8 元狙撃チームの計画

 どのくらいの時間が自分の前に流れているのか、オレにはすぐには判らなかった。

 実際的な時間と、感覚的な時間は別物だ。

 オレの中で今まで奴と一緒に過ごしてきた時間が一気に流れたとしても、それは客観的にみればたった一瞬のことに過ぎない。

 ただ言えているのは、自分の目の前に倒れ伏している身体が既に息をしていない、ということと、オレの背にもたれかかっている女性が、直接男に触れたくても触れられない存在だ、ということだけだった。

 そしてその事実を認識した時、ようやく、この疑問がオレの中に浮かび上がった。


 どうしよう。


 何に対してのものでもない。

 今居るそこから、どう動けばいいのか、それすらオレにはその時判らなかったのだ。

 目の前の出来事を信じたくなかった。

 だけど目の前に横たわっているのは生々しい現実だ。

 ただその時まだ、オレの頭はその二つをなかなか上手く結びつけることができなくて。


「…はっ」


 その二つが結びついたのは、背中の彼女が、ぐっ、とオレの服ごと背中を強く掴んだからだった。振り向くオレに、彼女自身も驚いている様だった。目の前の出来事になかなか対応できないのは、彼女も同じだったらしい。それとも、放心したオレに、くっついていた彼女が引きずられていたか―――

 オレ達は急速に戻ってきた現実に、顔を見合わせた。

 どうするの、と彼女は改めて向き合って、オレの手をぐっと握りしめた。強く言葉に変換した意志。伝わるだろう、と彼女は確信している。

 そしてオレは迷っている。


 ―――このまま警察に投降した方がいいわ―――


 彼女の声が聞こえる。自分の力で、悪い様にはしないから、と。それはたぶん正しい。正しいのだけど。


「…ごめん、ブランシュさん」


 あ、という声が彼女から漏れた。掴んだ手から、オレは大きな光のイメージを投げかけた。彼女はそれに一瞬よろめいた。その瞬間を逃さずに、オレは彼女の背後から腕を回し、ここへやって来る時より露骨に、彼女の首に銃を突き付けた。


「ブランシュさん、あなたは正しいんだ」


 オレは接近した彼女の耳に囁く。そのまま気持ちを再び投げかけるのは、きっと彼女には衝撃が大きいだろう。


「だけど、…それじゃあ、オレの気が、済まないんだ」


 言いながら、オレはゆっくりと扉の方へと進んで行く。


「…何をするつもり…? シャノ君」

「…」


 オレは黙った。そしてどん、とオレは扉を蹴り、外へ出た。

 ちら、と周囲を見渡す。この部屋は突き当たりだったから、外へ出るには、とにかくこの長い廊下を真っ直ぐ突っ切って行かないといけない。


「…大人しく、あんた等がしててくれれば、このひとは、解放する」


 そしてぐるり、と周囲を見渡す。


「…出口はどっちだ」


 問いかけた。言葉の答えを期待している訳じゃない。音は勝手に発せられている。

 オレはそこに居た連中の意識の中から、「一番多い答え」を探し出した。


「…走って」


 彼女に囁く。助走無しで、オレはその場を真っ直ぐ走り出した。途中に居た連中も、彼女の姿を見たら、ぶつかってはいけない、と思ったのか、さっと身体を逸らせる。


「大丈夫よ!」


 彼女はこんな場面でも気丈に叫ぶ。


「私は大丈夫だから!」


 階段を駆け下り、階下へ降りる。ばたばたとオレのスニーカーの音と、かっかっ、と彼女のハイヒールの音が響き渡る。途中、何も知らないのだろう白衣の所員が眼鏡の下の目をぐいっ、と開いて書類を胸に抱き込む。女性所員がきゃ、と揺れる髪を押さえた。

 その後からばたばた、と本部長達が追いかけてくる音が聞こえる。


「…本当に、逃げる気?」

「…」

「逃げるだけ、よね?」


 彼女は念を押す。オレはそれには答えられない。


「逃げるだけ、なら、手を貸しましょう」

「ブランシュさん?」


 階段からすぐの出口を抜けると、そこは駐車場だった。


「人が居る、左斜めのあれ。そこまで走って」


 はあはあ、と彼女の息が荒くなる。コンクリートの地面は、ひどく走りにくそうだ。

 …ああそうだ。できるだけ遠くに行きたいのは確かだ。だが彼女をこのままオレと一緒に走らせて行く訳にはいかない。

 どきどき、と彼女の心臓の音が伝わってくる。明らかに、無理させているのだ。それでもまだ、協力してくれようとする彼女の気持ちが、とても嬉しい反面―――彼女の期待することはできないだろう自分に、オレは内心苦笑した。


