第6話

 翌日の午後。

 恭平は今日も待宵村の妖幻地区に来ていた。

 あのしんどい階段を登らなくてもいいのはありがたい。

 山の中にある村なので上下の移動はあるが、登山のような階段に比べればいかほどのものか。

 向かうのはいつもの店。

 恭平がこうして「何でも屋」を営む上で、欠かすことのできない店。

 店の名前は「無頼道具殿」。

 もう何度世話になったか覚えていないくらいには通っている

 こぢんまりとした平屋の引き戸を開ける。

 がたがたと滑りの悪い戸だ。ある程度力任せに引き、三分の一ほど進んだところでようやくスムーズに開いた。

「建付け悪いな。まだ直してないのか」

「やかましゃあ」

 声はカウンターの向こうから聞こえてきた。

「何用だ小僧」

 暖簾の奥にあるバックヤードからのしのしと歩いてきたのは、身長130cmほどのしわがれた中年の男。

 一瞬ドワーフかと見紛う姿だが、髭は生えていないので間違えることはないだろう。

 背は低いながらも筋骨隆々であり、まったくひ弱な印象は見せない。

 一張羅らしい作務衣が非常によく似合っていた。

 彼の名は無頼。

 この店を営む土精霊である。

「道具屋なんだから扉の建付けくらいすぐ直せるだろう」

「道具殿だと言っとろうが。冷やかしなら帰れ」

 不機嫌そうに腕を組む無頼だが、これが彼のデフォルトである。

 最初は戸惑ったか、そうだと分かった今では特に気にしない。

 なお、恭平が敬語でない理由は、無頼がそうしろと言ったからだ。

 最初は当然敬語で話しかけた。

 相手は数百年を生きる精霊だと紹介者に教えてもらっていた。

 年長者を相手する礼儀として敬語だったのだが、そういうのはいらないと初対面の無頼に言われた。

 敬語が無ければ表現できないとってつけた敬意など不要、とのことらしい。

 それ以来、仲の良い友人に対するような口調で話す恭平である。

 木ノ葉といい無頼といい、そういうのをまったく気にしない妖怪は結構いるのだ。

 なお、道具屋と言うと道具殿と訂正される。

 恭平からすると大した違いはないように思うのだが、道具殿という名前にこだわりがあるらしい。

「こっちだって用も無しに来るほど暇じゃない」

 先ほど届いたメッセージを確認する。

 巧磨からのものだ。

 明日の作戦に参加する有志が集まったそうだ。

 現時点で6人、まだ返事が来ていないのもあって多少前後するだろうが、多くなっても8人とのこと。

 実にありがたい。予想以上に集まってくれた。

 だからこそ、だ。

「護符を20枚頼みたいんだ」

 恭平はカウンターに銀行の封筒を置きながら言った。

「20枚か。何の護符じゃ?」

 安い買い物ではない。

 1枚3万5千円。1枚ならば普通に働いている会社員なら多少手痛い出費で済む、程度のものだ。

 ただ、それを20枚ともなると事情が変わる。

 高校卒業したばかりの少年少女にはなかなか厳しい金額。アルバイトで貯金してようやく、というところか。

 同級生が、新車の250ccのバイク代と教習所代を一生懸命貯めていたが、それと同程度には大金だ。

 なのだが、恭平に払えるか払えないか、無頼は聞かなかった。

 額面が今回以上になったことも過去にはあったが、どんなことがあっても必ず代金は支払ってきた。

 無頼はそこについては信頼しているのだった。

 もちろんこれは必要経費。恭平としてもあてがあるからこうして買い物しているのだが。そうでなければさすがにこんな金は払えない。

「障壁の護符で。一回きりでいいから、どんな攻撃でも防げるやつ」

「どんな攻撃でも、など無理だと言ったじゃろう」

 無頼はぶつくさと言いながら棚をごそごそと漁っている。

「別に鬼クラスの攻撃を防げって言ってるんじゃないんだ」

「分かっとるわい」

 無頼がこうして棚を探し始めるのは、大抵在庫がある時だ。

 在庫が無い時は、注文書を書いて手渡してくる。

 大抵翌日の朝には用意されているので改めて取りに来る必要があるのだが、今回はその手間をかけずに済みそうだ。

「おお、ここじゃ」

 棚に陳列されていた籠の一つから、護符の束を取り出してきた。

 包んでいた袱紗を開くと、麻の紐で丁寧に束ねられた護符。

 無頼はその紐をほどいて一枚ずつ右に移動させた。

「そらよ、ちょうど20枚じゃ」

 恭平の目の前で数えたので間違いが無いことは分かっている。

 その束を手に取ると、無頼が顔をしかめて言う。

「折り畳んだりクリップなんぞで留めるんじゃないぞ?」

「やったことないだろ?」

 と反射的に言い返して。

