第27話 ある侍の追憶~別途~

 はすでに終わっていた。

 どうしようもなかった。

 

 火をつけられ、倒壊した家々からは、残酷な灰色の煙がいくつも立ちのぼっていた。 

 道端や痩せた田んぼには、斬られ、突かれた村人の死体があちこちに横たわっている。

 容赦はなかった。

 老人や子供も含まれている。

 若い女がいないところをみると、彼女たちはさらわれたのだろう。


 その中で……折り重なるようにこと切れている、両親と姉を見た。

 精一杯、抵抗したのだろう。

 父も母も姉も、利き手にくわを握っていた。


 叫んだ。


 わめき、嗚咽し、日が暮れる頃――


 彼は、復讐を固く誓っていた。



 足軽とはいえ、いちおうは旗本に奉公をする身である。

 彼は、自分の村を襲った賊を討伐するように、奉公先の主人に訴えた。

 彼に言われるまでもなく、幕府は番方を中心に討伐隊を組む次第となっていた。

 彼は、討伐隊に参加できるよう訴えつづけ、その機会を待った。


 その間、おくには、いつも通りに彼の世話をした。

 彼もそれに応えようと思ったが……駄目だった。

 会話をするゆとりさえなく、眠っては悪夢にうなされ、両目からは以前のようなはつらつとした光が失せていた。



 それからひと月ほど経つと、彼はようやく討伐隊に組まれることとなった。

 沸々と湧き上がる黒い闘志に身を預け、黙々と準備をすすめる彼。

 もう、おくにがどんなに話しかけてきても、ろくに返事さえしないようになっていた。

 憎しみと我が身の不甲斐なさが、いつもの日常と向き合う余裕を彼から奪っていたのだ。


 しかし――

 いざ討伐に向かっても、歩きやすい山道をゆき、時折、山林の中を少し探るだけの、ネズミの巣をつつくような作業しかなく、上層部の連中にやる気はみられなかった。


 どういうことか――。


 彼は部隊長にかけあった。

 しかしそのたびに、


「おまえは、黙ってついてくればいいのだ」


 とじゃけんにされ、その意志が報われることはなかった。


 一回目の討伐が空振りに終わり、その帰りに立ち寄った茶屋で、なじみの下っ引きから、


「噂によると、その賊は一部の攘夷志士のなれの果てらしい。そんなに人数はいないみてえだが、今はどこか別の藩に移っちまったって話よ。河越藩だったな、たしか……。ここは幕府の直轄領だが、こんな時代だろ。幕府にも余裕がなくてよ、その賊の討伐については、河越藩に投げちまうらしいぜ」


 と聞かされても、彼の表情に変化はなかった。

 勘の鋭い彼は、どこかで、と思っていたのだ。

 でも……今の自分には、これ以上どうしようもできなかった。

 彼は、心底、力が欲しいと思った。

 奴らを地獄に落とす力が。


「おまえさんの気持ちはわかる。復讐するなら、おまえさんがそうしなきゃならないってことも。だがよ、ひとまず、そういうのは置いといてよ、もうちっと、おくにさんに時間を与えてやれよ。おまえさんの温もりがある時間をさ」


 彼は答えず、なんとも言えない笑みだけを残し、茶代を置くと、大通りを歩いていった。

 結局、さして日を置かず、彼が参加していた討伐隊は解散することとなった。


 それから、彼は働きに働いた。


 しかし、その働き方は――

 血で塗られたものだった。

 奉公という名の雑用をこなすだけでなく、彼は口入れ屋に出入りし、積極的に情報を仕入れては、怪しい浪人を捕え、ときには斬った。

 憎しみの力がそうさせるのか、奇妙なほど、彼は鼻がきいた。


 彼が見つけた浪人のすべては、江戸に潜伏する攘夷志士で、幕府としては是非に始末しておきたい連中だった。

 元々、彼は江戸に来てから名もなき剣術道場で剣を学びはじめ、技に荒さはあるものの、実際に立ち会うと滅法強く、入門して三カ月目にはその道場で一番強い剣客になっていた。

 おまけに怪力で、元来喧嘩が強く度胸があることもあり、志士に不覚をとることはなかった。

 彼は農民上がりにも関わらず、めきめきと頭角をあらわしていった。


 しかしその一方で、長屋にいる時間は少なくなっていた。

 おくにと笑い合う時間など、もはや存在しなかった。


「子供がほしい」


 一度だけ、おくにはそう言った。

 しぼりだすような声だった。

 彼はその問いには答えず、刀に打ち粉をふったまま、黙っていた。

 刀身には血のさびが付いている。

 それを扱っている自分が、彼女に向けられる顔はない気がした。


 徐々に、彼の働きぶりは、城下でも評判のものとなっていた。

 平和がつづいた時代は終わり、今は激動の時代だ。

 身分云々は言っていられない。

 幕府としては、有能な侍が少しでもほしかった。

 そんな風潮は、彼のを、彼の感情を伴わない〈栄光〉へと押しやることになっていった。

 気がつくと、彼は若党にまで抜擢されていた。

 もう、士分である。

 さらに、その抜擢の次には、さらなる道が用意された。


「縁談がある」


 この言葉を、奉公先の主人から聞かされたとき、彼は主人を殴りつけんばかりの体勢をとった。


「おぬしのそういうところを、先方は気に入っておる。そのお方の娘も、おぬしのことを大層気に入っておってな。ほら、去年の師走におぬし、山本何某という曲者をひっ捕えてきたろう。その姿を沿道で見かけて、惚れ惚れとしたらしくてな。いいもんよのう、腕の立つ武芸者は」


「しかし、私には妻が」


「離縁なさい」


 そう言い放った主人の視線と声の深みに、彼はを感じた。

 この男にも、旗本としての誇りがあるのだろう。

 頭の中が、真っ白になった。

 力をとるのか、希望をとるのか――


「考えさせて頂きたい」


 そう言い残し、彼はひとり、故郷へと向かった。

 もはや、廃墟となった故郷。

 奪われたままの故郷。

 焼け跡だけ残ったおくにの実家の辺りに腰をおろし、彼はぼんやりと空を眺めた。


 考えさせてくれ――

 そう言った時点で、自分の中の答えは決まっていたのだろう。


 いや、ずっと前から、いつの間にか……自分はこの手を汚し、そのたびに彼女との絆の一本一本をそうとは知らずに切っていったのだ。

 志士退治といえば聞こえはいいが、実際は、自身の黒い感情に従うまま、多くの命を奪ってきたのだ。

 志士という憎い響きを持つ存在に、自分の怒りをぶつけたかっただけなのだ。


 ――こんな男が、おくにという優しい女性のとなりにいる資格などはない。


 もう、この道を進むしかないのだ。



 三カ月経ち、快晴の日に、厳かな婚儀が行われた。

 彼は、御家人の家の婿養子となった。

 近隣に勇名を馳す若者と、家中でも名高い才女との結婚。

 この婚儀は城下でも評判となり、多くの名もない若者に、立身出世の希望を与えた。


 一方、ひっそりと、一人の娘が山中へと姿を消したことに気づいた者は、ごくわずかだった。

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