32

【七】


打ち上げも終わり、店内は静寂で満ちている。


リリスとライコは王と先代魔王の送り迎え、メイと母ちゃんと親父は普通に帰宅した。

そんなわけで、この場に居るのは僕とナイトだけ。深夜なので店内は薄暗く、灯りは謎の淡い光を発する月下美人のみ。落ち着いた空間で、僕らはコーヒーを嗜む。


「忙しい一日だったわね」

「ばっか、あれくらいでへこたれてちゃこの先やってけねぇぞ。明日の日曜も客はゾロゾロ来る予定だし、その先の平日だって学校終わりにほぼ毎日営業だかんな。初日クリアの余韻に浸ってる暇はないよ」

「……やめてよ、そういう憂鬱になるような話は」

ナイトのこんな顔を見るのは天国の塔以来だな。日本の労働環境があの地獄と同等だなんて……恐ろしい話です。

「ナデだって、怠惰な毎日が好きじゃないの? こんなに自分をあえて忙しい日々には放り込むなんて、貴方らしくないわ」

「だろうね。僕だってダラダラ生きるのは好きよ。けれど……僕の人生は長い。だろ?」

ナイトは僕から目を逸らさない。ナイトは絶対に、僕を百年も二百年も死なせない。

「だからやりたい事は全てやりたいんだ。んでその全てに飽きたら……またダラダラするさ」

ナイトは優しく微笑む。どこか狂気じみた、僕にしか見せない笑み。僕にとってはよく見る笑み。長く付き合って来て、そしてこの先も永く付き合うパートナー。繕う事はしない。

「そっか。ま、暇だし付き合ってやるわ。まぁ……ずっとこんな店員をやらされる日々は嫌だけども」

「寧ろ感謝しなよ、僕のお陰で君はこんな明るい場に出られてるんだ。引きこもりを更生させた僕凄い」

「するわけないでしょ。どれもこれもあれも……私の運命を狂わせた発端はナデなんだから」

僕の手を握るナイト。怒り顔だけれど……怒り顔じゃない。

「絶対に貴方を許さないわよ。一生――許さない(離さない)」

場の空気を読むように、月下美人の光が、少しずつ弱くなり、部屋が暗くなる。

ナイトのシルエットが僕に近づいて来る。

ちょっとは労ってやるかと、僕は彼女に応えようとして、


「んんんんー…………はぁ。寝落ちしてしまったわい」


思わぬ方向から予期せぬ声。

「ん? なんじゃお前ら二人で……まぐわう所じゃった? 気にせず続けて良いぞ」

言葉を失う僕とナイト。もうムーディーな雰囲気など皆無。まさか床に寝てる竜神様に仙人たる僕が気付かないとは。気配の殺し方は流石腐っても神。

「なんじゃ、つまらんのう。ナイトよ、子は早めに産んだ方が良いぞ。竜は基本多くの子を産むからのう」

「……余計なお世話」 もう完全におせっかいな親戚のおばちゃんだな竜神様。

「天使と竜の子は強く早く育つからの、今から手合わせが楽しみじゃ、が……ナイトよ。覚悟は出来ているか? 天使と『居る』という事は、『地獄を見る』と同義じゃぞ?」

それでも気持ちは変わらないか? と問うように、経験者たる竜神様はナイトを見る。

「本当に今更ね。――余計なお世話。地獄なら、既に見終わったわ」

「失礼な話よねっ、天使なんだから毎日が天国でしょ!」

「ナデは黙ってなさい」

「ふん……愚問じゃったな。そも竜族が他者の意見で信念を変える筈が無いのだ。妾も小言を言うようになるとは、永く生き過ぎた証か」

自嘲するように、竜神様は目尻を下げる。

「達観してる所悪いけれど……それで竜神様、貴方は何をさも当然とこの場に居るの? あの世界に帰れないのは分かったけど、まさか、このままこの店に居つくつもりじゃないわよね」

「そのつもりじゃが? この世界で奴の居住地が見つかるまでの拠点として……も、もしや見捨てるつもりではあるまいな? お前らが妾を起こしたんじゃぞ!? 責任を持て!」

捨て犬のような目で訴える竜神様。『どうするの?』と僕を見て来るリリスに、『ウチじゃ飼えません』とは言えず、肩を竦めるしかなかった。マスコット兼従業員として置くか。


『カランカラーン――』


 と。不意打ち気味に、店の扉が開く。既に閉店なこの時間。一体誰だ? と顔を向けると、

「……招かれざる客ね」 ナイトもすぐに気付いたらしい。

「尊姉じゃん。どしたのこんな時間に?」 僕の問いに、彼女はどこか浮かない表情で苦笑するのみ。格好はメイのフリフリな寝間着姿だ。あいつ寝る所だったな?

