第3話

「今回もお疲れさまでした、何でも屋さん」

 口元を袖で隠したまま、玉藻の前がねぎらいの言葉を発した。

「ありがとうございます」

「ふふふ。あなたのおかげで助かっていますよ」

「それは良かったです」

 お世辞だと分かっている。

 恭平がこなしてきた仕事など、玉藻の前の力をもってすれば即座に解決できることに過ぎない。

 それでも恭平に仕事を振る理由。まあきっといろいろあるのだろう、と恭平は理解していた。

 例えば、玉藻の前の立場的に軽々しく動くべきではない、とか。

 まあ、どのような事情であれ、仕事を振られる側の恭平はありがたいので詳しく知らなくてもいいと思っている。

「まだ依頼まではお時間があるでしょう? 少しわたくしとお話いたしませんこと?」

「それは光栄です」

 少し茶屋で休憩がてら時間をつぶしてから行こうと思っていた。

 彼女が自ら相手をしてくれるというのは、恐れ多くもあるがありがたくもあった。

 玉藻の前。

 数々の伝説を残す妖怪。

 悪女としての逸話が多数残っており、それらの影響で性質が悪人寄りになっていると、かつて他ならぬ玉藻の前本人から聞いたことがあった。それに引きずられてついつい遊んだり、悪ノリをしてしまうことがあると。玉藻の前ほどの大妖怪でも、妖怪の源泉となる逸話には逆らえないという良い一例である。

 当人は「それを除けばちょっと妖術が得意なだけの普通の美女」などとうそぶいていたが。

(ちょっとどころじゃないからなぁ……)

 恭平はわずかに遠い目をした。

 美女であることも、妖術師としても。

 彼女の美貌ははっきり言って人間離れしている。身構えずに行けば頭が蕩けてしまいそうなほどだ。

 それなりに付き合いを重ねた今でも、油断すると危うい。生い立ちこそ特殊だが基本ただの人間である恭平では、気を抜くと抗えなくなってしまう。

 また操る妖術は、日本に未だ数多く残る怪異、妖怪全体から見ても最上級といえるという。

 何を隠そう、この妖幻地区に張られている結界は、玉藻の前が編み上げた術式によるもの。それどころか、妖幻地区を含めた村全体までも、結界にて覆っているという。いったいどれほどの妖気をもっているのかと、耳を疑ったものだ。

 妖幻地区……ひいてはそれを含んだ全体を、待宵村という。

 かくいう恭平も、待宵村に住む住人だ。

 ここ待宵村は、妖怪のために作られた村。住んでいる者のほぼ七割以上が妖怪なのである。

 よって地図上には存在しない。ゴーグルマップでも確認ができない村だ。航空写真によって現地の鮮明な光景を家にいながら見られるようになったし、またその土地の道を追いかけることもできるが、その航空写真にも待宵村は映っていない。

 もっとも、村への出入りは難しくはない。玉藻の前が発行する許可証を持っている者に限って、だが。

 明治維新の後、世界では科学がすさまじい勢いで発達した。

 個人ではできなかったことが科学の力でできるようになり、これまで謎とされてきた現象が科学によって説明がつくようになった。

 それは人間にとってはとても良いこと。

 一方で、その割を食ったのは妖怪や精霊、妖精などといった、人には理解できない現象や想像が形になって生まれた者たちだ。

 妖怪などは、人がそれを恐れ、また敬う感情によって存在を維持できる。

 かつては著名な知識人でも説明のつかない数多くの現象が妖怪の仕業として恐れられ、妖怪という概念が構築されてからは、それを自ら考えて発表し、世の中に定着したものも現れた。

 だがそれらの現象のほとんどが科学で答えを証明されてしまい、妖怪の存在維持が難しくなってしまったのだ。

 そんな妖怪を保護し、人ならざる者の住処として構築されたのが待宵村。

 その中心地、玉藻の前が座すのが妖幻地区である。

 妖怪たちはこの待宵村にて、現代社会に溶け込んで生きている。まさに最後の拠り所だ。日本にはそういった拠り所がいくつかあるという。そのうちのひとつというわけだ。

 なお、待宵村の三割弱は人間だが、彼らの行政上の住所は日光市。なので郵便物なども普通に届く。待宵村の範囲内にあるというのに日光市の市民でもあるというこの状況、いったいどうやって成立させているのか謎で仕方がないのだが、その疑問に対して玉藻の前は「いい女には秘密が多いものなのです」とはぐらかした。

