第10話
夜のとばりが下りている。
大きな、という言葉では言い表せないほどの見事な日本庭園。
夜の月明かりを浴びて、昼間とは違う幻想的な顔を誇らしげに見せていた。
ここは関東の東京都市圏内にある豪邸。
そう、豪邸。
つまりこの広大で見事な日本庭園は、国など行政が管理してるのではなく、個人の持ち物なのだ。
関東どころか日本でも有数の資産家であることは言うまでもない。
月光に染められた桜が浮かび上がる立派な日本庭園を、これまた立派な和のお屋敷の縁側に座り、眺める小柄な人物が独り。
何をするでもなくただじっと座って眺めている人物の後ろ、数歩分離れたところに、何者かがふと現れて跪いた。
跪いているのは黒いスーツを着込んだ中年の男だ。
首を垂れ、決して縁側に座る人物が視界に収まらないようにしている。
「お館様」
「なんじゃ」
中年の男への返答は、しわがれた声だった。
老人の男である。
老人は特別感情を表に出していない。
しかし、そのたった一言の返答からはすさまじい威厳が感じられた。
慣れていなければ、正面から視線を受けていないにも関わらず、委縮してしまいそうだ。
「ご報告がございます」
しかし、この中年の男には動揺などの感情の揺れがいっさいなかった。
慣れているようだ。
「話せ」
その言葉は重たく響き渡った。
大きな声を出していないにも関わらず、よく通る声だった。
「はっ。日光市にある妖怪調達設備が襲撃を受けました」
「ほう?」
怒りに滲んだ声が返ってくるかと想像していた報告者の男。
思った以上に穏やかかつ興味深げな声が返ってきて、一瞬虚を突かれて次の言葉を即座に紡げなかった。
「はよう続きを言え」
「はっ!? 申し訳ございません!」
謝罪の言葉もそこそこに、男はすぐに続きの話を始める。
これで機嫌を損ねてしまえば首が飛ぶ。
物理的に、だ。
「先ほど、当家が管理している妖怪調達設備に玉藻の前の手の者が押し入り、人員は全て殺害され、仕入れていた商品をすべて強奪されました」
「そうか」
「強盗犯については現在裏取り中ではございますが……」
「良い。犯人の見当はついておるわい」
「はっ……」
報告者の男にとっては、主人が分かっているのならば何も言うことはない。
お館様、と呼ばれた老人の愉快そうな感情があたりに漂う。
「ご報告は以上になります」
「下がって良い」
「はっ。失礼申し上げます」
報告者の男が下がる。
老人は庭園を眺めながら笑う。
嗤う。
「くかか……」
愉快だった。
愉悦だった。
ついに、来たか。
その思いが、老人の胸を満たす。
満たしてから、焦がした。
待った、待ったとも。
そう、10年単位で待ち続けたのだ。
ようやっと出てきた。
ようやっと張った蜘蛛の糸に足を引っかけた。
「いいぞ……やっと喰いついてきおった」
妖怪調達設備ははっきり言って餌の役がメインだった。
老人にとって。
餌としての役割を果たす傍ら、そのついでに妖怪が得られて金も稼げるならば一石三鳥、程度の位置づけであった。
正確な数には興味はなかったので覚えていないが、人員が数十人殺されたことも、必要経費と思えば安いもの。
与えられた当初の役割に従い仕事をしたのか否か。
重要なのはその一点のみ。役立たずに用はない。
役割はきっちり果たした。
実に気分が良かった。
「うむ。では、次の手で状態を見てみるとしようかのう」
老人は懐から鈴を取り出して鳴らす。
リーン……
リーン……
済んだ音が桜吹雪舞う庭園に響く。
その音が夜のとばりに完全に溶け込んでから、さらにしばしの時間が空いて。
「お呼びでしょうか、お爺様」
やってきたのは年若い青年。
まだはたちを迎えたか迎えてないかくらいの年の頃だ。
「来たか、正義(まさよし)」
青年の名前は芦谷 正義。
老人の孫だ。
「お前にひとつ仕事を頼みたい」
「はい。僕にできることならなんでも」
「うむ」
はきはきと自信をもって答える正義に、老人は満足げに頷いた。
「日光に置いていた妖怪調達設備が襲われて壊滅した」
「なっ……」
一瞬うろたえたようだが、正義はすぐに立て直した。
「それに関わることですね?」
「そうじゃ」
老人は懐から一枚の封筒を取り出し、無造作に指ではじく。
空中に舞い出た封筒は、ふわりと正義の前にやってきた。
老人が術で操作したのだ。
その程度のことはできて当然と分かっている正義は、封筒を受け取り。
「中を見てもよろしいでしょうか?」
と確認する。
「許可しよう」
「ありがとうございます」
老人の許可を得て、正義は封筒を開封する。
特に糊付けなどで封はされていなかったので、便せんを手早く取り出すことができた。
今は夜で周辺に特に明かりはない。
しかし正義であれば、月の光があれば十分だった。
「……なるほど、委細、承知いたしました」
「うむ。当家の取引相手じゃ。頼んだぞ」
「はい。必ずや」
正義は頭を深く下げ、老人の前を辞した。
再び、老人は独りになった。
「くかか……。逃がさぬぞ。ついにわしの糸は届いた……ほどけるとは思わぬことじゃ……」
独りになったが、満足げだった。
老人は笑う。
嗤う。
彼の名は安部 陽亮(はるあき)。
現代に残る、由緒正しき陰陽師一家の当主であった。
◇
ぼんやりとした頭で周囲を見渡す。
見慣れた光景。
自室なので当然だ。
「……」
