1 バケモノは生き残る

 ―――嫌だ!!


 がたん、という衝撃で、オレは目を覚ました。

 声を上げてしまったんじゃないか、と思わず辺りを見回す。大丈夫、こんな時間、ほとんどの乗客は、寝ている。

 早朝。窓の外が次第に明るくなってくる。

 …嫌な、感じだ。

 エア・トレインの車内アナウンスが、まもなく次の都市「シレジエ」に到着することを告げる。ハイトーンの気取ったイントネーションが何となく耳障りだった。

 寝汗をかいていたらしく、身体が気持ち悪い。

 引きずっているのかもしれない。オレは伸びすぎた黒い前髪を掻き上げながら、大きく吐息をついた。

 ふと外を見ると、確かに大きな都市が近づいて来るのが判った。

 あああれが「シレジエ」か。

 逃げ出して来たデビアから約八時間。だいたい2400㎞ばかり離れた所だ。

 この砂漠の惑星「ソグレヤ」では、砂漠のオアシスに豪勢な都市を作り、それをエア・トレインでつないでいる。

 話には聞いていた。

 赤茶けた砂が延々と続く中に、いきなりぽっかりと高層ビルの立ち並ぶ「都市」が出現するんだ、と。


 シレジエに到着したオレは、夜を待った。昼の街は、面倒だ。

 太陽の光が、オレという存在をそのままぎらぎらと照らしだす。

 それに何って人が多いんだ。

 さすがにもう早朝ではないから、この街でも多くの人々が動き出していた。

 「小綺麗な」格好をした勤め人。学校へ行くガキども。デビアの端にあった施設や、裏町で生きてきたオレとはまるで別の世界の連中が、ぞろぞろぞろぞろと似た様な方向へと歩いて行く。

 言葉は判るけど、意味の判らない言葉が耳ざわりだ。

 ざわざわざわ。背中が気持ち悪い。

 皮肉なもんだ。嫌だ嫌だと思っていた夜の世界、歓楽街、ネオンの瞬く、あの逃げ出してきた世界を、オレは結局捜しているんじゃないか。

 何時間も、何時間も、オレはとにかく場所を移動した。

 眠りたい。だけど眠る訳にはいかない。

 その思いだけが、オレを昼の街の中に彷徨わせていた。

 居場所を確保して、コインを出して、また移動して、その繰り返し。とにかく早く、夜が来て欲しかった。

 陽の光はまぶしすぎた。


 ようやく陽が沈み、街にネオンの灯りが点りだした時、オレはようやくほっとした。

 ふらふらと、少し奥まった歓楽街に足を向ける。

 ああ判りやすい空気だ。

 少し足を踏み出せば、闇の中にとけ込むこともできる。

 馴染み深い、この雰囲気。

 欲望と快楽の意識が渦巻いている、場所。客引きの野郎ども。クスリの売人だろうガキども。大人達にぺこぺこするフリをしながら金を巻き上げるストリート・ギャング。

 嫌なくせに、慣れすぎた空気。

 ふらふら、とオレは裏道を意味もなく歩き続けていた。

 ふと、ぱぁっ、とクラクションに押され、道の脇に寄る。

 何ってえでかい車だ。狭苦しいところなのに、わざわざ入ってくるなよ。

 だけどそれには触らない様にそぉっと足を進めた。

 こんな車に下手に触ってキズでもつけたら、後でたまったもんじゃない。

 君子危うきに近寄らず。

 そうやって、足早にすり抜けようとした時だった。

 ぴん、と張り詰めた、冷たい、重い気配がオレの全身に絡み付いた。

 これは、誰の感覚だ?

 時々あるのだ。その場に漂っている、ひどく強い「思い」が、オレの思考を混乱させる。

 誰だ?

 オレは自分自身をぎゅっと抱きしめながら、周囲を見渡した。

 皮膚の上に、むずむずとした感覚が走る。自分の感覚と他人の感覚がぶつかり合う時、拒否反応の様なものが起こって、上手く動けなくなる。

 ええいもう、しっかりしろ、オレの身体!

