13
夜が明けた。
外から陽射しが射し込んで来る。こんなに穏やかな気持ちで朝を迎えられたのは……鳥のさえずりを楽しむ余裕があるのはいつ振りだろう。
改めてこの部屋を見渡すと、床は木製ではなく何か植物を編んで作ったような柔らかい代物で、その上に寝具が人数分床に敷き詰められている。ナデ曰く、床のはタタミという代物で、ここはワシツと呼ばれる部屋だと。不思議と心が落ち着く空間だ。
――結局、一晩中ナデの寝顔を眺めていた。眠気はいまだ無い。寧ろ眠るのが怖くもある。起きたら、またナデが居なくなったら、と思うと寝られない。
「起きろお前らー、朝だぞー」
誰かが部屋の戸を引いて現れた。女性だ。私は、一目で何者なのかを察する。
この、ナデと同じ種の美しい顔立ち……ナデを成長させれば行き着くであろう到達点。少し年上程度にしか見えないが、この人はナデの母親だ。ナデが『仙人』と恐れる相手。
「おぅ、起きてるか。あー、ナイトちゃん、だっけ? んー、確か言葉が通じねぇんだったなぁ……ま、どうにかなるか。ナイトちゃん、そのバカ息子を叩き起こしてくんね?」
何を話しているのかは分からない……けれど、何となく理解出来る。ナデを指差し殴る素振り。起こせ、という意味だろう。
思わずクスッと頬が緩む。どこが、とはハッキリしないけれど、少し強引な所や安心出来る空気がナデっぽい。いや、ナデが受け継いだのだろう。
「ふわぁ――――――――ぁぁ……、……ひぇ! ここどっっ!?」
「自分の家だろバカ息子。ちょっと寝床変わった位で動揺すんな」
ナデが起き上がる。動くナデ。その一挙手一投足は、いつまで見ていても飽きない。
「朝飯出来たから他の二人も起こせよ撫子、今日が休みだからってだらけんな。つかお前ぇ、何日も家に帰らねわ学校サボるわで……今時ヤンキーはモテねえぞ」
「だから世界救いに魔王倒し行ってたっつったろっ、てか撫子って呼ぶなよっ」
「手前ェが腹痛めて捻り出したガキの本名呼んで何が悪りぃんだ? あっ?」
「人をうんこみてぇに言いやがってっ」
ワーワー言い争いする親子。何度か言葉の応酬をし合い、ナデの母さんは去った。
不思議な光景だった。ナデの母さんの言語は理解出来ないのに、対するナデは私にも解る言葉で言い返している。どんな現象なのだろう。
「全く、ひでぇ母親だったぜ。さぁて、ライコのおっぱい揉むか」
「なんでよ!?」 唐突過ぎるナデの宣言に私は驚いた。
「だって母ちゃんが二人を起こせって」
「その流れだとリリスのも揉むつもりねっ、普通に起こしなさいっ。全く、相変わらず……、そういえばナデ、さっきの会話にあった〈ナデシコ〉というのは?」
「この世界にある花の名前であり、僕の名前だよ」
「……一〇年一緒に居たのに、その情報は初耳よ」
「女の子っぽい名前で恥ずいからね」
〈皐月撫子〉。後に分かった事だが、皐月というのはこの世界の五月という暦の事で、つまりは五月の撫子……カーネーションを表した名前のようだ。
母の日という記念日に送る赤い花。母を象徴する花。優しくって温かくって安心する、まさにナデにピッタリな名前だ。
――その後、ナデは普通にリリスとライコを起こし、皆でダイニングキッチンという名の食堂? に移動。テーブルと四つの椅子があり既にナデ母こと樒さんは腰掛けていた。
「椅子足りねぇから撫子は立って食え。あと相手は客人だ、飯と汁よそってやれよ」
「人使いの荒いババアめっ。気ィ使うなら箸使う朝飯作ってんなよっ。焼き魚とかお浸しとか嫌がらせか!」
「郷に入れば郷に従わせるのがアタシのモットーなんだよ。ジャパニーズ朝餉を一番美味く食う方法は箸で食う事だ」
「ったく、変な所で頑固なんだから」
ブツクサ文句を漏らしつつテーブルに食事を並べるナデ。手伝おうと私やリリスが動こうとするも、樒さんに「客は座っとけ」と手で制された。
「――よし、用意出来たな。はい、いただきまーす」
掌を合わせるというこの国の食事前の所作は、一〇年前にナデから教わってる。それはリリスとライコも同じようで、詰まる事なく朝食が始まった。
「ん? お前らそれなりに箸使えてんな? 持ち方も正しいし。この国の人間ですらおかしな奴いるぞ?」
「ふふんそこは僕の教育の賜物だねっ。冒険中は自然にある食材でラーメンとか作ったから、その時にお箸の使い方教えたんだよっ」
「お前が威張るな。アタシの教え守ればラーメンぐらい誰でも作れるわ」
「普通無理だから」 樒さんの言わんとしてる事はナデの返事から大体察せられる。二人の会話は見ているだけでも楽しい気持ちになる。というか、会話のテンポが良過ぎて、お喋りなリリスですら割り込めない様子だ。
「ナデさんナデさんっ、お母様に、この食事あったかくて美味しいと伝えて下さいっ」
「ナデ、私からも頼む。初めて味わう豆のスープだ。ミソシル? だったか?」
「わかった。オカン、リリスとライコがこの飯クッソマズイってさ」
「こんな可愛い子らがンな事言うわけねぇだろっ(ペシッ)。ありがとな二人とも」
そんな生温い空気のままに食事もひと段落つき、樒さんが息子に人数分のお茶を淹れさせ、
「で、撫子、これからこいつらどうするつもだ? リリスちゃんとライコちゃんは遊びに来ただけらしいが、ナイトちゃんは暫く居るんだろ?」
