第9話 石の正体――― 天使種が天使種になる仕組み

 逃げられない、と彼は思った。

 だが逃げようとも思っていなかった。

 何故そう思ったかは判らない。それこそバーディに言った「毒食わば皿まで」の心理かもしれない。

 いやそうじゃない。彼は思う。

 この先に、まだ自分の知らないものがある。興味のあるものがある。

 そしてそれを挑発する奴が居る。…だったら、応えてやらないでいられようか。


「ほら」


 スペイドは、やや彼を見上げる様にして、ぐい、と手を引っ張る。

 トンネルは、二、三度折れていた。人為的に作られた道ではないというのに、と彼は不思議に思う。

 ぐっ、と握られた手から温みが伝わる。自分とそう変わらない体温が、伝わってくるのが不思議だった。


「…お前」

「何? 名前呼ばれる方が好きだよ」

「炎を出せる割りには、体温は高くないんだな」

「熱くなることだって、できるよ」


 口の端をきゅっ、と上げた。


「ただ今は、その時じゃあないし」


 どんな時だ、とジャスティスは突っ込もうと思ったが、ああ、と相手が向こう側を見たので、とりあえずはやめた。

 そして不意に、立ち止まる。


「次の角を曲がると、生きてるのに会える。…どうする?」

「どうする、って」


 何故そんなことを今更問いかけるのだろう。彼は思う。


「会う?」

「会う? って、俺は、それに会う… 会うって言うのか? …そのために来たんだろう?」

「でも、もしかしたら、取り返しのつかないことになるかもしれないよ」


 連れて来たくせに、そんなことを聞くのか? 


 ジャスティスは思う。

 どうする? と軽く見下ろす位置にある相手の目は、挑発している。だがその反面、何かを恐れているかの様にも、彼には思えた。


「…スペイド、お前は、俺にどうして欲しいんだ?」

「さあ」


 言われた方は、首を傾げる。


「俺にも、よく判らないんだ」

「判らないって」

「ここまで連れて来れた奴は、時々居たんだけどさ」


 今までにも、居たのか。彼は少し落胆する自分に驚く。それはそうかもしれない。スペイドが言う、生きてる年数が本当ならば、その位、無い方がおかしい。

 それでも。

 そこまで考えて、ジャスティスははっ、とする。一体自分は何でそんな所で落胆しているんだ?

 先日会いに行った弟が、相変わらずあの男に執着している所を見てしまったあたりがいけないのかもしれない。

 彼はとりあえず理由づけをしてみる。


「…この先に進むと、…いや、その向こうで、『会う』と、一体何が起こるんだ? いや、起こってきたんだ?」

「さっき転がってた奴の様になるか、じゃなかったら」

「じゃなかったら?」

「あんたはまず転がってしまうことはないと思うけど」


 答えになっていない。彼は相手を軽くにらみつけた。


「俺の様になるんだ」


 何、とジャスティスは思わず、口をぽかんと開けた。


「どっちか」


 言い放つ。


「でも、『知る』には、『会う』しかない。そう言って、入ってった奴のほとんどが、駄目になって」

「そうでねえ奴は?」

「俺みたいになって」

「…ってことは」


 天使種の様な、能力者になって?


「でも、俺の所に残っては、くれなかった」


 相手はそう言って、視線を足元に落とした。


「おい」

「だって、言ったじゃん。寂しいんだよ、俺」


 確かに、言われたが。彼は思う。だけど。


「だけど、俺はここを守らなくちゃならないし」

「おい!」


 ジャスティスは、ぐい、と相手を鉱石の壁に押しつけた。ふっ、とその赤が、揺らいだ様な気が、した。


「何?」

「何でお前は、ここを守ってるんだ?」

「言わなかったっけ」

「言ってない」

「ああそうだ… 言ったのは、前の奴だ」

「前の奴は、どうだっていい」


 痛いよ、とスペイドは言った。だが本気でないことはジャスティスにも判った。本気でそう思っているなら、この能力者は、実体の炎で、彼を突き放してしまうことも可能なのだから。

 だがそれは、しない。してこない。


「昔、アリゾナがドライ・アップされたって、俺言ったっけ」

「お前が言ったかどうかは忘れた」

「その原因がね、俺なの」


 スペイドは目を伏せた。


「だけどお前のお袋さんが」

「そうだよ。あのひとは、俺と親父と… この場所を守るために、出たんだ。船一つかっぱらって」

「豪快だな」

「豪快だよ。だってそうだよ。天使種の軍隊を脱走したひとだよ。逃げるのが簡単な訳ないじゃん。でもここまで何とかやってきて、俺が生まれて十年も平和でやってきたんだもん。豪快だよ。俺をあやすにも豪快だったなあ。何メートルも放り投げても平気でさ。親父の方が心配してはらはらしてたくらいだ」


 豪快で微笑ましい家族像が、ふっ、とジャスティスの中に浮かぶ。


「そのままやって行けば、そりゃあお袋は歳とらないけれど、それでも、アリゾナでのんびり牛でも追ってやってけたさ、だけど」

「だけど?」


 ぺた、とスペイドは両腕を背後の鉱石の壁に広げた。

 ジャスティスの目に、程良く筋肉のついた両腕は、背後の赤に、浮き上がって見えた。


「こいつらが、やってきてしまったんだ」


 やって来た?


