第2話 同じ部活の人

「……はっ!」

目を開けると見えたのは黒ずんだ天井だった。

床で寝ているらしい。


俺は何をしてたんだっけか。

まず、部室で昼寝して、悪夢を見て、起きて、それから……

額に手を当てる。ピースサインのままで。


あ、デコピン。


「痛ってぇ!!」

 思い出した途端、強烈な痛みがジンジンと頭に響いた。


 俺が喰らったのはただのデコピンのはずだ!

 それなのに……なんだこれ!

  痛い!痛すぎる!!


 頭を抱えて悶絶しながらお世辞にも綺麗とは言えない床をごろころと転げ回る。

  誰だよ! こんなことしたヤツは!?


俺の脳が即座に答えをはじき出す。

 そんなのアイツに決まっているだろ、と。


 俺は寝っ転がったまま、いつもの特等席――部室の窓際を睨みつけた。


 いつも通り、彼女はそこに居た。 


 俺は何か文句を言おうと口を開きかける。

 が、その勢いは一瞬のうちに削がれてしまった。


 彼女――坂倉真衣さかくらまいは小難しい英文がタイトルのハードカバー本を膝の上に乗せて読んでいた。


 春風がつややかな彼女のショート髪を揺らしている。

 高校生とは思えない大人びた表情をしながらゆったりと読書に勤しむその姿は美しく、幻想的だった。


 坂倉は俺の固まった視線に気づくとようやく、本から目線を上げる。

 そして、はた迷惑そうな目で俺を一瞥いちべつすると一言。


「キモイからこっち見ないでくれるかい?」

「…………」


  ……こんな奴に軽く見惚れていた俺はやはり阿呆だった。


 そんな俺の後悔を露どころか原子レベルで知らない坂倉は、バカバカしいと言いたげに目線を本に戻す。


 俺との会話よりも読書の方が大事だと判断したっぽい。


「……お前なんであんな事したんだ」

 坂倉は目線を本に向けたまま、だるそうに答える。

「何でもいいから早く起こしてくれって言ったのは君だったはずだけれど、それはボクの記憶違いかな?」

「いいや、確かに合ってるぞ、一字一句な。 けどな……だからといっていくらなんでもデコピンはやりすぎだ」

「はて? 一般的に考えて寝ている人間をデコピンで起こすというのはやりすぎって言えるほどのことかい?」

「お前は一般的な枠に当てはまるような人間じゃねぇ! 特にデコピンに関してはな! ……マジでどうなってんだこの痛さ」

 言いながらしきりに額をさすって痛みを和らげる。……湿布とかないだろうか。


 苦痛に顔を歪める俺を坂倉は鼻で笑う。

「だから一度チャンスをあげたじゃないか。

 謝罪さえすればボクの寛大な心で許してあげようと思っていたのに。

 なんだいあの返事は? ボクのことをバカにしてるのかと思ったよ」

「おはようの挨拶は大事だぞ」

「……もう一発行っとくかい?」

「ヒッ……」

 なおも本を読みながら指で何かを弾く仕草。それだけでさっきの恐怖が蘇る。

 自分でも知らない内に手がガタガタと震え、首筋からは冷や汗が垂れる。

 完全にトラウマ状態だ。

「ごめんなさいのほうが大事だよね! 生意気言ってごめんなさい!」

 俺を再度睨みつけ、坂倉はようやく矛を収めてくれた。



俺がなぜこんな奴と放課後にこうやって駄弁っているのかと聞かれれば、とある事情があって、強制的に同じ部活をやらされているからだ。

 つまり「ただ単に同じ部活に所属している」というだけ。

 それ以上でもそれ以下でもない関係だ。


 いや、まあ……最初は俺だって期待したさ。

 頭脳明晰、運動神経抜群、容姿端麗、そして品行方正と噂の女子と二人きりで部活動ができると知ったとき、ここはやっすいオタクの妄想世界かなんかなのか俺はひとしきり悩む羽目となった。

 そして悩んだ挙句、最終的に「こんな俺でもついに高二にして素晴らしい青春がやってきたのか!」と感激したさ。


 だが、蓋を開けてみれば。


 噂のうち、よりにもよって凡そ人として最も重要であろう「品行方正」だけがデマだったのだ。

 具体的に言うなれば……

 スペックに比べて性格が酷すぎるのだ!


