第14節 抱擁と異端児


「ワタクシはこのクラスの担任となる難波相生という者ですの! 皆さんよろしくお願いいたしますわ! オーホッホッホッ!」


 難波が日向たち一年七組の生徒に対して高笑いをしながら名乗る。

 入学式を終えた日向たちはそれぞれの教室で最初のホームルームをすることになった。

 クラス担任が難波だということに日向は面食らっていた。


「アレが担任でアタシたちは一年間大丈夫なのかよ……」


 千景が心配そうな表情で難波に対してそうコメントをすると、呆れたようにため息を吐いた。

 千景も日向と同じ七組のクラスメイトであり、祥子や色乃も七組に在籍していた。


「ちょっとそこのアナタ! ワタクシが話している最中は私語を慎みなさい!」


 千景の呟きに気づいた難波が右手に持っていた白いチョークを千景に向かって投げつける。


「うおっ!?」


 チョークは千景の額に目掛けて銃弾のような速さで飛び、千景はそれを間一髪で避けた。


「……ワタクシのチョーク投げを躱すとはなかなかやりますわね」

「今時、喋っていただけでチョーク投げつけてくる教師が現存していたのかよ……」

「ふふっ、ワタクシは生徒と馴れ合うような関係は望んでおりませんのよ。今の一撃は愛の鞭。次はないと思いなさい」

「いや、それ愛の鞭っていうか、普通に体罰だけどな!」


 難波と千景は食い合わせが悪いらしく、二人の間には早くも殺伐とした空気が生まれていた。


「これが教師と不良の攻防……漫画で見たことがありますが実際に見るとコワイデス」

「ん~。日向ちゃんはちょっと一般常識に偏りがあるんじゃないかな?」


 難波と千景の攻防を見てガクガクと震える日向に祥子は言う。


「…………」


 一方、色乃はつまらなそうに窓の外の景色を眺めていた。


 薄明女学院では普通科生徒も侍女科の生徒も同じクラスで授業を受ける。


「ですが、このクラスは所詮まだ仮のクラスです。五月になって、正式な主従が決まれば、侍女科の生徒の中にはこのクラスから出ていく方もいるでしょう。または定期試験の成績でクラスが変わることもいるでしょう。そのような方たちとは今月いっぱいの付き合いになるかもしれないですわね」