カーテンもしめていないので、部屋は既に明るい。
恭平はベッドにいた。
その過程が、寝起きの頭では思い出せない。
何故、自分はベッドにいるのか。
軽く伸びをしてベッドから降りて、窓から外を見る。
徐々に頭が覚醒してきて、寝る前に何があったのかを思い出してきた。
「……そうだ」
昨日は工場を襲撃して、誘拐された妖怪たちを救出した。
そこではいくつもの戦闘を行った。
戦闘自体は速攻で終わる程度のもの。苦戦は特にはなかった。
しかし、何度も刀を振るったことで、肉体は疲労で限界だった。
どうにか意識を保たせて運転して帰宅。
数十分の運転時間が非常に長く感じたのを覚えている。
そして家に着いた時にはもうくたくた。
恭平はベッドに倒れ込み、意識がそのまま沈んでしまったのだ。
休息を欲する頭と身体でも、血で汚れた服ではいたくなかったのか、ジャージに着替えていた。
ぎりぎりの状態でがんばった自分を褒めてやってもいいだろう。
「よく事故らないで帰れたよな」
非常に眠かったが、居眠りはせずに集中して運転できた。
刀を使えば疲労することは分かっているのもある。
特に、まだ免許を取って半年も経過していないので、運転すること自体常に緊張しているのが一番大きな要因だろうか。
安全運転の賜物、というやつだろう。
慣れてくると無謀な運転をしがちである、車の免許を取得した直後に方々から注意されたことだ。
恭平のような初心者は、少々びびりながら運転するくらいでちょうどいいのだろう、きっと。
寝ぐせのついた頭をかきながら一階に降りる。
リビングに入る。
「おお、起きたか、恭平」
ソファには木ノ葉が座り、お茶を飲みながら紙を眺めていた。
何でここにいる?
一瞬固まってしまったが、彼女を車に乗せて帰宅したことをすぐに思い出した。
そして、木ノ葉が「泊まるぞ」と言っていたことも。
そういえば、彼女は寝床はどうしたのだろうか。
恭平は帰宅した後、ジャージに着替えるのが精いっぱいで即寝落ちしてしまった。
つまり、客人である木ノ葉の世話を一切しなかったのだ。
「……昨日はどこで寝たんだ?」
尋ねてみる。
客人用の布団はあるので見つけて自分で敷いて寝たのだろうか。
それならそれでいい。
人の家の押し入れを勝手に開けたり、勝手にお茶を飲むなどは普通失礼なことに当たるが、恭平はそんなことは気にしない。
自室以外ならば別にどうでもよかった。
まして昨夜はろくに世話もしなかったのだ。
自分でどうにかさせたことを謝りこそすれ、押し入れがどうの、お茶がどうのなどを指摘するのは筋違いである。
例えそれが押しかけられたのだとしても、最終的にそれを認めて泊めたのは恭平なのだから。
「このソファで寝たぞ。ああ、気にするでない。寝具などどうとでもなるわ」
そうだ。
そうだろう。
木ノ葉ならば。
とんでもない万能さをこれでもかと見せつけられたではないか。
それを考えれば、およそできないことはほぼないと思った方がいい。
彼女の言う通り、布団などどうにでもできてしまうに違いない。
「ああ、ついでに茶ももらっておるぞ」
「好きにしてくれていいぞ。……で、それは」
「うむ。昨日の戦利品じゃ」
やはり。
昨晩の現場からかっぱらってきた書類たちのようだ。
「何か見つかったか?」
「いや、つい先ほど見始めたところで、こいつが1枚目じゃ」
木ノ葉は手に持った紙を指で軽くはじく。
「手掛かりは何もないの」
「そっか」
1枚目ならば仕方あるまい。
いきなり見つかるはずもない。
そもそもこれを持ち帰ったことだって、ダメで元々、情報が一切ない可能性の方が高いのだ。
むしろ、普通の神経をしていればあんなところに重要な情報を置いて管理しているはずがないからだ。
恭平があの工場を管理運営する立場なら、別の場所に管理事務所を置く。
工場を襲われただけで一網打尽にされるようなことはしない。
「そう焦るな。まずは汗でも流してきてはどうじゃ? 昨日はそのまま寝たじゃろ」
「……そうだな」
気付いてしまったらもうダメだった。
身体がべたべたして気持ち悪い。
あんなに動いたのだ。
夜はまだ冷えるとはいえ、汗は大量にかいた。
木ノ葉の言う通り、シャワーを浴びてくるとしよう。
「じゃあ、風呂入るか」
「うむ。朝風呂もいいもんじゃ」
木ノ葉はふっと笑い、キセルを取り出す。
「おっと」
普段の癖で取り出したのだ。
祖母は喫煙者だったので、リビングからヤニの臭いがするのも、つい手が伸びた理由である。
ただ、恭平のことを知っているので、彼が未成年であることを思い出したのだろう。
「吸っていいぞ?」
「そうか?」
「遠慮しなくていい」
「では、ありがたく……」
喫煙具を取り出す木ノ葉を見やり、恭平は風呂を沸かしに行く。
「木ノ葉、朝飯はー?」
そういえば、と台所から思い出して聞いてみれば。
「うむ、相伴に預かるともー」
リビングからそんな返事が返ってきた。
ならば、と無洗米をセットし炊飯器のスイッチを入れ、味噌汁を暖める直前まで準備、更に冷蔵庫を見ておかずを確認する。
それをやっている間に、浴槽には半分以上溜まっていた。
あまり木ノ葉を待たせるのも申し訳ないと、恭平は妥協して風呂に入ってしまうことにした。
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