 これはきっと聞いても教えてもらえないな、と恭平は諦めた。

 ともあれ、この待宵村にはたくさんの妖怪が暮らしている。

 下は木っ端といえるような妖怪から、上は日本全体でも有名な、有数の力を誇る妖怪もここに居を構えている。

 妖怪は、基本的に認めた相手にしか従わない。安住の地を与えられたからと、素直に感謝などしない者もいる。特に、強くなればなるほど。

 そんな彼らに格の違いを見せつけて黙らせたのが玉藻の前。日本三大妖怪は伊達ではないということだ。

 今は顕現している尻尾が一本だけなので妖気はかなり抑制されているが、尻尾を九本すべて顕現させた日にはどうなるか考えるだけでも恐ろしい。

 白面金色九尾の狐。玉藻の前がそれであるとする説もあり、またそうでないとする説もある。

 ただ、この圧倒的な存在感、威圧感から、恭平は彼女が白面金色九尾の狐ではないかと考えていた。

「あらあら、厭離はお茶も出さなかったのですね」

 出す必要が無かったからだろう。

 依頼についての話自体は、ほんの数分もかからなかったのだ。

 厭離が話を簡潔に終わらせたし、それに対して恭平も口を挟まなかったからだ。

「必要ないと思ったからなのでしょうけれど。仕方のない子ですこと」

 ちょいちょい、などとかわいらしく口ずさみ、立てた人差し指を小さくくるりとひと回し。

 すると、ぽんぽん、と音がして僅かな白煙が立ち上る。

 玉藻の前、そして恭平の前に、お茶とお茶菓子が現れていた。

 これも妖術である、相も変わらずとんでもない技量だ。

 恭平自身は使えないものの、仕事柄妖術についての知識が必要だったのである程度精通している。

 そんな恭平から見ても、今の術ひとつとってもすさまじさが分かる。

「どうぞ、お召し上がりになって」

「恐れ入ります。いただきます」

 玉藻の前が淹れるお茶は美味いのだ。

 恭平はありがたくもらうことにした。

 一口。

「……うまい」

 あまりに優れた味に、ほう、とため息が自然と漏れる。

「うふふ、恐悦ですわ」

 目が覚めるような美味に舌鼓を打ちながらも、恭平は考える。

 何故、玉藻の前が出てきたのか。

 いつもならば、厭離とやり取りをしてそれで終わり。

 仕事終わりの報告も厭離にすることが殆どである。

 玉藻の前がわざわざ恭平の前に姿を見せたのは、4月になって最初の仕事の時か。

 高校の卒業を祝う言葉を一言もらい、卒業祝いにと手土産を渡されただけだが。

 なお、手土産は稲荷寿司だった。とても美味だった。

 それはいいとして。

 大体は恭平の節目の日に顔を合わせることが多い。

 それ以外はレアケース。

 つまり、今回も。

「話が早くて助かりますわ」

 お茶菓子はひとくち大のものが2つ。口に含んだ直後にさっと溶ける砂糖菓子だ。

 まずひとつ目を、玉藻の前は口にした。

「今日の依頼主は、少々事情が込み入っておりますの」

「……なるほど」

 厄介な仕事に、なるだろうか。

「といっても、事情は込み入ってはいますが、無茶ぶりではありませんわ」

 恭平の顔を見て何を考えているかを悟ったか、玉藻の前はほほ笑む。

「さて、いつも通りどう仕事をするかは恭平くんにお任せ。結果さえ出れば過程はいかようにも」

 誰かに協力を仰ぐのも、いつもの通り自由。

 自分だけではこなせない仕事の時は、協力者に報酬を払って手伝ってもらうこともある。

 例によって、それも構わないということだろう。

 過去に一度だけ、協力者無しで仕事をするよう言い渡されたことがあった。もしも他に手が必要ならば玉藻の前に直接申し出るようにと。

 そういう事例があったので、玉藻の前はわざわざ付け加えたのだろう。

「そしてもう一つ」

 そういいながら、もうひとつの砂糖菓子を口に含んだ。

「なんでしょう?」

 聞き返すと、玉藻の前はにこりと笑う。

 そして。

「お気をつけあそばせ? この地にとって、毒にも薬にもなる者が来るでしょう」

