第18話


「やっほータク」


 ヒナは全くいつもと変わらない調子で、俺に向かってヒラヒラと手を振りながら、部屋に入ってきた。

 そしてこれまたいつもの手に下げたファーストフードの袋を、どさっとテーブルの上に置く。


「はい、タクまだご飯食べてないでしょ?」

「いや……今日はもう食べた」

「え? じゃこれどうすんの」

「いやどうするって言われても……」

「買ってきちゃったじゃん。電話しても出ないし」

「ご、ごめん……」


 携帯は帰宅してベッドの上に放り投げてそのままだった。いつもどおりマナーモード。

 普段あんまり携帯触らないからなぁ……花にばっかり気を取られていて気づかず。


「もういい。あたし一人で食べるから」

「あ、いや、残ったら明日食べるよ」


 ヒナはろくに返事もせず対面に腰を下ろすと、ガサガサと乱暴に袋から包み紙を取り出し、ふてぶてしい態度でハンバーガーをもしゃもしゃと食べ始めた。

 俺が悪いといえば悪いのだが、この不機嫌さを全く隠す素振りがないというのも、ここまで来るとある種すがすがしい。

 いい時はひたすらいい子なんだが、何か気に入らないことがあるとひたすらひねくれる。

 

 しかしこれはあまり……いや非常によろしくない。

 ヒナがさっきからまるで花が存在しないかのように振る舞うので、非常に困惑している。

 別にヒナは超絶人見知りとかそういうキャラではなく、むしろ明るく自分からあれこれ積極的に話をするほうだ。

 花もそんなヒナに空気を飲まれていたらしく黙っていたが、俺たちの会話が一度途切れるとおもむろに立ち上がり、ヒナに向かって小さく頭を下げた。


「水無瀬花です。はじめまして」

 

 だがヒナは花を無視して携帯を取り出していじっているので、見かねて俺が間に入る。


「あ、あのヒナ。この子が、この前言ってた子で……」

「テレビなんかやってないの?」

「ヒナ」


 たしなめるように名前を呼ぶと、ヒナはいやいや仏頂面を花のほうに向けた。

 かと思えば急にぱっと笑顔を作って、


「こちらこそはじめましてぇ、真中陽愛でーす。南浅野の二年です、よろしくね!」


 突然人が変わったように高い声で元気よくしゃべりだす。一見フレンドリーだがわざとらしい感がすごい。

 ヒナは一方的に言うだけ言うと、身を乗り出してじろじろと花の方を見ながら、しきりに感嘆の声を上げ始めた。


「わー水無瀬さんすごいスタイルいいねー。足長ーい。おっぱいも大きいし」

「……ありがとう」

 

 花は少し首元を指で撫でるようにしながら、戸惑い気味に返事をする。珍しい態度だ。

 男子には強いが女子には意外に弱いのかもしれない。

 ヒナのほうはそんな花のリアクションが気に入らなかったのか何なのか、食べかけのハンバーガーを一気に口に放り込み、それきり黙りこくってスマホいじり。

 しばらくなんとも言えない妙な空気が場を包んでいたが、やはりまた口火を切ったのはヒナだった。


「見てこのワンピースかわいいでしょ。バイト終わって一回家戻って、わざわざ着替えてきたの」


 急に立ち上がったヒナは、服を見せびらかすようにくるりと一回転。

 したかと思えば、今度はこれみよがしに花の服装をチラチラ見ている。

 まあどちらかというと地味というかおとなしい花の格好と比べると、だいぶ華やかな感じではある。

 俺がヒナに曖昧に頷きを返していると、


「そういえばご飯って何食べたの?」

「ええと、花に作ってもらったんだ」

「へえ」

「びっくりしたよ。花ちゃん料理すごい上手だし」

「ふぅん」


 自分から聞いてきたくせに、ものすごいどうでもよさそうな返事。

 ヒナはだるそうに腰を下ろしながら、


「な~にが花ちゃんだか」

 

 小さく小声で言ったつもりだろうが聞こえてるんだよなぁ。

 気まずい感じの中またしても変な沈黙になると、先ほどからずっと黙っていた花が突然口を開いた。


「あの、私ちょっと気になったんだけど」

「何?」


 助けてとばかりに俺はすぐ花の方を見て反応する。


「家のカギ……さっき帰ってきた時に私が閉めたはずなんだけど、真中さんが入ってこれたのはなぜ?」

 

