17日目(温泉回!)


「さて、着いたぞ」


俺は熱海にいた。いや俺は家族で熱海に来ていた。そしてホテルの部屋に入った。


既に室内にはクーラーが利いていて蒸し暑さとは無縁の空間が作られていた。



毎年恒例の熱海への二泊三日の家族旅行だ。


親父は部屋に入るとテレビのスイッチを入れて高校野球を見始める。


オカンは荷物を置くとのんびりと備え付けのお茶を入れる。姉もそれを手伝っていた。


(しかし、熱海に来ても『アッチ』の世界に呼ばれるのかなぁ・・・)


家族の様子をぼんやりと見ながら、部屋に置かれた座布団の上に座った俺はそれだけを気にしていた。


(まぁ、考えても分からないことは考えるだけ時間の無駄だな)


とにかく今は温泉とクーラーのある部屋の中の快適さを楽しむことにする。


それだけ、クーラーのある生活に憧れていた。


毎年のこの旅行は親父がオカンを休ませるために行っている節がある。


この旅行中だけはオカンは『何もしない』という決まりがある。


料理もしなくてもいい、布団も敷かなくてもいい、家事をしなくてもいいとまさにオカンにとってのバカンスだった。



夕方の早い時間い食事が部屋に運ばれてくる。いわゆる懐石料理のようなもので、なかなか食べられるところが少なくて苦手だった。


陸上の合宿の時のようにカレーしか出ない方が逆にありがたかった。


子供にとって懐石料理のような『ちゃんとした料理』は苦手であり量も物足りないのである。


なので予めコンビニや売店でお菓子を買い、空腹になったらそれを食べていた。



そうこうしているうちに部屋に布団も敷かれ、夜も10時近くになっていた。


(親父らと一緒にいると巻き込む可能性があるな・・・それに大浴場だったら桶とかあるし、最悪、武器になるか・・・)


もし『アッチ』に呼ばれた時、親父らを巻き込んでしまう可能性もあると思っていた。あと、自分だけ急にいなくなったらパニックになるやもしれん。


それなら大浴場に行っていれば1時間くらいいなくても長風呂をしていると思われるだろう。


俺はそそくさと部屋を抜けて大浴場に向かった。既に部屋着の浴衣に着替えていた。


大浴場はホテルの地下一階にあり、大きなダルマのような形をしているのが特徴だった。


(でも、どう見ても双子池やひょうたんに近いよな)


毎年、ホテルに来るたびにそう思うのだった。


脱衣場について腕時計を見た。10時10分前くらいだ。


遅い時間なのもあってか大浴場には俺以外、入っている人はいない。


それならそれで好都合だ。変に人目についても面倒くさい。


とりあえず武器になりそうな脱衣場の服を入れる竹細工の籠を握って10時を迎えた。


その瞬間、周りが一瞬にして光に包まれる。『アッチ』に行く合図だ。


(呼ばれたというのか?)


これで先日、ヨシと話していた一つの仮説が証明された。呼ばれる対象は自分の家の部屋では無くて『俺』に対してということだ。


しばらくして光が収まっていく。しかし妙に蒸し暑い。それに床の発色も違う。薄いオレンジ色だ。


(別の場所か?)


明らかにいつもの場所と感じが違う。足元も木の床ではない、石畳のようなところだ。目線を上げると俺は声を失った。


「えっ? 温泉?」


そこかしこから湯気が上がり、周囲には岩風呂のような穴がいくつか開いていた。その近くにランタンのような灯りが置かれて周囲を照らしている。


ふと上を見上げた。雲一つないきれいな星空だ。それもかなり空が澄んでいる。普段よりも多くの星が見えた。


(まるで野辺山の高原で見たような星空だ!)


幼い記憶がよみがえる。小学校の時のキャンプで行った長野の野辺山の空だ。あの澄んだ星空のようだった。


(しかし、温泉地にいるから温泉に呼ばれたというのか?)


ふと、誰かに俺の腹をつつかれた。目を空から降ろすといつもの少年が立っていた。裸で。


(!? 風呂にでも入ってたのか?)


少年はにこやかに後ろを指さした。俺はその方向を向くといくつかある岩風呂の中に入っている子らに混じってあの金髪の女性も温泉に入っているのだった。


(!?!?!?!?)


言葉を失った。あの美女が一糸まとわぬ姿で温泉に入っているだと? 残念ながら湯気が濃くて顔も湯船の中も見えないが、明らかにあの女性だ。頭にタオルのような布を乗せて温泉に浸かっていた。


(温泉回!)


何かが頭をよぎった。いわゆるアニメや漫画やドラマである温泉を舞台にしたドキっとした展開やお色気サービスがある話のことを『温泉回』と読んでいた。このシチュエーションはまさに『温泉回』じゃないか!


「ゴ~ブゴブブ~ゴブブ~♪」


「ゴゴ~ブゴゴブブ~♪」


反対側からどこかで聞いたようなメロディを口ずさみながら緑色の肌をしたゴブリンらが現れた。手には武器も持たず、頭にタオルのような布を乗せていた。


「えっ?」


「ゴブッ!?」


俺とゴブリンは目が合い互いに動きが固まった。どんな場所であっても戦闘開始だった。


「お互いに湯治に来たのかも知れないが、とんだ災難だな!」


俺は持っていた竹籠を振り回してゴブリン先制攻撃を仕掛ける。


「ゴブ~!」「ゴブブ~!!」


二人のゴブリンは泡を食ったように竹籠の一撃を受けて空の向こうへ飛んで行った。やはりこの竹籠もなんだかの影響を受けて凄い威力を持っているようだ。



「ゴゴゴブ~!」


「ゴゴゴゴゴブ~!!」


「ゴゴゴゴブ~!!!」


それを合図にしてか温泉に入っていたゴブリンが温泉から出て俺に向かってきた。向かってきてくれる分には都合がいい。浴衣を着ているせいで動きづらかったからだ。


(よーし! 来い!)


タオルを振り回したりしながらゴブリンが攻めてきたが敵ではなかった。一人残らず竹籠を振り回して温泉から吹き飛ばした。


「カッコーン カッコーン カカカカカッコーン!!」


大きな『ししおどし』のような音がいくつも響く。これはいつもの鐘の代わりか? それが戦闘終了の合図であるかのようだった。


一息つくと温泉から上がって来たいつもの子が俺にグータッチをしてきた。俺はいつもの癖で素直にグータッチをした。


ん? グータッチしたら戻されるんだよな? その前に金髪のあの人のお風呂姿を!!!!!


慌てて女性の方に向かって行こうとしたが既に光に包まれつつあった。光と湯気の先で微笑んでいるような女性の口元だけが一瞬見えた・・・ような気がした。


「しまったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


俺は光の中で絶叫した。

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