君と永遠に終わらない青を見た
七夕ねむり
第1話 窒素
背中を見ていたら、なんとなくわかるようになってしまった。
例えばああ今疲れているんだろうなあとか、読んでいる本が楽しいんだろうなあとか眠いんだろうなあとか。英は言葉が少ないけれど、一緒にいれば意外に分かりやすかったりする。そういう所に他の誰かが気づけばいいのにと思うけれど、やっぱり私だけが知っておきたい気もする。私はきっと英が思っているような人物ではないのだ。狡くて独占欲が強いそこらに転がっている人々と何ら変わりはない。
「波子」
また変なこと考えてたでしょ。柔らかく笑んで、しかし断定的な口調で彼が言った。視界の端を、細い銀色が過ぎる。薬指に息づく銀色。
私は曖昧に笑って、くしゃりと髪を撫でられるままにしておいた。波子の髪は懐かしい感じがすると随分前に彼は言っていた。それがいいねという意味だと気づいたのはもっと後だ。英の言葉は独特の感覚に基づいて発せられているのだと思う。気づいてから、撫でられた時はそのままにすることにしている。
「おなか空いたな」
彼の左手が止まってしばらくした頃、そう言ってみる。
「・・・偶然だ。僕もとても空腹なんだよ」
驚いたように英はぽつりと言葉を零した。大きく目を見開いてまじまじと私の目を見つめている。ああ、全く。こういったところが本当に。
「パスタな気分なんだけど」
「この間買ったソース?」
「勿論」
左手をゆっくり解いてキッチンに向かう。正直に言うと、今の私の顔は見れたものじゃないと思う。彼がいつお昼をとるのか、何を食べたいと言うのか、どんなパスタソースが好きなのか。そんなこと、もう身体中に染み付いてしまっているというのに。
「波子は酸素みたいだ」
俯いて冷ましている頬に再び熱が上った。
「お褒め頂き光栄ですわ」
茶化した私は狡くても平凡な人間なので、仕方がないと思っている。
「怒ったの?褒めているんだけどな」
「そういうことは深有紀さんに言ってあげれば」
電子レンジのタイマーが鳴る。扉を開けると薄く白い湯気が伸びてきた。英の声が瞬間遮られて消えた。私はくるりと向き直りにっこりと笑みを浮かべた。この後に続く言葉なんて想像が付いている。
「ああでも窒素なんて言ったら、深有紀さん怒っちゃうからやめなよ」
「聞こえてたのか」
「ううん。なんとなく。さ、お皿出してね」
さすが波子だと頷いて、彼は食器棚の取手を握った。私はその背中から視線を逸らして、茹で上がったパスタをソースと懸命に絡める。最後に味見をしたら、完璧なアルデンテに仕上がっていた。真っ白なお皿に出来あがったパスタを移す。慌ててフォークを持ってきた英の目の前にゆっくりお皿を差し出した。今日は花粉が強いねとティッシュペーパーを引き寄せる。そうらしいねと律儀に答える彼の声を聞きながら鼻をかんだ。
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