第28話

 マサやヒナとの関係がぎくしゃくし始める一方で、俺は花とは今までどおり、いや今までよりも一層お互いの距離を近づかせ、関係を密にしていった。

 今や花は初対面の時とはまるで別人のように険が取れて、とにかく優しい。いや、もともと優しい子なのだ。

 デートの段取りが悪かったり、財布を家に忘れたり携帯をお店に置き忘れたり、とにかくいろいろやらかしても絶対怒ったりしない。

 それどころか逆に俺の体調を気遣って心配してくれる。


 家で二人きりになった時なんかは、花のほうから率先して「おいで拓美」なんて言って、自分から抱きしめてくれるようになった。

 これがまあよく眠れる。言うなれば花ちゃんゆりかごである。俺はこれで非常に助けられている。


 しかしその反面、こうしてひたすら花に甘やかされることで、どんどんダメ人間になっていくのではないかという恐れがある。

 慢性的な睡眠不足で注意力が散漫になっている、というのもあるのだけど、最近は我ながら輪をかけてひどくなっている。

 俺はそれなりに我慢強いつもりでいたけども、やはりあれこれと物事が積み重なってくると、自分の意志だけではどうにもならないところで軋轢というかガタが生じるものらしい。

 人間の体というものはやはり、ずいぶん繊細にできている。いくら肉体が頑丈でも、壊れるのは簡単だ。

 朝、洗面台の前で目の下にできた隈を見ながら、そんな事を思った。




「今日は大事な話があるから、拓美の家に行きたいんだけど」


 昼休みに自販機でジュースを買いに行った帰り、偶然すれ違いざま、突然花にそんな事を言われた。

 俺と花の教室はそもそも階が違うので、示し合わせない限りこうやって行きあうのも珍しいので、思いがけない幸運に心躍る思いだ。


 さらにまっすぐ熱っぽい視線をあてられて、そんな事を言われたらもう一気にテンションマックスである。

 花のほうからお家でイチャイチャリクエストとは、これはもうついに一線を越えてしまうかもわからん。


 二つ返事でオッケーをすると、花は笑顔で頷きしばらく俺の顔を見ていたが、結局何も言わずに「じゃあね」と踵を返す。

 学校ではちょっとそっけないのはまあ、今さら言ってもしょうがない。

 

 午後の授業はそわそわしっぱなしで、やっとのことで放課後になると花と合流し、いつもどおりのたわいもない会話をしながら一緒に帰り道につく。

 道中「大事な話って何?」と尋ねると、花は意味ありげに微笑んで「まだヒミツ」とだけ返してきてこれは内心ドキドキである。


 やがて家に到着すると、お互いソファで飲み物などあおって一息つく。

 やはりなんとなくいつもと花の雰囲気が違うな……と俺が思い始めた矢先、花はいきなり立ち上がって制服の上着を脱ぎ始めた。


「は、花ちゃん、ちょっと……。いきなりそんな大胆な……」

「ん?」

 

 慌てる俺に花は一度首を傾げてみせると、上着をハンガーにかけて戻ってきて、再度俺のすぐ近くに座り直した。

 俺に対してやや斜め向きに、背筋をぴんと伸ばしながら座って、間近で顔を見つめてくる。真剣な表情だった。


「私ね、ずっと……拓美の方から言っくれるのを待ってたんだけど。そろそろ、我慢の限界なの」


 ヘタレですみません。

 しかし花にこうまでさせたからには、後は俺がイニシアチブをとらねば。

 

「わかった。……いいよ、先にシャワー使って」

「……シャワー?」

「ごめんね、女の子のほうからそんな風に言わせて……。俺、初めてで下手くそかも知れないけど、頑張るから……」

「何を言ってるの? あの……例の手紙の件なんだけど」


 やっぱり違うんだよなぁ。

 そんなわけないよなぁ、まあわかってはいましたけど。

 はぁ……と一気に体から力が抜けていくが、次の花の一言が、またたく間に再度俺の体をこわばらせた。

 

