第6話 斥候部隊

 カドヴォス帝国。

 オーガスタス・グリフィン・ウル・カドヴォス皇帝陛下の統治する大国である。


 大陸にある国家の中でも国土の広さは三大国に数えられ、軍事という点においては大陸一であると言える。

 四百年以上の歴史を持ち、六代目となる現皇帝陛下は長い歴史の中で最も大陸制覇に精力的であり、兵士の育成、戦術、兵器の開発にも積極的に予算を投じている。


 帝国には軍事訓練を目的とした学舎がある。徴兵などではなく、自ら兵士へ志願する者は年齢、性別関係なく軍へと配属される前に、この学舎で高度な訓練を受ける必要があった。


 学舎での訓練は教官によって評価され、その評価を基に最も適した配属先へと割り振られる。


 私が所属するカドヴォス軍斥候部隊第四隊は学舎でも各訓練で特別評価が高く優秀な者が配属される部隊だ。

 主に暗殺任務を多く割り当てられ、敵地へ潜入して情報収集や陽動、破壊活動など様々な仕事を熟す。隠形術、戦闘能力の高く、中でも容姿に優れた者が配属された少数精鋭である。潜入のために変装する事も多く、変装しやすいよう全員が体毛のほとんどを剃っている。


 斥候部隊第四隊に配属が決まってからは、通常訓練に加えて変装のための化粧術や演技訓練まで追加されたのは、それまでのものとは違った意味で非常に苦労した。


 学舎での訓練を終え、正式に部隊に配属された日。私はそれまでの名前を捨て、カーレと名乗るよう命令を受けた。これは一時的なものであり、場合によって何度も名が変わる。

 隊長のように家名を頂けるような地位になれば、それ以上変わる事はなくなるようだが、飽くまで我々は一兵士であり、国家に身を捧げるだけ…の



 カドヴォス帝国とユーリシア王国との戦争が本格化し、初めて数万人規模の大規模戦闘が行われたその五日前、私たち第四隊を含める各斥候部隊には周辺の状況確認が命じられていた。


 各自割り当てられた場所周辺を確認し、伏兵や罠の有無、敵の布陣、敵斥候の排除などを調べるという任務だった。

 調査を終えて本部へと連絡を行ったあとは、開戦まで命じられた場所で待機し、機会があれば指揮官の暗殺などを行う事になっていた。


 そうして間もなく開戦となったその時、戦場から少し外れた場所で何かが光ったのが私の目に映った。不審に思った私は離れた場所で待機する第四隊隊長グラーツェル・ラウド准尉に報告し、指示を仰ぐことにした。


「隊長、先ほどあの辺りで何か光ったように見えたのですが…」

「あぁ、私にも見えた。あの辺りは前もって確認していたはずだな?」

「はい。何もなかったことを確認しております」

「…間もなく開戦だ。何かあってからでは遅い。調査に行くぞ。何があるかわからん、念のため全員で向かうとしよう。カーレ、お前は私たちから離れて慎重に近づけ。もし我々に何かあった場合はすぐに離脱できるようにだ」

「はっ!」


 隊長が隊員を招集し、全員が謎の光が見えた地点へと調査へ向かう。

 私たち第四隊は全員が隠形技能を習得しており、極限まで存在感を薄くし、風景に溶け込むことができる。

 本来であれば、その場に留まり、息を殺している間しか使用できないような技能だが、習熟することで歩きながらでも効果を得られるようになる。

 私たちはそれをさらに昇華させ、僅かな時間であれば戦闘中であっても使用できるまでに熟達していた。その能力を使って私たちは慎重に現場へと向かう。



 光の見えた場所の近くまでたどり着くと、そこには前日調べた時には無かったはずの窪みができていた。どこか不自然なその窪みの中心には、男がひとり立っている。


 太陽に照らされて美しく輝く黄金の髪に、見たことも無いほど整った顔立ち。身に着けた衣服も初めて見るデザインだ。青を基調としたその服は各所に黄金の糸による美麗な模様が散りばめられ、もし買おうと思えば百万、二百万では足りないだろう。あまりの美しさに、迂闊にもその人物に見惚れてしまった。間違いなくどこかの高位貴族だろう。


 だからこそ何もかもが不自然だった。高貴な者であるならば、なぜ護衛や傍仕えもつけず、ひとりでこんな場所にいるのか?そもそも、すぐに戦が始まるというのに鎧の一つも身に着けていないのはおかしい。帝国にこのような人物がいるなど聞いたことはない。帝国の人間ではない以上、敵国であるユーリシア王国の人間である可能性が高い。