「…ひぇ!」


 おそらくは、今の騒ぎも何も知らないだろう、たまたま用事があってやって来た民間人。オレが彼女を抱えたまま、ぐい、と銃を突き付けると、乗りかけた車の座席に、一瞬腰を抜かした。

 鍵がついていることを確認して、オレはそいつを座席から蹴り出した。


「乗って」


 彼女をその運転席に乗せる。あいにくオレは、車の運転方法を知らない。

 こんなことだったら、ストリート・ギャング時代に習っておけばよかった、とか、ロブに聞いておけばよかった、とか他愛もない考えが頭をぐるぐると回る。だけどどっとも無駄だ。もう過ぎたことだ。


「…行くわよシャノ君。どっちに行きたいの」

「何処でもいいです」

「駄目よそれじゃ!」


 そう言いながらも、彼女はエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。いきなりの発進に、オレの身体は大きくバウンドする。


「私はあのひとから、頼まれているのよ、あなたを守ってくれって」

「それは、オレが…だからですか?」

「そうかもしれない。確かにあなたの存在が、ある種の切り札になるかもしれないわ。だけど!」

「それは、あなた達の理屈でしょ」


 オレは彼女の言葉を遮った。車はそのまま、ぐん、と伸びる道をスピードを上げて走り出した。


「ねえお願い、このままもう一度、私に警察本部への道を行かせて」

「それで? それでオレにどうしろって言うの?」

「あなたに生きてもらいたい、というのが、あのひとの望みよ。結局、そのための切り札なのよ! 色んな、利権や何やらがいつも頭にある様な連中がどう来ても、あなたを生かしておくための!」

「だから、それはどうだって、いいんだ!」

「…死ぬつもり?」


 彼女は低い声で訊ねた。そして急ブレーキをかける。オレは思い切り、窓ガラスに頭をぶつけた。後続の車が慌ててハンドルを切って、オレ達の方へ悪態をつく顔が見える。


「…そのつもりだったら、私ここから、あなたを出さないわ」

「出さない?」

「行くなら、扉を壊してでも行ってちょうだい、あなた銃持ってるんでしょ!」


 鋭い声が飛んだ。オレは唇を噛む。だが弾丸の数が少ないことを、彼女も知っているはずだ。出るのは勝手だ。だが行くなら銃の弾丸を使い尽くしてから行け、そういうことだろうか。

 オレの側の扉はオートロックが掛けられている。


「…ごめん!」


 オレは彼女の鳩尾をぐっ、と殴った。あ、と声が漏れる。オートロックを解除すると、サイドブレーキをセットして、外へ飛び出した。

 ついでに、一発タイヤに撃ち込んでおく。

 残りは一発だ。でも一発あれば、いい。


「…さよなら」


 オレはそこから、夜の街に駆け出した。


 久しぶりのデビアの裏町で、オレは古着屋で夫人から着せてもらった服を売り、その代わりストリート・ギャングにふさわしい楽な格好に着替えた。

 街に紛れ込まなくては、目的のものは見つからない。

 目的のもの―――すなわち、カストロバーニの現在の居場所、だ。

 街に紛れながら、人混みの騒音をかわしながら、服を売った余りの金で、焼き肉の串をぐい、としごきながら、オレの考えは次第にその方向へと走り出していた。

 オレが今現在したいのは何だ。―――ロブの復讐だ。

 それは判ってる。そして直接的に、奴の命を縮めたのは、結局は警察の取り調べだ、ということも。

 正直、その当人の脳天に一発食らわせてやりたい、という気持ちはある。

 がしがし、とオレは肉を噛みしめる。

 一発しか無い弾丸。オレは今一番、誰をぶち殺したいのか。

 その答えは簡単に出た。カストロバーニ、そのひとだ。

 無論それが特上に難しいことであるのは判ってる。奴の周囲は、あのフェイドを含め、ボディガードに守られている訳だし、今は特に、兵器工場が爆破されたってことで、自分自身の危険をも感じて、警戒を強めているはずだ。

 そんな中、連中から見たら、虫けらの様な存在のオレが一人、立ち向かおうったって、無理な話かもしれない。いやはっきり言って無理な話だ。

 だけど。

 ぐい、と一番下の肉を串から引っ剥がす。口に詰め込み、手の甲で唇をぬぐう。


「やってみなくちゃ、判らないじゃないか」


 あの時。戦争中、爆撃で施設がやられた時。

 急激な、誰かの、冷たい悪意を感じられたにも関わらず、オレは結局シスターを助けられなかった。

 それは無理だったよ、と言うのは簡単だ。確かにその時のオレは、その冷たい悪意そのものに凍らされて、まともに動けもしなかった。

 だけど、もっと早く、オレが、自分の力を―――それがバケモノの力であるにせよ、天使の力であるにせよ―――ちゃんと受け入れて、できることとできないことを、判っていれば。

