Chapter 3;視察と情報

 魔術王の古城に帰還したソロモンは「うあー」と疲弊しきった声を洩らし、ベッドの飛び込む。

「疲れたぁ……畜生、出来れば暇な奴に行かせたかったが……皆手、空いてねーしな」

 ソロモンは溜息を吐いて枕に顔を埋める。ふと、疑問が浮かぶ。

 彼の「悪魔」は建造物一つを破壊することが出来る程の強い能力を持つ。恐らく、現在計画しているゼルエル殲滅作戦も、簡単に熟せるくらいには。

 なのにどうして、ソロモンは自分の手で「天使」を殺さず、部下たちに委ねるのか……それは、彼の優しさからきているのだ。

 ソロモンは同じ目標を掲げる人間を寛容に受け止め、仲間として信頼し、接している。アデックの中には「天使」や創造神協会の手によって親や友人を殺された人間も少なくない。

 その復讐を、自分自身で果たせるように、彼は動くことは無いのだ。事実、ソロモンの持つ《七十二魔鍵ゲーティア》には天使長クラスの「天使」を殲滅することも可能だ。だが、ソロモンはあくまで「同胞たちと一緒に「天使」を殺す」ことを優先している。

 もしかしたらカマエルによって肉親を殺された職員もいるかもしれない。そんな職員がいると考えると、心が痛い。

「……他の部署の進捗はどんな感じだろうかな?」

 ソロモンの中に好奇心が芽生える。会議の結果、ゼルエル殲滅計画の開始日時は三週間後となったが、流石にそこまで進んでいないだろうと踏んでいる。

 アモンとサタナキアが何処まで情報を収集してくれているのかも気になるし、バアルによる兵器製造も恐らく結構かかるだろうと予測しているが……

「失礼します、ソロモン様」

 突然、扉を叩く音がし、扉が開かれる。そこには、桜色の髪の美少女・アスタロトが、ティーカップとティーポッドをトレイに載せていた。

「ああ、ありがとうな。それより、作戦準備の進捗はどんな感じになっているんだ? 丁度視察に行こうと思っってたんだが……」

「実は、結構詰まっているんですよ。わたしは参謀課で作戦の推敲をしているんですけど、情報が少ないから結構苦労してるんですよ」

 流石に優秀な構成員が集まる組織とはいえ、情報源が少ないと行き詰まってしまうのかと思いながら、ソロモンは「ふーん」と素っ気ない相槌を打つ。

「最近、本格的に「天使」の活動が活発化していると思うんだ。今日の朝も、官房長官の殺害事件が起こっただろ? あれも奴らの仕業で、俺が対処してきた」

「えぇ!? ソロモン様直々に?! 申し訳ありませんっ! わたしたちが無能なばかりに……」

 驚愕し、即座に謝罪するアスタロト。その言葉に、ソロモンは慌てながらも対応する。

「いやいや、お前らは智天使長ゼルエルの殲滅計画の準備をしているんだ。手が空いていないのは当然だろ? 多分そういうこともあるだろうからな、仕方ない。だが、流石に俺も毎回動くのは骨が折れる。だからある程度の人数の戦闘員を空けておいてほしい」

 戦闘員の殆どは戦闘訓練で手が離せないかもしれないが、「天使」は決してゼルエルだけではない。寧ろ、ゼルエル以上の「天使」も現れる可能性もある。となれば即座に動ける人間が必要不可欠なのだ。

「分かりました」

 アスタロトは華奢な声で返事をして、ティーカップに紅茶を注ぎ込む。緋色の透き通ったその色彩と、鼻腔を燻る芳醇な匂い。

「ダージリンですよ、お召し上がりください」

「ああ」

 ソロモンは注がれた紅茶を口に運び、まるでワインを堪能するかの如く、舌で転がす。甘くもあり、苦くもある。癖のあるその匂いと味は、実に趣深い。

 アスタロトはアデック結成以来、ソロモンの近侍として様々な業務を熟して来た。誰にも優しく接し、課された仕事を成し遂げる…彼女以上に優秀な部下を、ソロモンは知らない。

