第7話



「それで、どこで話するの?」


 しかしさっそく花にそう尋ねられて固まってしまう。

 そのへんを散歩しながらと言っても限度がある。それに今にも雨降り出しそうな天気だ。

 かと言ってそんな小洒落たバーとか知らないし、こういう時に二人でどこ行きゃいいのかなんてわからん。

 全くのノープランでテンパった俺は思わず、


「お、俺の家でもいいかな?」

「遠いの?」

「バスでちょろっと……歩いても行けるけど」

「そう」

 

 自分で言ってしまってやべえと思ったけども、まさかのオッケーが出てしまった。

 近かったらいい、というなんて大胆な考え。ホント惚れ惚れである。


 さっさと行きましょ? と目で促されて、少しギクシャクな歩き方になりつつ校門の方へ向かう。

 だが少しして花がついてきていないことに気づき、アレ? と振り返ると、やや後方で花は背の低い女子生徒と何やら話し込んでいた。

 友達かな? と様子を見ていると、やがて女子生徒のほうがぺこぺことお辞儀を始めた。

 そんな彼女の肩をポンポンとやりながら、花は優しく笑っていた。笑っていた……? 


 初めて見る花の笑顔だった。 

 たぶん、おそらく、いやきっと……笑ったら超かわいいに違いないとあれこれ妄想を膨らませてはいたが、想像以上である。

 悪魔的な破壊力に思わずこれはシャッターチャンスと携帯を取り出そうとするが、今日は携帯を持ってきていないことに気づいた。何たる失態。

 しかし一体どこの何者なんだあの女の子は。ああ見えてとんでもない一発ギャグの持ち主か何かか。

 見るからに弱そうで、ちょっと目があっただけでもすいませんとか言ってきそうだが。


 女子生徒は最後に一礼すると、そそくさと去っていった。

 花はその後姿を見送って、やっと俺の方にやってくる。


「ごめん、待たせた」 

「何者?」

「ううん、別に……」


 なぜか言いよどむ。

 まさか、まさかこれは……あっち系のお友達ってことはないよな?

 しかしそれだとあの笑顔も納得がいくと言うか。


「もしかして、怪しい関係の方……?」

「何その怪しい関係って。あの子、前にちょっと……あって、見かねて私が間に入ったんだけど……」

「助けたってこと?」 

「……ただ、その矛先がそのまま私に向いたみたいなの。だから徹底的にやってやろうと思って」

「え、それでもしかしてなんかバトってたってこと?」


 花がいじめられっ子、というのもどうも妙だと思っていた。

 その流れでああいう状況だったってことか。


「でもすごいなぁ、強いんだね。女の子なのに」

「私、警察官の娘だから」

「へえ、警察官の娘だと強いんだ?」

「何よその言い方」

 

 ヤバイ、またなんか煽るような感じになってしまった。

 ちょっと怒ってるぞ……なんとかごまかさないと。


「い、いや単純に疑問に……」 

「一応、警察官を目指そうと思ってるから」

「へ、へえ……警察官かぁ、かっこいいねぇ」


 そう言うと、花は嬉しそうに笑った。

 少し血の気が多くて危ういような……とも思うけども、俺はそれ以上何も言えなくなった。





 その後、花とともに自宅のマンションまでやってきた。

 ここは駅からも徒歩ウン十分とそれなりに立地もよく、外観内装もこの近辺では上等な方である。キッチン付きの八畳トイレ風呂別。

 俺がこんなところで一人暮らしができるのも、親父の兄である善幸おじさんのおかげだ。


 現在おじさんは俺の後見人になって、色々と世話をしてくれている。この部屋だっておじさんが借りてくれているのだ。

 まるで菩薩のような人で、俺みたいなのにも良くしてくれて優しい。

 見た目も仏像みたいな感じで、もうブッダかなんかの生まれ変わりなんじゃないかってね。

 そんな人とうちの親父が兄弟っていうんだから世の中わからんもんだ。 

 だがそんな事情はつゆ知らない花は、部屋に足を踏み入れるなり当然の疑問を俺に向かって吐いた。 


「ここで一人暮らししてるの? ご両親は?」

「いないです」

「いない……?」

「ああ、厳密には親父はどこで何してるかわからないし……母親とは離婚してから一回も会ってない」


 まあそういう人たちの話を今ここでしてもしょうがないわけで。

 それだけ言うと、俺はカバンを放って花にソファーに座るよう勧める。

 だが花は急に黙ってしまって立ちつくしたままなので、これは警戒されてるのかなと和ます意味も込めて一発シャレをきかせる。

 