 しかしあまりに斜め方向の話題。ここに来て花の探偵キャラが出てしまった。

 まあ花としては特に深い意味はなく、純粋に疑問に思っただけなのだろう。


 答えは非常に簡単なんだけども、まあでも、ヒナが合鍵持ってるとは思わないよなぁ。

 いくら幼馴染とはいえ、他人には違いないわけだから。

 だけど逆にいい機会でもある。特にやましい意味はない、と花にはっきり宣言する意味も込めて、俺は正直に答える。


「ええとその、ヒナは合鍵持ってるから」


 俺がそう言うと花は別段驚く様子はなく、むしろ合点がいったという顔で、


「やっぱりそうよね。よかった、カギが壊れでもしてたら問題だと思って」

「あ、あぁでも、別に合鍵を持ってるからと言ってそういうアレでもなくて……」

「何をそんな慌ててるの?」


 不審がられてしまった。

 花とそんなやりとりをしていると、いきなり横からしたり顔のヒナが口を出してきた。

 

「タクはあたしがいろいろ面倒見てあげないとダメダメなんです。だからあたしがいつでも来れるようにカギ持ってるの」


 何を勝手なことを抜かしとるか。

 本当のとこは、勝手にカギを持ってかれて勝手に世話してくる、だ。

 これまでなあなあにしてきたが、ここは花の手前はっきりさせておかないといけない。 


「言っとくけど別に俺はヒナに頼らなくたって大丈夫だからね? だいたいそっちが勝手に……」

「へ~今日だって人にご飯作ってもらってたくせに? ねぇ水無瀬さん」

「あ、私は全然……料理とか家事は好きだから。拓美が嫌じゃなければいつでもやるけど」

「えっ、ホント?」


 まさかの花の申し出に、急激にテンションの上がった俺は、


「あっ、そうだ合鍵、じゃあもう花に渡しちゃいなよ。そうすれば……」

「嫌。なんで渡さないといけないの?」


 突然低い声で遮られ、その一言で、一気に空気が変わった。

 ヒナは一度俺を鋭く睨みつけて、すぐに目をそらして唇を噛みながら、今度は床を睨みつける。

 

「あ、あの……ヒナ?」

「ふざけないでよ……意味わかんない!」


 大声を上げたヒナは、急に立ち上がると脇目もふらずに大股に部屋を出ていった。

 ガチャン、と大きな音がしてドアが閉まる音がした。

 すぐ隣で花が心配そうな顔で、俺を見つめる。

 

「拓美……」

「ごめん花、ちょっと……」


 花に断りを入れると、すぐにヒナを追いかけて外に出る。

 急いで階段を降りて、建物から出たところで必死に辺りを見回すと、薄暗い道路をとぼとぼと歩くヒナの後ろ姿を発見した。

 走り寄って声をかける。


「ヒナ! ……っと!」


 振り返ったヒナは、いきなり体をぶつけるようにして抱きついてきた。

 転ばないように受け止めて足を踏ん張ると、ヒナはお構いなしに寄りかかりながら頭を俺の首元に埋めるようにしてきて、

 

「……タクのバカ」

「ごめん、俺舞い上がっちゃってつい……。ヒナだって、今までいろいろしてくれてたのに、急にもう用なしみたいな……最低だよね」

「ホントだよ、サイテー」

「ご、ごめん……」


 冗談なのか本気なのかわからないようなヒナの口ぶりに当惑していると、ヒナはぱっと顔を上げてまっすぐこちらを見つめてきた。

 ヒナの目は若干赤かった。


「じゃあキスしてくれたら許す」

「は?」

「今ここで」


 そう言うとヒナは目をつぶって、顎を軽く持ち上げた。

 が、突然のことにこちらは思考停止してただただ立ちつくしてしまう。

 やがてぱちりと目を開けたヒナが、俺の両肩に手を置いて少し背伸びをして、唇に唇をぐっと押し付けて離した。

 

「……ごめんねあたしのほうこそ、空気悪くして。タクは悪くないから。でも鍵持ってないと、タクになんかあったときとか不安だから」


 ヒナはぽんぽんと優しく俺の頭を叩くと、

 

「今日はもう帰るね。バイバイ」


 そう言って微笑を浮かべて一度手を振ると、足早に大通りの方へ向かって歩いていった。

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