第12話
鹿沼市、某所。
日光市の隣にある市だ。
鹿沼市の一角の山林は、ある富豪がまるごと土地を買い取って別荘を建築していることで地元民の間では有名だ。
富豪は5桁の社員を抱える企業グループを興した一族であり、こんにちに至ってもその業態を維持し続け、じわじわと拡大させ続けている。
マンモス企業の取締役であるからして、山林のひとつやふたつを個人で買い上げる程度、まったく問題は無い。
その山林の山頂……というのは大した標高ではないが、そこには一軒の洋館が建っていた。
造りは見事というほかなく、いったいいくら支払えばこんな洋館を建築できるのか、もはや一般人には想像もできない。
ただ、億以上は確実にするのだろうな、ということだけ。
「立派なものですね」
洋館の応接室。
昼下がりなのでまだ日も傾き始めてすらいない時間帯。
大きな窓からは外の明かりが差し込み、部屋の中を明るく照らしていた。
内装もまた豪奢の一言。
かなりの金がかけられていることが分かる。
たとえば今腰かけている高級な革張りの応接セットも、このセットだけで新車が一台買えるくらいだったとうっすらと記憶している。
この洋館の主である、勝呂(すぐろ) 松鷹(まつたか)は執事に指示をしただけで、詳細など把握していない。
ただ、長年生きてきた審美眼が、物を見ただけで大雑把に値段を見極めてくれるだけだ。
「いえいえ。この程度、あなたのお爺様のお屋敷に比べたらとても及びません」
勝呂は笑顔を浮かべ、対面に座る青年に返答する。
これは本心だ。
一度だけ青年の祖父の屋敷を訪れたことがあるが、正直度肝を抜かれた。
これほどの屋敷があるのかと。勝呂ほどの人物なら大抵の人間相手に経済力で負けはしないのだが、その時は完全に勝てないと思わされた。
勝負とはだいたい同じレベルにあるからこそ勝負として成立する。
勝呂も日本有数の富豪であると自負しているが、相手が悪かった。格が違いすぎて嫉妬すら起きなかったのだ。
「して、芦谷殿が警備をしてくださるそうですが……」
別荘を訪れたのは芦谷 正義。
勝呂が知る限り日本でも最高峰の陰陽師、安部陽亮の孫である。
祖父同様陰陽師、そして退魔師としても非常に優秀と聞いている。
今回正義が勝呂のもとを訪れたのは、安部陽亮からの指令とのことだった。
詳細は聞いていない。勝呂に連絡をしてきたのは退魔師協会であり、内容もただ正義が来る、ということだけ。
警備、というのも先ほど正義から直接聞いたことだった。
ただまあ、詳細をこれから知ることになる、という点について、勝呂はむしろそれがありがたいと感じていた。
誰がどこで聞いているか分からないのだ。
勝呂は決して清廉潔白というわけではない。こうして勝ち続けるためにはほめられたものではない手段も講じてきた。
故に味方も多いが敵も多い。
盗聴や情報漏洩を警戒をするのは当たり前というものである。
「ええ。祖父の命により、本日よりこちらで警戒態勢に入ります」
「ふむ、安部殿のお話であれば問題はございませんが……理由をおうかがいしても?」
安部陽亮は、勝呂をして機嫌を取りへりくだるべき相手。
その安部陽亮の意向で正義が来たのならば拒む理由は一切ない。拒むなどという恐ろしいことはできない。
ただ、何故そのような話になったのか、その理由が気になるのは人情というものだろう。それはきっと、この場にいたのが勝呂でなくてもそう思うはずだ。
「もちろんです。先日、当家より妖怪を購入いただきましたね」
「ああ、はい。確かに買わせていただきましたが……」
勝呂は、地下に繋いでいる妖怪のことだとすぐに思い至る。
少し前に安部陽亮所縁の者からの売り込みを受けて購入した。
金額は覚えていないが、数億から10数億だったはずである。
あれはいいものだ。
人間よりはるかにタフなので、普通の女にしたら確実に殺してしまうようなことをしても、そうそう深いダメージにはならない。
いい買い物をした。なのでできるだけ仕事に合間ができるように調整し、この別荘に頻繁に来れるようにしている勝呂。
どうやら、その妖怪の娘に関わることらしい。
「商品の調子はいかがですか?」
「それはもう。すこぶる順調です」
長持ちさせるにはどうするか、安部家の者にマニュアルをもらっている。
