第6話 エピソード2~トミの語り

                 *


 いつだったか忘れちまったけど、ちょいと肌寒い日に、久しぶりにロッジの掃除をしにいったんだ。

 小腹が空いたんで、ポッケに入れてたフランクフルトをほおばろうと、森の小道に腰を下ろしたときだったな。

 ん? まあ、細かいことはいいだろ、長くて太いものってのはうまいんだから。


 ああ、そん時におくにさんが現れたんだよ。

 兄さんと香苗さんから話を聞かされてたから、あたしゃ、すぐにだってわかったよ。

 うん、きれいな人だったねえ。

 あたしの若い頃の鼻をもうちょっと低くした感じだった。


 彼女はね、あたしに「あなたという人に伝えておきたいと思ったの。ちょっと遅くなってしまったけど」と言ってきたわ。

 なんのこっちゃって思ったけど、幽霊と話せる機会なんてそうはないからね。


「あなたは、森の番人のことをどこまで知ってる?」って訊いてきたもんだから、あたしは、大体は兄さんから聞かされてるって答えたわ。


 そしたら、彼女は「順を追って話すわね」って前置きして、当時のことを思い返すような口調で話し出したの。


「このオオモミジはね、わたしに触発されて、自分も、がしたかったの。でも、木だからここから動くことはできないうえに、直接人間と話すことはできない。だから、わたしや源作さんに自分の力の分ける必要があったの。とはいえ、わたしや源作さんも現世のものを持つことはできない。そこで、オオモミジはより自由に動ける源作さんにお願いして、源作さんがあの夫妻に〈森の番人〉になってくれるよう依頼したの」


 届けることの手順を説明する時も、彼女の口調はよどみなかったもんさ。


「この木がね、想いを伝えられずにいる人たちに、この森に手紙を持って来れば想いを届けられる、という情報を流すの。どうやって? ラジオみたいなものよ。その人の持つ電磁波というか、波動みたいなものに合わせて、その人の記憶にそういう情報を流すの。

 この木はね、遠くにいる木々と風の流れで連絡をとることで、その周辺にある地理や情景を詳しく読み取ることができるのよ。そこで、まずはの波動をたどって、その人のいる場所を探り当ててくれるから、それが済んだら、その場所までの記憶を〈森の番人〉に間接的に授けてくれるの。そしたら、森の番人はその記憶を元に、想いを受けている〈宛先人〉に手紙を渡すっていう寸法よ。ただ、依頼人の髪の毛が必要になるけどね。髪は、の電波塔代わりになるのにうってつけなんだって」


 聞いてて、あたしは思ったよ。

 ああ、香苗さんが好きそうなことだなって。

 おくにさんはさ、遠くから、昔田の子孫である兄さんと、奥さんの香苗さんを見ていたんだよ。

 だから、兄さんたちに山田源作が見えるようにしたのも、彼女のしわざだったのさ。


 あと、おくにさんは大事なことをつけ加えるのも忘れなかった。


「〈森の番人〉は、必ずしもその人自身が手紙を届ける必要はないの。辿を他者に授けることもできるのよ。ただし、信頼できる人間に限るけどね。そうね、その力を授けられた人は、〈森の郵便屋〉ってとこかしら」


 で、彼女は少しうつむいてから、こう言ったんだ。


「ただね、このオオモミジも、いつもそういう力が使えるわけじゃない。電話とか車だって、機能するのにそれなりのエネルギーを使うでしょう? それと同じようなもので、オオモミジが稼働できるのは十年のうち一年くらいが限界なの。だから……その間だけ、香苗さんには負担がいってしまうの」


「香苗さんに?」あたしはすぐに聞き返したよ。


 兄さん、いいかい。

 ここから先に話すことは、秘密でも何でもない、ただの事実なんだ。

 ただ、そういうのは、秘密よりも色の濃いときがある。

 

 おくにさんが云うにはね――


「森の番人を依頼して最初の仕事の後のことだったわ。武造さんはなんてことないって顔してたけど、香苗さんは肩をしきりにさすってたから、それが気になってね。だから、オオモミジに確認したの。そしたらね――彼の力を伝えることができるのは、女の人だけなんだって。うっかりした木なのよ。つまり、〈森の番人〉になれるのは、女性であり、届ける仕事に興味を持っている香苗さんだけってことよ。

 ある日、香苗さんと二人になってその話をしたら、彼女、武造さんには内緒にしてくれって云ってきたわ。彼は、森の番人であることに誇りを持ってるからって。わたしだけが実は番人だなんて、もう言いにくいってね。わたしも、その話を香苗さんにするかは迷っていたんだけど、森の番人としての負担がかかってる人に真実を告げないわけにもいかないと思ってね」