 そうすれば、もしかしたら、シスターを助けられたかもしれない。

 できなかったことの痛みは、そう簡単には消えない。

 重く強く、突き刺さったまま、それはずっと痛み続ける。そして何でできなかったのか、お前のせいだお前のせいだ、と苛め続ける。

 そう、あの夢はそのせいだ。

 思い出した。今になれば判る。あの夢はいつも、その時のことを繰り返し繰り返し突き付けていたのだ。もっと早く彼女に上手く伝えられれば。彼女は自分をあの頃唯一愛してくれたひとだったのに。

 お前は何をやってきたんだ何ができたんだ何でしなかったんだ―――

耳を塞いでも、声は消えない。やめてくれやめてくれ、ともがいても、そこから出ることはできない。

 そう、責め続けるのは、オレ自身だからだ。

 今のオレだったら、何とかして、自分の力を利用して、利用して、何処へでも逃げようと思えば逃げられるかもしれない。実際、この半日かそこらで、いきなりできることが、大きく広がった。

 カストロバーニを殺したい、というのも自己満足だ、と言いたければ言えばいい。実はロブのためじゃないのかもしれない。それでも、だ。

 ただオレは、ロブを死なせた元凶をこの手で殺したいだけなのだ。

 ぽん、串をその場に捨てる。野良猫がその串をぺろぺろ、と舐める。オレはもう一本買うと、その猫の前にぽい、と放った。猫はオレをちら、と見ると、もう後は、お構い無しに、自分の食欲に忠実に従った。


 歩きながら、走りながら、カストロバーニの居場所を求める。

 もう、夜は明けていた。

 気持ちをオープンにしながら、自分自身にはガードをかければいい。今のオレにはその位ならできた。

 同時に、どうして今までそんなことができなかったのだろう、と思う。

 でもその答えはすぐに出た。一年少しのロブとの生活が、オレがオレであることを約束してくれたからなのだ。

 シレジエにやって来るまで、オレはいつも、誰かの気持ちに踊らされていた。誰かの気持ちを伺って生きてきた。

 自分の意志はそこには無い。そうしなくては、自分が傷つくから。それが直接的な痛みとして、オレの心には感じられたから。

 時には、自分と相手の区別が付かなくなるほど、相手の気持ちに引きずられることがあった。

 だから、なるべくそれを避けて生きてきただけだ。

 だけど、ロブとあのアパートで暮らした時間には、そんなことは必要無かった。

 あの場所では、オレはただ、オレであれば良かったのだ。

 だからかもしれない。足かせが取れた様に、自由な開放感がある。今オレは、自分の力を使うことに、何のためらいも感じていなかった。

 そうやって、有力な情報を追ってさまよっているうちに、オレはふと、覚えのある誰かの気配に気付いた。

 ただ、誰なのか上手く判らない。でも確かに覚えがある。

 デビアではない。シレジエで会った、誰かだ。オレは気配を追って、できるだけ慎重に動いた。

 ごちゃごちゃとした、デビアの裏町に、その気配は次第に移動していく。覚えのある街角。あれ? とばかりにオレの方を向いて呆気にとられているガキの顔もあった。

 なるほどオレは、死んでると言われているのだろう。Jと一緒に。だが今はそれに構っては居られない。オレは再び集中する。

 だが。

 不意にその気配が消えたので、はっ、と立ち止まった。


「あ」


 足は、いつの間にか、大きな廃ビルの中に入り込んでいた。

 おそらくは、植民がある程度安定した時代に、大がかりな計画の一端として作られたビルなのだろう。十階位の高さの割に、横にやたらと長かった。

 階段室の高い天井まで続く壁、その最上階に当たる部分から、光が降って来る。オレは思わず、教会の窓を思い出していた。ただ、その窓にガラスは無かった。光はガラス越しでなく、そのまま強烈オレの目を一瞬灼いた。