 車のドアを背に、裏道に飛び込む。下手な態度でジャンキーか何かと間違われてもたまらない。

 確実に居るはずだ。大嫌いで大嫌いで大嫌いで、思い切り派手に潰してやりたいと思う誰か、が。

 後ろで、きゃははは、という女の笑い声がした。

 振り返る。

 ネオンがどぎつくきらめくキャバレーの裏口から、ごつい野郎達を三人従えた、腹の出たおっさんが出て来た。スケベな顔の野郎は、胸ぼんっ、なおねーちゃんのきゅっとした腰にへらへらと指を這わせながら出てくる。

 ハゲた頭に帽子をかぶり、酔ってるけど、酔い潰れてはいない。仕立てのいいスーツ。ふうん、何か偉そう。

 女の化粧のにおいと、残り少ない髪につけた整髪料のにおいが混ざって鼻がまがりそうだ。

 きゃはははは。女の声が耳障りだ。ああもう、早くどっか行ってくれ。

 上手いこと、そいつらはオレには気付かず、そのままさっきのでかい車へと向かった。あーやっぱりこいつらの車か。

 その時、オレはびくん、と背筋が震えた。


 あ。


 隣のビルの屋上から、閃光が走った。

 ばずん!

 鈍い大きな音が、響いた。


 う…わ!


 オレは自分の身体が浮くのを感じた。思わず目を閉じる。

 ばん、と路上に叩き付けられた。尻もしたたか打った。背中をひどく打ち付けたせいで、呼吸が苦しい。

 腕は? 足は? 何とか大丈夫か? 手で顔を半分覆いながら、オレはゆっくりと目を開いた。何だ一体?


「…こりゃひでえ…」


 建物の壁ぎわに、がれきと一緒にオレは埋もれている様な状態だった。

 さっきまで居た場所がずいぶん遠い。爆弾? それとも何か、ちょっとした砲撃でもあったのか?

 耳がぼぉっとしている。しばらく上手く聞こえないだろう。

 ばさばさ、とがれきの山から這い出そうとする。

 と。


「…痛ぇ…」


 ざっくりと、金属片が左肩に突き刺さっていた。くそ。

 オレはとりあえず、刺さった破片をぐっ、と抜いた。


「うっ」


 喉から、思わず声が出る。血が吹き出る。とろ、と頬にも流れているものの存在が判る。頭…額? 何処か切ったのかもしれない。

 がらん、と破片を取ると、大きくオレは深呼吸をした。

 ああ、これ、さっきの車の色だ。

 どうやらあの車も爆発に巻き込まれたらしい。こんな風にボディの一部がやられたんだとしたら…まあ中の野郎も、可哀想におねーちゃん達も、たまったもんじゃないだろうなあ。

 この傷なら治るとは、思う。

 だけど今は、血が足りない。色々、あったのだ。

 それに加えて、今切った所があまり良くない所らしい。どくどく、と血は流れ出ている。

 ぼぉっとした耳に、サイレンの音が聞こえる。あ、やばい…

 立ち上がり、とにかくここから立ち去ろうとする。

 人目の無いところで、じっとしていたい。そうすれば、オレは何とかなる。

 オレは「バケモノ」だから。

 だけどさすがに、頭がくらくらして、足がもつれる。貧血も起こしているのかもしれない。

 あ。

 目の前に星が散る。足から力が抜ける。

 だが尻餅をつく感覚は無い。代わりに、何か暖かいものが、自分の身体に触れている。

 右の腕をぐい、と掴まれていた。


「おい」


 低い声が、聞こえる。オレに向けたものか?