 彼女の淹れる紅茶は実に美味しく、店すら開ける可能性の片鱗もある。

「美味しいな、ありがとうな。アスタロト」

 ソロモンは微笑みながらアスタロトのしなやかで美麗な桜色の髪を優しく撫でる。こうして見ると、ソロモン・リュースレスという男が怖く感じる。

 彼はアデックの職員に対しては寛容に気前良く接する理想の上司だが、「天使」やそれらに関連した人間に対してだけは文字通りの「悪魔」と化す。二つの仮面を持つが、仮面の表情の格差が激しすぎて、中には恐怖を覚える者もいるだろう。

「えへへぇ……ありがとうございます!」

 嬉しそうに笑うアスタロト。そして紅茶を飲み干し、立ち上がるソロモン。

「さて、俺はそろそろ視察に行ってくるとするかぁ。最初はそうだな……兵器製造課のところかな」

 一人熟考しながら、ソロモンは決意する。

 兵器製造課は意外とペースが遅いと思われがちだが、実は製造課の室長であるバアル・レージャスティは、錬金術の様な「悪魔」…《永劫輪廻の黄金笏バエル・ヴィリア》で廃棄物から兵器の素材を錬成することもでき、構造を理解すれば特定の物質を構成することさえも可能な強力な「悪魔」なのだ。

 だから、恐らく対天使砲撃大型戦車「ケルベロス」の製造も順調だろう。

 ソロモンは自分の部屋――正式名称「王の間」の扉を開けて、広く何処までも続く廊下を渡る。

 その背中についていくようにアスタロトが慌てて走り出す。


   †


「失礼するぞ、バアル。状況の方はどうだ?」

 魔術王の古城の東側にあるのは、超巨大な工場であった。溶接の音や機械の駆動音が巨大な空間の中に響いていた。

 その中で黄金と漆黒を基調としたコートを纏った金髪で何処か神妙な男――バアル・レージャスティに声をかける。

「おぉ! ソロモン様っ! 視察ですか!? 状況ですか……意外と進んでおりますよ。僕の《永劫輪廻の黄金笏》のおかげで効率は良いですね。でも、流石に僕も消費が激しいんで、今後は少し効率が低下する可能性もありますね」

 バアルは疲労困憊と言わんばかりに溜息を吐く。

 彼の持つ「悪魔」…《永劫輪廻の黄金笏バエル・ヴィリア》は、ある素材を別の物質に変換する錬金術のような能力を有し、更には兵器すら容易く製造できる力を持つのだが、製造能力は脳に負荷がかかるのだ。

 設計図の構造を脳で理解し、「悪魔」で錬成する。それゆえに、記憶能力を司る機能や構造を理解する機能に莫大な負荷がかかり、疲弊する。

「やはりか……ケルベロスは現在何台まで造られている? 結構の期日までは間に合いそうか?」

「スタートダッシュをしたおかげで、ノルマの百二十輌の半分くらいは行きましたね。でも、三週間後までに間に合うかは、少し不安ですね」

 予想の範囲内というところだ。バアルの《永劫輪廻の黄金笏》で製造できる兵器の数は最大でも五十台程度のもので、それ以上となれば負荷によって脳が壊されるだろう。ケルベロスは、通常の製造速度で造るならば大体一か月かかるが、アデックの構成員の「悪魔」ならば、一週間で出来る。