はした金とはいえ、億単位の金を出しているので、勝呂は妖怪の娘を管理している部下にそのマニュアルを厳守させていた。
「昨晩、その商品を管理していた倉庫が襲撃を受けまして、強奪されてしまったのです」
「なんと……」
勝呂は信じられない、という感情を隠せなかった。
数多のビジネスの現場で笑顔の裏に本心を隠してきた熟練の狸である勝呂が。
彼にとってはそれほどのことだったのだ。
まさか、安部陽亮に喧嘩を売る者がいようとは。
知っていてやったならそれは蛮勇ですらない。ただの自殺志願者だ。
知らずにやったのならば、無知は罪である。知らないからと許される話ではない。
どちらであっても、勝呂からすればその下手人は愚か者としか言いようがなかった。
「犯人はおそらくあなたに販売した品物も奪いに来る可能性が高いと、お爺様はお考えです」
「なるほど、それで」
得心した勝呂に、正義は頷いた。
「はい。良きお客様である勝呂様へのアフターケアのため、僕が派遣された次第です。ああ、無論費用は発生しませんのでご安心を」
「ありがたいことです」
そう、本当に。
それが建前であろうと、裏に別の目的があろうと構わない。
正義に警護してもらえるならこれほど心強いことはなかった。
そもそも、勝呂は安部陽亮に文句はおろか、意見すらいえる立場ではないのだ。
勝呂はすぐに次に向けて動き出す。
「それでは二部屋ご用意いたします。この館に滞在中はそちらでお過ごしください。また、使用人をつけますので何かあればその者に……」
「ああ、ご配慮ありがとうございます」
「とんでもない。この程度当然というもの。是非、滞在中はご遠慮などなさらず」
「お言葉に甘えさせていただきましょう」
正義との話はこれで一区切り、というところだ。
青年の後ろに1人男が立っている。正義の護衛か付き人というところだろうと、これまでは視界にも入れていなかった。
しかしここまで話が固まったなら話は別。勝呂は正義はもちろん、もう1人の方にも部屋を用意する。
少々身なりはだらしないが、ただものではない雰囲気は素人の勝呂にも感じ取れる。
退魔師として腕が立つならば、身だしなみなど少しは目をつむってやってもいい。へりくだりとおべんちゃらばかり一流で退魔の力が二流よりはよほどマシというもの。
勝呂はその辺りは柔軟なたちだった。
鈴を鳴らし、入ってきた執事に一階の客間を二部屋整えろと命令した。
費用は発生しないと正義は言った。正義を派遣してもらったら、1日当たりかなりの値段がかかる。彼の退魔師としての腕前を考えれば当然の報酬額を支払う必要があった。
もちろん彼の護衛、付き人についてもそうだ。正義にわざわざ付けられるくらいだから、平均レベルで収まる実力ではあるまい。その彼の分も当然支払うことになる。
それを考えれば、部屋を2つ用意して滞在中のもろもろをこちらで持つことなど、勝呂からしたら痛くも痒くもない。
恩とまで思ってもらう必要はない。勝呂としては、正義……ひいては安部陽亮に悪感情を抱かれる確率が減れば大儲けだ。
後は、彼らの役に立つよう、館の人間に指示を出すことだけだった。
◇
「止まれ」
いつものごとく石の狐像に止められる。
恭平の方も、声がかかる直前に足を止めたので、慣れたものだ。
「名を名乗り、要件を言え」
「安生恭平と申す。貴家のご当主様の依頼の件にてご相談があり、参上した」
「約束はない。今確認を取るのでしばし……許可が下りた。通ってよし」
「感謝する」
機械的でもあり、生きているようにも感じるこの狐像。
妖怪の一種か、はたまた。
「式神じゃな」
「式神か」
だから、機械的で生きているように感じたわけか。
これをつくりだしたのは間違いなく玉藻の前。
ならば、生きているかのように感じさせることは訳はないはずだ。
恭平と木ノ葉、並んで屋敷に近づいていく。
いつもならそろそろ厭離が出てくるはずだ。
そう思ったところで。
『どうぞ、上がってくださいな』
玉藻の前の声が響いた。
「ふむ、見ていたようじゃな」
「そうだな」
一拍遅れて厭離が姿を見せる。
「玉藻の前様はあのように仰せだ。案内する」
それだけを言って、襟立衣は踵を返す。
相も変わらず愛想も無ければ会話も無い男だ。
恭平と木ノ葉は外履きを脱いで襟立衣に続く。
案内されたのは、いつも恭平が通される応接間だった。
