3日目(前篇)



気づけばあのまま寝ていた。泣き疲れてしまったのだろうか。


枕元の方から涼しい扇風機ではない自然の風が入ってくる。


既に窓は開かれ、ベランダには洗濯物が干されている。


オカンが既に洗濯を終えてパートに行っているのだろう。


壁に掛けてある時計を見た。9時50分を指していた。


(いけね! ドラマの時間だ!)


慌てて起きて自分の部屋を飛び出し、リビングにあるテレビの電源を入れる。


ウチの家はテレビとビデオがリビングにある1台しかなかったのでビデオ録画も1番組しか撮れないので取り合いになっていた。


「8」の番号のリモコンボタンを押して番組が始まるのを待つ。リビングの壁時計は9時55分を指していた。


(間に合った)


テレビでは外人が歌う主題歌をバックにオープニングロールで女性がプールを泳ぐシーンが流れ、ドラマが始まった。


しかし、昨日の夜のことがずっと頭の中に残っていて話が全く入ってこない。


槍と剣と弓を持った三体のゴブリンによるコンビネーション攻撃。矢が子供の胸を背中から貫いた瞬間。女性に抱かれながら消える子供。





思い出しただけでまた息が詰まり、涙がこみ上げてきそうだ。どうすれば助けられたのか。自問自答を繰り返す。昨日も寝ながらそれだけを考えていた。


(また、呼ばれるかもしれない。そうしたらどうすれば防げるか)


テーブルの上に置かれた昨日の夕刊に挟まれた近所のスーパーの特売などのチラシの中から裏地の白いチラシを一枚引っ張り出し、シャーペンでチラシの裏に丸を3つ縦に書いた。


(相手は最初縦一列になり、後ろの奴が一番前の奴を踏み台にして垂直に飛んで襲い掛かってくる・・・)


一番前で槍を構えたゴブリンを踏み台にして真ん中にいるゴブリンが垂直に飛び上がる。一メートルちょいの身長のゴブリンではあるが、凄い跳躍力だ。体が身軽なのもあるのだろうか。


更に驚くのは一番後ろにいる弓を構えていたゴブリンだ。奴は二人分の高さを垂直にジャンプしている。並大抵のことじゃない。また跳躍力も凄いがそこから弓を射るその技術力も凄まじい。


恐怖心を捨てた、捨て身の攻撃ほど怖いものはない。だからこそあんな一撃を与えてきたのだろうか。


(一人一殺・・・)


近代史の時間で学んだ血盟団事件を引き起こした血盟団が暗殺指令を出すときの言葉だ。捨て身で必ず対象相手を始末する。あのゴブリンらが何故そんなことをしているかは分からない。


何せ説明も何もないんだ。いきなりあんなところに放り込まれたんだ。ある意味、他人事だから俺が助ける義理も悲しむ道理も無いんだ。


だけど・・・なぜかああして守っていた。守る相手が人だからだろうか? 分からない。そもそもゴブリンをつぶした時に何も血糊も残っていないのも分からない。分からない尽くしだ・・・。



腹が鳴った。腹も減って足りない頭で考えても何も分からない。


台所に行き、オカンが俺の朝食用に作っていたサンドイッチを皿ごと持ち、テーブルに置いた。今日もオカンも親父もアネキも仕事に出ている。家にいるのは今日も俺だけだ。


ふと左腕を見ると腕時計をつけたままだった。


(あっ・・・時計したまま寝てたか)


そう思いつつ腕時計を外す。外した左腕には時計の跡が残っていた。


(そういえば、時計はあっちでも普通に見れたんだっけ)


昨日、時計を付けたままあっちの世界に行けた。ただ、あっちにいる間、時計の針が急に動いたりしていたのはよく分からなかった。


今の腕時計の針は10時半を指している。壁に掛けてある時計と同じだ。あんな奇妙な動きをしていたのだが、時間に狂いはなかった。


(待てよ・・・?)


あっちの世界には着ていたジャージだけでなく腕時計も持っていけた。ということは、何か武器になる物を持ってればあっちの世界に持っていけるというのか?


