第9節 夜の宴と赤い涙


「え~、コホン。皆様、本日は新月館の新入生歓迎パーティーにお越しいただきありがとうございます。私は鳳詩緒。普通科三年でこの新月館の寮長を務めています。困ったことがあったらなんでも私に相談してくださいね」


 時計の針は20時を指し示し、すっかり夜も更けた頃、新月館二階の食堂には生徒たちが集まってテーブルを囲んでいた。

 パーティーに出席しているのは詩緒、蜜海、千景、祥子、色乃、日向の六名であり、テーブルの上には蜜海が作った料理の他にもお茶菓子やジュース瓶などが並んでいる。


「さて、時間になったことですし、早速パーティーを始めましょう。あまり上等なものは用意出来なかったけど、食事や飲み物は好きなだけ食べてください。では、乾杯!」


 詩緒の合図と共に歓迎パーティーは始まった。


「うわ~。ご飯もお菓子もすごく美味しいよ! 日向ちゃんは食べた?」

「はい……美味しいですよね」


 祥子が口の周りに食べかすをつけて感動した様子で日向に尋ねる。

日向は頷いて答えるが、彼女の視線は料理ではなく色乃に向いていた。

 色乃は日向と目を合わせることもなくちびちびと飲み物を啜っていた。


「ところで、色乃ちゃんと千景ちゃんに聞きたいのだけど、あなたたちは従者にしたい子とかもう決まっているのですか?」


 突然、詩緒がそのようなことを言う。

 それを聞いた日向と祥子は思わず動きを止めた。


「私としては同じ寮に住んでいる者同士で主従になって欲しいと思っているのですが、お二人の考えも聞かせて欲しいです」


 詩緒はニコニコした表情で日向と祥子、色乃と千景を交互に見る。


「アタシはどっちでもいいですよ。特にこだわりとかないですし」


 千景は骨付きのチキンを手に持ち、豪快にかぶりつく。

 しかし、祥子のように食べかすを皿に落とすようなことはせず、言葉遣いや食べ方の荒っぽさに反して、お嬢様らしい礼儀の良さは持ち合わせているようだった。


「色乃ちゃんはどうですか?」

「…………私は誰かと主従を組むつもりはありません」


 色乃は席を立ち、詩緒たちに背中を向けて廊下に出る扉のドアノブに手をかける。


「すみません。少しお手洗いに行ってきます」


 色乃が食堂を出ていき、残された全員が黙り込む中、扉の閉まる音が部屋に響く。


「色乃ちゃん……何か悪いことを言ってしまったのでしょうか?」

「鳳先輩は気にしなくていいですよ。アイツは別に怒ってる訳じゃないですから。ただ、アイツに従者の話をするのはまずかったかもしれないですけど」

「主従を組むつもりはない、ですか。それはやっぱり『あの子』と関係が……」


「私もお手洗いに行ってきます!」


 日向は立ち上がって、色乃が通った扉から出ていこうとする。


「は? お前、まさか――」


 千景は日向を止めようとするが、日向は千景が言い終わる前にいなくなってしまった。


「ううっ、勢いで飛び出しちゃったけど、これからどうしよう……」


 日向は色乃を探して新月館の廊下を歩き回るが、色乃の姿はどこにもなかった。

 食堂近くのトイレは真夜中に電気が消えていたことから色乃が嘘を吐いて出ていったことは明らかであり、日向には色乃を探す当てがなかった。


「月ノ宮さんに会っても、私はなんて言葉をかければいいんだろう。……それに、月ノ宮さんは私のことを覚えていないのかな?」


 日向は特殊な容姿故に他人から覚えられることには自信があった。

 だが、色乃は一度会ったことのある日向に対して特別な反応を示すことはなく、日向にはそれが不可解だった。


「もしかして、わざと避けられている? ……うん。その可能性はあり得なくもないかな」


 日向が窓の一つに目を向けると、窓ガラスに青白い肌の幽霊が映り込む。

 しかし、それは何度も見慣れた自分の姿であり、日向は窓に映った自分自身から目を逸らす。


