5日目(前篇)
・・・暗闇の中で日の日差しを感じる。そして蒸し暑さが肌を不快にさせる。もう日が高いのだろう。
おもむろに目を開ける。白い天井と無機質な蛍光灯が目に入った。
目線を壁に向けて掛け時計に目をやる。既に10時30分を過ぎていた。
快進撃だった。信じられないくらいスカッとした。
次々とやってくるゴブリンをバットで振りぬいていく。まさに高速トスバッティングをインターバル無しで繰り返すようなものだった。
(しかし、俺は勝てた)
子供らは目の前で帰ってきた。グータッチする子も増えた。
(さて、起きる・・・?)
体を起こそうとした時、異変に気付いた。腕から激痛が走った。
(筋肉痛か? しかも両腕じゃないか・・・って肩もか!)
それだけではなかった肩も太ももも凄いハリが出ていた。急に体を動かしたからだろうか体の節々が悲鳴を上げていることに気付いた。しかも痛みはそれだけではなかった。何気なく手のひらを見た時、親指と人差し指の間にマメができ、そこが裂けていたのだ。
それも両手ともだ。バットの振りすぎで擦ったからだろうか。
しかし、こうして痛みが現実に出るということはやはりただの夢ではなかったということだろうか。先日ヨシが言っていた説が早くも否定されたように思える。
節々が痛みながらも上体を起こして周囲を見回す。ふと、部屋の中に金属バットが無いことに気付いた。
「バット? それなら玄関に戻しといたわよ」
背後のベランダからオカンの声がした。振り向くと、ベランダで洗濯物を干しているオカンの姿があった。土日はパートが休みなので主に庭いじりなどをしている。
「あと、朝食食べたら玄関の金魚ちゃんの水を変えといてね」
「はーい」
俺はそう答えて体の節々が痛む中、自分の部屋を出て階段を降り、玄関に置いてある金魚の入っているバケツを目にした。
そんなに大きくはないバケツの中で一匹の金魚がゆっくりと泳いでいた。大きさは8センチくらい。右のエラの所をケガをしていて、鱗が剥がれていた。
(一番弱そうだと思っていた、コイツが一番長生きするとはなぁ)
うちで飼っている金魚は全て親父が夏祭りの時につり部の出店でやっている金魚すくいで残った金魚たちである。
大体、夏祭りが終わった日の夜に残った金魚たちが家に運ばれてくる。天気が悪くて夏祭りが中止になった時などは大きな業務用のバケツ2つくらいの量になることもある。
とはいえ、金魚と言ってもなかなか長生きするものではない。世話をしていて気づいたのだが、エサを食べることが上手くできない個体もある。そうした個体は残念ながら死んでしまう。
祭りの後の夏休みの朝に最初にやることは、死んでしまった金魚を庭の片隅にまとめて土葬して弔うことだった。
あまりに辛い作業なので、前に親父に「残った金魚を学校とか近所の人に配っちゃいけないのか」と聞いたことがあった。
「お祭りが終わった後にもらえるってわかったら、金魚すくいを誰もしなくなってしまうだろ?」
それが親父の回答だった。確かに正しいかもしれない。俺は上手く反論することができなかった。
そんな中で半年、一年生き残る金魚は本当に生命力が強いのかもしれない。毎年2・3匹が次の夏を迎えているような気がする。もちろん玄関にバケツが無くなる時もあったが。
このエラ近くの鱗が剥がれている金魚はもう三度目の夏を迎えている。去年貰って来た金魚達は残念ながらぜんぶ、今年の夏まで生きられなかった。
俺は洗面所でバケツに水を入れると、中にカルキ抜きの結晶を入れた。これを玄関の日の当たる場所に二時間くらい置く。その後に金魚を藻と一緒に引っ越させる。
その間に俺はオカンの作った飯を食べたりテレビを見たりしてダラダラと過ごしていた。