「……やったやつがいるのか?」

 なんの理由もなくそんなことを言ってくるわけがないと思いなおす。

 クリップで留めるなど、護符に妙な力がかかってしまうではないか。

 呪文と呪印が書かれているところだけが大事、と思われがちだ。しかし護符というのは呪文と呪印の台座である和紙の部分まで含めてひとつだ。

 それをクリップで留めるなど考えられない。

 恭平は護符が折れたりしないよう保管する用意をしているのだが、世の中にはそういうのを気にしない者もいるようだ。

「ああ、阿呆がな。そういうのに限って、後で効きが悪いだのなんだのと文句言ってきやがるんじゃ」

「だろうなぁ」

 出禁にしてやったがな、と無頼は笑った。

 この店主ならばやりかねない。

 売りたくない客には売らない、ということを普通にやるのだから。

 無頼は客の無知を許さない。基礎的な知識も無いのが悪い、と平気で言ってのけてしまう。

 今の世の中、普通の個人店でやったらインターネットで炎上する可能性が高いが、あいにくここは普通の店ではない。

 この店の利用者が抱える事情的に、ここに来ていることがよその人間に漏れたら死活問題、という客ばかり。

 くわえて店主の無頼自身、不特定多数からの評判などまったく意に介さないのである。

「ま、俺はこの通りだ」

 バッグからクリアファイルとクリアケースを取り出す。

 これならば折り曲がることもない。

 重要な物資をオシャカにしないためだ。

「それでいいんじゃ」

「使い方はいつも通りで構わないな? どっかに変更点は?」

「無いわい。いつもどおり、持ち主の霊気なり妖気なりを登録すれば、それで起動完了じゃ」

 折れ曲がったり変なしわがなければ、霊気および妖気が護符全体にいきわたる。

 後は護符に刻まれた呪いに従って効果を発揮する。

 この護符の場合、致命傷になりうる攻撃などが来たら、一度だけそれを相殺する。

 軽減とあるがよほど大妖怪の攻撃でなければ、ほぼ確実に無効化してしまう優れものだ。

 ただし許容量を超えると一切相殺ができず、元の威力をまるまる受けることになるので過信は禁物だ。

 このいきわたる、という行程。折れていたり妙なしわがあると起動が不完全になり、護符が持つポテンシャルを発揮できない、というわけだ。

「ならいいんだ。じゃあな」

「とっとと行けい」

 相変わらず無愛想な無頼に肩を竦めると、恭平はクリアファイルをケースにしまい、それをバッグに入れて店を出ようと踵を返した。

「小僧」

 引き戸に手をかけたところで、背中に声を掛けられる。

「ん?」

「その刀は特別だが、小僧はただの人間じゃ。それを忘れるなよ」

「分かってるさ」

 忘れたことなどない。

 恭平に巧磨のようなタフさなどない。

 図に乗ればすぐに死ぬ。

 それはもう、嫌というほど思い知っている。

「ならいいんじゃ。小僧は貴重な金づるじゃからな。今後もせいぜい金を落としに来るんじゃぞ」

「台無しだよ」

 苦笑しながら吐き捨てて、恭平は今度こそ店を出た。

 無頼の道具殿に助けられたことは何度あったか。

 もちろん頼らずに済むのが一番なのは間違いない。頼るということはつまりドジを踏んだということだから。

 ただ、備えておけばよかった、と後で思わず済むよう準備しただけである。

「さてと」

 店を出て空を見上げる。

 四月の良く晴れた空。

 明日の夜だ。

 捕らわれた妖怪が閉じ込められた拠点の襲撃。

 ここしばらくは無かった大きな案件である。

 準備は終わった。

 木ノ葉から来た段取りの連絡も、既に巧磨に連携済み。

 作戦行動の時に着こむベストも、得物である刀も、そして呪符も準備してある。

 後はコンディションを整えて明日の夜に臨むだけだ。



 決行当日、深夜1時30分ごろ。

 ついにこの時がやってきた。

 待ち合わせ場所は、まばらに木と茂みがある空き地。

 標的の敷地までは目と鼻の先。

 恭平が到着すると、既に巧磨一行がそこにいた。巧磨を入れて9人の大所帯。その中には美岬の姿もあった。恭平に向けてひらひらと手を振っている。

 ワンボックスを二台用意している。帰りの自分たち用の車と、救出した妖怪たちを乗せるためのものだ。

「来たか、恭平」

「早いな」

 待ち合わせは2時。

 まだ30分ある。

 ギリギリに現場に到着すると慌ただしくなって任務遂行に支障が出るので、恭平は大体30分前には現場近くに到着するようにしている。

 何でも屋として生きる恭平のプライドと責任だからだ。