「おいお前、大丈夫か? 意識あるか? 生きてるよな?」


 はあ? とオレはのろのろと顔を上げた。


「ずいぶんとろんとした目だな…おい、クスリなんかやってねえよな」

「んなもの…やるわけねーよ…」


 そう。ホントに効かないんだから…


「ならいい」


 ふっ、と暖かい感情が伝わってくる。


「すぐ救急車が来る。どうする? そこまで連れてってやるぜ」


 そう言いながら、男はオレのケガしていない方の肩に腕を回した。


「…だ、駄目だ」

「あん?」


 怪訝そうな声が、聞こえる。オレは思わず、ケガした方の手で、男のシャツを掴んでいた。


「…医者は…駄目…」

「駄目?」

「駄目なんだ…」


 男の眉間に深いシワが刻まれる。


「…な、判るだろ? 判ってよ。…ワケありなんだ」

「…」


 目線が合う。


「…頼む」


 自分がすげえ情けない顔になっているのは判る。

 普段だったら、こんな顔、見せたくない。だけど、困るんだ。

 その間にも、左肩からの出血はどくどくと続いている。

 やばいよこれはマジで。動脈をかすっているんだろう。

 そりゃあ無論、いまに止まることは判ってる。だけどその前に貧血起こしすぎたら、いくらオレでも。

 必死な様子が伝わったのだろうか、男は何か考えていたが、意外とあっさり、こう言った。


「…判った。俺のフラットが2ブロック先にある。…そこまでなら、お前、我慢できるか?」

「…ああ。こんな傷、大したことはないんだ。血が足りないだけで…」

「嘘つけ」


 そう言いながら、男は俺をほとんど横抱きにする様にして歩き出した。

 裏側の路地を抜けて、角を曲がる。

 歩きながら、ふと俺は、触れているこの男の雰囲気に、何か奇妙なものを感じていた。

 何だろう? 何か覚えのある「感じ」が。

 ひどくそれは曖昧で、うっすらとしたものだったので、さすがに貧血でくらくらしている俺には判らなかったのだけど。

 それに何となく、覚えのある―――


「…本当に、大丈夫だってば」


 ―――足の踏み場も無い―――

 素晴らしくそれは今のこの部屋の状態を言い表している言葉だ、と思った。

 こんな頭がぼぉっとしている状態なのに、だ。

 奴はそれでも、唯一空いているソファに俺を下ろし、傷の手当をする、と救急箱を取り出した。

 使い込んでいるセットをぱか、と開けると、手慣れた調子で消毒薬をコットンに染み込ませだした。


「ケガを甘く見るな! だいたいお前その出血…」


 俺は黙って首を振りながら、ばっさりと上着を脱いだ。


「…おい」


 中のシャツが、確かにひどい出血で、胸の辺りまで真っ赤になっている。濡れて身体に貼り付いて、気持ち悪いことこの上ない。

 だけどそのシャツを、ほとんど無理矢理取ってみれば。


「ほら」


 オレは左の肩を指した。

 傷が既に、血の塊で縫い止められた状態になっていた。さすがに深い傷だったから、やっと今で、この状態だ。もっと小さいものだったら、もうとっくに治ってる。


「…」


 ぽとん、と消毒薬がコットンから一滴落ちた。

 ああでも、この血は拭いては欲しいかな…

 男の視線が険しい。さてどうするだろう。俺はやや上目づかいで相手を見た。


「…だからいいんだよ。だけどちょっと、血が出すぎちゃったから、疲れて…眠らせて欲しいんだ…」


 一度座ってしまったら、もうその欲求が止まらないのだ。もうこの後何が起こってもいい。とにかく俺は、ひたすら今は。


「ってお前…」


 ぽとん。また一滴、消毒薬が落ちた。乾きかけた血が、再び赤い色を取り戻す。


「頼む…」


 俺はそのまま、自分の意識が暗い暗い暗い闇の中へ溶け込んで行くのを感じた。


 ぐぉぉぉん。


 列車が頭上の陸橋を通って行った。腹の底まで響く、その音。オレはつい、そちらに意識を取られてしまったんだ。


「…!」


 腹と胸に、もの凄い熱と衝撃が埋まった。

 何だよ一体。

 通り過ぎる、列車の窓が、光を細切れに落として行く。

 コマ送りの様に、胸に押し当てた自分の手のすき間から、血が噴き出すのが見えた。

「てめぇ等には、もったいねえ程のお駄賃だろ、クソガキ共」

 硝煙のにおい。笑いながら、聞き覚えのある声はそう言った。