 ふう、と階段に座り込む。いささか疲れている自分に気付いていた。

 何で自分がそのシレジエの「知り合い」みたいな奴の気配を追っているのかすら、何だか判らなくなりそうだった。

 疲れているんだよ、お前。

 ロブだったら、そう言って、くしゃくしゃとオレの頭をかき回しただろう。

 でももうその大きな手は無い。


「…う」


 思わずオレは、上体を倒し、膝に顔を埋めていた。

 途端、伏せた手の甲に、熱いものがだらだらと流れて行くのが判った。

 喉が詰まる。うっうっ、と声にならない音だけが喉から漏れ、ひぃひぃ、としゃっくりに似た痙攣が自分の身体を支配しているのに気付いた。

 落ちてくる光が、きらきらと、背中を暖かく抱いてくれる。だからだろうか。

 急激にやってきた嵐のせいで、オレはなかなか動けずに居た。

 だから、その時の衝撃は、心臓を止めるか、と思った。


「…何を泣いているんだい? シャノ君」


 自分の、「その名前」を呼ばれていることに、それが何を意味しているのか判るのに、数秒かかった。

 階段を下りてくる気配。


「あ」


 ずっと、追いかけていた、あの気配だった。

 顔は…うろ覚えだった。見たことがある様な気もするし、無い様な気もする。


「…尾行されている様な気がして、思わず撒いてしまったが、君だったんだね」

「…あなたは…?」

「画廊で、何度か僕は君を見かけたよ」


 あ、とオレは声を立てた。


「もしかして…画廊のマスター?」


 階段の、隣に座り込んだ男は、ゆっくりとうなづいた。


「リエダがずいぶん君を気に入っていたね」

「あ…彼女には…」

「黙っておくよ。と言うか、まあ、私もなかなか向こうには帰れないだろうがね」


 オレの警戒心も少し、薄れる。

 そうやって見ると、彼の持つ気配は、少しロブと似ていた。

 ただ色合いはまるで違う。白っぽいブロンドに、ブルーアイズ。ブランシュ夫人の話では、そうロブと歳は変わらないはずなのに、どう見ても、四十代より下には見えない。落ち着いた服装のせいかもしれないし、額に寄っているシワのせいかもしれない。

 だが確かにこの気配は、彼等に共通したものだったのだ。


「それにしても、上手く、シレジエを逃げ出して来た様だね」

「…何故それを」


 あの時の、警察がやってくるという通報の声とは違う。


「まあそう身構えなくていいよ。おそらく、私と君は、共通の敵を持っているようだからね」

「…共通の、敵…」

「カストロバーニだよ」


 あっさりと、彼は言った。そして、おいで、と手招きをした。…ついて行かない理由は、オレには無かった。


 廃ビルの中は、全くの空っぽという訳ではなかった。

 屋根がある場所は、住所や戸籍の無い人々の格好の居場所となる。

 五階くらいまで、そんな人々の気配が濃厚に感じられた。小さな携帯用のコンロを持ち出して、食事を作っているにおい、駆け回る子供達、どたどたと酒呑みの旦那を追いかけ回す奥さん、…アパートで見た光景と何処か似た、生活のにおいがそこにはあった。

 しかし彼はその辺りは素通りして、上へ上と足を進めた。

 階を追うにつれて、気配は減って行く。


「最上階はさすがに、今では崩壊が激しいからね」


 そう言って、彼は九階で止まった。さすがに少し息切れがした。


「ほら」


 彼はまた、手招きをする。薄暗い長い廊下が、そこには続いていた。

 かつては何のビルだったのだろう。生活もできる、店舗も入る、そんな場所だったのだろうか。

 ごちゃごちゃと、うち捨てられた家具や、POPが暗い廊下の端に寄せられている。


「足元に気をつけてくれ。廊下の照明は死んでいるんでね」


 そう言いながら、彼はやがて、左側の一つの扉に鍵が掛かっているのを確認し、叩いた。一回二回のノックではない。何処かリズム感のあるものだった。

 内側から、鍵の開けられる音がする。


「遅かったな」

「ああ、いらしたんですね。客を一人連れてきました」


 静かな調子で、マスターは扉を開いた男に向かって話しかける。

 …この声は、電話の…!


「客?」


 男は顔を出す。あ、とオレ達は互いに顔を見合わせあった。


「お前」

「…あんた…フェ…」


 さっさと入れ、と言い終わらない内に、カストロバーニの右腕のはずの男は、オレをぐい、と中に引き入れた。

 部屋の中は明るかった。ただし、陽の光で明るい、という訳ではない。窓は、ごちゃごちゃとした看板や家具によって塞がれている。持ち込まれている自家発電装置で、床にスタンドライトが置かれていた。

