第8話 寂しがりやとジャスティス、赤い河の谷に入る
こっちこっち、とスペイドは実に楽しげに、彼を近くの川へと連れて行った。
「綺麗な水じゃねえか」
「うん。ここだけはね。谷一つ越えると、もう砂だの土だのしか無くなってしまうけれど、まだここは大丈夫。土がちゃんと水を受け止められるんだ」
「DU弾?」
「ああ」
ばしゃばしゃ、とスペイドは川の水で顔を洗う。
「う~ 気持ちいいっ。後で水浴びでもする?」
「…俺はいい」
とは言え、顔くらいは洗っておきたかった。睡眠不足だ。目は覚ましておきたい。
「谷のこちらとあちら、ではずいぶん違うんだな」
「うん。谷に落ちない様に、お袋は苦労したらしいからね」
「…お前な」
うん? とスペイドは顔を上げる。途端、その視線が絡まる。
「あ、いや…」
「何なの、言いかけたことはちゃんと言ってよ」
ぱっぱっ、と彼は濡れた手と顔を振って乾かす。
「何処まで、本当だ?」
「何がさ」
「お前の言ってること」
「何、俺が嘘言ってる、って、あんた思ってるんだ」
「思ってるも何も…」
「別に信じてくれなくても、いいけどさー」
「や、そうじゃなくてな」
どう言ったらいいのだろう。ジャスティスは少しばかり言葉を捜す。自分とて、似た経験はあるのだ。こちらが常識と思っていたことが、まるで相手には通じなかったということが。
程度の差はあれ。
「お前はどう見ても、二十歳になるかならないかくらいにしか、見えないんだよ」
「ああ、俺のホントの歳のこと?」
「端的に言ってしまえば、そうだ」
「ま、そりゃそーだよね。この若々しいぴちぴちしたお肌だしよ」
そういう意味ではないのだが。そう思いつつ、彼は顔を洗う。…洗ってから、タオルの一つも持っていないことに、彼は気付いた。
仕方なく、シャツの裾を引っぱり出して、顔をぬぐう。どうせこの乾燥した気候では、すぐに乾いてしまうだろう。
「DU弾の雲が緑、ってのは」
「だって見たもの。嘘じゃないぜ?」
「ああ、そう思う」
「だいたい俺があんたに嘘ついて、何の得があるっていうの」
「だから、そこだ」
そうだ、と彼もそこではたと思い当たる。
「何でお前は、俺等は『客』として選んだんだ?」
ああ、とスペイドは大きくうなづいた。
「なあんだ、あんたそこにこだわってたんだ」
あはははは、とスペイドは子供の様に笑った。あまり笑いすぎて、終いには、腹を抱えだす始末だった。
「…おい」
「や、ごめんごめん… んー、でも、ねえ」
ほら、とスペイドは両手を前に差し出す。ん? とジャスティスはそれを眺める。
「何やってるんだ、お前」
「だから、例えば今、連れのあの子だったら、俺の手の上には、火の柱が立ってる筈なの」
「…俺には見えねえが」
「うん。そういうこと」
まだ彼には、よく判らなかった。
「あんた、あの子をウチまで眠らせて来て、正解だったよ。そのままだったら、あの子はレッドリバー・バレーを通っては来れなかったはずだぜ。だいたい、俺の幻覚が見える様な奴だったら、通ったらアタマがやられる。前にも通ろうとした奴が居たけれど、脅しても入って行っちゃって、仕方ねえなあ、と思ったら案の定」
そう言えば。
彼は前所長の件を思い出していた。戻って来たはいいが、火傷に切り傷、それにアタマが。
「あんたはそういう意味で、『通れる』奴だ、と思ったからさあ。俺だって時には寂しくなるし」
そうなのか。
ジャスティスは、ようやく納得する理由が見つかったと思った。
「お前、寂しいのか」
「寂しいよー。だって、ねえ。それこそ三百年もずーっと、一人で暮らして来たんだからね。時々、それこそあんたみたいに迷い込んで来たひとも居たし、運がいいと、しばらく一緒に居てくれたけど、でもいつかは、出てってしまうし」
あくまで、彼は軽く言った。
「あんただって、もうすぐ出てってしまうだろ? お仕事で来てるんならさ」
それはそうだが。ジャスティスはつい口にしていた。
「だったら、谷を出れば」
「それが、できればね」
スペイドはやはり、軽く言った。顔には笑みすら浮かべて。
だが。
「まだ、駄目なんだ」
「何が、駄目なんだ」
「この谷が、全部真っ赤になったら、俺は出る。そう決めてるんだ。それまでは、俺は出られない。出ちゃ、いけないんだ」
「全部」
「でも、もう少しだからよ」
さあメシメシ、と彼はくるり、と足を小屋の方へと向けた。
おはようございます~、と向こうから、バーディが慌てて出て来て、こけそうになっていた。
*
「んで、あんた等、もう帰っちゃうの?」
「道を教えてくれるのか?」
「教えたくはないけどー。まあ仕方ねーよなー」
