第23話 つながりたくて

「もう知っていると思うけど、お金は無事に完済しているわよ」


 ようやく明美の嗚咽が収まりはじめると、律子は語りはじめた。


「もう、大丈夫よ。明美の身になにか起こることはないわ」まずは、そんな一言を添えて。


「この家を見て、なんとなく感じたかもしれないけど。わたしはね、実は、この地域の地主の娘なの。だから、ヤクザ者が庶民をいたぶるお金くらいは、都合をつけられたのよ。まあ、ポンと出せるわけでもないけどね」


 ウインクしてみせる律子。

 明美は、鼻をすすりながらも、律子の話すことに全力で集中しているようだった。


「友則と明美はね、わたしにとって本当の子供みたいな存在だったのよ。わたし、結婚してないけど、『ああ、子供ができるってこういうことなのかな』って、あなたたちといるたびに、そう思ってた。ありきたりだけど、一緒にいるうちに段々とそんな気持ちになってね。だって、あなたたちって、頼りないんだもん。そのくせ、変なところは優しくて……。覚えてる? わたしが風邪ひいたとき、明美、ずっとそばにいてくれたじゃない。ネギと玉子がふんだんに入ったおかゆを作ってくれたよね」


 律子は一息ついて、微笑み、そしてつづけた。


「以前、ちょっとだけ話したことあるけど――わたし、ずっと箱入り娘で、世間知らずだったから、いい歳になってようやく一人暮らしをしてみようと思ったの。それでこの家を飛び出して、あのアパートに住んだのよ。楽しかったわ。スーパーでの仕事も思ったよりもスムーズにこなせたし、毎日の買い物が新鮮だった。なにより、あなたたちと出会えたことが何よりだった」


 律子は、淡々と話を進めていた。


「わたしが辛かったのはね、田舎ヤクザにお金を払ったことなんかじゃない。あなたたちのいなくなった生活だった。ごめんね、こんなこと言って」


 明美は天井を仰ぎ、小さな顔を両手でおおった。


「どうして……!」


 声が、絞り出される。


「わたしは、裏切ったんだよ、律子さんを……! あなたを置いて、逃げた! お願い、わたしを許さないで」


 律子は、下を向き――すっと立ち上がった。

 タケ爺はそんな律子の動きに合わせるように立ち、彼女に席をゆずった。

 律子は一礼し、そっと、明美のとなりに座った。

 代わりに、ゴロタのとなりに座るタケ爺。


 顔をおさえて慟哭する明美の肩をそっと抱きしめ、律子は頬を寄せた。


「おかえり――」


 止まりかけていた時計が、ゆっくりと動きはじめたようだった。


 ゴロタは、目の前で抱き合う二人を見ながら、なぜだか、夢の中で出会った侍の姿を思い浮かべていた。

 もう一度、彼に会いたくなっている。

 

 明美の頭を撫でながら、律子はハンカチで彼女の目を拭ってやっていた。

 明美は、律子の腰の辺りに手をやり、声を詰まらせながらも、言葉を紡いだ。


「わたし、あれから一カ月ほど経って、トモ兄と一緒にアパートに行ったの。荷物を片づけるのと……律子さんに会って謝るために。でも、もう律子さんはいなくて。そのとき、ああ、律子さん、幻滅したんだなって思ってしまって」


 律子は、やんわりとかぶりをふった。


「ごめんね……。わたしね、ヤクザと話をつけた次の日に、引っ越すことにしたの」


 ぼんやりと自分を見つめる明美の目をしっかりと見たまま、律子はつづけた。


「二年間だけだけど、あなたたちのことはよくわかっていたつもり。だから、あんなことがあった後じゃ、簡単には元に戻れないと悟ったの。もし、あの場に留まったとしても、優しいあなたたちは、わたしの顔を見るたびに、自分自身がいたたまれない気持ちになったと思う。だから、一旦はお互いに身を引いて、時間を持つことが必要だと思った。それぞれが成長するための時間っていったら、大げさだけど」


 潤んだ瞳を柔らかく光らせ、律子は明美に向かってうなずいてみせた。明美は口を強く閉じて喉を張らせていた。


 律子は、変わらずに口元に笑みを浮かべている。


「でもね、友則はわかっていたわよ。わたしの気持ち。あのごろつき連中と自分の部屋に行く前に、あなたたちに目を向けたの。友則は、しっかりとわたしの想いを受け取った。そう感じたのよ」


「トモ兄……同じようなことを言ってた。『逃げるんだ。律子さんは、目でそう言ってる』って。わたし……わたしは、そういうふうにとれなかった」


「いいのよ。明美には明美の優しさがあるもの。それは、わたしを何回も救ってきたのよ」


 そうだろうな、とゴロタはうなずく。

 まだ出会ってから少ししか経っていないが、明美は人を傷つけることができないひとだと感じていた。

 夜の店で働いてはいるが、うわついたところのない女だった。


「今思うとね、あの日、わたしは少し早まっちゃった感じもするの。わたしもヤクザに関わったことなんかないから、お金を払ったとしても、難癖つけて、あなたたちにまた危害がいくんじゃないかって思い込んでてね。だから、逃げてって思ったのよ」


 律子はゆっくりと息を吐いた。


「あの男……借金取りのリーダーだけどね。わたしの部屋に、舎弟を全員入らせたの。まだとなりにいるあなたたちを見張らせるようなことはせずにね。で、わたしが現金を全部渡すと、『もう、あの部屋から逃げちまったかもしれねえけど、おれからも、あの姉ちゃんに伝えておくよ。あんたに感謝しろってな』って言ってたわ。あんなに凄みを利かせていたのに、そのときは少し、照れてた。世の中、色んな人がいるわね」


 律子はからっとした笑い声をたてた。


 ようやく――

 明美は、少しだけ笑った。


 タケ爺が懐に手を入れ、ガサゴサとやりだした。

 一通の手紙を抜きとると、彼はそいつを律子に差しだした。


「これは、あなたへの手紙です」


 律子は頭を下げ、その手紙をうやうやしく受け取った。

 封筒をきれいに開けていくその所作は、茶道の一貫のように滑らかで凛とした動きだった。


「なんとなく、手紙の内容はわかっています。それでも、やっぱり、嬉しいですね。わたしは、このときをずっと待っていましたから。あの一件で、わたしたちは盲目になって行き違ってしまったけど……。明美と、そして、友則なら、きっとわたしを探してくれるって、ずっとそう信じていましたから」


 手紙を広げる前に、律子はタケ爺へと目を向けた。


「あなたたちも、友則とは縁が深いのですよね?」


「わたしは、友則の伯父です。んで、こいつは、友則の友達です」


 えっ? とタケ爺を見るゴロタ。

 老人は、平然とした顔をしている。

 「まあ、それは」と、彼女はあらためてタケ爺とゴロタに礼をしてきた。

 ゴロタは慌てて、お辞儀しかえす。


 タケ爺、ゴロタ、明美へと順に律子は視線を移し、しっかりとした口調で告げた。


「きっと、この手紙はここにいるみんなで読むべきものだと思います。本当は、よくないことなんだけど」


「そうしましょう。友則も、そうしてほしいと思ってますよ、きっと」


 おいおい、ほんとかよ、と突っこみたくなるが、ゴロタは黙った。

 少なくとも、明美は知っておくべき内容だとも思った。


 律子は手紙を広げ、みんなの目を見てから、滔々と読みはじめた。

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