第4話

 待宵村から東に進んだところの町にある道の駅。

 渋滞もしていなかったので、想定通りの時間に到着した。

 これが休日になると駐車場が混んで停められないことも多い。更に長期休暇シーズンになると駐車場が満車になってしまうことは、この土地に何年も住んでいて分かっている。

 車を入手する前は原付で移動していたので、この辺りの交通事情も把握済みだ。

 今日は平日なので特に問題は無い。

 さて、車を降りて向かう先は、待ち合わせ場所でもあるなじみの喫茶店。

 ここは待宵村ではないので武器は持って歩けない。なので刀は車に積みっぱなしである。

「さむっ」

 車のヒーターの防御から外れた恭平は、寒い風に吹かれて身体を震わせた。平均より暖かい、とはいえここは高地。風は冷たい。

 裏通りに入ってしばし歩く。そこにあったのは、レトロな作りながらも品のいいつくりの建物。

 その看板には「子狐の隠れ家」と店名が記載されていた。

 関係者のみが知っていること。それは、この喫茶店が玉藻の前が資金を出して建てた店ということだ。

 経営等々はすべて別の人間に任せているが、玉藻の前の息がこれでもかとかかっているので、決まってこういう時に使われるのだ。

 なお、この辺りには玉藻の名を冠する店もいくつかあるが、そちらは玉藻の前にはまったく関係が無い。

 扉を押し開くと、カラカランとベルが品のいい音を響かせた。

 店内も外観の印象そのままに、どこか懐かしい感情を呼び起こされる内装だ。客は店のキャパシティに対して多くは無い。ここは玉藻の前の趣味と実益を兼ねた店であるため、かかっているコストは膨大にも関わらずいっさい収支は考えられていない。要は赤字経営だ。

 そんな金がどこから……などと、心配する必要はない。玉藻の前のやることなすことを常人が図ろうとしても無駄だからだ。

 昭和のころにはこのような喫茶店があふれていたということだが、現在は数が減っている。

 県庁所在地の名を冠する駅付近にあるチェーン喫茶店の空間とはまた違う味のある感じ。

 どこか郷愁を思い起こさせる店内を進み、店員に一枚のカードを見せた。キャッシュカードサイズで、勾玉と術の陣がちょうど半分描かれている。二枚をくっつければひとつの図柄になるものだ。