「甘い話なんて、そうそう無いって、教わらなかったか?」

 教わってないよ。でも知ってたさ。

 知らなかったのはオレじゃあなかっただけのことだ。

 …ああでも関わった時点でオレも馬鹿か。

 橋桁の、冷えたコンクリートの柱に背を打ち付ける。頭も一緒にぶつけた様で、ぐらん、と一瞬世界が揺らいだ。

 痛みに、全身がしびれる。

 コンクリートの柱を背に、そのままずるずると、身体が落ちて行くのを、オレは感じた。


「いいんですかい、あのまま放っておいて」


 別の男の声が耳にとどく。


「いいさ。野良犬にでも適当に食いつかせとけ」


 自分の血のにおい。そうだな、こんな町はずれだ。野良犬も普段は残飯漁りなのに、生肉だったら大ご馳走だろう。

 笑いながら遠ざかる足音。コンクリートに反射する響きが次第に遠のいて行く。

 やがて車を出す音が聞こえた。

 オレはぐっ、と目をつぶって、唇を噛んだ。

 息を整え、身体から力を抜く。

 胸に手をやる。じっとりと湿っている。

 ああ、ずいぶんと血が出ているようだ。

 吹き出した血が、なまじ白っぽいコンクリートだから、じわじわと黒く広がって行く様子がよく分かる。

 何かひどく疲れていた。

 もういっそ、そのまま目を閉じて眠ってしまいたい様な気もする。

 だけど残念ながら、痛みがそうさせてくれそうになかった。


「…う…」


 ごほ、と咳き込む音がして、オレは少しだけ頭を起こした。


「…J」


 相棒の名を呼ぶ。


「…おいJ、生きてるか?」

「…クロか…くそ…あいつら…」

「…おい」

「裏…切りやがって…」


 そうだよな、と妙に納得した気分でオレは相棒の声を聞いていた。オレが撃たれたんだ。直接今回の仕事に手をかけたこいつが撃たれてないはずがない。

 裏切り、か。

 そりゃあ、そうだ。あはは。

 変に空っぽなおかしさにも近い感情が、ぽっかりとオレの中にはあった。

 いっそ大声上げて笑ってやりたい様な気もしたが、そんなことしている自分の姿も馬鹿馬鹿しいので、よした。

 それに。


「…おいクロ…オレ、どうなんだ? よく見えねえ」


 弱々しい声だ。いつも、これでもかとばかりにオレに対しては威張り散らしていたあの口調は何処に行ったのやら。


「血がすごいぜ」


 そう、オレより凄い。血だまりの中だ。

 オレは…もう出血は止まっているだろう。何となく、それは判る。弾丸も…めり込んだ穴から押し出てきている。手にさっき、小さな硬いものが触れた。


「お前は、どうなんだよ…」

「オレも撃たれた」

「…嘘つけ。何だよ…その平気な声は…」


 嘘じゃないよ。けど口にはしなかった。する前に、またごほ、と咳き込む音がした。


「…おいクロ、オレ、どうなってんだよ…オレ、死ぬのか? おいクロ、おい、答えろよ! オレに答えられねぇって言うのか? おい…」

「…お前は、死ぬよ」


 オレは短く言った。そう、確実に。

 そんなことも判らないのかよ、この馬鹿。

 ああそうだよな、馬鹿だからこんな風にだまされるんだ。

 お前のせいじゃねえか。オレのせいにするなよ。

 でもお前は絶対オレのせいにするんだよな、そういう奴だよ、お前はずっとずっとずっと。


「…何だよ…その言い方は」


 それでもまだ悪態を付くらしい。馬鹿は死なないと治らないんだって、本当だ。


「お前は死ぬんだよ。もう駄目なんだよ」

「…くそぉ、嫌だ…死にたくねぇ…」

「けどどうしようもねえよ。お前は、確実に、死ぬんだよ」

「…何だってお前はそんな冷静なんだよ、このバケモノ…ああそうだお前はやっぱり…畜生、オレ、死にたくねえ…やだ…痛い…」


 でも、お前は死ぬんだ。

 オレはもう、その決定的な言葉は言わなかった。

 相棒の言葉はどんどんかすれて行き、既にその端は聞こえるか聞こえないか、というところだった。

 どうせもう、言っても聞こえないだろう。

 ぽっかりと空いた穴に、何か奇妙に青空の様なものが見えた気がした。

 奇妙に晴れやかな気持ちが、オレの中にはあった。

 …ああもう、死んだかな。

 オレは重い体をずるずると動かしてみる。

 そしてぴくりとも動かない相棒の身体に、手を伸ばした。


 ―――!


