第9話

 まさに地下牢。

 たどり着いた最奥にあった部屋は、そう言い表してまったく大げさでないものだった。

 明かりは質の悪い蛍光灯が等間隔に並んでおり、薄暗い。

 等間隔に鉄格子で区切られた部屋が10部屋ある。

 ひとつひとつ見ていくと、それぞれの牢屋に押し込められているのは1人ずつ。

 なので6部屋が埋まっており、4部屋が空室だ。

 木ノ葉の事前情報の通りである。

 やってきた恭平たちを見ても、囚われの彼女たちは何が何だか分かってはいない様子だ。

 ただ、諦観と恐怖の中に、わずかばかりの希望を目に浮かべた。

「助けに来た! 今開ける! 巧磨!」

「任せろ!」

 巧磨は鉄格子に手を触れると、力ずくで破壊できることが分かったのか、そのまま格子を天井と床から引き抜いた。

 くの字にひんまがる鉄棒が、どれだけ力を加えられたかを物語っている。

 そこに閉じ込められていた妖怪たちは全員が憔悴してはいるものの、怪我はしておらず、また栄養失調で衰弱している様子もなかった。

「売り物じゃからな。きちんと管理されておった、ということじゃろう」

「傷物になってちゃ、売れねぇからか……ちっ」

 巧磨が舌打ちした気持ちがよくわかる。

 好事家に高値で売るため、きちんと管理されていたということだ。

 それはそうだ。商品状態が良くなければ満額では売れない。

 訳アリ商品となってしまえば、かなりの値引きをしないといけなくなってしまう。

 ここで傷物にされたり、健康状態を損なったりしていないのは不幸中の幸いだと言えるだろう。

 ……と、素直に受け入れられなかった。

 既に1人、好事家に売られてしまったことを知っている。

 彼女たちの無事は喜ぶべきことなのに、複雑な心境になってしまった。

「みな怪我などはないな?」

 木ノ葉に問われ、彼女たちは頷いた。

 皆年端もいかぬ少女たち。

 どれだけの間ここに閉じ込められていたのは分からない。

 妖怪故に人間よりは精神的には強い。それは間違いない。

 人間よりも「強い者が正義」という価値観が強いのが妖怪の世界だからだ。

 ただ。人間よりも強いからと、傷つかないわけではないことを、恭平は知っている。

 牢から出された彼女たちだが、言葉を発することも無く、また自己主張をすることもない。

 ただ、ここを出ようとする恭平たちに着いてくるのみだ。

「ある程度の、ケアは必要なようじゃの」

 先頭を歩く木ノ葉はそう呟いた。

 暴行を加えられたりはしていないようだが、さらわれて閉じ込められていたことで、心に傷を負っているだろうと木ノ葉は言う。

 とするとだ。

 この先はまずいんじゃないか、と恭平は思った、のだが。

「不要じゃ」

 特に気にした様子もなく、木ノ葉は地下牢を出ていく。

 先ほど恭平たちが倒した男たちの死体は未だ転がっていた。

 荒れに荒れ果て、いたるところが血の海だ。

 数多い暴力の後におびえてしまうのではないか、という懸念を抱いた恭平。

 しかし、その光景を見た少女たちは。

 むしろ安心したというか、胸がすく、と言わんばかりだった。

「……ああ、自分たちを捕まえてたやつが死んでスカッとした、ってところか」

「そういうことじゃの」

 これが人間の少女だったなら、死体と血の海を見て悲鳴の一つでもあげてしまうところだろう。

 もともと生きるために人間を喰らう妖怪も多かった。

 今でこそそこまで人を喰らわずとも生きられるようになってきたし、個体によっては生涯人を喰わないと誓った妖怪も出てきている。

 しかし本能の部分で、人間を食糧と思っている妖怪の方が圧倒的多数だ。

 それを考えれば、人間の死体や血を見ておびえたりはしないのが普通。

 どうやら、多少の心の傷があっても、いや傷があったからこそ、捕まえていた賊が報いを受けたことは喜ばしかったのだろう。

 恭平の懸念は見当違いだった、というわけだ。

 階段をあがり、廊下を抜けて外へ。

 既に戦闘音は聞こえなくなっていた。

