第2話 類似

 波子さんはあの人のことがよくわかっているのね、と深有紀さんは頻繁に言う。

それがもっと薄暗くて湿っていて、張り詰めた音だったのならば、私はどんな風に言い返したのだろうかといつも思う。現実にはその響きに一ミリの棘も嫉妬も含まれてはいない。だから私は毎度同じように言葉を零すのだ。一緒に居た時間が長かっただけだと。

「波子さん、波子さん」

手招きした彼女がぐつぐつと煮たった鍋を指差した。菜箸で一筋のそれを掬いあげる。白い湯気をふうと吹いて口の中に放り込んだ。

「うん、美味しいよ」

心配そうに私を見上げる深有紀さんの目にそう言ってやると、漸く彼女はゆるりと笑みを浮かべた。美しい笑顔だと思った。炒めた具材を手早く絡めて、二枚のお皿に均等に分ける。美味しそうと蕩けるような声の独り言がふわふわとキッチンに漂った。

「深有紀さんが作ったんじゃない」

可笑しくなってそう言うと、皿を両手に彼女もけらけらと笑った。グラスにたっぷりとアイスコーヒーを注いで両手を合わせる。

「いただきます」

目の前の皿から立ち昇る香ばしい香りが空っぽの胃袋に流れ込む。ぐうと小さく鳴った音に抗わず、熱々のパスタをフォークに絡めて齧り付く。確かに素晴らしい茹で上がりのそれは、私の腕が確かな証だ。


 二人で共にする夕食は困ったことに美味しくて、私はにやにやと滲み出る笑顔を押し留めることが出来ない。そしてもっと困ったことに目の前の美味しいを連発する彼女を、本来ならば一秒だって同じ時間に居たくないはずの彼女を、私は憎らしく思うことが出来ないのだ。君達は本当に仲がいい。英は不思議と愉快を交互に浮かべてそう言った。僕より君の方が深有紀のことが良くわかっているみたいだねとも。同じ時間を過ごしているから当然だわ。私はその時に答えた言葉をきっと今後も言い続けるのだと思う。英はきっと同じことを何度だって問うだろうから。

「波子さん、デザートはアイスを買いに参りません?」

ふざけた口調の歌うような彼女の声が心地よい温度の室内にゆっくりと響いた。その音が徐々に消えてゆくのを聞き終えて、彼女の瞳をまじまじと見た。遠くで、けれど確かに蝉が叫ぶように鳴いている。窓から見下ろした駐車場には今にも蜃気楼が立ち昇りそうだ。楽しそうに弧を描いた唇は、きらきらと揺れるその目は、きっと私の言葉を知っている。そしてそれは私自身が一番よくわかっていることなのだ。


 鉄の扉越しに伝わる熱にぎゃあぎゃあと文句を言いながら、サンダルに足を突っ込んだ。埃っぽい玄関に数ミリ差し込む眩しさに目を覆う。外はきっと溶けそうに暑い。私達は数分後にはこの場所に戻って来るだろう。溶けかけた体で、溶けかけたアイスを齧りながら、同じように溶けた揃いのアイスをたった一つ、ビニール袋の中にぶら下げて。頭の中で英と深有紀さんの声が重なり、広がる。私はぐるぐる回る音に甘い眩暈がした。重なる音の一重外で深有紀さんが急かす声がする。待って待ってと財布を掴んで、彼女の後姿を追う。目の前に差し出された手のひらが懐かしい手のひらと曖昧に重なった。小さく笑ってその手を取った。夏に似合わない温度は随分前から知っている気がした。

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