第11話

「よし、休憩だ」

 恭平は手にしていた書類を放り投げ、勢いよく立ち上がった。

 年季が入ったソファの前に置いてあるこれまた年季が入ったガラステーブルは、既に大量の紙の山。

 戦利品である書類の確認。

 売られてしまった妖怪に関する情報がないかと持って帰ってきたものだ。

 シャワーを浴びて朝食を摂ってからすぐに木ノ葉と共に取り掛かったものの、正午を回っても成果はゼロ。

 それに対して、まだ目を通せていないファイルがいくつもある。

「うむ、良かろう」

 対面のソファに腰かけていた狸妖怪の美女木ノ葉は、モノクルに軽く触れて笑った。

「さすがに成果なしというのは気が滅入るものよな」

「それな」

 伸びをして、座りっぱなしで凝った身体を解す。

 そもそもがあの工場の通常業務で使われていた資料ばかりだ。

 発注書や受領書、といった書類が大量にある。

 それはそれで何かのヒントというか偽装が無いかとチェックは怠れない。

 そう思いながら書類とにらめっこすること数時間。

 さすがに何も発見が無いとなると、木ノ葉の言う通りモチベーションを保ち続けるのもなかなか難しい。

「儂がいてよかったじゃろう」

 本当にその通りである。

 昨日は断る間も無く泊めることになってしまったが、今思えばありがたいことこの上ない。

 1人で延々とやり続けるのはしんどいものがあっただろう。

 木ノ葉と取り組めたことで、確認スピードは上がったりはしないが、集中力は保てたと恭平は思う。

 後は、シンプルに2人力ということで処理する枚数が単純に増えている。

 もっとも恭平が2枚処理する間に、木ノ葉は3枚処理している。

 それも恭平が全力で向き合っていたのに対し、木ノ葉は割とのんびりと、だ。

 こんなところからも、人間と妖怪の基本的なスペックの差が見て取れる。

 つい張り合っていたら「根を詰めるのはほどほどにしておけ」と木ノ葉に言われたくらいだ。

 大詰めでもなければ、何かヒントがあって関連資料を探さなければ、という状態でもない。

 確かにだらだらとやっている余裕はないのだが、かといって焦燥感に駆られて見落としては本末転倒。

 なので、ここいらで気分転換をするのだ。

「ちょっと出かけようか」

「うむ。それもいいじゃろうな」

 昨晩助け出した妖怪たちはどんな状態か。

 地下牢に閉じ込められていて、ひさしくお天道様を拝んでいないだろう。

 昨日の今日ではあるが、外に出れば日差しが見える。

 それはきっと、妖怪たちが自由の身になったことを実感させてくれるはずだ。

 救出後、巧磨たちに任せてしまった。

 事情があったとはいえ、最後まで面倒をみられなかったことが少し引っ掛かっていた。

 一夜明けてどうなったか、様子を見に行くのもいい。

 さて……と言いながら木ノ葉も立ち上がった。

「儂もついていくとしよう。行きたい場所があるからの」

「分かった」

 予想通り。

 そもそもが木ノ葉の依頼。

 救助対象を気にかけるのは当たり前の話だ。

 そして、渡りをつけてもらった相手に顔を見せるのも。

 ちょうど昼過ぎなので、お昼休憩も兼ねてしまおうか。

 恭平と木ノ葉は出かける準備をすると、連れ立って車に乗り込むのだった。



 地元民の知る人ぞ知る駐車方法で車を停めた恭平は、木ノ葉と共に巧磨のところへ向かう。

 駅前にある雑居ビルの地下。

 降りた先には3つの扉。

 真ん中の、「One・サンシャイン事務所」という看板が掲げられているグレーの金属扉だ。

「ふむ」

 初めてここを訪れた木ノ葉は、左右の扉を見てどういう店なのかおおよそ察したようだ。

 先日と同じく、恭平は特に気にせずに扉を開けた。

「ん? ああ、恭ちゃんね」