 どうやら陽動部隊も既に掃討を終えて引き上げている様子だった。

 被害者の少女らを連れて、恭平たちは車を停めてある空き地にやってきた。

 そこには任務を遂行した別動隊の8人。

 全員多少の傷を負っているが、重傷者は1人もいない。

 無事なようで何よりだった。

「帰って来たか!」

「もう大丈夫よ」

「辛かったね、安心していいからね」

 口々に、誘拐されていた妖怪娘たちに声をかける姿を、恭平は少し離れたところから眺める。

 ここまで来てようやっと自分たちが解放された、安全な場所に来たということを認識できたのか、腰が砕けてへたり込んでしまう子、安どの涙を流す子が出始めた。

 特に協力に来てくれたメンバーに女性がいたことがいい方向に働いた。

 恭平と巧磨は男。木ノ葉は女性だが超然としていて安心感よりは緊張を覚えてしまう子もいただろう。

「じゃあ、彼女たちを頼んでもいいか?」

「おう、任せろ」

 横にいた巧磨に聞けば、彼は快諾してくれた。

 彼が持つ店のひとつはいわゆるキャバクラ。そこには当然女性が大多数を占める。また、その店の特徴から働いている嬢同士の結束も固い。

 任せて安心できるだろう。

「……おい、お前はどうするんだよ?」

 車に次々と乗り込んでいく誘拐被害者の少女たち。

 彼女たちを安心させるため、今回の襲撃に参加してくれた女性メンバーも同じワンボックスに乗り込んでいく。

 その様子を見ながら自身も撤収の準備をしていた巧磨は、恭平が動かないことに疑問を呈した。

「俺はもう少しあそこを調べてみる」

「あん?」

「売られた子の情報が残ってないかと思ってな」

「そういうことか……ダメ元だろ?」

「当然。でも、万が一ってことがあるからな」

 巧磨は粗野でともすれば野生の獣のようなところがあるが、決して阿呆ではない。

 察しはいい方だし、頭の回転も速い。

 なので、やっても成果が無い可能性が高いであろう、工場の調査について「ダメ元」と言ったのだ。

「まぁな。もしも残ってたら、なんてことがあったら悔いがのこらぁな」

 そうなのだ。

 もしもあったら、というのが常に頭をよぎってしまう。

 だからこそ、やれるだけやっておく、というのがいいだろう。

 ここが襲われたことは早晩持ち主に知られ、即座に隠滅が図られてしまうに違いない。

 明日の夜まで残っているか怪しいものである。

 やるなら今だ。

「……分かった。じゃあ、保護はオレが引き受けた」

「頼む」

 巧磨は踵を返し、後ろ手に手を振ってからもう一台のワンボックスに乗り込んだ。

 運転手を務める青年の妖怪が巧磨に一礼し、車に乗り込んで走り出す。

 そして二台のワンボックスが、恭平の前から消えていった。

「木ノ葉はどうするんだ?」

 まだ後ろに佇んでいた彼女に尋ねる。

 木ノ葉は微笑んだ。

「せっかくじゃからな。付き合うとしよう」

「そうか」

 これは彼女にとっても大切なことだ。

 ここに残っている時点で、そういう返事が来ることは分かっていた。

「じゃあ、行こうか」

「うむ」

 歩きながら、さて、と恭平は気合を入れなおす。

 ここからが大変だ。

 あの広いところを探すのだから、ある程度あたりをつけて動くべきだろう。

 どう考えても、全体を2人で確認しきるなど不可能だからだ。

「ところで、儂が残ったのにはもうひとつ理由があっての」

 鉄さびの臭いがかすかに漂う工場の目前までたどり着いたところで、木ノ葉がそんなことを言った。

 まだこの騒動に気付いて、こちらに向かってきている者はいない。

 ここの守備をしていた連中が持っていた銃火器には、ことごとくサイレンサーがついていた。

 まあ、隠れて誘拐という犯罪をしているのだから、そのくらいは当然である。

 それはさておき。

「もうひとつの理由?」

 なんだというのだろう。

 恭平が首をひねっていると、木ノ葉はぴん、と何かをはじいた。

「ビー玉?」