もごもご、とスペイドは昨日の残りの肉を口にする。
ジャスティスもそれは平気だったが、さすがにバーディは朝から肉の丸焼き、は遠慮していた。それに、昨夜の酒がまだ残っていたらしい。
「何だお前、二日酔いか」
「だから私、酒は普通だって言いました~」
ん~、と彼女は普通よりヴォリュームのある二人の声に、えーん、と泣きまねをしながら頭を押さえている。
「じゃあ今日はまだ帰らないのね」
にやり、とスペイドは笑った。
「今日一日は、おねーさん、寝ておいでね」
「そ、そんな~」
顔を上げる。途端、がんがんがんがん、と響く痛み。う~、とバーディはうなる。
「ほぉら。あんたは平気なんでしょ」
そう言ってスペイドはジャスティスをちら、と見る。
「…そりゃあ、なあ」
「だろ」
にやり。
「だからさ、あんたに今日は、谷の案内してやるからさ。どーせおねーちゃんは来れないから、ちょうどいいじゃない」
「私、行けないんですか!」
痛てててててて、と自分で叫んでおいて、また彼女は頭を押さえた。
「いい加減、寝てろ」
はい、とバーディは今度は小声で言った。早速、昨日眠りこけていたベンチの上に横になる。まだ眠り足りなかったらしく、やがてすうすうと寝息を立てだした。
よくまあ、すぐに眠れるものだ。
思わず彼は感心する。確かに辺境向きだ。野営もできそうだ。
「で、どうすんの?」
にやにや、とスペイドは笑って問いかける。
実際、彼の言う通りだったら、確かにレッドリバー・バレーの中は、自分しか見ることができないのだろう。ジャスティスはそう判断する。なら。
「案内してくれるなら、それはありがたい」
「うん。じゃあ行こう。た・だ・し」
ぴ、とスペイドは指を立てた。
「一つ、約束してくれない?」
「何だ?」
口元は相変わらず笑っている。だが目は、笑っていない。
「あんた等、谷の鉱石の発掘調査に来てるんだろ?」
「そうだ」
「調査してもいいけど、資源利用、なんて考えないで欲しいんだ」
「何故だ?」
「それは」
ぐい、と彼は顔を近づけてくる。一瞬の沈黙。
「一緒に来たら、教えてあげる」
からかってんのかてめえ、という怒号は、ジャスティスの中に呑み込まれた。
すやすや、とバーディは実に良く眠っていた。
*
「谷と言ってもね、その、あんた等が欲しがってる『赤い鉱石』のある地帯はそう多くは無いんだぜ」
ほらこっち、と彼はジャスティスの手を掴んだ。
「わざわざ手をつなぐ必要があるのか?」
「つないだ方が安全だよ。ほら、迷子とか」
「俺は子供か!」
「俺の十分の一くらいしか生きてないじゃない」
さらり、とスペイドは言った。ジャスティスは眉を寄せる。
「…おい」
「ホントだよ」
「本当か嘘か、は… まあいい。とりあえず、信じる」
「あ、あんた、よーやく信じてくれたんだ」
「信じないと、お前の話は続かないんだろ」
まーね、と彼は歯をむき出しにして笑った。
「だって本当のこと、だもの。俺の時間は、二十歳で止まってる。ずーっとずーっと。俺がどうしたって、仕方ないじゃない」
ふと、手を握る力が強くなった様な気がした。
「だがお前の言うことを、そのまま信じるとな、俺は怖い結論に至ってしまうんだぜ」
「うん」
「それでもいいのか?」
「いいも何もさー、仕方ないじゃん」
くるり、とスペイドは振り向いた。
「あんたは俺が、天使種の連中と、同じと思ってるんだろ。でも俺の親父が、こっちのネイティブだから、困ってるんだろ」
「読んだのか?」
「そんなの、顔見れば判るじゃない」
へへへ、と彼は笑う。
「あんたは、顔に出る」
う、とジャスティスは口ごもる。さすがに彼は、そんなことを言われたのは、初めてだった。
「うんそうだね。俺の能力は、たぶん、それと同じなんだよ。でも俺は皇族でも血族でもないよ。ただの、そういう奴でしないもん。お袋が天使種で、親父がアリゾナのネイティブの、ただのアリゾナ男だもん」
「だったら」
「だから」
ぐい、と彼はジャスティスの手を引っ張った。
「あんたはここに来れた。だから、あんたには、知って欲しいんだ」
右の腕を、強く掴まれる。その強さに、ジャスティスは戸惑った。
「そんなの知ってるのが、俺さまだけなんて、ちっと、寂しいじゃない」
「寂しい、のか?」
「寂しいよぉ。寂しくない方が、おかしいんじゃねえ?」
首を傾げ、スペイドはさらりと言う。だがそれはそうだ、と彼も思う。
自分は三十少し生きてきた。その時間でも、一人で居た時間は長かった、と感じていたのに、その十何倍も、こいつは。
「…それは、結構時間がかかるのか?」
「何が?」
「その、『全部が赤になる』まで」
「んー…」
スペイドは首を傾げた。