 難波は少し寂しそうな表情になってそんなことを呟く。


 薄明女学院は1クラス40人の生徒と2人の教師で構成され、普通科と侍女科はそれぞれ20人ずつに分けられる。

 四月に入ったばかりの今はまだ主従を組んでいない生徒もいる。

 中等部からのエスカレーター組はともかく、特に日向や祥子のような外部入学の生徒は五月までの一ヵ月間で主従を決めることになる。

 そうして、決まった主従は共に同じクラスで授業を受けることになる。

 その他、定期試験の成績順位でもクラスは変わる。

 薄明女学院のクラス分けは試験成績で数字の小さい順に一組から七組まで振り分けられ、成績の優秀な者は一組、逆に成績の芳しくない者は七組に固まるようになる。

 つまり、日向たちは「落ちこぼれ」なのであった。


「まあ、今日はここまでにしましょう。本当は自己紹介などもしなければならないのですが、正直面倒くさいですわ。仲良くなりたいなら勝手に各々でしていてくださいませ」


 日向や生徒の何人かは難波の台詞にポカンと口を開けるが、難波は本気で言っていたらしく、その日のホームルームはそこで終わった。


          † † †


「あら、日向ちゃん、こんな夜遅くにどうしたんですか?」


 夜になり、日向が新月館三階のテラスから空を見上げていると詩緒が声を掛けて来た。


「詩緒様……こんばんは。少し寝付けなかったもので……」

「そうですか。今日は入学式で大変でしたからね」


 そう言って、詩緒は日向の隣に立ち、同じように空を見上げる。


「月が綺麗ですね」


 日向が空に浮かぶ満月を見上げながらポツリと言う。


「あらあら、日向ちゃんったら、入学初日に先輩を口説くなんて大胆ですね」

「えっ? あっ、これは違いますよ!? そういう意味ではなくて――」

「うふふ、冗談ですよ。慌てふためく日向ちゃんは可愛いです」


 クスクスと詩緒に笑われて日向は耳まで真っ赤に染める。


「それより、日向ちゃんは今日驚きましたか? 私が黎明四姫だと知って」

「あ、それは確かに驚きでした。詩緒様は生徒会の人だったんですね」

「ふむ。その様子だとまだピンと来てはいないようですね」

「あはは……そうかもしれません。なんとなく偉い人というのは分かるんですけど……」

「ええ、偉い人には違いありません。何故なら、私たち四人は薄明女学院の支配者と言っても過言ではない立場ですからね」

「支配者!?」


 日向は入学式で見た黎明四姫の四人を思い出す。

 一癖も二癖もありそうな彼女たちは言われてみれば支配者と評するに相応しい雰囲気を纏っていた。


「支配者というのは誇張が過ぎたかもしれないですが、学院の普通科生徒とその従者の全てを束ねているという意味ではあながち間違いではありませんよ。私たちはそれくらい強い権力を持った立場にあるんです」

「なんだか、皆さん凄くオーラのある方たちでした……」

「言葉を選んでくれてありがたいですが、私たちの代は聖を筆頭に変わり者が多いですから、否定は出来ませんね。本来は全校生徒の模範となる者が務めなくてはならない立場なのですが……」

「いえ、決して詩緒様たちを悪く言った訳ではないですよ!? そもそも、私、家に引き籠っていて学校とか全然通ってしませんでしたから、世間に疎くて実はあまり驚けなかったんですよね。最初に聖様が入学式で名乗った時、正直、私はそこまで黎明四姫云々の話には驚いていなかったんです。寧ろ、私が聖様たちを見て驚いたのは、朝に聖様と偶然出会っていたからなんです」


 日向は詩緒に聖の名前を出す。

 聖について、日向はその正体を知ってから、詩緒と同様に様付けで呼ぶことにしていた。


「ああ、その話は今日の入学式の後、聖から聞きました。『新月館の明日風日向には世話になった』、と。日向ちゃんと聖に何があったか知らないけど、随分彼女に気に入られたみたいですね。今日の聖はなんだか機嫌が良かったですよ」

「そ、そうなんですか……私としてはずっと年下だと思って話してしまっていたので今思えば恥ずかしいです」

「聖は小学生みたいに背が低いですからそこは仕方ないと思いますよ。それと、私も日向ちゃんのことは大好きです。妹にしたいくらいです」


 詩緒が冗談なのか本気なのか怪しい一言を付け加えながらそう言った。


「……私はそんなに好かれていい人間なのでしょうか?」


 だが、日向は困惑するでも、苦笑するでもなく、真剣な表情でそんな言葉を呟く。


「日向ちゃん?」

「私……この見た目と体質のせいで昔はいじめられていたんです。ヴァンパイアみたいだって。日差しを浴びるとすぐに体調を崩してしまうし、激しい運動はお医者さんに止められているから運動能力が悪くて泳ぐことも出来ないんです。日光や水に弱いってヴァンパイアの特徴とそっくりですよね。だから、私はみんなから化け物扱いされて、家に引き籠るようになってしまったんです」


 日向は一度溢れ出した感情を止めることは出来す、溜め込み続けていた心の淀みを空に向かって吐き出した。


「今まで両親と執事くらいしか心を開ける人がいなくて、この寮に初めて来た日はとても不安だったんです。また化け物扱いされないかなって。だけど、詩緒様や祥子さん、蜜海さんに千景様も優しい人で、私はどう接していったらいいのか分からなくて……」


 そこまで吐露して日向はテラスの手すりに肘を突き、顔を両手で覆う。

 日向の手首からは涙が伝って流れ落ちていた。


「日向ちゃん、大丈夫ですよ。この学院の人はまず間違いなく、あなたをヴァンパイアと呼ぶことはありません。それは保証します。ですから、安心してください」


 詩緒は日向を背後から抱きしめ、いつにもまして優しい口調で日向をなだめた。


「詩緒……様……」

「この学院は普通ではありません。だからこそ、日向ちゃんのような生徒を迫害する者は少ないでしょう。それに、私は日向ちゃんのような子を守るために黎明四姫となったのです。他の三人はそうでもないかもしれませんが、私は学院の異端児や逸れ者、とりわけ力の弱い子をお姉ちゃんとして守ってあげたいのですよ。少なくとも、私は日向ちゃんの味方です」