「…意味が、わかんねえ」

「でも、言った通りだもん。俺、嘘は言ってねえぜ」

「嘘言ってるなんて、俺は言ってないだろう」

「うん、あんたは俺の言葉を疑わない、と思う」

「買いかぶるな」

「買いかぶってないよ。でもあんたは、俺が選んだんだ」

「おい」


 そうでなくてな、とジャスティスは無言で続きをうながした。はいはい、という顔で、スペイドはほんの少し、頬を緩めた。


「降ってきたんだよ」

「降って?」

「もちろん、空から落ちてきた、とかそういう訳じゃあねえぜ。いきなり、この場所に、現れた訳」


 想像が、できなかった。


「まあ」


 想像できないよね、とスペイドは仕方なさそうに言う。

 そう言われるのはジャスティスにはしゃくだったが、確かに無理だ。


「…だから、ここは、うちのあるあたり…って」

「ああ、何かそこだけずいぶんのんびりした」


 アリゾナにあるまじき、草原だ、とジャスティスは考えていた。


「ここも前はそうだった訳だ。ところが、いきなり、この谷ができてしまった訳。ある日、いきなり」

「ある日、いきなり?」

「災難でしょ」


 それは災難だ、と彼も思う。


「でも向こうも災難に遭ったんだって。仕方ないから、とにかく行ける所へ飛んでしまったんだって。そうしたら、たまたまあの時間のアリゾナだった、って言うんだ」

「言うって」

「だから、彼等、が」

「彼等、って」

「だから」


 ぽんぽん、とスペイドは広げた両腕で、岩肌を叩いた。

 石に意志があるってことか? 考えてから、しゃれにもならねえ、と彼は内心毒づいた。


「…納得はいかねえ。想像もできねえ。でもまあいい。そういうことが、あったんだな」


 まだ相手の肩につけたままの手にぐ、と彼は力を込めた。


「そうとりあえず考えねえと、話が進まないんだな」

「うん」


 あっさりとスペイドはうなづいた。


「判った。続けろ」

「良かった」


 良かったじゃねえよ、とジャスティスはまた毒づいた。


「で、そのいきなりできた『谷』だから、さすがに不思議な訳だ。で、好奇心旺盛な、十歳の可愛い盛りの俺は」


 憎たらしい盛りじゃないか、とジャスティスは内心突っ込む。


「出かけちゃった訳よ。その谷に」

「一人で、か?」

「そう。だって冒険とか探検の基本は、一人だぜ」


 それは確かだが。


「で、出かけた時に、俺はこいつらに、会ってしまったの」

「会って」

「さてそうしたら、お袋が、慌てて飛んできたんだ。あのひとは、俺が探検に出かけたことは知らなかったけれど、会ってしまった時の何か、に気付いたらしいね。運んでた草の固まりと鎌を放り出して、慌てて走ってきたんだけど」


 おそらくは、こいつによく似た黒い髪を振り乱して――― ジャスティスはふと想像する。


「俺の名を叫びながらどんどん谷に入って行ったところ、そこにあったのは、…お袋が、良く知っていたものだった、って訳」

「よく知っていた、って」

「だから、さ」


 言葉を濁す。泣きそうに顔が、くしゃりと歪む。


「呆然と立ってる俺を、彼女は慌てて抱きしめたよ。そしてすぐそこにある彼等に対して、問いかけたらしい。俺をそうしたのか、って」

「そうした、って」

「自分が昔、そうなった時の様に」


 まだ良く判らない、とジャスティスは思う。


「あのさあ、あんた」

「ジャスティスだ。ジャスティス・ストンウェルだ」


 そう言えば、名前を言っていなかった。その時彼は初めてそのことに、気付いた。


「お前が名前で呼ばれるのが好き、と言うなら、俺のことも、名前で呼べ」

「いいの?」

「何のために、人間には名前があるんだ?」

「呼ばれるため」

「判ってるなら、いい。スペイド、続きは」

「そうだね、ジャスティスさん。あのさあ、天使種って、はじめっから天使種だ、と思う?」

「何?」


 それはかなり厳しい問いだ、と彼は思った。


「…天使種は… 天使種だろう?」

「違うよ」


 スペイドは首を横に振った。


「生まれたばかりの子供は、確かに天使種の血は引いてるけど、天使種じゃ、ねえの」

「何だと」


 そんな馬鹿な。そんなこと一度も聞いたことが…

 だが。


「天使種は、天使種に、なるんだよ。その生まれてすぐの、ガキの時に」

「なる、って」

「だから、彼等と、会うの。それで、天使種に、なるんだ」

「おい」

「だからそういう意味だと、俺も、天使種ってことになるのかな? 血はハーフだけど」


 頭がくらくら、としてくるのをジャスティスは感じた。


「でも、誰でもそうなれる訳じゃないんだ。だから、天使種の血を引いてる奴は、『会い』やすい、ってことで」

「…おい」

「俺はハーフだから、たまたまだけど、『会えて』しまったの。それで」

「…もういい」

「聞いたのは、あんただよ、ジャスティスさん。だから、どうする? と聞いてるの。この先進むと、あんたの知りたい事は知れるけど、もしかしたら」

「天使種に、なってしまう奴が居る、ってことか?」

「わかんない。俺が会った限りでは、アタマやられるか、なってしまうか、どっちか。なってしまった奴だったら、俺、ずっと一緒に居られるかなあ、と思ったのにさ」


 苦笑する。


「そうなったらなったで、俺を置いて、その力持って、どっかに行ってしまうんだよね」


 それで俺はまた待つんだ。そんな言葉が隠されているような、気がした。


「どうする?」


 それでも。ジャスティスは思う。それでも俺を挑発する気か?

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