「……」

 毒にも薬にもなる者。

 扱い方を間違えてはいけないということか。

 しかし、気をつけろとも言われた。

 玉藻の前の忠告を無視することは恭平にはできない。

「ああ、といっても、今回の依頼主とは関係ありませんわ。それとは別件です。そこは勘違いなさらぬよう」

「分かりました。……ご忠告、痛み入ります」

「ふふ、よろしくてよ」

 ひとつうなずくと、玉藻の前は恭平から視線を外した。

 話は、これで終わりらしい。

「さて、こうしてゆっくりと話すのも久しぶりなのですから、少し雑談といたしましょう」

「喜んでお相手します」

 三大妖怪の一角。本来なら、人間個人に目をかける必要などないし、立場的にも不可能である。

 だが、彼女には目をかけてもらっている。これは特別扱いであるとはっきり自覚している。

 多少慣れてきたとはいえ、未だに緊張もするが、会話をしてもらえるだけでありがたいのだ。

 時間になるまで、恭平は玉藻の前の相手を精一杯務めるのだった。



 恭平が去った和室で、ゆっくりと湯飲みを傾けてお茶を飲む玉藻の前。

 そんな彼女の後ろに、いつの間にか立っている人物。

「うむ、やはり良いの」

 女の声であった。

「でしょう? わたくしの自慢の子なのですよ」

「おぬしが産んだわけでもなかろうに」

 そう嘯く玉藻の前に、背後の人物はあきれたようにため息をついた。

 玉藻の前の背後に立っていた女は、そのまま回り込んで恭平が座っていた座布団にあぐらをかいた。

 和洋をうまく融合させたカジュアルな服装の美女である。モノクルが特徴的だった。

「血のつながりだけが親子ではございませんでしょう」

「それもそうじゃな」

 玉藻の前が言いたいことはわかる。

 血がつながった子を虐待する人間もいるし、動物もいる。

 一方、血がつながっていない子を養子として迎え入れて実の子のように愛する親や、種が違う子を庇護して育てる動物もいる。

 むろん血縁は非常に大事なことだが、それが絶対の、唯一無二の正義ではないことも、モノクルの美女は知っていた。

 パチリと指をはじく玉藻の前。

 すると、恭平が使っていた湯飲みはどこかに行き、代わりに別のデザインの湯飲みが置かれた。淹れたてのお茶が湯気を立てている。

「お、すまんの」

「いえいえ」

 美女は出されたお茶を一口飲んで、モノクルの位置をわずかに動かして整えた。

「信念を持ったいい目をしておったな」

「あの子が、あなたの同胞を助けたのでしたね?」

「ああ。妖怪になりたてでな、人間の罠も外せなんだ」

 妖怪として普通に過ごした者ならば、格は低くとも人間の罠など通用しない。

 それが通用してしまったのは、まだ己の妖気などを操れないなりたての動物妖怪だからだった。

「人の身で、実にいじらしい信念を持っているのです。ついつい、目をかけてしまうのですよ」

 あなたも、そうでしょう?

 玉藻の前は目でそう語る。

 モノクルの美女は肩を竦めた。

 否定はしなかった。

「どれ……そろそろ待ち合わせの場所に行くとするかの」

「気が向いたら、助けてあげてくださいまし。例のこともございますしね」

「ふむ、気が向いたらな」

「ええ、気が向いたら」

 確約も言質も取れなかったが、玉藻の前はそれで目的は達せられたのか、満足げであった。

「ふふ。しかし、あなたとわたくしが、こうして静かにお茶を交わす間柄になろうとは」

「世は移ろいゆくもの。歴史は大切だが、それに固執してはおれぬということじゃ」

「その通りですわね」

 二人は静かにお茶を飲む。

 会話は多くはない。

 時折話題が出て、それに少しの間言葉を交わすのみ。

 ただ、この2人にとってはそれでいい。

 そんな空気が、そこにはあった。

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