和室の襖の前で、厭離は膝をついてこうべをたれる。
直接姿は見えていないはずなのに、まるで目の前にいるかのような最大限の礼だった。
これもまた、厭離にとっては当たり前のことで、何度かこの屋敷に来ている恭平にとってもいつものことである。
「玉藻の前様。お客人をお連れしました」
「入ってもらってくださいな」
「はっ」
厭離は恭しく襖を開けた。
応接室には既に玉藻の前がおり、彼女の対面には座布団が二枚置かれていた。
恭平と木ノ葉は応接間に入ると、それぞれ座布団に座った。
「厭離。もう下がってよろしいですわ」
「はっ。後程茶をお持ちいたします」
「いいえ、それも不要ですわ。仕事に戻って結構です」
「承知いたしました」
柔らかい口調だったが、何故か絶対的な命令に聞こえた。
厭離は丁寧に襖を閉めると去っていった。
「ふふふ、お待ちしておりましたわ」
玉藻の前はいつもの通り妖艶なたたずまいだ。
特別なポーズをとっているわけでも、色目を使っているわけでもない。
ただそこに在るだけで、周辺に漏れているのだ。
恭平は今日もまた、彼女の色香に持っていかれないように気の抜けない時間が始まる。
ただひとつ気付いたことは、横にいる木ノ葉の、なんというか存在感というか雰囲気が、決して玉藻の前に負けていないということだ。
妖怪の格としては玉藻の前の方が圧倒的に上。分かり切っていること。
この日本に、玉藻の前に比する存在など十人もいないのだ。例えば大江山の鬼。例えば大嶽丸。
もはや一般人相手でさえ説明の必要もない超有名どころだ。
そういった妖怪でしか玉藻の前とは比することさえできない。いわんや狸妖怪でしかない木ノ葉が比するなどありえないはずである。
だのに木ノ葉の存在感が負けていないのはどういうことか。
「ふふ、それはね、彼女は千年以上を生きる妖怪だからですわ」
「女の歳をみだりに口にするでない」
「何を仰いますやら。今更年齢などどうとも思っていないくせに」
「それとこれとは話が別じゃ」
と、姦しいやり取りが行われているが、恭平は驚きでいっぱいだった。
千年?
動物が妖怪に昇華しただけの、狸妖怪が、千年も生きている?
到底信じられる話ではない。
いや、寿命という観点で言えば、妖怪はほぼ永遠の命を得ていると言っていいので、千年生きることはありえなくはない。
しかし、不老ではあるが不死ではない。
妖怪とて殺され消滅することはままある。
そう、ついこの間、恭平がその手で猫又を斬り捨てたように。
動物が元になった妖怪は、格としては下の方に位置する。
つまり他の妖怪や退魔師に目を付けられれば、消滅の憂き目に遭う確率は非常に高い。
長く存在することは困難と言ってもいいだろう。
そんな中で、千年以上とは。
「これ以上は、ご本人と仲良くなってお聞きになると良いでしょう」
「まったく……。おぬしはたちが悪いの」
「性分ですので。ご勘弁を」
くすくすと笑う玉藻の前に、木ノ葉は処置無しと首を左右に振った。
このやり取り。どうやら二人は知己であったらしい。
「まあよい。本題に入らせてもらおうかの」
「ええ。ある程度の報告は受けておりますわ。お疲れさまでした」
「うむ、話が早くて結構なことじゃ」
まあそれは分かる。
玉藻の前の目と耳が及ぶ範囲は正直尋常ではない。
どうしてそんなところの話を、そのタイミングで既に事細かに知っているのか。
恭平がそう思わされたことは一度や二度ではない。
事件が起きた一時間後には、既に関係者しか知らないことまで知っていたりすることも多々あった。
「囚われの子たちを無事に救い出せたことはとても喜ばしいですわ」
「そうじゃな」
木ノ葉と玉藻の前の話は続いている。
さて、恭平もそれを黙って聞いているだけ、とはいかない。
彼も玉藻の前に伝えねばならないことがあるのだ。
玉藻の前の目と耳をもってすれば承知のことであっても、恭平が尋ね確認し回答を得た、という事実が必要になったりする。
例え口頭だけであっても玉藻の前から答えを得たか得てないかでは非常に大きく違う。
恭平の本番はここからである。
妖縁~あやかしえにし~ 内田 健 @tuchida
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