 だが、フォロー役である巧磨と彼が集めた面々には責任など被せるつもりはない。なので彼らはここまで張り切る必要は無いのだが。

「お前から聞いた話をしてな、許せねぇってやつだけを集めたんだ」

 話を聞いて参加を表明した妖怪たちはかなりはりきっているようで、急き立てられるようにここに来たのだという。

 なるほど、当人たちがやる気ならばいいかと、恭平は何も言うのを止めた。

 せっかく士気が高いのだから、水を差すのは誰も幸せにならない。

 何かを言う代わりに、恭平は護符を取り出す。

「なんだそれ」

「今日の参加報酬だ。一度だけだけど大きなけがを防いでくれる奴だ。1人2枚、使うことがなかったら報酬として持って帰ってもらっていい」

 集まったのは人ならざる者。その護符が放つ雰囲気から、どれほどの価値かは察している。

 それが2枚ともなれば決して安いものではない。

 彼らからすれば、自分から参加すると言ったのだ。むろん、危険を承知の上である。

 報酬などそこまで期待していなかったので、彼らとしては嬉しいサプライズ。

 むしろ自分の命と、囚われの妖怪の救出という結果を報酬とするつもりで集まっているのだ。

 更に、うまく立ち回って護符を使わずに済めば、2枚とも持って帰っても良い。

 たった一晩の稼ぎとしては十分すぎるだろう。

 普通に人の世で生活する人間ならばこんなものはまず必要はない。命の危険が無いと言えばうそになるが、それでも日本は世界でも有数の治安がいい国だ。

 ただし、それは人ならざる者には当てはまらない。

 人間のように大手を振ってこの世を謳歌できるのならば、玉藻の前が待宵村を作る必要はなかったのだ。

 彼ら彼女らにとってこれは生きていくうえで大事なものになるだろう。

 恭平はそこから4枚を抜き取り、残りを巧磨に渡した。

「わりぃな、気ぃ回してもらってよ」

「ああ。……巧磨、お前もちゃんと持っておけよ」

「……分かってるよ」

 返答までに間があった。

 これは言わなければ持たなかったに違いない。

 巧磨が強いことは知っている。

 が、何事にも絶対はない。

 この仕事をして経験を重ねるにつれ、年々強くなった学びである。

 釘を刺しておいてよかったと思う恭平であった。

「どうやら揃ったようじゃな」

 ふと、そんな声が聞こえた。

「誰だ?」

 聞き覚えのない声に警戒するのは巧磨。

 まあそういう反応をするだろうなと分かっていた恭平は、会話をインターセプトした。

「木ノ葉か」

 振り返り、暗闇に向かって問う。

 この近辺にはろくに街灯もない。民家も半径数キロ以内には存在しない。

 今日は雲が月を隠しているので、こうして近くにいないと相手の顔も判別できない程度には暗いのだ。

 暗闇の中から顔を見せたのは、先日恭平と初めて邂逅した狸の妖怪。

 此花木ノ葉。

 今回の救出作戦を恭平に持ってきた張本人である。

「知ってるのか、恭平」

「ああ。依頼主だ」

「そうなのか」

 巧磨は木ノ葉を見据えると、ヤベェ、とぽつり呟いた。

 横で見ていた恭平も同じ気持ちである。

 ぱっと見て強そうには全く見えない。

 なのに底がまるで見えない、という第一印象は今も変わらない。

 なかなかの妖気を持っているはずなのだが木ノ葉の妖気をほぼ感じないのだ。

 狸の耳と尻尾が生えているから、妖怪であると分かるくらいだ。

 妖気を抑えるのには、並々ならぬ制御能力を要求される。いったいどれだけの技術があるのか皆目見当もつかない。

「やはり依頼を出して正解じゃった。この時間でこれだけの人数、儂ではとてもではないが用意できなんだからな」

 恭平の協力者総勢9人、それぞれの顔を順繰りに見渡し、木ノ葉は満足げに頷いた。

「さて、時間まではまだずいぶんあるが……せっかく全員が揃っているのじゃ、段取りについて話を始めようじゃないかの」

「ああ、それがいいな」

「うむ。ということでじゃ。どう動けばいいと思うか、恭平よ」

「俺かよ」

「別に特別なことは何も必要ではない。そうとれる手段など多くはなかろ」

 木ノ葉の言う通りでもある。

 まあいいか、と苦笑しながら恭平は作戦を口にする。

 作戦などと呼べるかどうかも謎ではあるが、恭平ならどう動くか、という簡単な考えを。

 いくつかの補足事項はあったが、恭平の作戦がすんなりと採用され、時を待たずして動くこととなった。

 それでいいのかと思いつつも、この場で侃々諤々とやり合うつもりはない。

 少し早いが、妖怪奪還作戦を開始することになったのだった。

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