 店員は頷き、去っていった。

 何も言われないのはいつもの席だからだろう。

 こうして仕事の時、またはそれが無い日にも幾度となく訪れたこの店。

 すでに店内のことは大体知っていた。

 恭平は勝手知ったるとばかりに店内を歩いて進み、店の奥まった場所にある喫煙エリア、壁際のテーブルへ。

 その席には茶髪の女性の後ろ姿。

 近づくと、テーブルには一枚のカードが確認できた。恭平が見せたカードと対となる模様が描かれたもの。

 そう、恭平が店員に見せたのは符丁。

 玉藻の前から預かっているもので、これの対となるカードが玉藻の前からクライアントに渡される。

 つまり、この女性が今回の依頼者ということだろう。

 恭平はひとまず回り込んで彼女の正面……よりもやや右側に立つ。

「……来たか」

 どうやら、恭平に気付いていたらしい。

 モノクルの奥の瞳が、恭平をとらえてわずかに細められた。

 この気配と、妖気。

 彼女が人間でないとすぐに気付いた。

 不用意に気付かれないよう抑えられながらも、恭平がわずかに感じられる程度に、意図的に漏らされている妖気。

 かなりの手練れだ。

「お待たせしました」

 実際には時間10分前。

 約束の時間には余裕をもって到着している。

 しかし、相手はすでに待ち合わせの場所で待っていた。

 しかも注文したであろうお茶はすでに半分ほど無くなっていることから、それなりに待っていたことがうかがえる。

 この店は注文したものが届くまで大体3分はかかる。

 とても細かいことだが、ここをおろそかにするといつ痛い目を見るか分からないので気を付けているのだ。

 恭平はまだ高校を卒業したばかり。

 まだまだ未熟な自分は、こういった小さいことから続けていくしかない、と考えていた。

「良い良い、まだ約束の時間にはなっておらんからのう」

 巧妙な妖気の隠蔽と気配に気を取られていた。

 彼女の第一印象は、ちぐはぐ。

 見た目は25歳くらいか、かなりの美人なのに、口調は老人のもの。

 妖怪なので見た目と外見は一致しないといういい例だろう。

 洋服に和装を混ぜたようなカジュアルな格好をしている。おそらく人間社会に溶け込むための格好であろう。

 ただし、それでも隠し切れない美貌によって、街中を歩いたらきっと目立ってしまうだろう。

 その落ち着いた上品な所作が、ただの美人でないことをこれでもかと訴える。

 手にした10cmほどのキセルが、信じられないほどに良く似合う。

 右目にかかっているモノクルもまた、彼女の雰囲気に一種の凄味を与えていた。

 彼女を見て、見た目が若いという情報だけで小娘と侮る者は、よほどの愚か者か鈍感か、あるいは阿呆か。

 まあ、この滲む気品と貫録を感じ取れないような者は愚か者でいいだろう。

 手元に置いてあった懐中時計を見やりつつ、彼女は言った。

 かなり年季が入っているものの相当いいものであることが分かる。

「立ち話もなんじゃ、座るがよい」

「では、失礼します」

 一言断って座る。

 ここは馴染みなので特に注文をする必要はない。

 恭平が頼むものはいつも決まっているからだ。

 本来ならば。

 ただ、こういう場合は注文を取ってくれた方が相手に気を遣わせないため、店員にはそうするように伝えてある。

「……ご注文は」

 無愛想な声でたずねてきたのは、入店して符丁を見せた男だ。

 人間の姿をしているが、彼も妖怪。

 小豆洗い。名を蔵豆(ぞうず)。

 ここで働くにあたり玉藻の前に預かった呪符によって、人間に化けているのだ。

 無愛想なのは、数多くしゃべって妖怪だとバレないようにするため。

 もともとおしゃべりでお調子者な性格。言わなくてもいいことを口にしてしまいそうだから、とのことである。

 なお、おしゃべりでお調子者なのは、小豆洗いという種族がそうなのではなく、この妖怪の個性だ。

 その証拠に、人間に化けていない小豆洗いと話をするとき、恭平は2に対して小豆洗いが8の割合でしゃべっている。

「コーヒー、ブラックで」

「……お待ちを」

 小豆洗いの蔵豆が注文を受けて厨房に下がっていく。

「さて、まずは自己紹介をしておこうかの」

 目の前の妖怪が、お茶を一口飲んで唇を濡らした。

「儂の名は此花 木ノ葉。もう気付いておるじゃろうが妖怪。ま、しがない狸妖怪じゃよ」

 詐欺である。

 これほどの妖気隠蔽ができるだけの技量を持つ妖怪が、しがないはずがない。

 まったく底が見えないのだが、これはどういうことか。相対する恭平としては畏怖するほかない。

 どうしてこう、玉藻の前といいこの狸妖怪といい、実力者には自分を卑下する者が多いのだろう。

 まあ、そういうものだと思ってあきらめるしかない。

「知っていると思いますが、俺は安生 恭平です。あなたが出した依頼について話を聞きにきました」

「うむ。聞いておる」

 狸妖怪……もとい木ノ葉は、キセルを吸う。

 紫煙がたちのぼった。喫煙席である。

「さて、依頼の話に入る前に、まずは儂の要望じゃ」

「なんでしょう?」

 謎だったので素直にたずねる。

「儂に敬語は要らぬ。敬称も不要じゃ」

「……分かった。木ノ葉と呼ばせてもらうよ」

「うむ。それで良い。儂も恭平と呼ばせてもらおう」

 明らかに年長者の空気が漂うので若干ためらったが、こういう時は素直に希望に応えた方がいい。

 妖怪と接してきた恭平が身に着けた処世術である。

 蔵豆がコーヒーを持ってきた。

「……ごゆっくり」

 恭平の前にカップを置いて去っていく。

 一口飲むと、いつもの通りこだわって挽かれたのだろう、素人の恭平でも分かるいい味が出ていた。

 さすが玉藻の前の店。

 彼女自身はコーヒーは嗜まないが、やるからにはとこだわったのだろう。

「では、改めて依頼の話としようかの」