「あれ? あそこにいるのは月ノ宮さん?」


 視線を下に向けた日向は色乃らしき人影が雑木林の中に消えていくのを見る。

 日向は慌てて玄関に駆け下り、新月館の外に出る。


「確か、こっちの方に……」


 色乃の後を追って日向は真っ暗な雑木林の奥に踏み込んでいく。

 携帯電話のライト機能で足元を照らしながら歩く日向。

 雑木林は彼女の想像よりも広く、新月館の明かりも乱立する木々に覆い隠されてすぐに見えなくなる。

 足元に注意しながら進んでいた日向がふと視線を上げると、木々の向こうに一軒の教会が建っており、色乃がその教会に入っていく姿を発見する。


「こんな場所に教会があるなんて……月ノ宮さん、ここにいるんだよね?」


 教会の中に入った日向は赤い絨毯の敷かれた身廊をゆっくりと歩いて最奥の祭壇に辿り着く。

 祭壇の前には地下へと続く階段があり、日向は色乃が地下にいるのではないかと考えて階段を下る。

 階段を下りた先は地下聖堂であり、地下聖堂の中央には女性の像のようなものが一つだけぽつんと置かれていた。

 金属で出来ているその像に近づいた日向は右手で触れる。


「……ケテ……イタイ……」


 直後、くぐもった声がどこからともなく聞こえて、像の両目から液状の何かが零れ落ちる。

 日向は自分の手に垂れたそれを拭おうとして気づく。

 像の両目から零れていたのは真っ赤な血液だった。


「どうしてついて来てしまったのかな?」


 背後から声がして日向は振り返る。

 いつの間にか日向の背後には色乃が立っていた。


「つ、月ノ宮さん!?」


 日向は心臓を口から吐き出してしまいそうなほど動揺する。

 現れた色乃は一糸纏わぬ姿で全身が血に濡れていた。


「ち、血が……大丈夫なんですか!?」

「平気だよ。だって、これ、私の血じゃないから」


 色乃が服の代わりに纏っている血の衣はよく見ると、彼女の体内から流れたものではなく全て返り血だった。


「それよりも明日風さんはこんなところに来てはいけなかったんじゃないかな?」


 色乃は血がべったりとついた手で日向の頬を触れる。


「……イタイ……痛い……助けて……」


 先ほどから聞こえていた声が徐々にはっきりとして、その声が助けを呼んでいる若い女性の声だと日向は理解する。

 日向が触れていた像の胴体が両側に開いて、隙間から大量の血が溢れ出す。


「私の秘密、知ってしまったね」

「あ、ああ、あああっ……」


 色乃は裸の身体を日向に密着させ、そのまま彼女を開いた像の空洞に押し込める。


「知ってしまったからには君をただでは帰せないよ」

「い、一体何をするつもりですか?」


 怯える日向に色乃は不吉な笑みを浮かべる。


「この像は扉の内側に沢山の棘が生えているんだ。それで、扉が閉まると中の人は串刺しになって苦痛を呻きながら死んでしまう」

「う、嘘……そんなの嫌……」

「安心して。確かにこれは痛いけど、君一人に痛みを背負わせるなんて残酷なことを私はしないよ」

「…………えっ?」

「こうして身を寄せ合って入ってしまえば、私も君と同じ痛みを味わうことが出来る。君の辛い気持ちを理解してあげられる。私にとってこんなに素敵なことは他にないよ」

「私はこんなの望んでない!」


 日向が絶叫するが、像の扉は軋んだ音を立てて閉じ始める。


「ねえ、教えてよ。君はどんな表情で苦悶を表現するのかな? どんな声で悲鳴を上げるのかな? どんな味わいの血を私に浴びせてくれるのかな?」


 色乃の表情は歓喜と狂気に満ち溢れて恍惚としていた。

 やがて、像は二人の少女を体内に閉じ込め、再び両目から赤い涙を流したのだった。

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