第17話

 そして始まる花ちゃんお料理タイム。

 キッチンの方からは、トントントン……と包丁がまな板を叩く小気味いい音が聞こえてくる。

 もう音からして手慣れている感があったが、ただのんびり待っているというのも悪いと思い、俺は花の背後に近寄って声をかける。

 

「何か手伝うよ」

「いいから、拓美は座ってて」

「え~でも……」

「腕を疑われてるようだから、全部自分でやろうと思って」

 

 うーんこの負けず嫌い。よほど自信があると見える。

 しかしハンバーグに関しては、俺もちょっとうるさいのだ。

 ヒナのだったり、母親のだったりと比較対象があるので。


 母さんは料理はあんまり……な人だったけど、ハンバーグはよく作ってくれた。だから好きにならないといけなかった。

 まあでもこの場合どう転んでもおいしい、と絶賛すべきだろう。リアクションを練習しておく必要がある。


 それにしても女の子が台所に立つ後ろ姿はやはりよい。

 なんというか、見ているとついつい後ろから抱きつきたくなる……。

 

「……気が散るから向こう行っててくれる?」


 不穏なオーラを感じ取ったのか、花が背後の俺を振り返ってジト目を向けてくる。

 やっぱ邪魔したらダメだよな、うん。


 ソファに戻って体を預けていると、睡魔が再び襲来した。

 昨日の夜も睡眠が途切れ途切れで、正味三時間ぐらいしか寝てないかもしれない。

 花が頑張って料理してくれているところ悪いとは思いつつも、ついウトウトとまどろんでしまう。


 そして次にはっと気づけば、テレビの音がして、すぐ隣に腰掛けた花の横顔が目に入ってくる。

 俺に気づいた花は、携帯を見ていた顔を上げてこちらに微笑んだ。


「起きた」

「……あ、ごめん花ちゃん、俺……」


 見れば胸元にはブランケットがかけられていて、部屋に電気がついている。

 一体どれだけ眠ってしまったのかと、あわてて時計に視線を走らせようとすると、


「大丈夫、いまスープ煮込んでるのと、肉は火を通すだけだから」


 どうやら下準備が終わって小休止、というところだったらしい。

 台所の方からは、食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。

 目をこすりながらソファに座り直すと、花が心配そうな顔でこちらをのぞきこんできた。

 

「また眠れてないの?」

「ん? ううん……大丈夫」

「本当に? すごく眠そうな顔してる」

「お姫様のキスで目が覚めるかも」

「もう覚めてるでしょ。それに目覚めるのは王子様のキスじゃない」


 あぁそっけない。そっち方面にもってくと急に冷たくなる。

 でも俺もいい加減学習した。これは花は別に嫌がってるのではなく、単純に恥ずかしいからの反応なのだと。

 なのでここはうまい具合に花の負けず嫌い属性を煽っていく。 

 

「あれ? もしかして花ちゃん、恥ずかしいのかな?」

「は、恥ずかしい? な、何が?」


 花はとぼけて見せるが結構動揺している。

 かたや俺の方は寝起きで頭が若干ボヤーッとしてるので、逆に余計なことを考えないで大胆な発言が可能なのである。


「したことある?」

「な、ないけど……だから何? そもそも、そんな騒ぐようなことなのかと……たかが唇の接触ぐらいで」


 花はふん、と鼻息荒く言い返してくる。

 したことはないけど、実はキスには興味津々ですみたいな。

 さすがの負けず嫌い。可愛いなぁ。


「じゃあしよう」

「え、えっ? 今?」

「そうだけど……別に騒ぐようなことでもないんでしょ?」


 すでに言質はとった。我ながら策士。

 花はしきりに目線を泳がせていたが、俺がニヤニヤとしているのが気に入らなかったのか、急にキっと真顔を作ってこちらを見つめた。

 半分冗談だったけど、もしかしてこれ……本当にいけちゃうやつ?

 目をぱちくりさせながら見つめ返していると、花はずいっと体を寄せてきて首を伸ばし、素早く顔を近づけてちょこん、と俺の唇に口付けた。

 

「やっぱりたいしたことないね」


 花はすぐにぱっと顔を離すと軽く口を歪めて笑った。 

 ドヤっているところ申し訳ないが、今のふわっと唇を撫でた程度で果たしてキスしたと呼べるのかどうかは微妙だ。

 向こうからしてくれた点はとても、非常にポイント高いのだが。

 