 …ああ、触るんじゃ、無かった。


 そもそも、美味すぎる話だとは思ったのだ。


「おいクロ、やっとオレ達にも運が回って来たぜっ!」


 その時、相棒のJは、部屋に入るなりそう叫んだ。


「何だよお前、酔ってるのかよ」

「へへへ、これが酔わずにいられるかっての」


 オレは既に眠りかけていたので、非常に不機嫌だった。


「けっ、オレがせっかくいい話掴んできたのによ、お前はだらだらと寝腐って。オレが居なかったら、何がお前にできるって言うんだよ」


 いつだって、こいつはこうだ。まあ仕方ないって言えば仕方ない。奴はオレを引っ張ってきたと思っているし、オレは結局奴にずっと着いてきてるんだから。


「…で、どんなことがあったんだよ」


 しかし長年付き合っていればこういう時の対処は簡単だ。向こうの剣幕は反らしてしまうに限る。言いたがっている奴には言わせる。それが一番だ。


「お前確か、今日は何だっけ、元締めのとこに行くとか行かないとか大騒ぎしてたろ…ショバ代のことでさ」

「ああ。…いい加減、キモ冷えたぜ。シメられるかと思ってさ、覚悟してったんだけどよ」

「違ったのか?」

「大違い、だ」


 へへへ、とあせたブロンドを揺らしながら、奴は笑った。

 オレ達は、デビアのマフィアの下で、ストリート・ギャングとして、スリだのかつあげだのといった「お仕事」するためのショバ代を払わなくてはならない。

 確か稼いだ分の20パーセントだったかな。それを払わなければ、場所荒らしとして、すぐさま消されても文句は言えない。

 まあ逆に言えば、ちゃんと金さえ払えば、「お仕事」は安心してできる訳だ。

 だいたいこの宙港都市デビアじゃ、警察権力もマフィアに買収されているってのは殆ど公然の事実って奴だった。

 この街で生きて行くためには、結局マフィアと手を組んでいくしかない。歓楽街はもちろん、普通の銀行や店だってそうだ。皆資本はマフィアから出てる。

 この都市は、マフィアの大ボス・カストロバーニの王国の様なものだ。

 それだけの大きな都市を取り仕切る奴にとって、オレ達みたいなストリートギャングなんて言うのは、それこそガキの遊びみたいなもんだ。連中にしてみれば微々たる資金源でしかない。