 抱きしめられた日向は詩緒から満たされるような温もりを感じた。


「落ち着きましたか? 今夜は遅いですし、もう眠った方がいいですよ。部屋まで送りましょうか?」

「だ、大丈夫です。……それから、ありがとうございました。嬉しかったです」


 日向が涙の痕が残る顔で笑顔を作り、詩緒は微笑み返す。

 頭を深々と下げて、まだ不安の感じられる足取りで自室へ戻っていく日向を詩緒は手を振りながら見送った。


 そうして、日向がいなくなった後、日向と入れ替わるように別の生徒がテラスに現れた。


「あらあら、色乃ちゃん、奇遇ですね。あなたもお姉ちゃんが恋しくなりましたか?」

「違いますよ、詩緒お姉様。私も寝付けなかったから外の空気を吸いたくなっただけです」


 色乃は詩緒のからかい文句にも動じることはなく、冷たい表情で答えた。


「だとしても、盗み聞きはあまり良い趣味ではないですよ?」

「…………偶然ですよ。あの子が突然泣き出したから出ていきづらくなっただけです」

「盗み聞きは否定しないんですね。因みにどこから聞いていました?」

「姉さんの話が出始めた辺りですかね」

「ああ、そこからでしたか……」


 詩緒の表情から笑みが消えた。


「ですが、姉さんの話は別に気になってはいません。あの人は気まぐれな人ですから。それよりも、気になったのは――」

「日向ちゃんとヴァンパイアの話?」


 詩緒に図星を突かれた色乃は言葉を途切れさせる。


「日向ちゃんの事情は私も先生方から聞いていたけど、思っていたよりも深刻そうな問題でした」

「……それもありますけど、もしかして、あの子はこの学院についてまだちゃんと理解出来ていないのではないですか?」

「ええ、それは私も確証はなかったけど薄々気づいていました。学院側がその辺りを知らなかったのなら無理もない話だけど、仮に日向ちゃんが過去のトラウマからヴァンパイアを恨んでいたりしていたら、厄介な事態になる可能性はありますね」

「………………」

「それはそうと、あなたは日向ちゃんを結構気にかけているのですね。あなたは一匹狼ぶっていますが、日向ちゃんに対しては私や千景ちゃんのように旧知の仲という訳ではないのに蜜海や祥子ちゃんと違って、彼女とはなんだかんだ言いながらも関わろうとしている気がします」

「偶然です。いつも気まぐれで危ないところを助けているだけで、あの子も例外ではないですから」

「気まぐれですか。そういうところは姉妹で似ていると感じますね」


 その言葉を聞いた瞬間、それまで感情に乏しかった色乃は珍しく詩緒を睨み、負の感情を露わにした。


「詩緒お姉様、分かっていてその冗談は性格が悪いですよ」

「うふふ。だって、色乃ちゃんは日向ちゃんと違って普通にからかっても面白い反応をしてくれないですもの。でも、そんなに怖い顔をされるのは嫌だから、二度と言わないことにしておきますね」


 詩緒は単なる悪戯心で言っただけだったが、色乃は本気で怒りを覚えていた。

 色乃はため息を吐き出してテラスから去っていこうとする。


 ――しかし、その時、新月館の裏庭から何か物が崩れ落ちるような大きい音が響いて来た。


「今の音は!?」

「裏庭から聞こえましたけど、裏庭には今のような音が出る物なんて置かれては……いえ、ありましたね、一つだけ」


 詩緒は思い当たることがあったようで、表情がだんだんと険しくなる。


「色乃ちゃん! 私は蜜海を呼んできますから、あなたは開いている部屋のどこかに今すぐ身を隠してください! 途中で誰かと会ったら、その人にも部屋に籠るように伝えてください!」

「詩緒お姉様!? 一体それはどういう――」

「詳しく説明している暇はありませんが、恐らく、私の予想通りなら、今は危険な状況です!」


 切迫した詩緒の様子に色乃は困惑するしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る