第16話解説・其の9
「アラタさん、『くそ、あこぎな商売で俺たちから金を巻き上げやがって。こんな豪邸ぶっ壊してやる』と言うセリフは禁じられたお酒で儲けていることへのいら立ちですか?」
「そうだ、かい子。禁酒法ができたのにお酒を密造していたらそこを取り壊したくなる人間も出てくるだろうからな」
「『こんなタンク、さっさと破壊してしまいましょう。こんなものがあるから争いごとが起きるのよ』と言うセリフは……」
お、そこは俺が気を付けたところだ。
「そこはだな、かい子。そもそも戦車は英語でタンクと言う。語源は諸説あるがもともとは水槽と言う意味のタンクだ。となると、このセリフでのタンクは戦車のタンクではなく月照荘で作られたアルコールを貯蔵していた水槽だってことになるわけだ」
「ほほう。突入してきた暴徒が戦車を目にしてタンクと言ったのではなく、アルコールが保存された水槽を見て『争いごとの原因になるから壊してしまいましょう』と言ったということですか、アラタさん」
「その通り。月照荘に突入した暴徒が俺たちの起動した戦車を見て驚かないわけないからな。このシーンはアルコールが保存された水槽のタンクを壊そうとしている暴徒に俺たちが戦車のタンクを見せつけて驚かすシーンなんだ」
タンクという言葉のダブルミーニングだ。どうだ、ミステリーの女神さま。
「しかし、アラタさん。『われわれ官憲のお縄を頂戴するがいい』と言うセリフは……FBIの名乗りがこれではさすがにアンフェアじゃないですか。FBIがお酒を密造している犯人に名乗るなら『FBIだ。逮捕する』でしょう。官憲とかお縄とか和風な表現をわざわざして……時代劇じゃあるまいし」
「いいんだよ、これで。本格ミステリーなんだからこれくらいぎょうぎょうしいほうがいいんだ。騙されたくせに文句を言わないでもらいたい、かい子」
「そして『神聖不可侵な我らに怖いものなし!』ですか。聖書をかざした禁酒法時代のアメリカの婦人団体ならともかく、いくら天皇陛下を現人神なんてたたえていた第二次世界大戦中の日本とはいえこんなセリフが使われますかねえ」
なんとでもいえ。しょせん負け惜しみだ。
「ですが、ラストの戦車の燃料口からエタノールをグラスでくみ出して乾杯するシーンは印象的ですね、アラタさん」
「なにせ、そこで『このお話は禁酒法時代のアメリカが舞台だった』と明らかになるシーンだからな。叙述トリックが叙述トリックだと判明するシーンは印象的になるに決まっている」
「叙述トリック云々もそうですが、燃料口からくみ出したもので乾杯するシーンですからね。これ、まず映像化は無理じゃないですか?」
まあそうだろうな。アメリカではタバコがペロペロキャンディーになる。日本では未成年の飲酒は禁止。そんな世の中だからな。
「そもそも、実際のところ現代のアルコール燃料って飲めるんですか、アラタさん?」
「飲めない。酒税法のおかげで燃料用のアルコールは飲酒できないよう添加物が加えられている。最後の乾杯のシーンは自分たちでアルコールを精製しているからこそのシーンだな」
「となると、このお話はメディアミックスは難しそうですねえ。そもそもお酒の密造ってのがテーマとしてアンダーグラウンドと言うか……」
そうだな、かい子。通常ならそうだ。しかし……
「かい子。高濃度のエタノールは消毒薬にもなるんだぞ」
「それです、アラタさん。エタノールには消毒作用があることについては後で説明するなんて言ってたじゃないですか。月照荘でのお話は終わりましたよね。じゃあ、エタノールの消毒作用について詳しくお願いします」
「例えばだ、かい子。全世界で凶悪なウイルスが蔓延して消毒薬が不足。薬事法なんてものがある日本で度数の高いエタノールを『これは飲用品だから消毒薬として使っちゃあだめだよ』なんて言って酒造メーカーが売る事態になったとしたら……」
「そんなことになったら、アラタさん。酒税法がどうとかこうとか言ってられないんじゃあないですか」
そうだな、かい子。非常事態になったら緊急避難と言うことで多少のことは許されるだろうな。
「じゃあ、そんな絶対消毒薬として使っちゃダメな飲用エタノールすら品薄で手に入らない。そもそも不要の外出すら控えるようなご時世になったら、やむを得ずぶどうジュースやりんごジュースからワインやアップルシードルを作って高濃度のエタノールを蒸留するなんてことも緊急避難として許されると思わないか?」
「少なくとも、家族連れでごった返して人の密集地帯になっているスーパーに行ったり、需要が急増して過労気味の配達職員さんに宅配してもらうよりは安全だと思います、アラタさん」
「そうだ。かい子よ、もはや事態は密造酒を消毒薬とするしかない状況にまでなっているんだ。と言うか、犯罪は犯罪でもウイルスをまき散らしたりするよりは上等じゃないか」
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