第31話
「はは、なんだよそれ」
花にそう水を向けられた雅人は、軽く息を吹き出しながら破顔する。
「教えてくれって、なんで俺が? ていうかそれ、マジでヤバイんじゃないの? 通り魔か何か? 警察には言った?」
「言ってないけど、そのほうがよかった?」
「いや、よかった? って言われても……。まぁ、特に被害もなくて面倒事が嫌っていうんなら……。それ相手の特徴とかは?」
「帽子をかぶってサングラスをして、黒いマスクをしてた。あととても背が高かったと記憶してる。ちょうど雅人くんぐらいの……」
「だからさっきから何なのそれは」
遮った雅人の口調は少し強くなっていた。
しかし花はそれに尻込みするどころか、より一層強い視線を雅人に返した。
「もう面倒だから言うけど……あの時、私と目があったわよね? サングラス越しではあったけど。おとといのことなんだけど、覚えてない?」
「いやいやいや、これまた急な……」
「ちなみにおとといの夕方六時ぐらいって、どこで何してた?」
花が一方的にそうまくしたてていくと、雅人が呆れたような顔をして拓美のほうへ目配せをする。
それを受けた拓美が横合いからたしなめるように口を出した。
「……花。なにバカなこと言ってんだよ、やめろって」
「拓美も、言ってたわよね? 家のポストに例の手紙と、死骸が入っていたって」
「……ああ、それが?」
「実は私、結構前から拓美の家の前にもカメラを仕掛けてたんだけど……犯人、写ってたのよね。その時は忘れちゃったのか、マスクもサングラスもしてなかったみたい。今持ってきてるんだけど、映像見る?」
拓美が目を瞬かせて、花を見た。
そして何も言わずうつむいて、長い沈黙になった。
バイクの通り過ぎる音が半開きになった窓から入ってきて、遠ざかっていく。
やがて静けさが戻って、なおも誰もが身じろぎ一つせずにいると、部屋に雅人の乾いた笑い声が響いた。
「……はは、もういいわ、参りました。まぁ下駄箱にカメラ仕掛けるぐらいだから、そんぐらいはやってるかなぁって思ってたけど」
「じゃあ、認めるってこと?」
「認めるも何も、とっくにわかってるんだろ? 疑いの余地もないぐらいに。あんたも、タクも」
雅人が拓美と花の両方へ向かって顎をしゃくる。
拓美は相変わらず何も言わずうつむいたままだった。
雅人は目線を花の方に戻して、
「白々しいよなぁ、知らん顔でわざわざ呼び出してさぁ」
「それは、お互いさまでしょ?」
「ふぅん……というと?」
「あなたの目的は、バレないように拓美に嫌がらせすることじゃない。拓美を苦しめることだから。だから自分が犯人だって、バレてたって構わない。むしろ、そのほうが拓美は苦しむ。そうよね? だってそうじゃなければこんな大胆で……あまりにもお粗末で間抜けな犯行に説明がつかないもの」
花がそう言うと、雅人はおどけた調子で両手を上げて首を振ってみせた。
「はい、お見事お見事。全くその通りでございます。そうだな……優しい優しいタクのことだからな。俺が何やったって、気づかないふりして知らんふりするって、そう思ってたよ。なのに……」
雅人は鋭い目で拓美の方を睨んだ。
「お前、ヒナに泣きついたんだろ? 手紙のこと」
雅人の言葉に初めて感情が混じった。
それでも黙っている拓美の代わりに、花が答える。
「何か、勘違いをしているようだけど。真中さんに手紙のことを話したのは私よ。拓美じゃない」
「あぁ? そうかよ……。まぁ今となってはなんでもいいや。どのみち俺はもう、限界だよ。疲れた。そんでどうする? 俺を警察に突き出すか」
「拓美に対してあらゆる嫌がらせをしていたのも、全てあなたの仕業ね?」
「ああそうだよ。考えついてできそうなことは一通りやったよ。だっておかしいだろ? 俺一人だけが苦しむって。……それよりなぁ、どうするよタク。この場で俺をボッコボコに殴り殺すか? お前なら簡単にやれんだろ?」