 毒舌、傲慢、暴力的、利己主義etc……

 悪いところをあげれば枚挙にいとまがない。


 そもそも一人称が「ボク」の女子高生。

 変人である。あーイタイイタイ。

 しかし、それ以上に彼女の変人さを決定づける1つの悪癖が彼女にある。

 ズバリ、それは……


「ところで」


 なおも本を読み続けながら突然、彼女は俺にこう問うた。

「君、さっき阿呆みたいに……いや、阿保が寝ている時にうなされてたけど、悪夢でも見てたのかい?」

「阿保はともかく……まあ」

 本を捲る音が止まった。

 気付けば坂倉が興味深げにこちらを見つめていた。


「良かったら何の夢か教えてくれるかい? 興味本位で」

「断る」


 即答した。 

  あんな夢、思い出すだけでも悶絶したくなるのに他人に言った日には俺は遺書を書いて屋上から飛び降りようとして結局怖くて諦めていることだろう。


 ところが、そんな俺の内心とは裏腹に目の前の女はそうは問屋が卸さなかったようだ。

 問題なのはそれが何の問屋なのかだ。


 言うなれば……探偵だ。


 坂倉の目が一瞬キラリと光った。


「……ふむ。君が教えてくれないなら自分で考えるよ」


 そして本を閉じて立ち上がる。

 ……この流れはマズイ。

 俺は急いで首を横に振る。


「いや、どうせ当たんないから時間の無駄ーー」

「なら、尚更試してみようじゃないか。

 ここは一つ、ボクが推理してあげよう」


 ……逆効果でした。


 突如、坂倉は目を瞑って額を指で押さえ始めた。

 とたん、雰囲気が一変した。

 刺すような集中力を肌で感じる。ここはバトル漫画かよ。


 本来、こういうキザなポーズを普通の人間がやるならそれなりの覚悟と後悔が必要だが、彼女の場合は面白いくらい様になっている。


 俺は彼女の異常なまでの集中力に感心すると同時に少し呆れた思いでいた。 

 あーあ……こりゃ止められないな……


 これがコイツの悪癖だ。


 何故止められないのか、これから起こる事を見ていれば分かるだろう。

 数分後、坂倉は頭を押さえていた指を離すと、目を瞑りながらこう答えた。


「……そうか。君は、君が中学生の時の事を思い出したのだろう?」


 サラサラとしたショートの前髪を軽くつまみながらじっと俺を見つめる。


「正解かな?」

 言った直後、ゆらりと彼女が俺の方に近づいて来る。


「お、おい。坂倉、落ち着けって!」

「ボクはいつだって冷静沈着さ。

むしろ落ち着いていないのは君の方じゃないか。

 ……それより、今のボクの解答は正解なのかい? 仮に間違っているのならどこがどう間違っているのか説明してくれないかな?」

「……だ、断固拒否する!」

 そう言って俺は後ずさるが、そう広くない部室だ。すぐに壁に追い詰められてしまう。

「はやく答えたまえ」

 更にずいっと急接近され、鼻と鼻がくっついてしまうんじゃないかと思うほどの距離になる。


 近すぎんだろ!

 女子特有のふわりとしたバラのいい匂いが俺の鼻腔をくすぐる。坂倉の髪が首筋に当たって少しこそばゆい。目がこの時だけは爛々としている。


「――あ、合ってる! 合ってるから、離れろ!」


 いくら美少女であるといえど、もはや恐怖とも呼べる威圧に我慢できず結局、俺はコクコクと頷く事しか出来ない。

 俺のお墨付きを貰った彼女は嬉しそうにニヤリと笑い、ようやく俺から離れる。

 しかしこれだけでは終わらない。


「出雲君も何故当てられたのか気になる所だろうから教えてあげよう」

「いや、別にどうでも――」


 その一言、最後まで言うこと叶わず。


「まず最初に君が寝始めた時間についてだ。君は放課後の部室で寝た。理由は…夜中までテレビゲームに勤しんでいたからだっけ。

 ……まぁそれは推理材料にはなり得ないね。それよりも重要なのは、君は寝る直前こう言ったことだ。30分後に起こしてくれ、と。

 少し話は変わるが、夢というのはレム睡眠とノンレム睡眠、どちらの場合で見やすいのか、ご存知かな?

 まずはレム睡眠、これは身体が休んでいるが脳は活発に動いている状態だ。

 次にノンレム睡眠、これは身体も脳も休んでいる状態。

 そして脳が緊張状態にある時、つまり先程の君の場合だと30分後に自分は起きなければいけないという緊張があった時、人はレム睡眠になりやすいんだ。

 当然だ。緊張しているのに脳が休めるわけ無いからね。

 つまり君は寝ていた時、レム睡眠であったと推察できる。

 そしてここからが肝なのだがね、レム睡眠の特徴を更に掘り下げると夢の内容にまで干渉してくるんだよ。

 その特徴として一説、挙げられるのはストーリー展開がある事だ。ついでに本人が夢を覚えていやすいというのもある。

 そこから更に深く見ていくと無意識に繋がる。

 無意識は2つに分かれていて哲学者のユングによれば……」


……始まったな。

俺は窓の外でランニングしている陸上部員たち(主に女子)を眺めながら、大きなため息を吐いた。

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