第5話
店を出た恭平は隣の駅、東照日光駅に向けてハンドルを握る。
車を駅前の適当な駐車場に進めた。
これが土日なら駅前は午前中には満車になって停められないが、地元民はどこに停めたらいいか理解しているのでまったく問題ない。
その代わり少々歩くものの、まあその程度は皆諦めている。
ともあれ、悠々車を停めた恭平は、少しの間スマホを確認。
それを終えると、歩いて目的の雑居ビルへ向かう。
人がギリギリすれ違えるかという幅のエントランス、その横にある地下へ続く階段を降りていった。
降りた先には三つの扉。
右の扉には「One」、左の扉には「CLUBサンシャイン」と書かれた看板。
Oneの扉は黒と青を基調にしてクールな感じに、CLUBサンシャインの扉は白と金、ピンクをあしらった派手な感じに仕上がっている。
そして真ん中の扉は「One・サンシャイン事務所」という看板が掲げられているグレーの金属扉。
恭平は迷わず真ん中の扉を開けた。
看板の通り、中は特に変哲のない事務所である。
「誰?」
パーティションの向こうから若い女性の声。
その声で誰がいるのか分かった恭平は、そのまま進んで顔を見せた。
「あれ、恭ちゃんじゃん」
ソファに座っていたのは、白い肌に青い髪の女性。
ピンク色の箱から、たばこを取り出しているところだった。
化粧っけが無いが美人であることが一目で分かるその顔立ち。前髪で右目がほぼ隠れているのが、ミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
その服装が赤いネグリジェなのが妖艶だ。
「おつかれ、美岬」
「おっつぅ~」
美岬はひらひらと手を振ると、たばこに火をつける。
恭平は勝手知ったるとばかりに美岬の対面に座った。
「いつも早いな」
開店まではまだだいぶ時間がある。
だが、美岬はだいたいこの時間には事務所に出てきているのだ。
「まあ、あたしは寝る必要ないしぃ~。ここが家みたいなもんだしねぇ~」
ほわぁ……と至福の表情で煙を天井に向けて吐いている。
寝る必要がない、というのは、美岬が亡霊だからだ。
寝るのは趣味趣向であり、本質的には寝なくてもまったく体調に寄与しない。同様に食事も排泄も必要ない。食事や酒、たばこは嗜好として楽しんでいるが。
愛憎亡霊、というものらしい。生前愛に溺れ憎しみに染まった女が亡霊と化したもの。
恭平は彼女に出会って、はじめてそういう妖怪がいることを知った。
泣くと声が音波兵器になり、また聞いたものの精神に強制的に憎しみを生み出すという、なかなか強烈な能力を保持している。
妖怪としての格はなかなか高く、自分の能力を完ぺきにコントロールしているが。
美岬は源氏名である。
そう、彼女はここのキャバクラ、CLUBサンシャインで働くキャバ嬢なのだ。
その中でもトップの売り上げを誇るキャバ嬢で、他のキャバ嬢たちのまとめ役でもあった。
ちなみに、この事務所はとなりのホストクラブ、Oneと共有されているが、そちらの従業員やホストなどは誰も来ていないようだった。
「誰か来るまでは後1時間半はあるわねぇ~。だからぁ~」
美岬はくい、と店の奥をたばこの先で指し示す。
「巧磨なら寝てるだろうから話すなら今のうちよぉ~?」
「そっか、分かった」
「いえいえぇ~」
半分ほど吸って満足したのか、美岬はたばこをもみ消すとそのままソファに横になった。
しばらくだらけるらしい。
そういうポーズである。巧磨との話を邪魔をしない、という。
恭平はソファを立ち上がると、そのまま奥に向かった。
この事務所、OneとCLUBサンシャインの扉に挟まれて幅はそうないはずなのに、入ってみると幅も奥行きも相当広い。
空間を捻じ曲げる妖術が施されているからだ。
おかげでかなり広々としている。