 ばたん、と扉が閉まる音が背後で聞こえる。鍵も同時に掛けられた様だ。


「久しぶりだな、クソガキの、片割れ」


 背の高い、筋肉の程良くついた身体。短く刈り込んだ焦げ茶の髪。


「何とか、野良犬には食われなかった様じゃねえか」


 にやり、とフェイドは笑った。


「まさかお前が、あのアパートに居るガキだとは思ってなかったがな、クロ」

「クロじゃねえ…」


 うめく様な声で、オレは言った。その名前は、聞きたくない。


「今は、シャノワール、だ」

「シャノワール、ね。なるほど、確かに兄貴の趣味らしいぜ」

「兄貴…?」


 にやり、とフェイドは笑って、「パリッシュ・モーニング」に火を点けた。


「お前の一緒に暮らしていた画家、だよ」

「ロブの!」

「このひとは、本名はベンジャミン・マクラビーと言います」


 画廊のマスターは、静かな調子で口にした。


「…ロバートさんの、実の弟さんです」

「そ。戦争の英雄の戦死した不肖の弟たぁ、俺のことだね」


 ははは、とフェイド―――ベンジャミン・マクラビーは笑った。


「…でも…何で…あんたが…」


 だってこいつは、カストロバーニの片腕、とも言える奴で。


「…ああ、話せば長いことながら…それよりマスター、そろそろ時間じゃねえか?」

「…ああ、そうですね」


 そう言いながら、マスターは何やらモニターらしいものをセットする。


「今、何時か判るか? クソガキ」

「…時計をオレが持ってると思うかよ」

「言うようになったな、クソガキが」

「正午の共通定時ニュースの時間ですよ。…TV放送がどれほど有効か、は判りませんけど」

「なぁに、同じことを、新聞社の方にも流した。兄貴の様にTVモニタを買わない石頭でも、新聞は読むだろ」


 …もっともだ。


「シャノ君、君をこの時間の前に連れて来られて良かったです」

「…だから何を」

「ガキは黙って見てろ」


 ぐい、とフェイドはそのままオレを床に座らせた。オレは漂ってくる「パリッシュ・モーニング」のにおいにむせた。


「共通定時ニュースって?」


 オレはあえてモニターをセットするマスターの方に訊ねた。何となくフェイドに聞くと、そのたびにクソガキ呼ばわりされる様な気がするのだ。


「デビアだけでなく、首都やシレジエ、コンバイヤ、ラトフィンと言ったこのソグレヤの全域に流れるニュースです」

「そんなことできるのかよ」

「できるんだよ、バーカ」


 べし、と上から頭をはたかれる。この調子。…やっぱりロブの弟、というのはあるかもしれない。


『こんにちは。正午のニュースをお送りします。本日はまず、都市代表議会の模様についてのお知らせからでしたが、予定を変更して、まずこの映像をご覧下さい』


 ごくん、とマスターが唾を呑む音が聞こえた。少なくとも、マスターの気持ちは、ひどく高まっていた。近寄ったら、心臓の音がどきどきとしているかもしれない。

 一方のフェイドは、椅子の上、組んだ足に肘を乗せ、食い入る様な視線でモニタの画面をにらんでいるのだが、…オレには奴が何を考えているのか、まるで判らない。ブランシュ夫人と同じだ。方法は違うけれど、自分の気持ちを強い壁で覆ってしまっている。

 ざー、と画面に何本か線が入る。素人の撮った映像の様だ。


『マイク入ってる? …ありがとう』


 オレははっ、と顔を上げた。


『皆さん、私のことを覚えていらっしゃるでしょうか。ロバート・マクラビーです』


 画面の中からは、懐かしい声と、…何処かいつもと違う、奴の姿があった。何処が違う…そう、いつもの、くしゃくしゃの髪の毛、伸ばしっぱなしのひげじゃあなく、髪を切って整え、ひげも剃り、そして「きちんとした格好」。

 さすがに軍服ではないにせよ、いつもの画家の奴よりは、軍服の「マクラビー曹長」の面影が濃かった。


『先日のデビア郊外における、キリウル産業の工場爆破は、私の犯行です。理由はただ一つ。あれが民間の生活物資工場を装った、兵器工場であったことです。しかしどんな理由であれ、手荒な真似をしてしまったことはお詫び致します。深夜、あの時間帯を選んだことで、人的被害は少ないとは言え、ゼロではない。その点に置いて、私のしたことは決して正しいとは言い切れません』

「…このあたりが、兄貴の甘い所なんだがな」


 ち、とフェイドは舌打ちをした。なおも画面のロブは続けた。


『兵器の生産は、確かに我らの星域に潤沢な資金を提供してくれるでしょう。しかしその反面、生産を続けるということは、資源をより必要とするということです。つまりは、キールを産出するトレモロを、より必要とするということです。それがどういうことか皆さんはお判りでしょうか?』