「むっ、お前が天使の方が。やい天使っ、奴の居所の情報を寄越せ!」

「それは言わないようあの人に口止めされてるんですよ竜神様。大変だったんですよ? 貴方が封印から解かれた事を伝えたら、あの人……まぁ上司なんですが、凄い嬉しそうな顔で仕事ほっぽいて貴方の元に向かっちゃって。もしも貴方が暴れなければ『そのまま一緒に居てやっても良かった』とまで言ってたのに」

「ぐぬぬ……奴め、都合の良い事を」

 悔しがっているという事は、少しは暴れたのを後悔してるようだ。

「さて――撫君。こんなお目出度い日に、しかも疲れてる所悪いけど、『仕事』だ」

キッと引き締まった表情になる尊姉。天使の仕事依頼は基本『上から』メールで送られて来るらしいが、僕の場合いつも尊姉が持って来る。余程僕に会いたいらしい。

「仕事ねぇ。急ぎなの? 明日も喫茶店はあるんだけど」

「すまない、天使の仕事は融通がきかなくてね。すぐに行って欲しい」

「しゃあないなぁ。頑張って明日の開店まで間に合わすか。……で、内容は?」

尊姉の手にある指令書に書いてある筈だ。しかし、彼女は渡すのを躊躇っている。

どんなヤバイ仕事なのかと気になった僕は、「あっ」と尊姉が反応するのを分かった上でヒョイと紙を掬い取り、中身を読む。

「……、……、ふぅーん」 成る程ねぇ。尊姉が渡したがらない筈だ。『遂に』来たか。

「撫君……今回はボクとパートナーを組んで。大丈夫、『そういう仕事』は『慣れた』。ボクに任せてくれれば」

「いや、大丈夫、君の手は煩わせないよ。――ナイト、漸く君の出番だ」

「え、何? やっと?」 呼ばれた彼女は『フフン』と尊姉にドヤ顔を向け、嬉々として僕から指令書を受け取る。書かれた文書を一読し、

「……ナデ。貴方、私には『リリスとライコには出来ない仕事を任せる』って言ったわよね」

「うん。そんな仕事、あの二人には『させられない』だろう?」

「私なら良いって言うの!?」

「おめぇ僕一人にこんな仕事させるつもりかォォン!?」

「逆ギレしたわね……」 呆れ顔になるナイト。「というか、仙人的に『こういう仕事』ありなの? 樒さん怒りそうじゃない?」

「問題なしっ。別に仙人は善人てわけじゃないし、『弱い者の味方』ならいいんだよっ」

「屁理屈ね……」

「撫君。魔王様は嫌がってるようだし、やっぱりボクが君と、さ」

「いや。この類いの仕事は『ナイトとじゃなきゃ』ダメなんだ。尊姉には僕がこんな仕事をする姿なんて見せたくないし、君がする姿も僕は見たくない」

「撫君……」

「はぁ」とナイトは諦めたようにかぶりを振り、

「そういう事よ天使様。ウチの天使様はよっぽど私には厳しいみたい。サクッと終わらせて来るから大人しく報告を待ってなさい。行くわよナデ」

「うん。じゃあ尊姉、行ってくるね」

無理に笑みを浮かべて手を振る尊姉。

仕事終わりの報告時にも同じ顔をさせると思うと気が重いなぁ。

「こらこら、お前ら妾を置いてきぼりにして話を進めおって、どんな天使の仕事じゃ? ……なんじゃ、楽な仕事じゃのう。居候の身じゃ、妾が付いて行ってもいいぞ?」

「君が来ると世界滅んじゃうからダメ」


 竜神様は頼りになるなぁ。少し気が楽になった。

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