眠っている場合じゃない
江戸川ばた散歩
Prologue
「こいつだ」
その男はぐい、と写真と資料を突き付けた。
「居るはずだぜ? 居ないなんて、言わせねえ」
にやり、と煙草をくわえたままのその顔には、不敵な笑みが浮かべられている。
それは勝者のみが持つ、傲慢なものだった。
カーキ色に赤いラインの入った軍服は、帝都政府正規軍のもの。肩に貼り付けられた星は、佐官の印。色は黒…軍警のものだ。
敗者の惑星政府の、一収容所長には、とうてい手向かえる相手ではない。
「たった三十年前のことだ」
「…そんな昔の」
「たいした時間じゃねえだろ」
ふう、と佐官は煙を吐き出す。強いにおいに、所長は顔をしかめる。
それはあなた方だけでしょう、と言いたい気持ちが所長にはあるが、無論、そんなことを口にしてはいけない。自分達はあくまで敗者なのだ。
「三十年前、ちょっとした事件がここで起きたな。その時にそいつは、この収容所に収監されたはずだ。既にこっちで、調べはついている。隠し立てしたらしたでまあそれは構わねえさ。だが、そうすればどうなるか、判っているだろうな」
星間共通歴588年。
全星系を巻き込んだ長い長い戦争が終わって約三十年が経っている。しかしその戦争自体の長さが、その後の処理にも時間をかけさせていた。
だから自分みたいな管轄違いまでも呼び出されるんだ、とこの佐官はぶつぶつとつぶやいていた。
「し、しかし…」
「ああ、面倒くせえなあ」
額をかりかりと人差し指で引っ掻きながら、彼は眉を寄せる。
「別にいいんだぜ。こっちには、強制的に任務を遂行するだけの権利があるんだ。そしてお前等には反抗する権利は無い。判るか? この意味が」
「…」
「なあ、穏便に行きたかったら…さっさと通せ!」
「…ご案内なさい」
ふんわりとした声が、続きの扉から放たれる。所長はがた、と思わず席を立つ。そこには、黒いスーツを身につけた、初老の女性が居た。
「ぎ、議長…いらしたのですか」
「帝都政府があれを捜していることは、前々から判っていたこと。対応が遅れたとしたら、それは我々の責任となりましょう。申し訳ございません」
あっさりと、優雅に彼女は佐官に向かって頭を下げた。
「なるほど。あんた直々に出てくる用事、なんだな。OK、その方が話は早い」
どきな、とばかりに佐官は「議長」の女性の方へと近づく。
「さっさと『あれ』の居る場所に案内してくれないですかね。俺は女性には手荒なことはしたくない」
「判りました。ただ」
「ただ?」
佐官は目を細めて、煙草を一度、深く吸う。
「あれの状態を確かめてからにして下さいますか? 私達ではどうにもならないのです」
ふうん、と言うと、佐官はぐい、と所長の机に煙草をなすりつけた。
樹脂のデスクマットがじゅ、と焦げて嫌なにおいを放った。
長い長い廊下の奥には壁があった。
「おいおい、行き止まりじゃないか」
「いえ」
IDカードを差し込むと、その壁がすっと上がった。
「煙草は遠慮なさって下さいませんか? この先は医療エリアなのです」
「医療エリア?」
腕を半分めくった佐官は、ポケットに手を突っ込むと、きょろきょろと辺りを見回した。
「…ずいぶん厳重じゃねえか」
「…」
議長はそれには答えなかった。答えない代わりに、後ろを時々振り返り、ちゃんと自分の後を佐官がついて来るかを確かめるかの様だった。
やがて彼女は、一つの扉の前で立ち止まった。先程と同じ様にIDカードを差し込むと、音も無く、また扉が開く。スタッフが弾かれた様に顔を上げる。
「これは議長…連絡下されば、案内の者を差し向けましたものを…」
「いえ、唐突でしたし…それに悠長なことはお嫌いでしょう?」
佐官に向かって、ちら、と議長は視線を向ける。
「よく判ってるじゃねえか」
そして煙草を出しかかり、おっと、とまたしまう。
「で、ここに奴は居るんだな?」
「ええ」
「…と言うと」
スタッフもまた、その軍服の指し示すものが理解できた様だった。
「この方に、説明を」
「説明?」
「は、はい」