「…ファルハイトの…」

「ちゃんと聞け」


 がん、と頭をまたこづかれた。


「お前一人に言ってるんじゃ、ねえんだ。今は」


 ちぇ、とオレは少しばかり膨れた。判ってはいる。判ってはいるのだけど。


『我らのソグレヤが、ファルハイトに対する牽制と防衛のために必要とされるキール兵器など、大した分量ではないのです』


 そこでいきなり、数値的資料がばっ、と映し出される。


「これは…」

「これは、我々の仲間が調査し、算出した結果です。…ああ局の仲間ができるだけ無傷でありますように」

「祈ったところで届きゃしねえぜ」

「気持ちの問題ですよ」

「そういうもんかね。…つまりよ、あちこちの分野で、こういう連中がマフィアや政治家の圧力で引っ込んでいた、ってことさ」

「だからあのひとは、どうしても自分が前線に出たい、と」

「馬鹿だよなあ」


 フェイドは言いながら、煙草をふう、とふかした。


「あなただってそうでしょう。わざわざ敵の陣地に飛び込んで、のし上がって行くなんてことは」

「俺にはその方が合ってた。…あのお人好しの兄貴には、できねえ。だから俺達は、そうした。それだけさ」


 そしてまたふうっ、と煙草をふかした。


「素晴らしいスナイパーチームでしたからねえ」


 マスターはしみじみと言う。


『…皆さんがこの放送をご覧になって、私の言い分を信じるのかどうか、はご自由です。ただこれだけは言いたい。これ以上のキール兵器の生産は、ソグレヤにとっては無意味であるどころか、せっかく現在、何とか平和協定が守られているファルハイトとの関係を悪化させるだけではないでしょうか。また、その開発した兵器を輸出することにより、今度は我々のこの惑星が、その兵器で攻撃される可能性もあるのです。低コストで高い攻撃力のあるキール兵器は、確かに多くの利益を一見もたらすでしょう。ですが、その後を一度皆さんにも考えていただきたいのです』


 そんなことを、奴が考えていたとは。


「…オレは…まるで気付かなかった」

「ふん、クソガキに知られる様じゃ、俺達の活動もとっくの昔に消されてたさ」

「それでも!」


 オレは抱えた膝に顔を埋めた。ああもう。涙腺がやっぱり故障している。


『ファルハイトとの関係は、あくまで平和外交に徹していただきたい。…二度と、この地に爆撃が起きる様なことは、繰り返してはならないのです』


 そうあの時、皆、何も悪いことをしていないのに、死んだ。


『私は先の戦争の時、たくさんのファルハイトの兵士を殺してきました。ソグレヤでは英雄扱いされましたが、向こうではおそらく、死神だの何だの言われていることでしょう。やったことに関しては、私は今更弁解も致しません。ですが、できればそんな英雄など、要らない世界の方が良かった、と思わずにはいられないのです』


 奴はオレに、その「英雄だった」時代のことを、一度も口にしなかった。


「オレ、知らなかった。ロブのそんな頃のことなんて。…隠したかったの…かなあ」

「少なくとも、彼は好きではなかった様ですよ」


 マスターは腕を組み、静かに答えた。


「両親を亡くした時、彼は悲しいとか憎いとか確かに思ったということです。ただ、同時に、カストロバーニが両親を殺した理由というものがそれなりにあったから、彼は復讐の方向を決めることができました。けれど、自分に殺された兵士の家族の怒りの行き場所は何処に行けばいいんだ、と言っていたことがありましたよ」

「兄貴はそういうとこが甘いんだ」

「…あんた…」

「甘いんだよ! …甘くて、馬鹿だ」


 ふっ、と彼のぶ厚い壁の中から、ほんの少しだけ、雨の様なものが、見えた気がした。だがほんの一瞬だった。


『…皆さん、一部の利益追求の煽動者に惑わされてはいけません。既にこの放送が流される時、私はこの世に居ないでしょう。命に替えて、この件を伝えたく思い、こうやって心ある同志の力を借りて、この場をお借り致しました。ありがとう、ございました』


 ふっ、とまた画面が乱れる。


「…ごらんの映像は、本日朝、当社に届けられたものです。当社ではこの件について、即刻この事実関係を究明いたしたいと思います。また、この件についてご意見・ご感想のある方は…」