 しかし、ゼルエル殲滅計画は三週間後――単純計算で三台しか造れないことになる。そうなれば戦力は大幅に減少してしまう。

「うむ……まぁ、兵器製造には少なくとも三か月は必要だからなぁ……急すぎる作戦だったし、無理ないか……よし」

 ソロモンは何か閃いたような表情で突然タブレットを取り出す。まるで亜空間から取り出したかのような……

「俺の《七十二魔鍵ゲーティア》の一角【欺瞞の錬金魔騎士ベリト】を授けよう。そうすれば効率も上がるだろう」

「よ、よろしいんですか!? ソロモン様の持つ《七十二魔鍵》の一端を、僕たちに……」

「気にするな。これは「天使」を殲滅するための戦争だ。それも今までとは格段に強い部類の、な。だから、全身全霊を尽くして戦う事こそ、礼儀ってもんだ」

 ソロモンはバアルの肩を叩きながらバアルの背後にある製造用の中枢機械の方へと近寄る。そしてタブレットと中枢機械の操作画面を並行で操作する。

 ソロモンの持つ「悪魔」の一つ――【欺瞞の錬金魔騎士】をこの機械にインストールした。この【欺瞞の錬金魔騎士】は、バアルの持つ《永劫輪廻の黄金笏》に似たような機能を保有しており、一時的に反対の言葉しか発言できない代わりに、構造を理解した兵器や物質を錬成する能力を持つ。

 本来であれば「言葉が反転する」という代償があるが、機械にそんな代償は通用しない。だからどちらかというと機械に与えるべき「悪魔」なのだ。

「これで使えると思うぞ。操作方法のマニュアルは俺の方でお前の端末に送っとくから、それを確認してくれ」

「はいっ! 感謝いたします!」

 バアルは大袈裟な表情と仕草で歓喜を伝える。これで、兵器製造課の視察は終了だ。ソロモンは颯爽と工場を去っていく。

「え、えと! 頑張ってくださいね、では」

 アスタロトは丁寧に挨拶をして、ソロモンの背後を追っていく。


   †


「次はそうだな……戦闘員たちの視察だな。アスタロト、お前は後衛部隊の隊長でもある…お前が見た時点ではどんな感じだった?」

「そうですね、流石ソロモン様の部下ということもあって、戦闘能力は相変わらずと言ったところですね。兵力は特に問題は無いと思うんですけど、問題は――」

「作戦の推敲――か」

 そう、作戦。大まかな作戦は先日行われた幹部作戦議論ブリーフィングでソロモンが提案した作戦でいいのだが、具体的な配置や時間帯などは基本的に戦闘部署――戦闘課と参謀課が決定するモノなのだ。

 もしかしたら「天使」側も軍勢を率いて戦闘を仕掛ける可能性もあるし、此方と同じように斥候による調査や奇襲を仕掛ける可能性もある。

 相手がどう出るか、それを考慮して、慎重に作戦を立てなければいけない。だが、作戦に必須なのは「情報」であり、その情報源が現時点では手薄というところが、問題点なのだ。

「分かった。では訓練所の様子を見て、特殊諜報室の方に向かうか」

「はい。承知しました」

 そうしてソロモン達は北側にある戦闘訓練所へと歩を進めていく。


 戦闘訓練所では、様々な「悪魔」の使用訓練が行われていた。武具の形状をした「悪魔」を使う構成員たちは互いに刃を交じらせ、機器系統の「悪魔」を有する構成員たちは一人一人能力を使って点検をしている。

 皆、復讐と使命感に燃えているのか、非常に真剣で、努力している。そう感心していると、一人の青年が歩み寄ってくる。

「お、ボスじゃん。ちわー」

 この軽率というべき口調の真紅の髪の青年の名前はベリアル・ヘルティアート。アデック幹部の一人で戦闘課を仕切っている室長である。

 彼は普通の社会では絶対に死にそうな口調を使い、恐れ知らずだが、その実力は確かで、物理攻撃型の「悪魔」の中であれば最強と言っても差し支えが無いだろう。

「よぉベリアル。相変わらず不敬だな……まあいい、それより皆はどんな感じだ?」

「どんな感じっすか……いつも通りっすよ。まあオレの教え方が優秀過ぎるのかもですけど、ハハハ!」

 自分に自信があるのか、彼は非常に傲慢な言葉を呟く。癪に障るような言い方かもしれないけど、否定できないのが正直憎い。

 彼の訓練は実践向きで、現代の地形や様々な状況を想定し、様々な戦闘方法を叩きこんでいるのだ。ベリアルの率いる戦闘課の中の精鋭部隊――「チャリオット」の人間においては、ベリアル直々の特殊訓練を受けているからか、「天使」の殲滅回数が飛び抜けて多いのだ。