途中にはOne、CLUBサンシャインと書かれた扉が右と左にひとつずつ。あの扉の先は、それぞれの店専用のスペースだ。そこから更に、直接店にも行けるという。
この真ん中の事務所は、従業員の休憩スペースや事務仕事のスペースが置かれている。
その奥に扉がひとつ。
そこは店長室だ。
扉の横にあるひもを引く。
少しして。
「……美岬かぁ? なんだよ?」
少し不機嫌そうな声とともにガチャリと扉が開く。
現れたのは恭平より背が高い茶髪の男。
一言で言うならチャラ男、ウェイ系というやつか。
都心ではそういうのが流行っているらしいと恭平は知識だけは知っている。ハロウィンの渋谷の大騒ぎのただなかにいそうな見た目。
ただ、決してひょろくはなくむしろガタイはいい。人ごみの中でもぶつかってくるような輩はおらず、むしろ人が道を空けるだろうという体格。
美岬の予想通り寝ていたらしい。ぼさぼさの頭をバリバリとかいている。
長い髪の隙間から見えるのは細められている目。
その眼光は鋭い。
常人ならそれだけでビビッてしまうのは間違いないが、恭平は寝起きで単に頭が起きていないだけだと知っている。
「よう、巧磨」
なので普通に挨拶をする。明らかに年上なのに気安く声をかけた。
「あん? なんだ恭平じゃねぇか」
巧磨は前髪をかきあげた。
髪に隠れていた額に生えているのは2本の短い角。
2本のうち1本は半分で折れている。
この角が示すのは、巧磨が鬼の血を引いているということ。
沢渡 巧磨。
半人半妖の鬼。
3年前に知り合い、すったもんだの末に互いを認め合って仲良くなった。
今ではこうして、彼の宝である店の事務所にアポなしでの立ち入りも許される仲だ。
「ちっと待ってろ、顔洗ってくっからよ」
「分かった」
髪はぼさぼさで服もよれよれ。まあ、寝ていたのなら仕方のないことだ。
巧磨はカーテンの仕切りの向こう、パウダールームに引っ込んだ。
恭平は手ごろな椅子に座って待つことにする。
そう大して時間も経たずに、巧磨が出てきた。
簡単に髪は整えられ、服も元に戻っている。
また顔を洗ったからか、すっきりした表情だ。
近くにある冷蔵庫からコーヒーの缶を2つ取り出し。
「ほれ」
うち1つを恭平に投げた。
「おう」
恭平はそれを受け取る。
微糖だ。
あまり甘いとちょっと気分が悪くなってしまうので、微糖かブラックが好みの恭平である。
軽く振ってから開け、ありがたく一口。
「で、何の用だよ?」
ぐいっと一口で飲み切ってしまったらしい巧磨が、空き缶をポイ、と後ろに投げた。
ガコンと音がしてゴミ箱にストレートイン。
「お見事……ちょっと頼まれてほしくて来たんだ」
少しおどけてみたら「早くしろ」とせっつかれたので前置きなしに本題に入る。
「シゴトか」
「ああ」
「なんだ、言ってみろよ」
忙しいはずなのに、こうして引き受けることに前向きでいてくれるのは恭平としてはとてもありがたい。
かつて恭平はこの店の開店に関わったのだが、巧磨は未だにそれに恩義を感じてくれているようで、恭平に協力することをまったく厭いはしない。
そんなつもりで手を貸したわけではないと巧磨に伝えたことがある。
だが、巧磨は「それを恩に感じるのはオレの勝手だろう?」と言った。
なんと義理堅いことか。
恭平にそれを止める権利はないし、協力してくれるのは素直にありがたいのでもう言及はしなくなっていた。
「人さらい、それと妖怪さらいが起きてるらしい」
「……何?」
人さらい、のところでわずかに眉が顰められ、妖怪さらい、のところで巧磨ははっきりと不愉快そうな顔をした。
まあその感情も、この店ができた経緯を考えればさもありなんというところだ。
「妖怪さらいだと、んなことが起きてんのか」
「ああ」
これについては恭平も極めて不快だ。その気持ちを、巧磨ならば絶対に分かってくれるという確信があった。