「私の下駄箱にも入りだしたの」


 さっと全身から、血の気が引いたような感覚がした。

 気づけば俺は、花の目をじっと凝視していた。

 

「それ……いつから?」

「ちょっと前から」

「ちょっと前からって……なんですぐ言ってくれないの!」

「……ごめん。心配かけたくなかったの」

「し、心配かけたくなかったって、だからって……」

「拓美と一緒」

「お、俺と一緒?」

「何でも話して、って言ったのに、拓美も私に、黙っていることあるでしょ?」


 花の瞳は、まっすぐ俺を見て離さなかった。

 もはや言い逃れはできないと思った俺は、視線を外し、頷く。


「……うん。最近はひんぱんに俺んとこにも入ってるよ。復活した」

「それだけじゃないでしょ?」


 黙っていると、花は腕を伸ばしてきて、俺の両肩を掴んだ。

 力強く握り込まれた手のひらは、俺がなにか口にするまで、解放する気はないようだった。

 

「拓美、お願いだから」

「……家のポストにも入ってる。なんかよくわからないネズミかなんかの死体も一緒に」


 そう言うと、手の力が緩まった。

 だらりと両腕を下ろしてうつむく花に向かって、俺は笑いかけた。


「もうホラー映画みたいだよね。はは、どんどん近づいてきてるなって」


 ずいぶん大胆なことすんなぁって。

 でもなんかあちらさんすっかり機嫌損ねちゃったみたいで、まあどうしようもないよね。

 花は顔をあげると、眉を寄せながら玄関の方を睨んだ。


「……つけられたか、もともと家を知ってたか」

「まあ同一犯とは限らないけどね。もしかして闇の組織みたいなのが暗躍してるのかも……。狙われる俺かっこよくない?」

「ふざけるのやめて」


 花が鋭く睨みつけてくる。

 けどすぐに目元が緩んで、瞳が不安の色を帯び始めた。


「大丈夫だよ花、俺は……」

「じゃあ、あの話聞かせて? 飛び降りて死にかけたって話」

「えっ、それって……」

「真中さんから聞いたの」


 花といいヒナといい、みんなおしゃべりだなぁ。

 今度からは恥ずかしいから誰にも言わないでって、お金握らせてしっかり口止めしておかないとダメかなぁ。


「いや、あの時はね、その……なんかこう、最高にハイだぜ! って気分になって……」

「拓美、ちゃんと私の目を見て話して」


 促されるが、俺は花の目を見ることができず、うつむいたままだった。

 こういう時の花の目は、何でも見透かされそうになるからちょっと怖くて、まともに見れたもんじゃない。

 

 だけど花のことだから、俺が言わなくたって、もう全部気づいてるのかもしれない。

 きっと困っただろうなぁ、悩んだだろうなぁ、迷っただろうなぁ。

 それでも花は、逃げないで向き合おうとした。本当に強いんだ。強くて優しい子だ。

 でも俺は、弱くて、情けないやつだから、こう言う。


「花……俺たち、別れよう」

「ふざけないで」


 花は間髪入れずにそう返してきた。

 きっとそう言うと思っていたので、俺は立て続けに二の句を告げる。

 

「こんなやつといると、ろくなことない。やっぱり俺……花にはこれ以上迷惑かけられないよ」

「私のことが嫌いになった、って言うんならしょうがない。でもそういう理由は絶対に嫌」

「いやでも、俺は……」

 

 俺は顔を上げて、見た。

 花は泣いていた。

 泣きながら口元を歪めて、唇を噛みしめた。

 

「どうして、そうやって……」


 花の握りしめた拳が、俺の胸を叩く。

 崩れ落ちる彼女を前に、俺は何も言えず、ただ頬から涙がこぼれ落ちるのを見ていた。

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