「どうだろう。…長くはない、とは思うんだけど」
だから、ちょっと来てよ、と再び彼はジャスティスの腕を引っ張った。
*
朝の光の中でも、レッドリバー・バレーは確かに「赤」だった。
ただ、夕暮れとは逆の光線の加減か、やや黒ずんで見える。
「お前、ほとんど真っ赤、って言ったけれど、確かにそうだな」
「そう。だから、もう少し、なんだけど」
スペイドは右側の岩に手をゆっくりと当てていく。
「だがなスペイド」
何? と呼ばれた方はくるりと顔を向けた。
「あ、そーいえば何か初めて名前ちゃんと呼んでくれたんじゃない?」
「…その『もう少し』ってのは何なんだ?」
あえてその指摘は無視して、ジャスティスは問いかける。
「んー。元々は、乳白色なんだよ。その鉱石はね。ただ、死ぬと赤になる。そういうこと」
「死ぬと?」
おい、とジャスティスは右側を歩く相手の肩を掴んだ。
「鉱石だぞ?」
「そうだよ」
当たり前のことの様に、スペイドは答えた。
「鉱石、なんだぞ? 生物じゃねえんだぞ?」
「生物だよ」
スペイドは言い切る。
「あんたがどう思おうが勝手だけど、生きてるの。それは俺がどうこう言っても仕方ないことだもん」
うー、とジャスティスはうめく。
「会ってみれば、判るよ」
「会うって」
ほら、とスペイドは、岩の切れ間を指さした。近づいたその切れ間は、案外広かった。
「ちょっとしたトンネルだな…」
「まあね。時々そういうとこがあるの。ほら」
ついて来て、と相手は手を振る。ジャスティスは崩れやせんか、と思いながらも、この辺りを知り尽くしている相手だけに、反論もできなかった。
そして入るがすぐ、彼はつぶやく。
「何で、明るいんだ?」
確かに、明るかった。
いや、無論外の様な明るさ、ではない。ただ、ぼんやりと、前を歩くスペイドの姿は判る。岩がごつごつとしている様子が分かる。その程度なのだ。
だがそれでも、ここはあくまでトンネルなのだ。
自分達は、岩の間に入り込んでいる、それだけなのだ。光が上から差し込んでいるという気配はない。
だとしたら、多少、鉱石自体が発光しているのかもしれない。
とりあえず彼は、そう自分自身で納得する。…納得しておかないと、次に進めそうにないような気がする。
そんな彼の考えを知ってか知らずか、スペイドは、どんどん先へと進んで行く。
結構足が速い。知らない場所、足元がいまいちしっかりとしない場所なので、ジャスティスはついて行くのが精一杯だった。
「…畜生…」
思わずそう、声が漏れた。
「…あれ?」
ふと、前でそんな声がした。スペイドは、立ち止まっていた。
「どうした?」
「…あーあ、こんなとこまで入り込んだんだ」
そう言って、彼は何かを足で無造作に蹴った。何か居る? ジャスティスは、目を凝らす。…人間だった。
作業着を着た、まだ若い男だった。
「おい」
「何か、でも生きてるみたいだな。どーしようかなあ」
「おい」
「ああ、でもここまで来れたってのはなかなか珍しいけどさあ」
そう言えば。ジャスティスは、ここに来る前に会った同業他社の社員の言葉を思い出す。うちの若いのが…
彼は屈み込んで、薄暗いながらも、男の状態を確かめる。
確かに、生きてはいるようだった。呼吸はしている。
「…でもさあ」
そんな彼の考えを読んだのだろうか。スペイドは、後ろの石に寄りかかりながら、ポケットに両手を突っ込んだまま呼びかける。
「ここまで来たのは立派だけど、ここで倒れてるようじゃ、駄目だよ」
「駄目?」
「前にも、そういう奴が来た、って言っただろ俺」
「ああ…」
自分の前任者。だとしたら。
「アタマがやられている?」
「んじゃないかなあ。別に俺は、どっちでもいいけど。あんた帰る時に、連れてく?」
「…そう… した方がいいんだろうな」
おそらくは。そうすれば、とりあえずは、イリエ製作所、という所には貸しが一つできるはずだ。
と、そこまで考えた時。
「…ちょっと待て、スペイド」
「あ、また呼んでくれた」
にっこりと相手は笑う。その笑みに、ふとジャスティスはぎく、とする。よほど呼ばれたことが嬉しいのか。
「何?」
「…お前、…じゃあもしかして、ここに来るから、皆アタマがやられる、のか?」
「ここだけじゃないよ」
さらり、と相手は言う。
「そこまでにも色々あるって言ったじゃない。だから、ここまで来れたら大したもの。だけどね」
スペイドは再び、ジャスティスの手を掴んだ。
「この先は、そこまでとは、少し違うんだよ」
逃げられない、とジャスティスは思った。
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