 ドアを開けた音に応えるように、これまた先日と同じ人物からの返事。

 またもパーティションの向こう側にいるようだ。

「おう。昨日ぶり」

 木ノ葉を伴って進んでいくと、パーティションの向こうにいたのは美岬である。

 前回……というより、いつ訪ねてもほぼ確実に美岬はここにいる。

 いつも通り、彼女はたばこを吸っていた。

 実質彼女のテリトリーなのだ。

「様子を見に来たのねぇ~」

 主語ゼロだが、何を指しているのかは分かっている。

「ああ。助けはしたけどその後まかせっきりだったからな」

「ふぅ~ん、律儀ねぇ~」

 のんびりとした口調で、美岬は木ノ葉に目線を向けた。

「……あなたが依頼者なのよねぇ~?」

「そうじゃ。今回は世話になったな。感謝するぞ」

「いいのよぉ~。助けになれてよかったわぁ~」

 そう言って、美岬はたばこの先で奥の方を指し示した。

「昨日助けた子たちは向こうにいるわよぉ~」

 様子を見に来たんでしょう? と聞かれ、恭平は頷いた。

「何も無いんだよな?」

「そうねぇ~、だいぶ落ち着いてきてるわよぉ~」

 何か問題があれば連絡があったはずである。

 恭平が寝落ちていようと容赦なく。

 疲労困憊で寝てはいたものの、着信があれば気付く。

 のだが、結局朝になってスマホを確認しても何もなかった。

 問題がなかったと判断し、こうしてゆっくりと出てきたわけだ。

「ならよかった」

「うむ、そうじゃな」

 予想通り、美岬からは問題は無いとの返事。

 それならいいのだ。

 恭平と木ノ葉は少し奥に進み……休憩スペースでリラックスしている6人を見つけた。

 一夜明け、助け出されたことが夢ではないと実感できたのだろう。

 飲み物を飲む姿は落ち着いていた。

 それぞれ近くにはこの事務所に勤める妖怪の嬢がついており、ケアも万全といったところか。

「おう、来たか」

 横合いから呼ぶ声。

「巧磨」

 鬼と人間の半妖で、Oneとサンシャインの店長でもある巧磨である。

 いつもなら寝ている時間だが、今日は起きていたらしい。

「寝てないのか?」

「あ? 別に寝なくても問題ねぇよ」

 妖怪は人間と比べものにならないほどタフだ。

 それは半妖でも変わらない。

 この巧磨も、1週間程度なら一睡もせずとも健康になんら影響は出ない。

 ただ寝るのが好きなので、何も無ければ毎日睡眠をとっているようだが。

「それもそうか」

「うむ。大事なさそうで何よりじゃ」

 木ノ葉は助けられた娘たちを見やり、そう言った。

 老獪で腹芸などお手の物である木ノ葉だが、この言葉ばかりは心からのものであると、恭平も巧磨もすぐに理解できた。

 巧磨の案内で、恭平と木ノ葉はそばにあった会議室に入った。

 4人が打ち合わせできる小さな会議室だ。

 席に座って腰を落ち着けて、巧磨は続きを口にした。

「立派なもんだ、存外タフだぜ」

 心に傷を負っていないはずはないが、それを差し引いてもタフであると言っていいだろう。

「そうか。預かってもらえたこと感謝する」

「いいってことよ」

 気にするな、と巧磨は笑う。

 スカッとした反応だった。

「……クライアントさんよ、これからどうするんだ?」

 だが、巧磨の厚意に甘えてばかりもいられない。

 助け出したい、と言ったのは木ノ葉である。

 その依頼に従い救助し、今は一時的にここで預かっている形だ。

 彼女たちの扱いをどうするのか、それは依頼主である木ノ葉の要望に沿うのが当然のことである。

「ふむ、そうじゃな……」

 恭平が預かるのは無理がある。

 彼の家の広さを自身の目で見た木ノ葉はそう判断した。

 少々強引に上がり込んだが、恭平が預かれるかどうかも見るためだった。

(玉藻の前殿に頭を下げればどうとでもなろう……)