拾った棍棒では普通のバットよりも長い分、振り抜いた時、引き戻すまでに時間がかかってしまう。そうだ、確かバットならあったはず・・・


朝食の飲み込むようにサンドイッチを食べると、玄関から靴を履いて外に出て、家の庭に隅にある物置の戸を開けていた。薄暗い中はカビ臭いにおいが充満している。何年も使ってない高枝切りばさみや古い釣り道具などに混じって一本のボロボロのバットを見つけた。


(あったあった)


グリップも剥がれ、バットにも無数の傷があるもはや鉄の棒に近いシロモノだった。8歳くらいの時に親父にクリスマスプレゼントで買ってもらった金属バットだ。


軟式の少年用バットで長さは70センチにも満たないだろうか。重さも500gは無い。


物置を出てそのまま庭でバットを二、三度振ってみる。


小さく軽く、グリップも細い感じだ。


(これなら小回りも効くし、棍棒よりも早く対応できそうだな)


しかし蜘蛛の糸がついていたり、グリップテープも剥がれていた。これでは握った時に滑ってしまう。まずはバットを拭いてテープを貼り直さないといけないな。


バットを持ったまま家に戻り、洗面台の所にあった雑巾を濡らして絞ったものでバットを磨いていった。中途半端に残っていたグリップテープは全部剥がした。


(グリップテープを買わないとな・・・中央まで買いに行くか)


バットを磨きながらグリップテープを買うことを考えていた。多分500円ちょいあれば買えるだろう。


磨き終えたバットを玄関の脇に置いて洗面台で汗を拭きつつ雑巾を洗った。今日は曇り気味なせいか蒸し暑い。


(午後になってオカンが帰ってきたら出かけるか)


顔を洗い汗を拭くとリビングでダラダラとテレビを見て時間を過ごした。




「ただいまー」


オカンの声が玄関が開いた音に遅れて聴こえてきた。時計を見ると午後2時を過ぎていた。


俺は急いで腕時計をし、財布をポケットに入れると玄関に向かった。


「あれ? 遊びに行くの?」


「ああ、ちょっと中央、行ってくる」


「今日は夕飯までに帰ってくるのよ」


「わかった、今日は買い物してすぐ帰ってくるから大丈夫だよ」


玄関でオカンでそう話し、俺は家を出た。



駅まで曇り空の元、駅まで歩くこと20分弱。駅からは電車で5駅で目的の駅に着いた。


駅の南口を出て、大通りから一本入った、細道に入る。


「ここに来るのも久しぶりだな」


細道を歩くこと数分、『パープルスポーツ』と黄色で書かれた看板が出ているスポーツ用品店を見つけ、店に入った。


陸上やっている時はスパイクやら練習用のシューズを買いに通っていた。


(まさか、今になってここに来ることになるとはなぁ)


店内の各種スポーツ用品の置き場所も数年前に通っていた頃と変わっていなかった。俺は野球用品の棚を探し、グリップテープを買ってレジに持って行った。出費は予算内のものだった。一安心。



「あれ?」


店から出たところでセイとゲーセン仲間にバッタリ遭遇した。


「どうしたん?」


「ちょっとそこで買い物」


俺は今買ったグリップテープを手提げ袋の中から見せた。


「何で今更、そんなもん?」


セイには俺が前に野球をしていたことを話していた。


「ちょっとね。時々素振りでもしたくなることがあるのよ」


「そだ、これからゲーセン行くんだけどお前も行く?」


「スマン、今日はパスするわ」


「そか。んじゃ今度な」


俺はセイらと別れて駅に向かった。セイらはゲーセンのあるドブ板の方に向かっていった。



そのまま家に帰ると午後5時を過ぎていた。


自分の部屋でバットにグリップテープを巻き始める。店によっては巻いてくれるところもあるけど、これくらいは自分でやる。お金かかるものあるけど。


ラジオを聴きながらテープを巻いているとリビングの方からオカンが俺を呼ぶ声が聞こえてきた。夕飯ができた。


「今行くー」


部屋にいたまま返事をする。ちょうどグリップテープを巻き終えていた。ラジオからは神宮球場から巨人対ヤクルトの三連戦の三戦目の中継が流れ始めていた。


リビングに降りると既に親父が帰ってきていて晩酌をしながらテレビを見ていた。テレビでの野球中継は7時からだ。それまではニュース番組が流れている。


とはいえ、ニュース番組のスポーツコーナーの中でその後に中継をする試合の中継をしているところも多い。大体、スタジオにいるアナウンサーと現地の実況と解説との掛け合いが試合の映像と一緒に流れている。