冷夏のせいで中止が相次いでいた高校野球の県大会予選もやっと準決勝にまで進み、世間はもうすぐ8月を迎えようとしていた。テレビの電源を入れて地元のローカル局に回すと横浜スタジアムで行われている準決勝の模様が流れている。明日の決勝は横浜スタジアムが日程の関係上、使用できないということで、珍しく川崎球場で行うと放送で実況アナウンサーが伝えていた。
試合中継をラジオ代わりにしつつ新聞を読んでいるとベイスターズはまだ連敗を続けていた。これでオールスターを挟んで8連敗じゃないか…。
親父は仕事、姉は仕事が休みで部屋に籠っている。
(痛てっ)
箸を握った時に指のマメがつぶれていたところと擦れて痛んだ。すぐに食事を中断し、救急箱から絆創膏を出して指に巻いた。
(素振りが足りないってことか・・・疲れ切ってしまったし、少しでも体力を付けないといけないな・・・)
食事を終え、金魚の水を入れ替えると俺は陸上をやっていた時のジャージを出して着替えた。
(やはりまずはランニングだな・・・)
体力を取り戻さないといけないな。陸上を辞めてから2年近くなるか。毎日10キロは走っていた頃に比べてすっかり体重も増え体はなまってしまっていた。
「出かけるの?」
家を出ようとした時にオカンに声を掛けられる。
「うん。ちょっと山越えてランニングしてくる」
「車に気を付けるんだよ」
オカンに見送られ、俺はランニングを始めた。
(とりあえず夕方くらいまで近所をぶらっと走ってくるか・・・)
俺は住宅地と山道を越えてのんびりと走り出す。この住宅地の先に駄菓子屋があったっけ。昔、ビックリマンチョコを探しに友達と『遠征』と称して学校帰りに行ったっけな。
暑い日差しの中、見覚えのある道を進み、久しぶりにその駄菓子屋があった辺りにたどり着いた。
(あれ? 無いや・・・)
駄菓子屋がかつてあった所は全く別の建物に建て替わっていた。というかマンションが建っていた。小学生の頃、オタマジャクシを取りに来た田んぼも数が減っていた。まだ広がる田んぼの先に京急の車両倉庫が見えたが。それは変わらなかった。
(この辺も変わったってことか)
考えてみれば最後に来たのは5年くらい前か。道も舗装されていたり、昔あったラーメン屋とかも無くなっている。
俺は違うルートで家に戻った。しかし、思ったよりも暑さと疲れで走る足が重く鈍くなる。上り坂ということもあり、とうとう歩いてしまった。やっぱり体力がかなり落ちている。これは深刻だ。
(今日は暑いな・・・もっと鍛えないと・・・いけないのに・・・)
歩いていると自動販売機を見つけ、スポーツ飲料水を買って一気に飲み干した。汗がドッと全身で噴き出すのが感じられる。代謝だけは衰えていなかった。
(これはしばらく続けないとダメだな)
足取り重く家にたどり着く頃には夕暮れになっていた。
家に入るとそのまま風呂場に行き水風呂を浴びた。夏の運動の後はこれが一番気持ちいい。陸上やっていた頃にも同じことをいつもやっていた。
水風呂から上がると夕飯だ。ニュースで高校野球の県予選の結果を見たり、プロ野球中継を見ているうちにいつもの時間が近づいてきた。
(さて、今日もやってやるぞ・・・)
部屋の中で、金属バットを玄関から持ち出し夜10時になるのを待つ。バットを握ると、指に絆創膏を巻いた傷口が痛む。
(痛くてもかまわない。これで勝てるのなら・・・)
ラジオから夜10時の時報が流れる。視界が真っ白になる。今日も戦いの時間だ。
昨日のことが自信になっていた。正直、ちょっとワクワクしている。自分でも活躍できる場所がある、それが何より嬉しかった。
(さぁ、来いゴブリンども!)
俺はバットを強く握りながら、光が収まるのを待つのだった。
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