第4話「歓迎」

001

 レビア出発の朝、旅路に必要な荷物を最低限リュックに詰め、紫苑は自宅を後にした。

 彼女の自宅の前には、既に準備を終えた高崎咲と、早朝にも関わらず、志賀中将が見送りに来てくれていた。

「おはようございます高崎少尉、それに志賀中将まで。こんな朝早くから、見送りに来てくださり、ありがとうございます」

「おはよう。それは気にしなくていいんだが、遠山君、もう彼女は少尉では無いし、君も少佐では無いんだ――」

「そうでした……。大変失礼致しました」

 そう言うと、志賀中将は紫苑の肩に手をやり、何度か叩いてみせた。

「彼女のことを、名前で呼ぼうと、私のことを呼び捨てにしようと誰にも咎められないということさ」

「えぇ……」

 困惑する、紫苑に志賀中将は慌ててフォローを入れる。

「いやぁ、すまない。最後のは冗談のつもりだったんだけどな。君もお堅い男だな」

「なるほど。私を名前で呼ぶのは、ご冗談では無いと」

 志賀中将は、笑いながら答える。

「そういう事だ。確かに国の命運を左右する重大な案件ではあるが、君達はあまり気負い過ぎるな。二人が仲睦まじく、レビアに無事到着する事を、私は祈っている。連合国との交渉の兼ね合いは、私に任せたまえ」

