」

「そうかもしれません。でもその前に私は視点を変えました――河上を殺す動機がある人間は誰なのか?」


「誰?」


 僕と彼女の視線があう。


「それはあなたです。以前、河上さんと揉めましたね」

「……ずいぶんと突発的だな」

「盗作の疑いをかけられました」

「疑われたのと、揉めたのは事実だ。でも盗作はしていない」


「まあ実際に盗作したかどうかは定かではありません。ただそれが原因でデビューできなかったことも事実です」

「監視カメラには佐藤さんが映っていた」

「顔が確認できたのはロビーに入ってきた時の映像のみ。あとは背中しか映っていなかった」


「途中で入れ替わったとでも?」

「そう考えています」

「馬鹿げている。どこに監視カメラがあるかわからないのに、どうやって入れ替わるんだ」

「監視カメラがないところです。つまり犯行現場である部屋の中――」

「例えカメラがなくても部屋に入ったり出る時にカメラに映る」


「映らない方法があります」

「無理だ。高層ホテルの外窓から侵入するとでもいうのか?」

「配送された荷物がかなりの大きさだった……その中に隠れる。現代版人間椅子とでもいいましょうか」


 椅子いすの中に隠れて家に侵入する。

 有名なミステリ。


「無茶苦茶だ。佐藤さんはどうなる? 行きも帰りもカメラには一人しか映っていなかったんだろう」


「簡単な話です。あなたが入っていたダンボールに入れればいい」


「ああ」


 そうすれば、一人しかカメラに映らない。

 単純にダンボールの中身が入れ替わったという話だから。


「佐藤さんと僕が共犯とでもいいたいわけ?」

「いいえ。恐らく共犯ではなく。佐藤順二は被害者でしょう」

「被害者?」

「簡単です。まず、佐藤順二によって荷物(あなたが入った)が被害者に届けられる。その大きめダンボールの中からあなたが出てきて河上を殺します。次に佐藤を気絶させる……もしくは殺害。これによって部屋に佐藤のDNAを残せる。あとは、ダンボールに佐藤を入れて部屋を出る。そうすれば――ホテルに設置された監視カメラにはあなたの背中しか映らない。顔が映る心配があるなら帽子を目深にかぶればいい」


「決定打ではないな」

「佐藤順二は左利きで、あなたは右利きだ」


 さっき握手をした時に確認したのか。

 僕は右手を差し出している。


「なるほど」

「正解ですか?」

「答えは『YES』 捕まえるのか?」


「いいえ。私は警察ではないので捕まえない。あと通報もしません」


「なぜ?」

「単純な話です。私は正義の味方ではないから。私も最後にいいですか?」


「なんだ?」

「このトリック。小説で使う気にはならなかったんですか?」


「僕には小説を書く才能がなかったんだ。こちらも質問がある――捕まえる気もないのに何でこんな調査を?」


「簡単な質問です。ただ単純に視てみたかった。殺人鬼という者がどういうものかを」

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空色サイダーは無炭酸。 cancan @goroo

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