「人さらいの方は、どうやら警察の方が動いてるらしい。だから、問題は妖怪さらいの方だ」
顎をくい、と動かす巧磨。
続けろ、ということだ。
まあ、彼の中でもはや結論は決まっているのだろうが。
「依頼されたのは2つ」
恭平はピースサインを作って巧磨に見せる。
「ひとつはさらわれた妖怪たちの救助だ。これはもう場所も判明してる」
スマホを取り出す。
運転中に送られてきていた、木ノ葉からのメールだ。
さらわれた妖怪が閉じ込められている場所の住所が記載されていた。
地図アプリで検索してみる。今いる場所からは高速を使って30分ほどの距離だ。
そこにあるのは工場。どうやら機械工作を行う工場のようだ。
「ここか……近くまで行ったこたぁあるが、知らねぇな」
「俺も知らないな、この辺に知り合いいるわけでもないしな」
知人友人が住んでいるのでもない限り、基本用が無ければ行かないところだ。
「まぁそんなんどうでもいいか。ここにいるんだな?」
「俺は裏取りはしてないが、まあ、玉藻の前様が仲介に入ってるからな、まずガセってことはないさ」
「違いねぇ。で、オレのツテで使えるのを集めろってことか。妖怪でもいいんだな?」
「いや、むしろ妖怪の方がありがたい」
「お前の依頼主は妖怪だもんな。相手も妖怪だわな。人数は?」
「40人、多くて50人ってとこだそうだ。捕まってるのは6人」
「なるほどな……」
巧磨は腕を組んで考え込む。
何人に声をかけるか、あたりをつけているのだろう。
恭平は、彼の考えがまとまるのをじっと待った。
やがて考えがまとまったのか、巧磨はニッと笑う。
その笑みには凄みがあり、慣れていなければ委縮してしまいそうなものだ。
「いいぜ、やってやらぁ」
「そうか、助かるよ」
「いいってことよ。分け前は弾めよ?」
「期待しててくれ。玉藻の前様にもよろしく言っておく」
「おう。……で、2つ目は?」
これは気が重い。
巧磨のリアクションも億劫だが、何より口にするだけで自分の感情も逆立つ。
だが、言わなければ話が進まない。
「そのさらわれていた妖怪のうち1人、既に好事家に売り払われたらしい」
「……ああ?」
にらまれる。
別に恭平にその感情を向けているわけではないので怯むことはないが、迫力は満点だ。
かつてナチュラルにこの顔ですごまれたことがあった。懐かしい。
一瞬よぎった思い出を振り払い、恭平は会話に集中する。
「売られたのは天狗の女の子だ。その子がどこに行ったのかを調査して、救出するのが2つ目だ」
「そうかよ……クソが」
好事家に売られた。
もはやそれだけで、悪い想像しかできない。
「天狗の子についてはどこに売られたのかといった情報もまだ収集中だ。だから、まずは捕らわれている妖怪の救出を優先する」
「ああ、そうか。新たに売られちまう被害者を減らすためだってんだな?」
「そういうことだ」
「チッ、売られちまったガキも気になるが、これ以上売られるワケにゃいかねぇな」
洞察力というか、勘が鋭いというか。
見た目には荒ぶっているように見えて、内心では冷静なところを残しているのだ。
現状で何が大事かを類推することができる。
だからこそ、恭平はこの男を信頼している。
「決行は明後日の午前2時。集合場所は追って連絡が来る」
「了解だ。メンツはこっちで集めておく」
「任せた。人数が決まったら教えてくれ。集合場所については、連絡が来次第巧磨に知らせるよ」
「おう」
もうこれで用は終わりだ。
恭平は席を立った。
「開店前に済まなかったな」
「いいってことよ。オレとお前の仲じゃねぇか」
「ああ、頼りにしてるよ」
これで仲間は巧磨が集めてくれる。
恭平は明後日に向けてできる準備をするため、巧磨の元を辞した。
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