「ま、そうだな。順調そうで何よりだ。じゃ、俺たちは特殊諜報室に行ってくる。一生懸命、励むように」

「はーい」

 腑抜けた声で返事をするベリアルに、「やっぱりうぜぇわ」と心の中で愚痴を呟くながら、特殊諜報室のある場所へと歩き出す。

「えっと、頑張ってくださいっ!」

 ぎこちない仕草と表情で一礼するアスタロトに、ベリアルは軽く頭を撫でて、

「やっぱりアスタロトちゃんは可愛いなぁ。そっちも頑張れよ~」

「は、はいっ!」

 何処か慌ててアスタロトは颯爽とソロモンの姿を追っていく。


   †


 参謀課に訪れなかった理由は単純で、現在の参謀課は忙しく、更に言えば今視察したところで何か特別な作戦を思いついているわけはないだろう。

 結構な頻度で諜報室は参謀課に情報を渡しているらしいが、諜報室自体がゼルエルの情報をあまり手に入れていないから、作戦は思いついていないだろうと考えている。

「邪魔するぞー。アモン、状況の方はどんな感じだ? 目ぼしい情報はあるか――って」

 ソロモン達が目の当たりにしているのは、大量のエナジードリンクや栄養ドリンクの空容器が散らばり、死んだ魚のような目でパソコンと睨み合っている諜報員たちであった。

「何だこりゃ!? おい、何があったんだ?」

「え? ……あー、ソロモン様ですか。こんばんは~……視察ですかぁ…?」

 特殊諜報室の室長…アモン・ル・ノーレッジは、眼球が充血しており、掠れた声と疲弊しきった顔でソロモンに挨拶をする。

「お前ら……まさか徹夜で……」

「えぇ、なかなか情報が出てこないもので、結構苦労しましたよ……はは」

 乾いた声音で返答するアモン。どうやら昨日の幹部作戦議論の直後から情報収集を始めていたらしく、特殊諜報室とアモンの「悪魔」を以てしても情報を取得することが困難だったそうだ。諜報員としてのプライドなのか、何かしら重要な情報が手に入るまで寝ず食わずでネットプールを捜査していたそうな。

「いやな? いくら急な作戦だからって徹夜しなくてもいいじゃないか……きちんと食べて、ある程度の仮眠を摂ってくれ……」

「はぁ……すみませんねぇ……」

「アモちゃんっ! いつも言ってるでしょ!? 夜更かしはダメだってっ! 次からは皆も、アモちゃんも、ちゃんと休んでよね?」

 唐突にアスタロトがアモンの前へと歩み寄り、注意喚起をする。まるで子を諭す母親の様な何かを感じる。

「うぅ……アスタロトに言われると反論できない……っ。分かったよぉ、次からはきちんと寝るようにするよ……」

 アモンは自分の頬を叩いて、眠気を吹き飛ばす。そして、真剣な表情でソロモンの前に立つ。

「あの、ソロモン様。実は智天使長ゼルエルに関する重大な情報を発見したんです」

 ゼルエルの重大な情報となると、結構な進歩だ。これで参謀課もある程度の作戦を編み出してくれるだろう。

 そんな思考を巡らせながら、ソロモンは質問する。

「それで、どういった情報なんだ?」

 アモンは眼鏡をクイッと上げて、自分専用のノートパソコンを手に取って、その画面を見せてくる。


「智天使長ゼルエルに搭載された、「能力」に関する情報の一端です」

 

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