 ただ、それでも掟は掟なのだ。街に生きるためには、皆存在する「掟」を守らなくてはならない。

 「掟」が存在するから、きちんとこのデビアはそれなりに機能しているのだ。良くも悪くも。それが嫌だったら、それこそ他の都市に行くしかない。

 出るのはそう難しくはない。この都市から出ているエア・トレインに乗って、遠くの街へと出てしまえばいい。

 だけどそう簡単に、育ち、慣れてしまった街から出るというのはできないというものだ。期待もあるが、不安も多い。

 それで仕方なく、多少の理不尽も感じつつ、何とかオレ達はやってきた。

 のだが。

 どうもオレの相棒であるJは、その「街の掟」を甘く見ているフシがあった。つまりは、稼ぎをきちんと上納していないのではないか、ということだ。

 奴とオレは組んでいるけど、稼ぎは奴が仕切ってる。

 オレが下見をして、奴が実行する、という関係。

 自分の方が危ない橋くぐってるんだから、現金は自分が持つべきだ、と凶悪な顔で言われたら、オレははいそうですか、と言うしかない。

 別に奴が怖い訳ではないが、奴が凶悪な面をする時に、にじみ出る何かがただもう、オレは気持ちわるいのだ。

 無論奴も、オレを飢え死にさせたりしたら、自分も困る。だからオレが生きて行く程度には、金をその都度分けてよこす。

 ただ、実際のところ、オレは奴が全体のどれだけ取っていたかなんて、知らなかったのだ。

 だからまあ、奴が上納する分もハネてた、と聞いた時には、ああやっぱりな、と思うオレも居た訳だ。

 で、今日の夕方、いつもの様に、オレ達が自分たちのシマで、「仕事」の下見…タイミングが良ければ実行しようとしていた所、街区の元締めに奴が引っ張られて行った。

 オレはそれを見ながら、ふうん、と首を傾け、こうつぶやいた。


「…ま、良くて半殺しってとこかな…」


 自分がやけに冷静なのに、何となくおかしくなってしまった程だ。

 だってそうだ。

 オレは奴の相棒だが、友達ではない。はっきり言えば、利用し合ってるだけだ。

 ストリート・ギャングになってから、いや、施設で奴にオレのことを知られてからだ。四、五年前からか?

 ま、どっちにしろ、これで奴とも切れ目になるかもしれないな、と思っていた訳だ。

 ところが、だ。

 奴は無傷で帰ってきたばかりか、何か上機嫌で、酒まで呑んでるじゃないか。

 何か、ひどく嫌な予感がした。


「…んでさぁ、誰に会ったと思う?」

「さあ?」

「ちゃんと聞けよ! 何と、あの、カストロバーニさんご本人さまさまだぜ?」

「…本当かよ」

「本当だって!」


 普段から緩みがちな口が更に緩んでいる。

 その興奮状態で、順番もへったくれも無く喋った奴の「内容」とやらはこうだった。

 痛めつけられると思って出向いた先には、そのご本人さまさまと、その片腕と言われる「フェイド」が居たんだという。


「…あのひと間近に見たのは初めてだけどさー、やっぱり格好いいよ。うん」


 カストロバーニの話じゃなかったのか、おい。


「…で、いい度胸だ、って言われてさ」

「本当かよ」

「本当だよ! …でまあ、脅されるんだろうと思ってたんだけど、いい度胸だから、一つでかい仕事を任せてやる、って言われたんだ」

「でかい仕事」

「ああ」


 もったいつける。こいつのクセだ。明るい緑の目が、らんらんと光ってる。


「ほら、今、デビアの仕切りを任されている、第一の幹部って言われてる…」

「ミタナス?」

「そう。それを殺せ、って」

「…冗談だろ」

「冗談でこんなこと、言えるかよ! それにフェイドさんからも、『期待してるぜ』って言われてよぉ…」


 口調まで真似してやがる。

 確かに、「フェイド」は格好いいんだ。オレも知っている。…何って言うか、百戦錬磨の闘士、って感じだよな。

 何かの用事で、ストリート・ギャングの地区リーダーのところに行った時、ちょうどあのひとが来ていて、壁の地区地図を指しながら、襲撃のポイントだの何だのをレクチュアしていたことがあった。

 その時見たのは、背の高い、筋肉が良くついた身体と、短く刈り込んだ焦げ茶の髪、それに吸っていた煙草の銘柄…確かあれは、「パリッシュ・モーニング」だ。名前と彼の印象が合わなかったんで、覚えてる。

 腰に手を当てて、窓の外を見ていた彼の姿が、ひどく格好良かった。

 だがJは、彼の姿よりも、その成り上がりぶりに憧れているようだった。


「おいクロ」

「へ?」

「何だよその面。大仕事だぜ?」

「それはそうだけどさ。大仕事すぎないか?」

「嬉しいじゃねえの! 成功すりゃ、取り立ててくれる、ってフェイドさんも言ったしさ。で、その後、車で移動して、いいもの食わせてくれて、いい酒呑ませてくれたんだよ。オレあーんな美味いもの食ったの初めてだぜ。へへへ、羨ましいだろ」