 ゆるい放物線を描くビー玉は、空中でふと停止する。

 どうやら、またしても木ノ葉のなんらかの術式が発動したようだ。

「……道を示せ」

 ビー玉に白魚のような指をそっと添えながら、木ノ葉は厳格な声で唱える。

 すると、ビー玉から一筋の光が、工場のある一点を指し示した。

 2階……あるいは3階か。

 方向を指し示したのち、ビー玉はさらさらと崩れて粉になり、風に乗って消えていった。

「今のは?」

「今この瞬間、儂が欲するものが近くにあれば、おおよその方向を示すものじゃ」

「…………そんなこともできるのか」

 恭平は2秒ほど言葉を失い、ようやくそう搾りだした。

 彼女がついてきた理由が分かった。

 闇雲に探しては時間がいくらあっても足りない。

 それをどうにかする手段があったからついてきたのだ。

 いや、この場合恭平からすればついてきてくれた、というのが正しい。

 恭平が見込んでいた手間を大幅に減らしてくれたのだから。

「それなりにな」

 正直、ここまで見てきた術を思い返しても、それなり、どころではないのだが。

 まあ今はそれはいいだろう。

 まずやるべきことをやる。

「2階以上か」

「うむ」

 先ほど侵入した際には立ち入る必要がなかったため無視した区画だ。

 恭平と木ノ葉は揃って、工場の中へ再度侵入した。



 2階はいくつか部屋はあったものの、木ノ葉の術で示された位置付近には部屋は無かった。

 よってそのままスルーし、ひとまず3階にやってきた。

「……ここか」

 術を起動した場所から線を引けば、ちょうどここだろうという部屋があった。

 プレハブ小屋のような、とでもいいのだろうか。

 恭平に工場の施設についての知識はないので、知っているもので例えるしかない。

 ともあれ、3階にそういった部屋があり、そこが目的の場所ということだけ分かれば十分だった。

 何者かがいる気配もないし、窓の外から内部を覗いても誰もいない。

 扉には鍵はかかっていなかったので、そのまま開けて侵入する。

 飲みかけのペットボトルや小腹を満たすための菓子が食べかけで置いてある。

「儂らが侵入したことで、押っ取り刀でかけつけた、というところか」

 恭平が斬り殺し、巧磨が殴り殺し、木ノ葉が呪い殺した敵の中には、ここにいた者もいたのだろう。

 入り口で部屋を見渡していた恭平は、ふと木ノ葉を見る。

 木ノ葉は天井の方を向いていた。

 その先に吊り下げられていた監視カメラが黒い煙を吹いている。

「これで時間稼ぎにはなろう」

 カメラのレンズは室内を向いているものと入り口を向いているものがあり、その両方が煙を吹いて壊れていた。

「多少映ったか?」

「いや、開ける前に壊した」

「そうか」

 透視でもしたのか。

 そのくらいはできてもなんら不思議なことはない。

 さて、映像記録が残らないのなら、心置きなく家探しができるというものだ。

 手近な机の前に立ち、引き出しを次々と開けて書類があればそれをカバンに入れていく。

 内容など見ない。

 時間が無いのだ。

 何が書かれているかの精査は後で行えばいい。

「まずは持ち帰るというわけじゃな」

「ああ。確認は後でやる」

「それがよかろ。どれ」

 木ノ葉はスチールキャビネットの中のファイルに次々と触れた。

 触れられたそれは葉っぱに変化していく。

 変化の術、というものだろう。

「うむ。これで嵩張らん」

 スチールキャビネットなので恭平よりもはるかに範囲は広く書類も多いはずなのに、片づけるのは圧倒的に木ノ葉の方が速かった。

 万能にもほどがある。

 ただの人間である恭平には、その術のあまりの便利さに、反則だ、とうならざるを得ない。

「これ。手を動かさんか」

「あ、ああ……」

 恭平も1個目の机は終わった。

 続けて2個目の机に取り掛かる。

 それもほどなくして片づけ終えて、最後の机へ。

 その上にはノートパソコンが置いてある。