「ナイトねぇ。働かせるよ。良いアイデアがあるんだ」
緑色の茶を啜りつつナデは返す。恐らく私の今後の処遇の話だろう。
「ナデ、私がこの場に居続ける為に金品が必要なら幾らでも惜まないわ。城に戻ればお宝も沢山あるし」
「ああ、うん、ナイト、少し違うんだ。お金の問題とは少し違くってね……ウチの母ちゃんのポリシー? みたいのに『常に何にでも責任持って貢献し続けろ』ってのがあって。ようは労働だ。賃金より、働く事に意味があるんだと。わけわかんないよね」
樒さん曰く、『生き物は常に何かを奪っているから、烏滸がましくっても上から目線でも偽善でもいいから違う形で何かに返せ』と常々ナデに叩き込んでいると。それが仙人の教えこと『仙道』なのだと。
しかし労働か。経験は無い。その場にナデが居てくれるのなら心配事など無いが……。
「その点、ボランティアとかの無償奉仕はだめなんだよね」
「ボランティアは金が発生しない分責任感ないからな。賃金は必要不可欠だよ」
「真面目なボランティアさんに失礼だなぁ」
「ナデさん! 姉さんが働くのなら私も同じ職場に! このまま黙って帰れません!」
「姫!? 労働……うーむ……まぁ姫がやるのならば……ナデ、私もその働き口に置いてくれ」
「大丈夫、二人の労働力は計画のウチだよ。てか居ないと困る。てか逃がさねぇ」
……私だけ居ればいいのに。というか、今更リリスらと仲良くだなんて。あんな事があった後だから、正直上手く行く気がしない。
「ま、ナイトちゃんらの働き口のツテがあるんなら全部任せるわ。……ああそうだ撫子、ちょっとすぐそこのコンビニから人数分のアイスでも買って来てくれ。ゆっくり選んでいいぞ」
「はぁ? なんで今?」
「邪魔だから席外せって言ってんだよ。ほら、釣りはやるから行って来いっ」
ナデに一枚の紙を渡す。唇を尖らせつつ、ナデは左右の毛先を束ねた髪を振りながら食堂から居なくなった。私も着いて行こうと席を立ち上がるも、樒さんは手で制して、
「ま、野郎も居なくなった事だし、少し女だけで話そうや」
ペラペラと、『私達にも理解出来る言葉』を話し、ニヤリと微笑んだ。
「わぁ樒さん、リリス達の世界の言葉を分かってたんですね! 実はこちら側の者だった!?」
こういう時に、ずけずけと話を訊けるリリスは頼りになる。
その問いに樒さんはかぶりを振り、
「いや、お前らの世界に詳しい奴が居て、覚える機会があっただけだよ。まぁそれは置いといて――話ってのは、撫子の件だ」
途端、場の空気がキンッと引き締まる。その中心はこの樒さんだ。その静かで鋭い視線に、ゴクリと唾を飲んだ。
「今回の数日の冒険の件や、ナイトちゃんとバカ息子の『一〇年の物語』、その話は軽く聞かせて貰った。それで解ると思うが……あいつは、お前らと同じで『普通じゃない』」
樒さん以外の三人が同時に頷く。
「と言っても別に、特別な事が出来る訳じゃない。あ、外れねぇ変な指輪はノーカンな? アタシが鍛えたお陰でそこらの一般人よりは動けるのと、少し根性があるくらいで、基本あいつは普通だ」
普通? 本当に? 私が、最もナデに対し異常だと思っている部分は、その精神力だ。
私とナデは、あの天国の塔で一〇年を共に過ごした。当時、私は六つか七つで、ナデは私の一つ下。年下なのだ。なのに……その時点でナデは完成されていた。
休む暇の無い試練、渇きと飢え、安らぎの無い地獄。何度も私は絶望し、泣き叫び、当たり散らした。年齢を考えれば、いや、年齢など関係なくそれが普通だと思う。
でも、ナデは常にナデだった。場に合った的確な行動、軽快な軽口、悪戯好きな性格……どんな状況下でもそれは変わらなかった。それが異常。
そのナデを作った人物が目の前に居る。尊敬よりも先に覚えるのは畏怖だ。
「そう身構えんなよナイトちゃん。一〇年程度で音ェ上げるようなやわな鍛え方はしてねぇ」
ゾワリ 鳥肌。樒さんは、まるで私の心を見透かしたような事を言う。
「話戻すぞ。そう、基本普通なんだが、あのバカ息子はなー……何て言うか、おかしな宿命? ってのを背負って生まれたらしい。あいつがお前らの世界の言葉を話せるスキルもその副産物らしくってな。これから、本格的にその宿命? ってやつに関わっていくっぽいんだよ。――で、どうする?」
「どうする、とは?」 私は訊き返しつつ、彼女の言わんとする意味を理解していた。そして私の答えは既に決まっていた。
「あいつに関わるとこの先ロクな目に合わねぇって意味だ。見捨てるなら今の内だぜ?」
面と向かっては言えないけれど、愚問だ。
「「お断りします」」 ……リリスと私の声が被ってしまった。こちらを見るリリス。私は見ない。「はぁ」とライコのため息が聞こえた。
「はは、そうか、流石は異世界のお姫様達、肝が据わってる。じゃあ撫子の事は任せたぜ。その代わりと言っちゃあなんだが、明日にでもお前らにこの国の言葉を教えてやんよ」
どこか嬉しそうな表情で樒さんが茶を口に含むのと同時に「ただー」とナデが帰って来た。
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