 隊長も状況を見て短い思考をした後、ハンドサインで「捕縛」を指示した。全員が頷き、徐々に包囲の輪を縮めていく。


 対象は隊長たちの接近に気付いた様子は一切ない。それでも油断せずある程度の距離を保ち、部隊内でも一番弓の扱いが上手い副隊長であるアルベイト軍曹が、弓を引き絞る。

 矢には麻痺毒が塗られており、人間相手ならかするだけで動けなくなるほど強力だ。直接当たっても死にはしないので、こういった対象の捕縛には重宝する。


 アルベイト副隊長が放った矢は、寸分違わず対象へと向かい。それが当たると思った瞬間…


―キンッ


 金属同士がぶつかったような音が響いた。

 いつの間に抜いたのか男の右手には儀礼剣のように装飾の施された美しいロングソードが握られており、男の足元に落ちていた真っ二つになった矢から遅れて事態を把握した。


 信じられない事だが、あの男は私たちが気付けないような僅かな間に、腰の剣を抜きアルベイト副隊長の矢を切ったのだ。


 それを理解した瞬間、ブワリと全身から嫌な汗が噴き出す。その圧倒的な技量の一端を見て、脳が全力で警鐘を鳴らし始めたのだ。

 隊長たちも私と同じく、男を危険と判断したのだろう。私以外の全員が男に向かって一斉に矢を放った。

 既に捕縛は二の次となっており、全員が男に矢を当てることに重点を置いていた。いくら致死性が低いと言っても、あれだけの矢が刺されば死ぬ可能性の方が高い。一射したあとは、位置特定をさけるため各々が移動し二射目を放つ。それを数度繰り返し、手持ちの矢を粗方打ち尽くして、ようやく矢の雨が止む。


「…ぅそ…」


 思わずそんな声が漏れた。男はあれだけの矢の雨を、剣一本ですべて撃ち落としていたのだ。衣服に乱れすらなく、涼しい顔で立っている姿は美しく、その冷静な立ち姿が何より恐ろしく映った。


 私たちの動揺をしり目に、男は唐突に構えを取った。あの距離で剣を構えて何をするつもりなのか、疑問に思いつつも気を引き締める。


 あの男がどう動いても対応できるよう身構えた私は、次の瞬間凍り付いた。男がその場で切り上げるような動作をした次の瞬間、ベチャリと音をたてて胴体が半分になってしまった隊長が倒れた。


 私はその光景を呆けたように眺めていた。今目の前で起こっていることが理解できない。明らかに剣など届かないはずの場所からどうやって隊長の身体を真っ二つにできるのか。


 それでも副隊長たちが動けたのは普段の訓練のおかげだったのだろう。副隊長は瞬時に状況を判断し、私に「動くな」と指示を与え、自ら囮になるようにワザと目立つようにしてその場を離脱しようとした。男の目には副隊長が怖気づいて逃げようとしたように見えたはずだ。


 しかし、男はそれに何の感情も見せることなく、隊長を切った時と同じようにその場で剣を振るう。

 次の瞬間には副隊長や私の同僚であるリーリアとシトリーの三人も何かに切り裂かれたように胴体を分断され地に伏した。


 内心の恐怖を押し殺し、隠形術に全力を注いだ。副隊長たちが隠形術を解いて逃げたのは自身を囮として私を本部へ帰すためだ。ならば私は何とかしてこの場から生き延びなけらばならない。

 下手に動くのは危険だ。隊長は攻撃中も隠形術を解いていなかったにも関わらず殺されてしまったのだ。動けば見つかる、そう考えたほうがいいだろう。


 だが、私の考えは甘かった。男はいとも簡単に私を見つけ出し、まっすぐにこちらへ歩いてきたのだ。気づかれているのが明白な今、私にできることは特攻しかなかった。


 男が私の射程距離に入った瞬間、暗殺用のナイフを抜き男へと襲い掛かる。男は私の攻撃を手首を掴む事で完全に止め、じっとこちらを見てくる。

 それに怯みつつも、男から離れようと残った左手で殴りかかるが、虫でも払うように切り払われてしまう。痛みを無視するように足での攻撃に切り替えてみるも、蹴りの形を成す前に異常な切れ味の刃は、何の抵抗もなく私の両足を切り落として見せた。