 ぷつ、とフェイドはモニターを切った。


「…と言う訳だ。おい、泣いてる暇はねえぜ、このクソガキ」

「シャノワールだ、って言ってるじゃないか!」

「言い返せる様にはなったんだな」

「…」


 思わずオレは詰まった。


「…とにかく兵器工場は破壊され、兄貴は捕まって死んで、ニュースは流れた! さて問題は、次だ」

「…ちょっと待ってよ、フェイド」

「何だ」

「…何であんたは、このひとと」

「マスターあんた、説明してないのか! 連れてきておいて!」

「まあ話したところですぐに理解も何でしょうと思いましたので」


 おっとりとマスターは答え、何やらモニターに別の準備をしている。


「つまり、平和のための戦い、というのは、結構非・平和的な方法も採るということですよ」

「非平和的な?」

「マクラビー兄弟の狙撃チームが政府の宣伝に利用されそうになったあたりで、計画が次第に形になって来たんですよ」


 狙撃チームってロブとフェイドのこと…だろな。マスターはオレに背を向けながら、淡々と続けた。


「狙撃ってのは、戦場において、どんな役割をするのか、お前、知ってるか?」

「…敵を撃ちまくるんだろ? 狙撃って言うんだから…」

「ばーか」

「は?」


 何を彼が言いたいのか、オレにはすぐには判らなかった。


「俺が昔、お前等ガキどもに言ったことを覚えてるか?」

「あまり良く覚えていないけど、戦争する時にはヘイタイが必要、とか、絶対に誰かを殺さなくてはならない時に狙うとこ、とか…」

「そうだよな、つまり、ヘイタイをたくさん送り込むのが勝つための基本だ。ってことは、単にそいつらをどんどん撃ってるだけじゃあきりが無い。そこで、狙撃ってのは有効になるんだ」


 まだいまいち理解できない様な顔をしていたら、フェイドはいいか、とくわえていた煙草を噛みしめた。


「どんなに大人数のヘイタイが居てもな、司令官さえ殺っちまえば、烏合の衆なんだ」

「あ」


 オレは思わずうんうん、とうなづいていた。


「一人か二人、極少人数で敵陣に接近する。そして、そこで軍勢を指揮していると思われる奴を選んで、確実に殺るんだ。そうすれば、最低、代わりが決まるまでは混乱する。何もできない。そこを突き崩す、という寸法だ」

「そうですね」


とマスターもうなづいた。


「だいたい二人組ですよね。まあ僕はそう詳しくは無いですが、狙撃に集中するひとと、状況を見て、標的を指示しながら護衛するひと…そういうチーム単位の行動が一般的です。まあロバートの場合はちょっと特殊で」

「特殊?」

「兄貴は俺とチームを組んでた」

「その弟さんが死んでからというもの、新たなパートナーも断って、一人で目覚ましい効果を上げたとなれば…ねえ。まあ端から見れば、とんでもないひとですよ。ま、元々『マクラビー兄弟』で軍の劣勢や、人々の志気を上げようとしていたとこでしたのに、単品でまたこれが凄かったですからねえ。しかも死んだ弟のぶんも、とかおまけもついて」

「…宣伝って…怖いんだなあ」

「怖いですよ。宣伝とか、情報ってのは。だから、こっちも利用できる部分はするし、されそうになっている部分は阻止しないといけないんですよ。…でまあ、この戦場の英雄さんの場合は、実のところ、死人のこのひとが横に居た訳で」

「死人死人って言うなよな」

「だって当時あなたは死人だったでしょう」


 …本当にこの男、「あの」フェイドか、と思うくらいに、彼はマスターの調子に踊らされていた。


「…俺はその方が楽だったから、そうしただけだ」


 フェイドはやや口ごもる。


「だけどロバートを戦争の英雄にしたのは、やっぱりあなたという死人のせいでしたよ、ベンジャミン。ロバートがファルハイトに潜入して、政府の要人を次々に暗殺しまくって。あれには、ソグレヤ中が沸き返りましたねえ」


 そう言えば、あの画廊で見た縮刷版の記事は、そんな内容だった気もする。


「あの時も、ベン、あなたが先にファルハイトに潜入して、要人情報をリークしたからこそ、あんな効率良く暗殺が可能だった訳ですからね」

「…ったくな。おかげであんな時期に行く羽目になっちまった。俺は寒いのは嫌いなんだよ!」

「寒い?」

「向こうがちょうど寒期でな。三ヶ月ほど詰め切りだ。ったく。もう二度と行きたくねえし、死ぬ時も絶対凍死だけはやだね。どうせだったら、ぱっと華々しく散るのが一番だ」

「そんなあなた、物騒な」

「うるせ、俺はあいにくそういう性分なんだよ。それに兄貴の様な、そんなお題目なんて知ったことは無い。あくまで親父とお袋の復讐のためだったからな。だからその方が、楽だった。それだけだ。実際俺は、掟を守らねえお前等クソガキを殺すのにも、別段痛みも感じなかったからな。奴にはできねえ」

