第24話
花が拓美と付き合いだして、はや一月が過ぎようとしていた。
彼との関係はいまのところ概ね良好……どころか、お互いの気持ちは日増しに強くなっているように思う。
ほぼ毎日、何らかの形で顔を合わせてはいるが、別れた後も彼のことが頭から離れない。
気づけば拓美のことばかり考えている自分がいる。
今頃何をしているのか。ちゃんとご飯を食べてるのか。睡眠は取れてるのか。
こうしてみると心配事ばかりになってしまって少し辟易であるが、どれも気がかりなのだからしょうがない。
もちろん、会いたい、もっと一緒にいたい、彼に触れたい、触れられたい、といったいかにも恋人らしい欲求だってある。
最近では拓美と一緒にいるだけで、自然と心が温まって気分が安らぐ。
拓美はとても甘えたがりで、一緒にいる時は四六時中ベタベタと体のどこかしらに触れたがるため、自然と花が受け身になりがちだ。
だけど実を言うと、たまには自分からも甘えたい。
素直に言い出せない時がもどかしくもあるが、やはり花が歯止め役にならないといわゆるアレなカップルになってしまうので自重している。
仮に自分に恋人ができたとしても、きっとこんな風にはならないだろうな、と思っていたのに。
拓美と出会う前の自分が今の自分を見たら、なんて言うだろうか。
呆れ顔で苦言の一つでもこぼされるかもしれないけども……それでも胸を張って、彼のことが好きだから、と言い返してやれる。
拓美は少し空回りすることもあるが、自分をとても大事にしてくれているのがわかる。
どころか、気の遣いようがやや過剰と思える時すらある。
だからと言って振る舞いが文句のつけようがないぐらい完璧……なんてことはもちろんなくむしろ穴だらけだけども、それもひっくるめてとても愛おしく思える。
今日は一体何を言い出すのか、何をやらかすのかと楽しみで、それが毎日続いて、次に会う時を待ち遠しく思っていると気づく。
自分は今、幸せなんだと。
その一方で花は、白鷺拓美という人間と、それを取り巻く環境について観察し分析していた。
人に探られたくない腹をあれこれ勝手に詮索するのはあまりいい趣味とは言えないだろうが、それはもう自分の癖、というか性分なのだと思う。
拓美は兄弟はおらず一人っ子。
両親の離婚後、半年ほど叔父の元に引き取られていたが、家が手狭、年頃の娘が二人いることと、なにより拓美本人の強い希望で、高校入学とともに一人暮らしに。
叔父が不動産関係の仕事をしているため、ちょうどいいアテがあったらしい。以前から両親ともに家に帰らないことが多く、一人は慣れているとのこと。
性格は基本明るい。表面上のコミュニケーションは上手。
本人は「俺けっこうコミュ障だから」と折に触れて言うが、傍目にはまずそんな印象は受けない。
だが気分の浮き沈みがあり、ふざけて強気に冗談ばかり言ってるかと思えば、別人のようにおとなしく静かな時もある。
非があれば基本的にすぐに謝る。しかし不当に自分を卑下するきらいがある。
だが実際に能力が著しく劣っているということはなく、むしろ高い。
際立っているのが運動能力。この前あった体力テストは、運動しなくなってなまっていると言っていたがA判定。
勉強の成績はよいとは言えないが、特筆するほど悪くもない。おそらく本人のやる気の問題と思われる。
趣味はテレビゲーム。
部屋はそれなりに乱雑だけども、散らかっているほとんどが衣類や食べ物のゴミで実は余計なものがあまりない。
壁もまっさらで、ありがちなアーティストやアイドルなんかのポスターなども一切ない。
家具も最低限なので本棚などもなく、唯一あるのがゲーム機。それも一、二世代前のもの。
ゲームが好きだというが、そのくせ最新のゲームなんかには目もくれない。安売りをしている時に古いソフトをまとめて買ってくるという。
慢性的な睡眠不足に悩まされており、決まった時間に眠れることが少ない。
夜眠れないと、その時間が辛いのでゲームをやってごまかすと言っていた。
交友関係は浅く広く。学校ではたいていのクラスメイトと仲良しだ、と拓美は言う。
ただ学校が終わると誰とも接触することはなく、付き合いがあるのは鷹野雅人と真中陽愛二人の幼馴染のみ。
拓美からは二人の話をよく聞く。何が好きで、嫌いで、いついつどんなことがあって、楽しそうに話す。
花自身徐々に二人との交流が増えてきて、二人についてはおおよそ拓美の話とさほど相違ないことがわかってきた。
