夢をかける

志央生

夢をかける

 人生はうまくいかないことだらけだ。それが人生だ、と論じる奴は多いけれど、その一言で済ませる者ほど、諦めている。

 私が夢を語るとき、誰かしらは鼻で笑うし、できないと口にする。それを聞くたびに、私は敗者の言葉だと心の中で思う。

 何もしなかった人間の僻みで、何かをなそうとする人間を嫉妬し、成功するのを恐れている。そんな矮小な輩の言葉。私はそんなものに負けたくはない。


 絵を描くのは好きだった。幸いにも、人よりも少しだけ絵を描くのは得意だったし、学校の先生にも褒められる。だから、絵に関することを仕事にしようと思ったのは、わりと早かった。

「僕は漫画家になります」

 そう書いたのは小学校の卒業文集だった。将来の夢と題して、下手な字で未来の自分を語っていた。だというのに、当時は一度も漫画を描いたことがなかったのだから笑える。

 中学生になると、下手な妄想ばかりをノートに書いて、それを絵にした。漫画、なんていうものではない。ただ、自分の妄想を垂れ流していただけだ。

 当時のアニメや漫画に触発され、設定やキャラクターを真似て、さも自分が考えたかのように描いた。楽しかった、何も気にせずにいられたから。 それでも人には見せなかった、どこか恥ずかしさがあったのだ。だから、こそこそと一人で描いては自己満足に浸る。そんなことを続けていた。

 自分が漫画を描くことに向いていないと悟ったのは、中学最後の年だった。逆に言えば、それまで良く気づかずにいられたものだと感心する。

 受験ムード一色、周りの雰囲気に合わせて勉強し、アニメや漫画を読まなくなった頃から話を作れなくなった。そこで、自分がいままで他のものを真似ていたことに気がついたのだ。

 そこで一度、私の夢は途絶えた。


 高校生になると、再び絵を描き始めた。今度は漫画ではなく一枚絵だ。それは漫画を描くよりも向いていた。

 より一層、絵を描くことが好きになってのめり込んでいった。もっといい絵を描きたい。それが自分のモチベーションとなってひたすら、ペンを動かした。

 高校の卒業間近になって、親に頼み込み専門学校へ進学することにした。もっと、絵を勉強したいと思ったからだ。

「絵を描くことが好きです」

 単純な挨拶だった。それ以外に語ることもない、ただ専門学校に来ているのだ、みんな絵が好きで集まっている。そこに「絵を描くことが好きです」などとは少しおかしな自己紹介をしてしまったと思った。

 それから専門学校での授業が始まった。絵のことを知っていく楽しさに毎日が心躍る。それと同時に周りとの実力差にも驚かされた。

 当然、私よりもはるかに絵の上手な人間もいれば、その逆もいる。なんなら、専門学校で本格的に絵を描く人間もいた。

 私の隣に座る男も、そんな専門学校から絵を描く奴だった。

「絵、上手ですね」

 最初の授業のとき、そうやって私の絵をのぞき込んできて感想を述べていた。そう言われて、気になってのぞき返すと、そこにはお世辞にもうまいといえないものが描かれていたのを覚えている。 隣の席となると、否応なく会話をしなければならないときもあり、私は数少ないが彼と言葉を交わす。

「どうして、絵を描こうと思ったんですか」

 何かの弾みで私はそう尋ねていた。手は紙の上をなぞる。しばらくの沈黙の後に、彼は答えた。

「アニメとか漫画と好きで、ほらイラストって最近だと人気の絵師さんとかいて、僕もそんな風になれたらいいなって」

 少しだけ弾む声で彼はそう言った。べつに彼の答えに興味があったわけじゃない。ただ、自分以外の人間がどうしてこの選択をしたのか、それが気になっただけ。それだけなのに、無性に腹が立っていた。

 まるで小学生のような理由。自分のほうが立派な考えがあると言うわけではないが、彼のようなちゃちな理由を許容できるほど私はまだ大人ではなかった。

「逆に、あなたはどうして絵を描こうと思ったんですか」

 相変わらず声が弾んでいて、気分が良いのだろう。私は彼の聞いてきた質問に、言葉を返す気になれなかった。

 だが、隣で答えを催促する視線を向けられてしまう。

「これしかないからです。私は絵を描くのが好きで、それ以外に向いていないから」

 そうやって答えると、彼は少し意外そうな顔をしたのが、視界の端に見えた。

「これしかって、大げさですよ。何事も挑戦じゃないですか。僕だって、絵を描くのは専門学校に入ってからだし」

 その脳天気な声に苛立ち、握るペンに力が入る。挑戦することが悪いわけではない。それなのに、なぜ彼が口にするとこんなにも腹が立つのだろうか。それが、苦手な人間だとか嫌いだから、なんていうだけの理由ではない気がした。


「もうじき卒業ですね」

 あっという間の専門学校生活。毎日の努力が実を結んだ、なんて言う気はないが自分の望む道に進むことができた。

 私の隣に座り続けた男は、自分の絵に満足したのか途中で退学していた。最後に見た絵は、入学当初に比べれば多少は良くなっていたが、素人に毛が生えた程度のできだった。

 風の噂で、お絵かき講座を配信する動画投稿者になっている聞いて、一度だけ動画をのぞいたことがある。絵は相変わらずのままだった。

 そんな彼が一体何を教えるのか、私には興味がなくてすぐに見るのをやめた。

 人のことを気にする暇があるのなら、自分の腕に磨きをかける。私自身が敗者にならないように、そこにしがみつき続けるのだ。


                                     了

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