「…」

「おいおいそう尖るなって。今お前を殺す理由は何処にも無い。逆に兄貴にとり殺されるぜ」


 そういう問題か。


「でまあ、俺は顔もちょっと変えて、戦場で死んでった別の奴の素性を拾って、カストロバーニに近づいた。近づくためなら、まあ何だってやったな。子供には言えないことなんかもな」


 くく、とフェイドは笑った。


「ま、それで何とか成り上がったがね。まあ目の前に穴だらけにしてやりたい奴が居るって言うのにできねえってのは、精神的拷問だったがよ。おかげさんで、下に八つ当たりが行ったこと」

「八つ当たりだったのかよ!」

「さあて」


 ふっ、と煙を正面から吐かれて、オレはげほげほとむせた。


「カストロバーニの組織でやっていたのは、結局は戦争中の応用だ。マフィアの内部紛争を拡大させるために、俺が標的の情報を兄貴に送り、あっちはあっちで、その情報をもとに、要所要所で必要に応じて暗殺して行った。あとは簡単な情報工作で、能無しのヘイタイ達は、勝手に潰し合いに夢中になったって訳さ」

「そして組織も今や崩壊して行きつつありますね、と」


 はあ、とオレはさすがにそこまで言われた時、力が抜けた。

 何ってえ、長い計画だ。


「…だからね、シャノ君、君が一人で突っ走った所でどうにもならない。せっかくあの夫人ともお知り合いになったことだし、力を借りられる所は借りた方がいい」

「…や、それがそうでもないんだよ」

「って言いますと?」

「つまりよ、これが最新情報って奴だ」


 フェイドはほい、と録画ディスクをマスターに手渡した。

 そしてまた、モニターが明るくなる。

 …隠し撮り?

 監視カメラか何かだろうか。一点に据えられたカメラから撮った映像に見える。ハゲ頭とか見えるから…天井からだな。


「まあタイトルをつけるなら『陰謀の詳細』だろうよ」


 フェイドはあえて軽く言った様に、オレには思えた。


『…それにしても、あれはまずいな』

『新聞の方は、差し止めができた地区もありますが、地区によっては、もう既に運ばれた後だった所も…』

「情報を掴むにも、手を打つにも、組織がうまく働いてないからな、後手に回ったんだろ」

『失態だ。全く…』


 苛立たしげに、幹部の一人が立ち上がり、うろうろと歩き回る。よく見ると、フェイド自身の姿もある。


『…そう言えば、あの犯人のマクラビー。…確か、若い頃、あの議長夫人と親しかった、っていうことを聞いたことがありますが』

『若い頃、でどうする』

『いや、最近も接触があった、とシレジエの方から情報もありました』

『ふむ…議長夫人ともあろう地位の女性が、首都ではなく、シレジエに移り住んだ辺り、怪しいと言えば怪しい』

『裏を取りますか』


 そう言っているのはフェイドだった。


『一応その線で進めろ。そしてその一方で、夫人を殺れ』

「!」


 ぱっ、とオレはフェイドの方を見た。黙って見ろ、と彼はぐい、とオレの顔を無理矢理画面に向けた。


『裏が取れなかったら取れなかったでそれはそれでいい。ただ、犯行は、マクラビーの仲間だ、という声明を出させろ』

『…大丈夫でしょうか』


 小男の幹部がおそるおそる問いかける。


『大丈夫だろう。あの女は、マクラビーの仲間に人質にされかかった、という情報が警察本部から入ってる』

「それって」

「お前のことだろ。ばーか」


 …そうらしい。


「余計なこと、しやがって」

「だってそうしなくちゃ、奴の最期に」

「…ああそうだな」


 それ以上、フェイドはオレには突っかかって来なかった。


『とりあえず印象づけることは、できる。平和をうたってる奴等が、こんな卑怯なことを、とな』

『…しかしボス、それはそれとして』

『ああ、無論、今この地に居るのは危険だ。そもそもあの工場が兵器生産のためだ、というのを知っているのは内部の奴しかいまい』

『しかしマクラビーは警察の取り調べでも、結局内通者を吐かなかった様ですし、…やはり、一旦、首都の方へ脱出された方が…』

『さあて』


 ふふ、とカストロバーニは意味ありげに笑う。


『ともかく、計画を進めろ。議長夫人の行動はチェックしてあるか』

『は、昨日の来訪が突然でしたし、事件もありましたので、早朝発つはずでしたが、夫人の申し出で遅くなっている様です。本日十六時、滞在中のホテル・シャトウロゼをヘリで出立する予定とのことです』

『ちょうどいい。そこを狙え』

「十六時…」

「…あと、四時間もありませんね」


 マスターは、静かに言った。

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