第7節 家事手伝いとお出迎え


「ふぃ~。疲れたよ~」


 新月館玄関ホールの窓拭きを終えた祥子はその場で脚を広げて座り込む。


「わ、私も窓拭き終わりました」


 日向がそう言うと彼女たちの働きぶりを見ていた蜜海は二人がそれぞれ担当していた箇所に近寄って確認する。


「……柚子さん、もう一度やり直しです」

「えええええっ!?」


 祥子は不服そうな様子だったが、蜜海は表情を変えず、バインダーで挟んだ手元の紙にボールペンを走らせる。


「作業速度、普通。出来栄え、あと少し。勤務態度、論外。柚子さんは使用人としての自覚が足りません。使用人たるもの、常に貞淑な姿勢を心がけなさい。それと、スカートが短過ぎます。以前から思っていましたが、なんですかその服装は」


 蜜海が指摘する祥子の服装は肌の露出が多い、所謂フレンチメイドと呼ばれるタイプのメイド服だった。


「えへへ、これですか? これは昔バイトで使っていたものです! 可愛いでしょ!」

「アルバイト? 中学生だったのに? ……まあ、いいでしょう。多少いかがわしい気配は感じますが今は不問とします。明日から使用人の心構えを叩き込んで差し上げましょう」

「えええええええっ! そんなあああああっ!」


 蜜海は喚く祥子を無視して今度は日向の担当箇所のチェックをする。

 日向は蜜海が窓の桟を指で触れたり、表面に軽く息を吹きかけたりする度にビクリと身体を震わせていた。


「……ふむ。明日風さん? 一つお尋ねしたいことがあります」

「ど、どうされましたか?」

「明日風さんはこれまで使用人として何年働いてきましたか?」

「へっ!? ぜ、零年です! メイド服を着たのも今日が初めてです!」


 日向は蜜海からの質問の意図に戸惑いながらも正直に答える。


「そうですか。まずは評価からですが……悪くありません」

「えっ……よ、良かった……」

「あくまで筋が悪くないだけです。窓拭きなど子供でも出来ること。完璧に出来て当然です」

「うぐっ! 流れ弾が私の心を抉っていくよ!」


 ダメ出しされたばかりの祥子はガックリと肩を落とす。


「私が見ていたのは作業の完成度よりも手際や効率の部分です。出来栄えを見たのは一応の確認ですが、この程度であれば明日原さんには特別に指導するべきことはなさそうですね。しかし、今日が初めてですか。それにしては……概ね誰かに教わったというところでしょうか?」

「あっ、はい。家事の一通りについては私の家に仕えてくれていた執事から教わりました」

「……は? 執事、ですか?」


 蜜海が訝しむ様子を見せたことで日向は自分の今の立場を思い出す。


「もしかして、日向ちゃんってガチお嬢様?」

「えっと……そう言えなくも……ないです」

「明日風……まさか、あなたの実家は旧華族の明日風家ですか?」

「…………そうです」

「ガチお嬢様じゃん!」


 日向は身体を縮ませて申し訳なさそうな表情をする。


「ふむ。今年の子たちはどうやら二人共、なんらかの訳ありな気配がしますね。……いえ、この寮に越してくるという時点でまともな人物ではないと予想はしていましたが」


 蜜海は独り言のようにそう呟いてため息を吐く。


「あの……その……黙っていてすみませんでした」

「別に謝る必要はありません。それにあなたがどんな身分であろうとここは薄明女学院の新月館。そして、あなたは侍女科の生徒。ならば、私はあなたに気を遣う必要はないのです。よって、明日風さんも柚子さんや他の使用人と平等に扱いますので、その辺りは覚悟をしておいてください」

「だ、大丈夫です。よろしくお願いします」

「良いお返事です」


 それから蜜海が壁掛け時計をちらりと見る。


「では、使った道具を片付けましょう。そろそろお客様が参られるお時間です」

「お客様?」


 日向はきょとんとした顔で首をかしげる。


「おや? 明日風さんは知らなかったのですか? 本日はあなたを含めて三人の方がこの新月館にいらっしゃるのです」

「うん! それで、あとの二人は普通科の生徒! つまりは私たちのご主人様になるかもしれない人なんだよ!」

「私たちの……ご主人様……?」


 その時、新月館の玄関扉からノックの音が聞こえてくる。


「噂をすれば、予定よりも随分と早いご到着ですが、お客様がいらっしゃったようですね。……お二人は一旦、私の背後で横一列に並んでいてください。片付けはあとでも構いません。お客様へのご挨拶が優先です。まずは私がお出迎え致しますのであなたたちは私に続いて挨拶をお願いします」


 日向と祥子が頷くと蜜海は両開きの玄関扉を開く。

 蜜海の言っていた通り、扉の向こうには二人の人影が立っていた。


「ようこそ新月館にいらっしゃいました、都千景みやこちかげ様、月ノ宮色乃つきのみやしきの様」


 蜜海が一歩分足を引く。

すると、迎え入れられた二人も一歩前に足を踏み出し、日向の目にはようやく二人の姿がはっきりと見えてくる。

二人は日向や祥子と歳の変わらない麗しい容姿の少女たちだった。

一人は赤い髪のどこか攻撃的な雰囲気を纏う少女。


「――――」


 もう一人の少女を見た日向は呆然とする。

 黒い髪と青い瞳の特徴を持つその少女は日向が薄明女学院に入学するきっかけとなった人物だったのである。

 少女の名は月ノ宮色乃。


 逢魔が時を越えて、最初の夜がやってくる。

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