 こうなってしまえば逃げる事すら叶わない。せめて一矢報いようと口に隠していた毒針を食らわせるため、舌を器用に動かして蓋を外し、勢いをつけて噴き出した。


「―――っ?!」


 初めて驚いた表情をして、何かを言いながら男がその場から飛び退いた。掴まれていた右手首は放り出され、受け身も取る事ができない私はその場で無様に地面へと転がった。

 あれだけ至近距離であったにも関わらず、最後の手段である毒針すら失った。せめてもの足掻きとして男を睨むが、多くの血を失ったせいか視界がゆがみ力が抜けていく。


 程なくして私は意識を失った。



 その後起こった事はまさに奇跡と言うべき出来事だった。

 最初にグラーツェル隊長が生き返った。真っ二つになったはずの身体が傷一つない状態へと戻り、息を吹き返したときは信じられないような衝撃を受けた。


 この時すでに私は、目の前の男性に逆らう気持ちは失せていたのかもしれない。


 次に目の前の男性が副隊長たちの遺体を何もない場所から取り出した瞬間、隊長が生き返った時を思い出し、彼のお方が何をするつもりなのか思い至って思わず「ああ、神よ!」などと叫んでしまったのは仕方のない事だった。


 しかし隊長には私の気持ちがわからなかったらしく、未だ彼のお方に敵対心を持っているようだった。なんと愚かなことだろうか。「まずはこの場から逃げ延び、本部へ報告するべきだ」とか「あの男に洗脳でもされたのか」などと失礼な事ばかりのたまう隊長に、私はすっかり忠誠心が失せてしまった。

 目の前の中年は自分が彼のお方に生き返らせて頂いたのを忘れたのだろうか?


 いくら私があのお方の凄さを説明しても、この中年は全く取り合ってくれない。

「何を言っている!狂ったか?!」なんてことまで言われるほどだ。


 一方的に攻撃を仕掛け、敵対したというのに、このお方は私たちをお許しになった。無残な死体となっていた副隊長たちも当然のように生き返らせた。


 何より、簡単な質問に答えただけだというのに礼だと言って私の失った手足まで再生してくださったのだ。

 強大な力と寛大な御心を持ち、人間の生き死にまで自由にできるこのお方はきっと神に違いない。


 私の思いを裏付けるように、強大な怪物をも呼び出し使役していた。


「それじゃ俺は少しの間ここから離れる。その間に国へ帰るなりなんなり好きにすればいい。居ないとは思うが、もし俺について来たいという者がいればこの場で待っていろ」


 あのお方はそう言って、私たちに使用していた大地の拘束を解くと、雷を操る怪物を駆り、バサリと翼を広げた怪物は主を乗せて空へ飛んで行ってしまった。

 開放された私たちは、縛られたままだった隊長の拘束も外し、この後の行動について話し合う。


「…聞いていたな。早く帰還し、本国へと報告せねば」

「そうですね」


 などと中年隊長と阿呆な副隊長が話し始めた。あれだけ格の差を思い知らされておいてよくそんな考えに至るものだ。冷静に考えれば、あのお方の事を国に報告などすればどうなるか想像がつくだろう。


 味方に引き入れようとするか、脅威と判断して殺そうとするかだ。味方にしようとするならば、まだマシだが今までの帝国を考えるに懐柔できなかった場合はきっと強引な手を使うだろう。そうなればきっとあのお方の不興を買う。これは止めなければ!


「私は報告すべきではないと考えます」

「ふざけるな!あんな危険な存在を報告しないなどありえるか!」

「確かにあのお方は強大な力をお持ちです。ですが、あの力は敵対さえしなければこちらへ向かう事のない力でもあります」

「そんな保証はどこにもなかろう?!だいたいお前は先ほどからおかしいぞ!あの男の質問に簡単に答えおって…何を考えている?!」


 まさかこの中年がここまで冷静さを欠いて喚き散らすような人間とは思わなかった。アルベイト副隊長とリーリアは私の言葉で少し考える素振りを見せた。最年少のシトリーは既に考える事をやめている。最終的な決定に身を任せるつもりなのだろう。ある意味賢い選択なのかもしれない。もちろん私はあのお方について行くつもりだ。


 そんな不毛なやり取りをしている間にも時は刻々と過ぎていき、いよいよ中年が感情を爆発させそうになったころ、先ほど聞いたばかりの羽ばたくような音が私の耳に届いた。


 見上げてみれば、そこには雷を纏った怪物を悠然と駆る、凛々しいお姿の男性がこちらを見ていた。


 これは私にとっての転換期。この日私は「神様」に出会ったのだ。

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