「…いいけどよ」


 単純だ。あまりに単純すぎる。


「じゃ、がんばってくれよな」

「何言ってるんだよ、お前もやるんだぜ?」


 げ、とオレは思わずうめいた。


「何だよその面」


 奴は間髪入れずにがん、とオレを殴った。長い付き合いだが、こいつの動きには時々読めないところがある。オレはひっくり返った拍子に、椅子に顔をぶつけて唇を切った。


「それにお膳立てはちゃーんと向こうがしてくれるんだぜ。オレ達がするのは、その場所に行って、こんな可愛いガキと安心させたところをぱん! と」


 奴は左手でピストルの形を作った。


「撃つ訳さ。それだけで、いいんだ」

「だからそれだったらお前だけで」


 オレは唇の血をぬぐいながら言う。


「タイミングってのがあるだろ。…ったくよ、お前は殴っても切り付けても全然張り合いがねえんだよ。ああ鬱陶しい」


 そんな鬱陶しいんだったらとっととオレを放り出せばいい、と思うのだが。


「あーもう消えてるし。ホント、バケモノだよな、お前」


 聞き慣れた台詞が、奴の唇から漏れる。


「いっくらケガしても、見てるうちに治っちまうなんてよ、パケモノ以外の何でもねーぜ。傷付け甲斐もありゃしね」


 聞き飽きている台詞。オレは思い切り無視する。

 その無視する様子がまた奴の神経をとがらせたらしい。

 今度は腹を膝で蹴ってきた。さすがに内側に来るのは少しダメージがある。


「ふん。やるのは明後日だぜ。せいぜいちゃんといいトコのボーイに見える様に、スイミンちゃーんと取ってよ、その小綺麗な顔に、クマなんか作らせるなよ」


 吐き捨てる様に言って、奴は自分の寝床に入って行った。


 そして「お膳立て」も「小綺麗な顔」も確かに上手く行った。

 行ったけど…


 ―――そうだ、触れるんじゃ、なかった…


 流れ込んで、くる。


 黒かった。

 重かった。

 …落ちて行く。

 何で何で何で何で何で何で何で何で…

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い…

 何で…

 痛い…


 ああ、とオレは一瞬声を上げそうになった。

 流れ込んでくる。流れ込んでくる。ぐるぐると、流れ込んでくる。

 吐き気がする。

 なのにオレは、奴の血で濡れた身体から、手を離すことができない。

 流れ込んで、くる。


 ―――ぷつん、と。

 スイッチを切ったように。

 止まった。


 どくん、とオレはその時自分の心臓が跳ねるのを感じた。


 全身が震えた。

 ああそうか。

 黒い深い闇の中に、こいつは、もう。


 …だけど。

 オレはぶるん、と頭を振った。

 自分の頬を何度かぺしぺしと叩く。オレはもう一度、唇をぐっと噛んだ。

 同じだけ銃弾を食らったのに、オレは生きている。

 オレの目の前で死体になってる奴は、そのことでさんざんオレをバケモノ呼ばわりした。

 殴っても蹴っても切り付けてもヤキ入れても、全然つまんねーじゃんかよぉ、と。

 そして時々、どーせすぐ治るんだろぉ、と煙草の火を手にわざと押しつけたりした。

 そう確かに。オレの手も顔も、いつもつるんと綺麗なままだった。

 まだ少しふらつくけれど、ぐっ、とオレは足をふんばって立ち上がった。傷は治りつつある。ただ少し血が足りないだけだ。動ける。動かなくちゃいけない。

 オレは死んでいることになってるんだ。そうすぐ、逃げなくちゃ。明日。この夜が明ける前に、何処でもいい、このデビアから出なくちゃ。

 …服。血まみれだ。中のシャツを脱ぎ捨てる。ポケットを探る。金…無い。奴の死体を探る。案の定、財布が入っていた。まとまった金が入っている。たぶん今回の手付け金とか何とか言われてもらったんだろう。


「…ん?」


 そしてふと、奴のズボンのポケットに硬いものを感じた。…銃だ。

 そうか。あの時奴を撃った銃。そのまま持っていたんだな。

 オレはカートリッジの弾丸の数を確かめる。

 残りは二発。もしそれ以上必要なら、同タイプの銃弾を何処かで入手しなくちゃならない。


「…あんがとさん」


 オレはつぶやくと、そのまま駆け出した。

 この街から抜け出すために。

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