 いくつかの処理をした結果、持って帰る価値はあると判断。電源を落としてモニターを閉じ、LANケーブルを引っこ抜いてアダプターをパソコンの上に置いた。

「これも頼む」

「パソコンじゃな」

 スチールキャビネットの掃除を終え何十枚もの葉っぱを持った木ノ葉は、パソコンも葉っぱに変えてしまうと、それらをすべて懐に忍ばせた。

 恭平は3個目の机を空にするところ。

「ふう」

 目の前の作業はすべて終えた。

 ここにあった、手掛かりになる可能性があるものはすべて回収し終えた。

「もう何もないかの?」

「そのはずだ」

「良かろう。ではとっととずらかるぞ」

「ああ」

 恭平としても長居はしたくない。

 さっさとここから立ち去るため、素早く1階に降りて工場を出ると、空き地に停めたままの軽自動車に乗り込む。

 おんぼろの相棒に鍵を差し込んでひねると、素直にエンジンがかかった。

「よしよし。いい子だ」

 今夜はエンジンが機嫌を損ねていなくて一安心だ。

 仕事を終えてさっさと現場から離れたいときに拗ねられるとたまったものではない。

 紙がたっぷりと入ってすっかり重くなったカバンを後部座席に置く。

「よし、出すぞ」

「うむ」

 木ノ葉が乗ったことを確認し、恭平は車を走らせる。

 街灯も無い真っ暗闇の田んぼ道を、ヘッドライトの明かりを頼りに駆け抜ける。

 しばらく走って、ようやく大通りに出た。

 大通りといても、まあ片側1車線の追い越し禁止道路だが。

 農道よりははるかにましというものである。

「……ふう」

 ようやくこれで、今夜の仕事は完了だ。

 ここまで来てやっと、恭平は肩の力を抜くことができた。

 潜入殲滅なんてやったのはいつぶりか。

 だいぶ久しぶりのことだったので、ガラにもなく緊張していたようだった。

(まあでも、俺以外にもたくさんいたからだろうな)

 おそらく、恭平1人だったら緊張などしていない。

 それは間違いない。

 何せ、しくじったところで失うのは自分の命。他人に迷惑などかけるはずがない。

 しかし今回は違った。

 恭平以外にも協力者が何人もいた。

 しくじって失うのは自分の命だけではない。

 それは、予想外のプレッシャーとなって恭平にのしかかったのだ。

「まあ、帰ったら寝るがいい。書類は明日にでも見れば良かろう」

「……ああ、そうするよ」

 売られてしまった妖怪を一刻も早く助けるためには、この書類はすぐに目を通して内容を確認し、何か得られる情報が無いか調査せねばならない。

 しかしそれも明日以降でいいという。

 まあ、身体を休めて万全の状態でいるのもプロの仕事、と誰かが言っていたような気もするし、遠慮なく休ませてもらおう。

 だいぶ刀を使ったので相当な疲労が溜まっている。今日はもう、帰って寝る以外のことはできそうになかった。これまでは、生死を分ける作戦の遂行中だったので、身体に鞭を打って耐えてきただけだったのだ。

「その代わりと言ってはなんじゃが」

「ん?」

「今宵は儂も泊めてもらうぞ。近くにいた方がすぐに始められるからな」

「ああ、いいぞ」

 木ノ葉の言うことはもっともなので安請け合いし、すぐに自分が何を言われ、何を了承したのかに思い至る。

「……はっ?」

「くっく、ほんに気が抜けているようじゃな」

 木ノ葉はくつくつと笑った。

 油断した。

 緊張から解き放たれたことで蓄積した疲労が一気に押し寄せ、頭がぼーっとしていたところを狙われた。

 木ノ葉は妖怪。

 話し方やたたずまい、そして態度から察するにかなりの時を生きた妖怪だと分かる。

 しかしその見た目は恭平よりいくらか年上なだけの、妙齢の美女だ。

 一縷の望みをかけて木ノ葉にからかわれたのだと恭平は思いたかった。

 しかしそれが儚い望みであったと、帰宅して家に上がり込んだ木ノ葉を見て悟ることになるのだった。

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