 恭平は居住まいをただした。

 事情は込み入っているものの、無茶ぶりではない依頼。

 ただ、任される依頼は年を追うごとに難易度が上がっている、というのが恭平の所感だ。

 果たして。

「人さらいが起きているのを、知っておるか?」

「……いや」

 物騒な言葉に、出会い頭にぶつかった。

 思わず声をしぼってしまった。

 確かに込み入っている。それも難儀な方向に。

 他人に聞かれないように、という配慮だが、そこが恭平の若いところ。

 ここは玉藻の前の店。そういうことを話してもいい場所だからこそ、ここが選ばれている。

 否、それは語弊がある。そういう目的のために作られたのがこの「子狐の隠れ家」で、喫茶店なのはそれをカモフラージュするためのガワに過ぎない。

「知らなんだか。まあ無理もなかろ」

 木ノ葉はキセルの火種を取り換えた。

「下手人は周到なヤツじゃ。そうそう簡単には露呈させぬ程度には知恵が回るからの」

 恭平は口を挟まず、うなずくことで先を促した。

「そして、その下手人じゃがな。さらっているのは人間だけではない」

「妖怪も、か」

「うむ」

 それで、玉藻の前のところに依頼がいったのか。

 得心した。

 ただの人さらいならば、解決は人間の公的機関の領分。恭平がでしゃばるところではない。

 だが、妖怪が関わっているのならば話は別だ。

「表向き人間の誘拐組織に見せかけて、裏では妖怪も標的にしておるのじゃ」

「なるほど」

「お前さんの目標からすれば明確な敵じゃな?」

 木ノ葉はそう言った。

 どうやら玉藻の前から、恭平についてある程度聞いているらしい。

 彼女の言うことだが、その通りである。

「さて、ここからは詳細をかいつまんで話すぞ」

「ああ」

 持ってきたカバンからメモ帳と万年筆を取り出す。

「表向きの人間誘拐については、既に警察の方が動いておる。そこはやつらに任せる」

 メモを取りながらうなずいた。

「よって、妖怪の方じゃ。仕事は二つ」

 ひとつ、と言いながら人差し指指を立てる木ノ葉。

「さらわれた妖怪たちの救助」

 続いて中指。

「もうひとつは、さらわれたのち、好事家に売り払われてしまった妖怪の調査及び救出じゃ」

「……なんだって?」

 思わず、聞き返さずにはいられなかった。

 売り払われた?

 妖怪を?

「……誰だ、そんなことするくそ野郎は」

 恭平は、呪詛のように吐き捨てた。

 心が煮えくり返る。が、それを抑えようと努力する。

 まだ木ノ葉の話は終わっていない。

「よくぞ抑えた。……売り払われたのは天狗の娘1人だけじゃ。まだ、他に捕まっておる妖怪は売られておらん」

「なるほど」

 恭平の表情から何を考えているのかを察したのか、木ノ葉はひとつ頷いた。

「そういうことじゃな。売り払われた娘の情報は現在収集中じゃ。まずは、さらわれた者の救助、こちらを優先したい」

 その天狗の娘以外にも被害を拡大させずに済むかもしれない。

 まずさらわれたりしない状態を作らなければ、いくら助けてもいたちごっこだ。

 それどころか、天狗の娘を助けたことで誘拐犯の組織に雲隠れされてはたまったものではない。

 恭平は与えられた情報から、求められていることを推測する。

「つまり、こういうことか。さらわれた者を助けるため、そして調査をするための人が必要だから、集めてほしいと」

「その通り。捕らわれているのは6人、現地の敵は40人というところじゃ。多少前後するじゃろうが、多くても50人にはならんじゃろ」

 おおよその規模は理解できた。

「敵は人間か?」

「人間じゃな。ただし、妖怪に対抗する用意をしている人間じゃ」

「そりゃそうか。妖怪相手だもんな」

「うむ。ここまでで何か聞きたいことはあるかの?」

 そう問われて、恭平は考え込む。

「何で依頼なんか出した? あんたなら、一人でもやれたはずだろ?」

 そう。

 できたはずだ。

 この妖怪ならば、1人でも。

 まだまだ若く未熟なれど、恭平の目は意味もなくついているわけではない。

 そんな恭平に対し、木ノ葉はふっと笑った。

「できるじゃろう。ただし、成功率は低い。上げようと思えば時間が要る」

「……なるほど」

 この事が判明したのはつい先日。判明する前にもかけられた時間と、既に1人妖怪が売られてしまっていることを考えれば、時間はかけられないのだ。

「儂には土地勘も無ければ人脈も無いのでな。玉藻の前殿を頼った」

「そしたら、俺が来たわけだ」

「そういうことじゃな」

「分かった。俺の人脈内でできうる限り声をかけよう。……作戦決行は?」

「そうじゃな。明後日の午前2時としよう」

「ああ」

 連絡先などの交換はしない。

 クライアントと必要以上に近づかないためだ。

 いざとなれば玉藻の前から連絡が来る。

 のだが。

「ほれ、スマホを出せ。連絡先を交換するぞ」

「……マジか」

 クライアントとはなるべく近づかない。

 仕事だけの付き合いだ。連絡先など交換しない方がお互いのためなのだが。

「はよせい。いちいち玉藻の前殿を介すなど手間が増えるだけではないか。非効率じゃ」

「そりゃ、そうだけどさ」

 釈然としないまま、恭平は木ノ葉と連絡先を交換した。

「今回の依頼の情報を後程送る。集合場所については、決まったら追って連絡しよう」

「分かった」

 人さらい。

 妖怪までさらっている。

 すでに一人売られている。

 込み入っている、というのはそういうことだ。

 そして、これで無茶ぶりではないとは。

 玉藻の前からのハードルが年々少しずつ、着実に引き上げられていることを改めて感じ、恭平は背中に嫌な汗が流れるのを止められないのだった。

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