 その発言の直後、どこからか現れた加賀室長が、三人の背後から声をかける。

「私も、君達二人の無事を祈っているよ。それと、私の兄には、どうかよろしく伝えて欲しい。もう五年も会ってないんだ」

「加賀室長、私から、しっかりと伝えておきます。それに早朝からお二人とも、ありがとうございます。では時間もありませんので、行ってまいります」

「志賀さん、加賀先生、ありがとうございます。必ず、戻って参ります」

 彼女の方が少し、志賀中将の発言に対する適応能力が高いことに、紫苑は驚きを隠せなかった。


 その一方志賀中将は、二人に敬礼する為に持ち上げた手を、慌てて手を振る動作に変えて誤魔化していたのであった――。


002

 レビアに向かい小一時間ほど歩いていた頃、流石に無言に耐えきれなくなった紫苑は口を開いた。

「そろそろ休憩するか。えっと……」

「志賀中将の発言を真に受けていらっしゃるようですね。私のことは、咲と呼んでいいですよ。そうですね、少し休みましょう」

「……分かった、咲だな。俺の事も、好きに呼んでくれて構わないぞ」

「やっと隊長と同じ一人称になりましたね。私は、紫苑君と呼ばせて貰います」

 紫苑は、思った。こんな何気ないやり取りの中でも、咲は遠山蓮を、自分の兄を思い浮かべるのかと。

「嫌なら答えなくてもいいんだが、気になることがあるんだ。何故、咲がそこまで俺の兄を慕っていたのか知りたい」

「隊長は私を助けてくれた恩人です。それに、決戦兵器の担当上官でしたからね。最後まで、私を大切にして下さりました」

「兄の最後の言葉を、覚えているか」

 紫苑は、疑問を晴らすべく咲に質問を繰り返す。兄を慕った彼女のことを紫苑は知っておきたかった。

 咲はあの夜の、隊長の言葉を思い出す。


『俺が君に頼るまで、君には人でいて欲しい』

『君にはまだ心がある』


 そして咲は、震えた声を必死に言葉にして伝えた。

「最後まで私のことを……人として扱ってくださいました。君に頼るまで人としていてくれ、君にはまだ心があると。それから私は、隊長の手によって、深い眠りにつきました」

「そうか……そうだったんだな」

「私が守らねばならなかったのに。何故、隊長は私を頼ってくださらなかったのでしょうか――」

 ついには泣き出す咲を見た紫苑はどうしていいものか分からない。紫苑はただ、自分の考えを咲に告げることしか出来なかった。

「咲が俺の兄を慕っていたように、兄も君をきっと、自分よりも大切に想っていたんだよ……。やはり心の傷はお互いに、そう簡単に癒えるものでは無いな」

 紫苑も少し、俯き暗い表情を見せた。

「申し訳ありません。今まで、ずっとずっと、無理に明るくしてきました……。それでも紫苑君を初めて見て、話してみると、隊長の面影が蘇って……」

 紫苑は、咲の頭を優しく撫でる。

「もう、無理をする必要は無い。君はこれから人間に戻れるんだ。階級を剥奪された今、軍に戻る必要も無い――」

 少しずつ泣き止む彼女の目を真っ直ぐと見つめ、紫苑は自らの想いを咲に伝えた。


「君は、自由だ。これから好きに生きよう――」


003

 二人は再び歩きだし、シルム帝国とレビア、どちらの国にも属さない民間支配区域に到達する。

 境界線に立つ入国検察官が、二人に尋問を始めた。

「境界を跨ぎ、暫くすればレビアの支配地域になります。入国許可証をお願い致します」

「レビアに既に、二名の入国許可申請が通っている筈だ。確認をお願いしたい」

 入国検察官は書類を確認し、無線で連絡を取り終え、質問を続けた。

「御二方とも、お名前をお願い致します」

「遠山紫苑だ」

「高崎咲です」

「なるほど、確かに、お二人の名前でレビアから入国許可申請が出ています。お時間を頂きありがとうございます。どうぞお進み下さい」

 ここまで国境侵入が容易に出来たのは、加賀室長の事前申請のおかげだった。

 暫く歩くと、レビアの門が現れた。

 遂に、二人はレビアに到着したのだ。


004

 二人が門の前まで来ると、出迎えるように門が開いた。

 門の向こうでは、二人を出迎える国民で溢れていた。

 拍手と、英雄と称える言葉が鳴り止まない。

「これは一体、どういう事だ……」

「いや、私に聞かれても……」

 困惑する二人の前に、正式装備の軍人が現れる。国民は、彼を見て皆一同に静まり、地面に膝をついた。

「騒々しいお出迎えで申し訳ありません。ですがこれが、我々レビアの国民の想いなのですよ、高崎元少尉、遠山元少佐」

「英雄とは一体……。それにあなたは……」

「ご挨拶が遅れましたね。私はレビア国軍大将、ランドルクと申します」

「レビアの国軍大将がわざわざ……」

 

 驚く二人を前に、ランドルクは、話を続けた。

「決戦兵器は、確かにその驚異的な力で沢山の人間を殺し、国を脅かしたかもしれない。だがそれによってシルム帝国の同盟国である我々レビアでは平和が守られた。そして今レビアを守った英雄の命が危ない、我が国の優秀な科学者ならば、それを阻止出来るかもしれない、と――」 

 間髪入れずに彼は、更に、続ける。

「君の受け入れの準備は万端だ。施術も直ぐに行える。形式上、軍議会には出席してもらうが、それも私の判断ですぐに終わらせよう。安心したまえ、レビアの国民は皆、受けた恩を決して忘れない――」


