第4話 ゆづきの母の怪我 

 ゆづきは翌朝電車を乗り継ぎ病院へ急いだ。

 

 病室へ入ると、そこには足にギプスをし、身動きできずに寝息を立てている母の姿があった。小さな椅子に腰かけ、ゆづきは項垂れた。


「お母さん、ごめん。ひとりで大変だったんだね。私何にも知らないで……」


 この一か月間の母の苦労を慮ると、自分がいかに無力だったのかがわかり、意気消沈した。それでも生きていてくれただけでよかったと、母親の寝顔に語り掛けた。


 そっとスライド式の扉をたたく音がしてドアが開き、医師と看護師が問診にやって来た。ゆづきは会釈した。


「ご家族の方ですか?」

「はい。娘のゆづきです」

「お母さんの容態ですが、手術をして今は安定しています。足を強く打ち骨折していましたので、ボルトで固定しました。退院までには一か月、それから歩けるようになるまでさらに時間がかかるでしょう。立てるようになったらリハビリをしますので、どのくらい歩けるようになるかは今後の経過次第です」


 医師の病状説明を聞き、楽観できないことがわかった。


「ありがとうございました。毎日様子を見に来ます」


 話声が聞こえ母は薄く目を開けた。


「あら、来てくれたの。大丈夫だったのに。ありがとう。あっ、痛っ!」


 医師は母親の方を向いて言った。


「しばらく安静にしていてくださいね。動かしたら痛いですよ。それから、何かあったらすぐ呼んでください」


 そう声をかけ立ち去った。


「連絡を聞いた時は驚いちゃった。交通事故にあっただなんて。でも命に別条がなくてよかった」

「慌ててたのね。不注意だったなあ。こんなことになるとは思わなかった。あーあ、お店の準備も遅れちゃうし、困ったことになっちゃった……」

「今はお店の心配なんかしないで、まず足を治すことだけを考えて」


 ゆづきは母の布団に手を置いた。


「そうね。慌ててもしょうがないか。あ~あ」


 母は、ため息交じりにいった。


「あのね。お父さんから聞いたんだけど、お店の準備遅れてるんだって。私、何も知らなかった。手伝えることがあったら何でもやるから、言って!」


 ゆづきは、ベッドにさらに近寄りは半お顔を覗き込んだ。


「ありがと。心配しなくていいのよ。でも、ゆづきにもできそうなことがあったら手伝ってもらうからその時はお願いね!」


 母も久しぶりにゆづきの声を聴いて嬉しそうだ。

 


 ゆづきは母から預かった鍵で家に入り、一階の店舗になるスペースを見回した。木材や厨房に必要なものが雑多に置かれていて、まだまだ店ができるには時間がかかりそうだった。資金繰りが大変だという父から聞いた話もあり不安はさらに募った。


「お母さん大変なことになっちゃった。私、これからずっとここにいた方がいいのかな?」


 ゆづきは、父の姿を見つけると不安げに聞いた。


「お母さんの怪我が少し良くなったら戻っていいよ。春までには何とかする」


 父の疲れ切った顔からは無理をしていることがうかがえた。


 ゆづきは、その晩布団しかない二階の部屋で母のこと、俊のこと、これからの家族の仕事のことを考えた。何とかしなければ、と思いあぐねている間に空が白み始め、ようやく疲れが出て眠りについた。


 翌朝階下の店舗に降りて行くと、壁塗りをしている父親の姿があった。資金節約のため、できるところはすべて自力でやっていたのだ。 


「お父さん、生意気なことを言うようだけど、ちょっとお店持つの早すぎたんじゃない? ペンキ塗りも自分でやっていたなんて」

「ちょうどいい物件があったからなあ。早い方がいいと思ったんだ」

 

 ゆづきは、父親の楽天ぶりを嘆いたが、うまくいってほしい気持ちはそれ以上に強かった。手伝いがひと段落すると、ゆづきは病院へ向かった。途中で、母の好物のたこ焼きを買った。外側はパリッとして中がふわふわの触感が気に入っていた。ソースの香りが懐かしかった。病院で母と食べると、昨日以上に話が弾んだ。


「ねえゆづき、私が歩けるようになったら、おじいちゃんとおばあちゃんのところへ行ってあげて。おばあちゃんの病気ね、あまりよくないの。ゆづきがいてくれると心強いって頼まれてたの。今まで黙っててごめん……」


 だから、私だけ田舎へ行かせたのか。それも黙っていたなんて……。


 病院の帰り道で、ゆづきは俊に電話した。


「もう……。やっと電話くれたんだね! 行ってからずっと心配してたんだぞ。お母さんの容体はどうだった? それから、お店の事とか……」


 俊がちょっと拗ねている。


「もう、戻って来ないと思ってたの。心配かけて御免ね」

「そんなわけないとは、思うけどさ」


「そうだよね」

「声を聴いて安心した。そうそうお母さんの具合は?」


「骨折してたの。しばらくこっちにいることになると思う。お店の準備も手伝おうかと思って……。あと一か月ぐらいは帰れそうもない」


「……一か月かあ。長いね」

「退院するまでそのぐらいはかかるらしいから」


 ゆづきは寂しい気持ちを隠して答えた。


「わかった。そっちは大変だと思うから、手伝ってきて。それからお母さんに甘えてきて。それから……毎日電話するから出てくれよな!」


 俊は気を強く持っていった。あーあ、一か月は長い。ましてやあづさに会えない一か月は……。

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