さすが小さい頃からの付き合いと言うだけあって、以心伝心とまではいかないが言葉少なでもしっかり意思疎通が取れている。
ただそれでも、どことなく二人の対応に、拓美が心を砕いているように見える時がある。
花と二人でいるときともまた少し違う、どこか気取っているような、気を張っているような。
十年来の親友を前に、自分を演じなければならない理由なんていうものがあるものなのだろうか。
自身そのような間柄の親友、なんていたことがないから、及びもつかないことではある。
もちろん演じているのは二人の前ではなく、単純に彼女である自分といる時、と考えるのが自然ではあるのだが……。
あの二人に関して、どうにもひっかかっていることがある。
この前一緒に水族館に行った時のことだ。
お手洗いから拓美のもとへ戻る途中に、偶然二人が展示物を眺めている背後を通りかかったので、声をかけるか迷っていると、会話が聞こえてきた。
「タクも水無瀬さんも、楽しそうだったな」
「……何話しかけてきてるわけ? あんまり近寄らないでくれる?」
陽愛の別人のように冷たい口調に一瞬耳を疑ったが、雅人は怒り出すわけでもなく、何か言い返すわけでもなく。
拓美からはさんざん「二人は相性がよくてお似合いのカップルだ」と聞かされていたので、何かの冗談か、とも思ったが、それがよくわからない。
結局その時は、声をかけることはせずに素通りで、その真意は不明なまま。
不穏なことは立て続けに起こる。
その次の学校の帰り道に、ふとその件を思い出し、遠回しに拓美に尋ねようとしたときだった。
下駄箱に設置していたカメラが、いつの間にかなくなっていた、と拓美から申し出があった。
ちょくちょく回収して充電はしていたが、まだ設置を始めて一週間も経っていなかった。
警戒されたのか、そのかわり手紙などは入っていなかったという。
拓美に相変わらず心当たりはなく、誰にどこで恨みを買っているかわからないというのは本人も認めるところらしい。
「ずいぶん抜け目のない相手のようね。向こうがそのつもりなら、こっちも本腰を入れて……」
「……ごめん花ちゃん。このことなんだけどさ……やっぱりやめよう」
その発言に驚いた花が思わず目を剥くと、拓美は少し言いにくそうに頭をかきながら、
「もし犯人見つけたとしてさ、気まずいじゃん? 俺、なんて言えばいいかわからないし……。相当だよね、ここまでしつこくするって。俺がそいつをそこまで追い詰めるまで、なにかしちゃったのかなって」
「いや、だからこそこのまま放ってはおけないでしょ? もっとエスカレートするかも知れないし」
「でもあんまり大事になって、そいつが退学とか……警察沙汰になっちゃったりしたら、かわいそうだなって……」
「なによそれ、そんなの自業自得でしょ? 退学で済むならまだいいほうだと思うけど」
「いやほら、病弱な母親の面倒を見ながらアルバイト頑張って夜遅くまで勉強して、学校通ってるかも知れないし……はは」
「だからなによそれは。そんな人がこんな暇なことしないでしょ。仮にそうだとして、拓美がこのまま泣き寝入りするってこと? おかしいわよそんなの」
「いいんだよいいんだよ、俺は。花がこうやって心配してくれるだけですごく嬉しいから。だからもう、やめてほしいんだ。もっと二人で楽しいこと……有意義なことに時間を使いたいから」
拓美の言っていることは全然納得がいかなかった。
だけども、力なく笑みを浮かべた拓美の懇願するような表情を向けられて、もう何も言えなくなった。
「……そう。なんか、私……一人でから回ってるみたいだね。ごめん」
「そ、そんなことないよ。変なこと言ってるのは、俺のほうだから……ごめん、ごめんね」
花がそう言うと、拓美は慌ててぺこぺこと何度も頭を上げ下げする。
やめて、そんなふうにしないで、と拓美の肩に手を触れようと腕を伸ばすと、わなわなと震えている自分の指先に気づいた。
どうして彼がこんな目に合わなければならないのだろう。
そう怒りがこみ上げてくる一方で、自分の言動がとても幼稚なものに思えてきて、何の役にも立てなくて、情けなくて……ひどく悔しかった。
こんな時、父だったらどうしただろうか。そんなことを考えるばかりで、結局何もできることが思い浮かばなかった。
ただ今は、どうあっても彼のそばにいてあげたい。花は心のうちで、強くそう思った。
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