神経質そうに眼鏡を直しながら、スタッフは持ち出した資料を、何処から言っていいものか迷う。面倒だ、と佐官はその資料をひったくった。
「…ふん、なるほど、三十年前から、ずっと植物状態、か…それじゃあなかなかうちの情報網にも引っ掛かってこねえもんだよな」
ほいよ、とクリップで止められただけの資料を佐官は投げて返す。
そのまま、生命維持装置つきのベッドへと彼はブーツの音も高く、進んで行く。その時ようやく帽子を取ると、ばさ、と血の様に真っ赤な髪が目の辺りまでかかった。
「ふうん。確かにこりゃあ、間違いねえな」
ベッドに眠る黒い髪の男を見て、佐官はつぶやく。そしてそばの丸椅子にどっか、と腰をかけ、腕と足を組んだ。
「おい、わざわざ足を運んでやったのに、勝手に死んでるんじゃねえよ」
反応は無い。そうだろうな、という顔で議長とスタッフは顔を見合わせる。
「いつもこんな、かい」
「ええ。ずっとこのままです」
「そりゃあ金食い虫だったろうなあ」
にやり、と佐官は笑う。
「お金では替えられないものがあるでしょう?」
ふうん? と佐官は口の端を上げて議長を見る。
「ま、いいさ」
そして彼は力無く毛布の上に投げ出された男の手をぐい、と掴んだ。
「乱暴はしないで…」
「何ですか御夫人。ずいぶんこの『特別囚人』に親切じゃないかい?」
「…」
「乱暴はしねえさ。ちょっとお話をしなくちゃならねえんだ。…ちいとばかり、出てってくれねえかな」
「…さて、邪魔者は居なくなったことだし」
佐官は相手の手をぐっと握りしめ、そこに意識を集中させる。
『よぉ、起きろよ…起きろ!』
触れた手から、意識を直接叩き込む。彼等の種族の中では、そう珍しい能力ではない。
すぐに返答は無い。
『このねぼすけ野郎! 起きやがれ!』
―――誰だ…
すると、弱々しい意識が戻ってくる。佐官はここぞとばかりにその意識を掴み、叩き付ける様に意志をぶつける。
『誰でもいい。何死んでるんだお前』
―――オレは…死んでいないのか…
『死んでねえ、生きてる。あいにくと思ってる様だが、お前は生きてるんだよ』
途端に、佐官の気持ちまで暗くなる様な重い感覚が伝わってくる。
『止しとくれ! お前が滅入ってるのは勝手だが、俺は仕事だ。お前を連れに来た』
―――…余計なことを…
『ふうん? 余計なことかい。そんなにお前、死んだままで居たかったのかよ』
肯定の意志が、手から伝わってくる。
『いいんだぜ? こっちはお前を完全に殺してやるのなんか、簡単なんだ。ただあいにくお前を生かしておくシステムにも、俺を派遣する軍警の方からも、それなりにコストってものが掛かってるんだ。要すんに、金がかかるんだよ! 生きたくもねえ人間を生かしておくとか、捜すとかそういうことにはな。だからちゃんとした理由が無えと、お前を易々と殺してやる訳にもいかねえんだよ』
―――…
重く沈んだ相手も、さすがに面食らった様で、すぐに返答ができない様だった。
『俺だって怒るぜ』
―――怒る、のか…
『そりゃあ当たり前だ』
ほんの少し、相手の意識が緩んだ様な感触があった。佐官はそこを狙って追いつめる。
『だから話せ』
―――話す?
『お前に何があって、何で死にたいのか、俺に話せ。それ如何だ。どれだけお前が死にたいのか、俺を説得してみろ。お前を殺すのなんか簡単だ』
―――そんな訳が…
『簡単さ。帝都政府正規軍、軍警第五本部長イエ・ガモ中佐の名にかけて、斬首でも爆死でも何でもいい。お前を完全に、殺してやる。約束する』
―――約束…
『そう、約束だ』
約束という言葉に、男は反応した様だった。しばらくの間、その手から伝わってくるのは、混乱した、無意味な様にも思われる映像だったが、やがてそれを整理したらしく、男の意志が、言葉になって伝わってきた。
―――オレは…走ったんだ。
『走った?』
―――初めは、逃げるために。…そして最後は、…
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