「……マサ、つまんねー冗談言うなよ。全然、おもしろくねーからさ」
「冗談? 冗談ねぇ……。はは、冗談なわけ…………ねーだろ!!」
雅人は大きく腕を振りかぶると、床を強く叩いて立ち上がった。
そして拓美を見下ろし睨みすえて、
「もういい加減思い知ったよ。ヒナが喜ぶのも、怒るのも、悲しむのも……。全部お前の、お前のことばっかりで……。やっとお前に彼女できたってなんてさ。俺もそれで丸く収まると思ったよ、最初は。だけど結局ヒナは、タク、タク、タクタク……って、もうお前のことしか見てないってな。本当はお前だって、ヒナのこと、好きだったんだろ? でも……だけど、俺は! お前なんかよりずっと前から、ヒナのこと見てて……好きだったんだよ! それでなんでお前が選ばれるんだよ!? おかしいだろ! 昔のお前なんて、チビで泣き虫で、ビクビクおどおどしてて……結局顔ってことかよ!?」
そう拓美に向かって怒鳴り散らすと、雅人は奥歯を噛みしめるように口を閉じて、ぐっと拳を握りしめる。
やがてふぅ、ふぅ……と肩で息をするような荒い呼吸が聞こえ始めた。
「でもな、ヒナがお前を選んだとしても、もうしょうがないって……諦めようと思った。だけどそしたら俺は、もうヒナと……友達ですらなくなって……。俺から別れを切り出したら、今のヒナなら……きっとそうなる。昔のヒナはあんなに、あんなに優しかったのに……。お前のせいだよ、お前のせいで、ヒナがおかしくなったんだ」
わなわなと全身を震わせながら、雅人が恨み言のようにそう吐き出す。
まっすぐその憤りにあてられた拓美が、顔を上げて雅人を見返して、一度目線をそらして、再び戻して、何事か口を開きかけたその時。
玄関口の方から物音がした。すぐにゆっくりと小さい足音が近づいてきて、静かにリビングに制服姿の陽愛が現れた。
陽愛は耳に当てていた携帯をしまうと、一度ぐるりと室内を見渡してから雅人に視線を留め、表情のない目で、無機質な声で言い放った。
「タクはなんにも悪くないよ」
「ヒ、ヒナ……?」
「あたし、全部聞いてたから」
「聞いてた……?」
目を見張る雅人。
するとすかさず、花がテーブルの上のカバンに差し込んであったスマホを手にとった。
「……これ、集音マイクついてるから。最初から真中さんにも全部、外で聞いてもらってた。彼女がいると正直に話してくれないと思って」
花の言葉に、雅人だけでなく拓美も驚きを隠せないようだった。
ついに立ち上がった拓美は、無理矢理に笑顔を作って、陽愛に身振りを交えながら声をかける。
「ちげえよヒナ。これ、あれだから。そういう……ドッキリだから。ちょっとマサのアドリブが過ぎるけど……」
だがそう言いかけたとたん、それを遮って雅人が烈火のごとく声を荒げ、拓美に詰め寄る。
「タク! 何でまだ俺をかばうんだよ!? 俺は! お前が苦しんでるのを見て、内心ほくそ笑みながら、友人ヅラして! 嫉妬して、嫌がらせして、追い詰めて……最低の、最低のクズ野郎なんだよ!」
「ほら、マジすげえよな? こいつ。俳優とか向いてんじゃねえの」
拓美は雅人を押しのけて、カラカラと笑い飛ばしてみせる。
その二人のやり取りを無表情で、どこか他人事のように見ていた陽愛は、突然拓美に向かって口元をほころばせて、
「大丈夫だよタク、心配しないで。あたし、全部聞いてたから、ちゃーんとわかってるよ。みーんなマサが悪いんだよね。タクを苦しめてたすべての元凶は……」
そう言いながら陽愛は二人の脇を素通りし、ふらふらと台所の方へ歩いていく。
若干おぼつかない足取りではあったが、陽愛はすぐに戻ってきた。
手には鈍色の刃物が握られていた。その目はどこか遠くを見ながら据わっているようだった。
陽愛は刃の切っ先を雅人に向けて、誰にともなく言った。
「待っててね? 今あたしが、タクを助けるからね」
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