「なぁ、来週の祭りの手伝いはできるんだろ?」


親父が俺に向かって話してきた。俺は夕飯の鳥のから揚げを食いながら答える。


「あぁ、金魚すくいの店番だろ? それくらいするよ」


来週の週末に住んでる町内会主催の盆踊り大会が行われる。親父も町内会の手伝いで毎年、金魚すくいの店を出すのを手伝っている。日頃、町内会の釣り部に入っているからだろうか。


釣り部だから金魚すくいとは・・・まぁよくある話だ。


「6時から1時間半くらいでいいから。ちょっと父さんは別の準備を手伝うことになったもんだからさ・・・」


「それくらい、小遣いくれるならいいよ」


「お前は・・・そういうことは言わない方が出世するぞ」


親父はそう言ってビールを飲む。大体、瓶ビールを1つ開けたらウィスキーを飲むのが親父のルーティンだった。


「へいへい、俺は親父みたいなサラリーマンにはなりませんよー」


俺はそのままテレビを見ながら夕飯を食べた。サラリーマンか・・・親父みたいに日が昇る前に家を出て、日が暮れてから家に帰ってくるような毎日。なんか面白くないんだよな…。



夕飯を食べ終え、ナイター中継をしばらく見てから俺は部屋に戻った。


グリップテープを巻いたバットを部屋の中で構えてみる。


狭い部屋なので振りぬくことはできない。どっかしら何かにぶつかって大惨事になる。


「あんた、部屋の中で何やってんのよ・・・」


洗濯物を取り込んでしまいに来たオカンが部屋に入って来た。夏場は暑いので風通しを良くするために、部屋のドアは開けっ放しにしていた。


「危ないから外で素振りするならやりなさいな」


そりゃそうだ。オカンの言うことは正しい。俺は部屋を出て玄関の脇にバットをしまった。


(10時前になったら部屋にバットを持ってくればいいか)


変に怪しまれるのも嫌だしな。まぁ確かに子供が部屋でバットを持って振り回してたら親にしてみればどうかしてると思うわな・・・。



それからリビングでテレビを見たり風呂に入ったりして9時半になった。


俺は部屋でいつ呼ばれてもいいようにバットを持ち出して部屋の中でスタンバイしていた。


(今度こそ・・・守ってみせるんだ)


対策も考えた。正面から垂直に飛んで来るゴブリンにはそのまま下から振り上げるようにして吹き飛ばしてしまえばいい。そうすれば三匹のゴブリンを天井にブチ当ててやることができる。横一列なら左端の奴から振りぬけばいい。とにかく弓を持った奴を真っ先に仕留めるのが先だ。


また頭の中で昨日の事がよみがえる。


背面から矢が刺さり、悲鳴を上げた後に女性に抱きかかえられて消えた子供の姿が頭の中でムービー再生される。


(守れればいい・・・今度こそ、今度こそ・・・)


10時に近づくにつれて妙な緊張感がまとわりつく。心臓の鼓動も早くなる。扇風機で風を受けていて涼しいはずなのに、涼しさをまったく肌で感じられない。


ラジオでは試合中継後の情報番組で他球場の結果などを報じている。ベイスターズは今日も負けて連敗記録を7に伸ばしていた。


バットを握ったまま部屋の中で座っている。握る手に汗が出る。


(落ち着け・・・落ち着くんだ)


ただ無心に時間が過ぎるをの待っていた。ラジオからは情報番組のエンディングに心地よい男性ボーカルの歌が流れて、Jリーグの情報番組が終わると時計の針は夜10時に差しかかろうとしている。


(さぁ・・・勝負だ!)


ラジオから夜10時の時報が流れた。「Ohデカナイト」のサウンドステッカーが流れて番組が始まる・・・始まってる?


(どういうことだ? 昨日とおとといは夜10時になったらあっちの世界に呼ばれたはずだぞ?)


ラジオでは自称ギャグオペラ歌手が軽快なトークでスタジオ内を笑わせている。普通の夜10時台だ。まるで昨日とおとといのことは無かったかのように普通の夜だ。


(何が起きているんだ!??)


俺は頭を抱えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る