005

 レビア国軍軍議会。

 レビア国軍の錚々たるメンバーの集う中、二人は議会室の前に並んで立っていた。

 ここでも咲は、拍手と歓声で迎え入れられた。それほどまでに彼女はこのレビアという国を守っていたのだと、改めて紫苑は気付かされた。

「ランドルクだ、これより、シルム帝国からの客人を招いた、臨時軍議会を開会する――が、彼女には時間が無い。すぐに済ませるが、異論は無いな」

 皆一同に、無言の相槌をすることによって、ランドルクの意見に賛同した。

「世界大戦で戦果を挙げた、決戦兵器。それがここにいる、元国軍少尉の高崎咲だ」

 全員が視線を咲に向けた。咲は、全員に例をし軽い自己紹介を始めた。

「シルム帝国元国軍少尉、高崎咲と申します。この度は同盟国であるレビアの皆様にまで、ご迷惑をおかけしていることを大変心苦しく――」

 咲の言葉を遮るように、議会室の扉が勢いよく開いた。

「決戦兵器がもう到着したって国中大騒ぎだ。どうして、俺に最初に面会しに来ないんだ」

「……Dr.ミノル。周知の上の発言だろうが、何事も軍議会を通すのが軍の鉄則だ」

「君のそのお堅い理論は聞き飽きたぜ、ランドルク大将。わざわざ出向いてやったんだ。ほら、時間が無い、一緒に来てもらうぞ」

 ランドルクはため息を漏らし、軍議会の進行を他の将校に任せ、咲と紫苑を連れレビア軍事施設内部の研究室へと向かった。


006

 ふぅ、と息をこぼし加賀実は自分の席に着いた。

「やはり、ここが一番落ち着く」

「急いでるんじゃ無かったんですか……」

 紫苑は呆れて本心を漏らす。彼自身焦っているのだ。

「君は確か、シルム帝国の遠山家の次男だったっけな」

「何故、そんなことを……」

「研究に関連する出来事を調べ尽くす。それが私のやり方だ。ましてや、我が故郷とレビアを守った英雄の命に関わるというなら、尚更な。手を打ってないわけじゃないよ」

「本当にありがとうございます。あと二週間ほどしか日がありません。間に合いますでしょうか」

 咲は、不安気な顔つきで加賀実に問う。

 彼は椅子から立ち上がり、手を挙げ合図のようなものを出す。それに呼応するように、付き従う研究員が集まった。

「求められれば、それに応えたくなる。そういう生き物だよ、科学者というのは」


007

 施術を翌日に控えた、今夜。加賀実の口から、重要な発表があるとの事で、ランドルク大将の提案により会食を行うことになった。

「さあ、遠慮せず召し上がってくれ」

 卓上に並べられた豪華な食事が、客人であるまだ若い二人にはキラキラと輝いて見えた。

「それで先生、重要な話というのは一体なんでしょうか」

「あぁ、勿体ぶっても仕方ないから包み隠さずに話すぞ。冷静に聞けよ高崎咲。決戦兵器から人間に戻す際、君の記憶の大部分が失われることが、シミュレーションによって判明した――」

 驚きを隠せない咲に、構わず加賀実は続けた。

「そしてその失われた記憶が、元に戻る確証はない。それでも、君が望むなら私は施術を行い必ず成功させてみせよう」

「紫苑君……。私は、罪の記憶を忘れて、それに何より隊長の事まで忘れて、自由になってもいい存在なのでしょうか……」

 虚ろな瞳で、咲は紫苑をじっと見つめる。

「咲は俺が、道中に言った言葉を覚えているか」

「……」

「君は自由だ、この言葉は俺だけの想いじゃない。咲の尊敬する隊長である俺の兄、志賀中将も加賀室長も、レビア、シルム帝国の国民も、皆一様にきっと思っている。君はよく頑張った。あとの選択は咲が自ら決めるんだ――」

 紫苑は、咲の手を強く、包み込み握りしめる。

「何者にも縛られるな。記憶は後から取り戻せばいいんだ」

 咲は静かに涙をこぼし、それを悟られぬように俯き、小さくずっと頷いていた。

「決まりだな。遠山紫苑、君は明日国に帰り、この事を報告しろ。必ず期日までに間に合わせよう」

「分かりました。彼女をどうか、よろしくお願い致します」


 その夜、咲は紫苑の提案で記憶を失った後に、やりたい事を書き上げることにした。

 軍を正式に除隊すること。

 世話になった上官や同僚達にお礼に回ること。

 そして最後に、自分の選んだ花を、遠山蓮の墓へ手向ける、こと――。


「必ず、生きて帰ってこい」

「ありがとう、紫苑君。私は隊長とあなたに何度も救ってもらった」

 気にするな、と紫苑は笑った。

 この時彼女の中で、何かが芽生えた事を、紫苑はまだ気づいてはいなかった――。


008

 翌日、紫苑はシルム帝国へと帰還した。

 志賀中将に、事の顛末を説明する。

「そうか、記憶が……。彼女にはまた辛い決断をさせてしまったな」

「ですが、咲はそれを受け入れ施術に臨みました。私は彼女の勇気を称えたいと思っています」

「そうだな。決戦兵器の無力化による解決については、連合国に既に要請をしている。期日の二週間後、連合国軍から専門家が派遣され、そこで結果を見た上で最終判断がなされるそうだ」

「分かりました。あとは彼女を待つだけですね」


 紫苑はただただ彼女の無事を祈り、長い二週間を過ごしたのだった――。

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