 

                 *


「――あら、意外と冷静じゃない」


 トミが覗きこむような目をすると、タケ爺は目を閉じた。


「なんとなく、自分にはそんな力はないんじゃないかって気はしてたさ。実際、なんにも感じなかったしな」


「じゃあ、また続きを話すよ」


「容赦ないな」


 トミはしかとした目で、確かめるように兄を見つめた。

 タケ爺はゆっくりとうなずいた。


                 *


「あの二人には引退って言葉を使ったけれど、ほんとはね、オオモミジはもう、寿命を迎えようとしているの――」


 そう言ったおくにさん、本当に寂しそうだったわ。

 けれども、言葉を止めることはなかった。


「でもね、すでに新しい種が彼の故郷に飛んで、その力を受け継ぎつつあるの」


 故郷? ってあたしが問うと、おくにさんは「そう、故郷」とつぶやいて、遠い目をしたわ。


「この木の故郷はね、チベットなの。なんでも、清からの貿易で苗が運ばれてきて、わたしたちがいた村の山に植えられたんだって。わたしたちの村は貧しかったけど、そういう歴史があったせいかチベット由来の白檀も栽培してたのよ。まあ、少ししか成長しないものばかりだったけどね。その白檀の甘い香りが、わたしは今でも大好き……。

 うん、本題を話さなきゃね――。

〈森の番人〉の力はね、今はもう、この高齢なオオモミジからだけじゃ、香苗さんへ伝えることができないの。だから……チベットにいるこの木の子供の元に行って、その若木と協力しなければ、森の番人の力を全うすることはできない。香苗さんは長いこと森の番人を経験したから、老いていく木と、その力が弱まっていっていることには気づいてた。彼女、わたしの元へやってきて、森の番人を続けていくにはどうするか相談してきたの。

 だから、わたしは――チベットまで行って、オオモミジの子供と信頼関係を築いて協力できるようにならなければ、には森の番人になれない、という話をして……彼女はうなずいて、それから旅立っていったわ」


 おくにさんって人は、さすがに一代で大きな仕事を成した人だね。

 どういう表情をしていても、伝えようとする声には、凛とした強さがあったもんさ。


「わたしは、昔田の人間だけど、武造にはオオモミジの力を伝えられなかった。結局、森の番人になれたのは香苗さんだけだった。でも、彼女が武造を信頼しているから、彼はしぜんと〈森の郵便屋〉にはなれている」


 そう言ったもんだけどね、あたしゃ、どうにも納得いかなくて、「なんだかかわいそうだね兄さん」って言ったのさ。

 優しい妹だろ?

 そしたら、おくにさんは本当に申し訳なさそうな顔をしてたね。

 んで、その経緯を説明してくれたよ。


「さっきも言ったとおり、オオモミジはうっかりやさんでね。結局、オオモミジは、女の人にしか、その力を伝えることはできなかったから――本当は、源作さんは、を持っていないの。でも、彼は今もそのを持ったままだと思ってる」


 結局、源作がオオモミジから分けてもらっているはずの力――森の番人を誰かに託すことのできる力――は、おくにさんだけが持ってるってことだろ? 


 あたしがそう問うと、おくにさん、しゃっちょこばって首をたてにふったよ。

 あたしゃ、大笑いしちまったよ。

 ああ、ちょうど、今の兄さんと同じような顔でね。


 つまりはこういうことさ。

 オオモミジが自分の力を流していたのはおくにさんで、森の番人としての資格を香苗さんに与えていたのはおくにさんだけ――最初は、おくにさんにもその自覚はなかったようだがね。

 んで、ずっと森の番人でいるのは、今はチベットにいる香苗さんだけってことさ。

 山田源作は実はただ待っているだけの幽霊で、兄さんやあのゴロタなんかは、彼女たちからの力で動けるただの〈森の郵便屋〉だったってことさね。

 おくにさんも香苗さんも、自分たちが愛する男を影ながら立ててたんだね。


 去りゆく間際、彼女はこんなことも言ってたよ。


「山田家ともつながりを持ちたくなってね。最近になって、あの人の子孫にも、わたしから電波みたいなものを送ったのよ。この森の存在に気づいて、もしよければ森の郵便屋にもなってほしくて。でも、うまくいかなかったわ。白檀の甘い香りだけが伝わってしまったのか、あいすくりーむ屋さんになってしまったみたいだけど……」


 きっと、どこかで伝わるさ――あたしが適当にそう言うと、彼女、ほんわかと笑ってくれたわ。


 おしとやかだったり、しっかりしてたり、時に強引だったり、おくにさんはまあ、魅力的な人だったね。

 また、どこかで会いたいもんさ。

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