 貸しを作ることになるが、自分で尻を拭うつもりだったのでそれは構わない。

 一時的にここで預かってもらい、落ち着いたら玉藻の前のところに連れて行くのがいいだろう。

 その間、彼女らの滞在費用を支払えばいい。

 そのようなことを考えていた木ノ葉であったが。

「……オレが引き取ってもいいか?」

 巧磨は、6人増えることをなんら負担ではない、と言外に言い切った。

 こうして店を2店舗持っている巧磨なので、普通よりは金も持っている。

 だが、決して富裕層、というわけではない。

 それは恭平も良く知るところだ。

 もっとも、付き合いの浅い木ノ葉は知らないのだが。

「巧磨。けどそれは」

 まだ木ノ葉から答えを聞いていない恭平は言いよどんだが、巧磨は手をかざして彼の言葉を遮った。

「恭平、オレのこの店、何のためにあるのか知ってるだろ?」

「それは知ってるけどな……」

 恭平と巧磨の会話から、木ノ葉はある程度の事情を察することができた。

 そう、巧磨がこの店を開いたのは、妖怪が金を稼げる場を提供するためだ。

 人間界で店を開いて妖怪を保護する。

 それは素晴らしい理念と信念であると手放しで賞賛できること。

「ふむ、良いのか?」

 ただし、理想や想いだけで保護はできない。

 生きるのに先立つものは必要である。

 それは人間であろうと妖怪であろうと変わらないのだ。

 できないことをできると言うべきではない。

 そういう思いから尋ねてみたのだが。

「問題ねぇ。どうとでもできるし、どうとでもする」

「……そうか」

 決意は固そうだ。

 一度言い出したら聞きそうにない。

 巧磨との付き合いは短い木ノ葉だが、彼の目を見ればそれはすぐに理解した。

 一方恭平は知っている。

 巧磨が一度懐に入れた相手はどうあっても保護し続けると。

 彼の元から自分の意志で去ろうとしない限りは。

「そんなつもりで一晩預けたわけじゃないことは分かってるよな?」

「当然だろ、見くびんなよ?」

 あくまでも巧磨個人の意志であり思いであり希望である。

 その姿勢を、この半妖は崩さなかった。

 恭平は下手を打った、とため息をついた。

 こうなる可能性はあった。

 しかしあの時はそこまで頭が回っていなかったようだ。

 恭平自身はまだまだ平気だと思っていたのだが、自分が思っていた以上に疲労していたらしい。

(疲れていたことにも気づかないほど疲れてた、ってことだよな)

 仕方ない。

 恭平自身は彼女らを引き取る余裕はない。

 まさかたった一晩で懐に入れると言い出すとは思っていなかったのだが、読みが甘かったのだ。

「儂としては、彼女らは玉藻の前殿に住処を用意してもらうつもりじゃったのだがな」

 ただあの場所から連れ出しただけではない。

 当然、行く末まで責任を取るつもりであった。

 玉藻の前。

 この辺り一帯の妖怪の親玉というのが正しい。

 もちろんだが、巧磨もその名は知っている。

 この店も、巧磨が気付いていないだけで当然玉藻の前から大なり小なり庇護を受けていることだろう。

 巧磨に、玉藻の前を頼るつもりはない。

 ないのだが、この店を構えるにあたってどこかで玉藻の前の手が伸びているというのは、恭平と巧磨の共通認識である。

 妖怪が最後にたどり着く地を設けた玉藻の前だからこそ、巧磨の理念に賛同しないはずがない。

「本人たちが選ぶんなら、そっちでもオレは文句はねぇよ」

 助けた妖怪たちが今後を平穏無事に過ごせるのなら、その場所を提供するのは別に巧磨自身でなくとも構わない。

「なるほどの」

 そのセリフが巧磨の本心であると理解した木ノ葉は、それ以上は何も言わなかった。

「ただまあ、今すぐそれを聞くのは勘弁してやってくれねぇか」

「当然じゃな」

 落ち着いているのは分かる。

 ただ、昨日の今日だ。

 それが表面上だけだというのも、また分かり切ったことだった。

 木ノ葉は懐からお金を取り出し、デスクの上に置いた。

「娘たちの滞在費用じゃ。身の振り方を決めるまでは、一時預かりという形をとってもらおうかの」

「……ああ、分かったぜ」

 少し間があったものの、巧磨はそのお金を受け取った。

 どこの世界でも、クライアントの意向が最優先されるというのは変わらない。

 人間だろうと妖怪だろうとだ。

 巧磨としては6人全員を引き取るつもりだったが、そうはならない可能性もあると最初から分かっていた。

 ただ、一度懐に入れてしまった以上、彼女らをここから出すのは若干気が進まなかったというだけだ。

 玉藻の前を頼るという木ノ葉の言葉に嘘はないだろう。

 それに、木ノ葉の言っていることは、当人たちの意志を尊重しよう、というものだ。

 至極まともなことである。

 巧磨が努めて割り切ろうとしていることが、恭平には手に取るように分かった。

 この店の理念は、妖怪が生活の糧を得て暮らしていけること。

 もっと言えば、妖怪が幸せであることなのだ。

 かかわった妖怪が幸せに暮らせるよう努力を惜しむつもりはない巧磨だが、その一方で、幸せに暮らせるのならばそれを成すのが巧磨でなければいけない、ということもない。

 そこの割り切りをする姿を、恭平はこれまで幾度か見てきたのである。

「ま、ともあれ大丈夫ならいいんだ」

 話がひとまず着地したと見た恭平は、そう言ってこの場を締めることにした。

「ああ、それは心配すんな。オレはもちろんだけどよ、他の連中もほっぽりはしねぇからよ」

 そこは心配していない。

 少女たちにとっては、ここは恭平が用意できる最善の場所のひとつなのだ。

「じゃあ、俺たちはそろそろ行くよ。例の件は頼むぜ」

「任せろ」

 恭平が立ち上がりながら言うと、巧磨もニッと笑った。

 そう、これで終わりではない。

 巧磨には情報収集をお願いしてあるのだ。

 それは、今朝から恭平と木ノ葉が立ち向かった大量の書類チェックと同じこと。

 その手法が違うだけである。

 馬鹿にならないものだ。

 人のうわさというのも。

 それに何度も助けられた恭平は、今回もまた巧磨を頼ることにしたのだ。

 もちろん、恭平はこれだけで手を止めるつもりはない。

 書類のチェックと夜の店のうわさ収集。

 これだけで探せるとは限らない。

 木ノ葉と玉藻の前のところに向かう。

 そこで、何かしらを得られないか、打てる手は打とうと思う恭平であった。

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