第15節 再開と邂逅

 第十五節 再開と邂逅


 日向は俯いて涙を拭いながら新月館の廊下を一人歩いていた。

 彼女は詩緒に弱音を吐いたことで心がもろくなっており、一刻も早く眠りについてしまいたい気分だった。


 そんな時、日向が顔を上げると、階段の前に色乃がただ一人立っているのが見えた。


「やあ、『また会ったね』」


 色乃は藍色のネグリジェを着て、まるで日向を待っていたかのように階段の手すりにもたれかかっていた。


「月ノ宮さん?」


 日向が呼ぶと、色乃はニヤリと笑みを浮かべる。


「……違う。あなたはあの時の――」


 だが、日向は気づいた。


 目の前にいる色乃はいつもの色乃ではなく、教会の地下聖堂で出会った時の色乃だった。


「こっちにおいで」


 色乃はそう言って、階段を下りていく。


「あっ、待ってください」


 日向は色乃を追いかけて階段を駆け下りる。

 だが、色乃がいくら急いでも色乃には追い付けなかった。


「はあ……はあ……月ノ宮さん……足速い……!」


 色乃はバレリーナのように華麗なステップで踊るように駆けて、その動きは今にもバランスを崩して踊り場に転落してしまいそうな危なっかしいものであったが、色乃は余裕で四段飛ばしに階段を下りていた。


「遅かったね」


 日向がやっとの思いで階段を下りきると、色乃はそれだけ言って、新月館の一階から中庭に向かって歩き出していく。


「ど、どこに行く気なんですか? それよりもあなたは一体……」


 日向はいつもの色乃と今の色乃は別人のようでありながらも、同一人物と思えてしまうような雰囲気を感じていた。


「知りたいなら私に追いついてみなよ」


 だが、色乃は意地悪そうな口調でせせら笑い、中庭へと続く扉を開けて外に出てしまった。


「ま、待ってください!」


 日向も中庭に出るが、色乃の姿はどこにも見当たらなかった。


「月ノ宮さん、どこに……」


 日向が周囲を見渡していると、温室の扉が開いていることに気づく。

 日向の記憶だと新月館の温室はどういう理由か常に頑丈な鎖と錠で扉を閉ざされていたが、現在はそれらの鎖や錠が壊されて地面に散らばっている。


「あそこにいる……のかな?」


 決して広いとは言えない新月館の中庭で色乃が向かうとすれば温室か、奥の雑木林しかない。

 雑木林の方は日向も地下聖堂の件からあまり行きたくない場所であり、彼女の身体は消去法的に温室へと吸い寄せられるように歩き出していた。

 踏み込んだ温室の中は空気が淀んでおり、天井も閉められていたため真っ暗闇で何も見えない。


「月ノ宮さん? どこですか?」


 日向は目の前を照らすためスマホのライトを点ける。


「この白いものなんだろう……糸引いてるけど……」


 温室の中は至るところにネバネバとした白い液体がこびりついていた。

 木々や花々は全て枯れており、進んでいた日向は自らの右脚に違和感を覚える。

 ライトを向けて確認すると、彼女の脚には例の白い液体がへばりついていた。


「あっ……これ、後でちゃんと洗濯しておかないと――」


 そう呟きかけた瞬間、日向は何かもの凄い力で脚を掬われて地面に転ばされた。


「えっ!? 何!? 何!? きゃあっ!」


 暗闇に潜む何かに脚を引っ張られ、日向の身体は頭を下にして宙吊りにされてしまう。


「あはっ、君はお馬鹿さんだね。懲りずにまた私を追いかけて罠に引っかかるなんて」


 日向はどこからか聞こえた色乃の声にハッとする。


「月ノ宮さん……何を言っているんですか?」

「私は君を恨んでいるんだ。君に罪はないけれど、私は君に恨みを抱いている。だから、君にはここで死んで欲しい」


 寝巻のスカートを両手で抑えながら尋ねる日向に色乃はクスクスと笑い声を交えつつそんなことを言いだした。

 日向のすぐ傍でカサカサと音がする。


「月ノ宮さん、そこにいるんですか!?」


 日向は音のした方へ顔を向ける。

 床に転がったスマホのライトが真上を通った者の姿を明らかにする。


「…………月ノ宮? 誰だいそいつは」


 しかし、そこにいたのは色乃ではなく、日向の知らない一人の女性だった。

女性は若々しく、外見的には二十代半ばと言ったところで、濡れたような黒髪を腰まで伸ばし、衣服はボロボロだが、顔は美しかった。

 だが、彼女の下半身は人間のそれではなく、腰から下が巨大な蜘蛛の胴体と化しており、黒い八本足をワサワサと動かして歩いていた。


「ひっ……!」


 悲鳴を上げた日向だが、蜘蛛女は口からだらだらと涎を垂らし、日向に迫ってくる。


「ぎぎぎぃ。涎が止まらないねえ。久々の食事だ。かれこれ10年ぶり? いや、20年ぶり? 長過ぎて忘れちまったが、ここに閉じ込められて以来、何も口にしていなくて死にそうだったんだよ」


 目を血走らせた蜘蛛女が不気味な笑みを浮かべて、彼女の口腔から四本の尖った犬歯が覗き見えた。

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