「じゃあ今度は俺からするね」


 へ? と固まる花をよそに、腕を伸ばして肩を抱くように花の体を引き寄せ、唇を押し付ける。

 花の唇は思った以上に柔らかくて、触れるとなんとも言い表せない幸福感でぎゅっと胸のあたりが締め付けられる。

 すぐにそのままでは我慢できなくなり、唇が少したわむほどに押し付けたまま、ちゅうちゅうと柔らかい肉を吸った。


「んっ……」


 花の口から息が漏れた。花の手が、腕をギュっと強く掴んでくる。

 夢中で唇に吸い付いていると、バクバクバクと心臓が脈打ちはじめて一気に苦しくなり、鼻の呼吸では間に合わず一度口を離す。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 お互い荒い息遣いをする。

 花は目がとろんとなってすっかり頬が上気していて、耳まで真っ赤になっていた。

 そんな顔を見てたまらずもう一度唇を寄せていくと、花に手でつっかえ棒をされて待ったをかけられる。

 

「ちょ、ちょっと! い、いつまでする気なの」

「ダメ?」

「だ、ダメっていうか……あっ、そ、そうスープが……いい加減火を止めないと」


 花は慌てて立ち上がると、逃げるようにキッチンのほうへ行ってしまった。

 我ながら今のはちょっとやりすぎたかもしれない。

 自分でもまだ半分寝ぼけている状態だったので、理性が弱まっていたというか本能的に動いてしまったというか。



 それからしばらくして、テーブルに料理が並んだ。

 メインのハンバーグと付け合せの温野菜。野菜たっぷりコンソメスープ。ついでに作ったというロールキャベツ。

 なるほど購入した食材にムダがない。見た目はどれもメチャクチャおいしそうだが、さて味の方はいかに。


「いただきます」


 手を合わせ、満を持してまずはハンバーグを切り分ける。

 ナイフを使う必要がないほどに肉は柔らかく、切込みを入れるだけで肉汁が溢れ出す。

 ごくりと唾を飲み込みながら、最初のひとくちを口に入れると、もうすぐに直感した。

 これは間違いなく……。


「今まで食べた中で一番おいしい」

「ほんと? よかった」

「いろいろと疑ってすみませんでした」

「ん、わかればよろしい」


 花は胸を張ってみせた後、うふふ、と嬉しそうに笑う。

 お世辞ではなくマジの本気でうまい。

 ハンバーグだけでなくスープやロールキャベツも、いい感じに野菜に味がしみていてこれまた絶品である。

 

「多めに作ったから、残った分は後で食べて」

 

 もう毎日でもいけますなこれは。

 俺があぐらをかく反対側で、花は座布団に正座しすっと背筋を伸ばしながら、お行儀よく食事を進めていく。

 ナイフやフォークの使い方がきれいで、思わず見惚れてしまうほどにお上品な食べ方をする。

 やがて花は俺の視線に気づいたようで、


「……な、何?」

「いや、綺麗だなって」

「何よそれは……」


 見られて少し恥ずかしそうにしている。

 ここだけ切り取ると、エモノがあれば勝てるとか言ってた人とは到底思えない。

 

 そんな恥ずかしがり花ちゃんをおかずに、俺は出された料理を残らずぺろりと平らげた。

 大変おいしゅうございました、と改めて礼を言う。勢いでお嫁に来てくださいとも言いかけたがまだちょっと早いかと自重した。


 食事を終えると、満腹になってまたしても眠くなる。

 とはいえさっきから寝てばっかりいるので、これはさすがの花ちゃんも豚を見る目になってしまうかと思いきや、「眠いならどうぞ」と優しい。

 ならばと思い切って「また膝枕してほしいなぁ」とか言ってみると、花はいいよ、と二つ返事でソファーに座り、膝を貸してくれた。 

 しかも頭なでなでのおまけつき……となるとこれはのんきに寝てる場合じゃねえ。


「ぎゅっと抱きしめオプションはないですか?」 

「それ……また変なこと言うんでしょう?」


 変なこと? と一瞬首を傾げたが、あぁ、とすぐにこの前のことを思い出す。


「いやぁでも、男子として自然な反応だと思うんだけど……全く反応しないほうがいいってこと?」

「そ、そういう話じゃなくて! なんでそれを口にだすのって話」


 ということは黙っていればオッケーということか。

 俺は仰向けで膝枕されている状態から、花の胸元めがけて顔面ダイブを敢行しようと機会を伺っていると、突然玄関の方からドアが開いて閉まる音がした。

 反射的にばっと上半身を跳ね起こすと、驚いた顔の花と目が合ったが、花は物音よりも俺のリアクションに驚いているようだった。


 巡らせた視線の先で足音がして、暗い廊下のほうからすぐに人影が姿を現す。

 リビングの明かりに照らし出されたのは、私服姿のヒナだった。

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