「やっぱ何やってるかわからないやつの息子だと、なんだかよくわからない奴になるのかな。あははは」

 

 おいおい花ちゃん全然笑ってねーぞ。

 それどころか真顔も真顔、花は真剣な目で俺を見て、小さく頭を垂れた。


「私……さっき無神経なことを言ったわね。ごめんなさい」

「え? えっ何? いや全然、謝ることなんてなんにもないよ?」

「たぶん私……負けず嫌いなんだと思う。自分でもよくないとは思ってるんだけど……」


 いきなり重たい空気になってしまった。

 いやさっきのは、俺は単純に疑問に思っただけで他意はなくて……。

 それもこれもあれも全部うちの親父が悪い。以上。


「お父さん、見つかるといいね。そしたら今はこの部屋は他には誰が……」

「別に探してるわけじゃないからいいんだけどさ……俺のことより、花ちゃんの話が聞きたいな」

「……その花ちゃんっていうのは何?」

「え? ダメ? かわいくない?」

「べ、別に……」

 

 花は露骨に目線を下の方にそらした。

 多分これは別に嫌じゃないけど恥ずかしい、って感じだろう。かわいい。

 こちらは内心にやにやである。


「……私、自己開示って、苦手なの。こういう状況も、初めてだし……」

「ってことは、緊張してる?」

「緊張……はもちろんしてるけど」

「でも全然顔に出ないね」


 もちろん緊張してる、なんて言うとは意外だった。

 かく言う私も心臓バックバクに緊張しておりまして、必死に余裕ぶっていますが手汗びしょびしょです。 

 もちろんこちらもはじめての状況であるからして、段取りがメチャクチャなのである。

 

「あ、ひとまず座って。ちょっと待っててね、いまお飲み物をお出ししますので」

「おかまいなく。どうせすぐ帰るから」


 すぐ帰っちゃいやん。

 めったに使わないコップを取り出して冷蔵庫を開けるが、直で飲みかけのでかいコーラしかない。

 これを何食わぬ顔でコップに注いで出したら間接キス……ゴクリ。

 なんだか毒を盛ろうとしているようで気が引けるな……って誰の唾液が毒じゃ。

 

 まあしょうがない、今これしかないし。

 そのままペットボトルを傾けて中身をコップに注ごうとすると、


「キッチンは結構きれいにしてるのね」

「ひっ」


 いつの間にか花がすぐ背後にいた。

 びっくりして手元が狂ってコーラをぶちまけると、花がすぐにティッシュを持ってきて床を拭いてくれる。


「何やってるのもう」

「あーごめんごめん~」 

「もう飲み物はいいから」


 そう言われてしまい、とぼとぼとソファーに戻った。

 花も隣り合わせで、とはいってもあからさまに距離を離して座る。

 これだけのマイナスをこれからどうやって取り戻そうか必死に考えていると、 


「ちょっと質問があるんだけど……聞いていい?」

「なんでもお好きにどうぞ」

「さっきの手紙のことなんだけど……いつから?」

「いつからだろうなぁ。あんまり覚えてないなぁ」


 反射的になんでもとは言ったが、正直この話はあんまりしたくないなぁ。

 失敗したよ本当に。まさか見られるなんて思ってなかったから。

 ちなみに手紙は今俺のカバンに丸めて入っている。あとでライターで燃やして跡形もなく消すか。

 しかし花は俺のことよりそっちの方に興味津々のようだ。さすが警察官の卵。

  

「それ、そんな気になる?」

「ええと、一応その……この前の貸しもあるし」

「菓子はいらないって言ったじゃん」

「いえあの……もし、困ってるんだとしたら、」

「困ってたって、どうしようもないでしょ、だって」


 気づけば俺は花を遮って声を荒げていた。

 花は驚いた顔で俺を見て、


「怒ってる?」

「怒ってないです」


 俺は花のほうを見ないようにしながら、淡々とした口調で続けた。


「俺のこと殺したいっていうんなら、正面からさ、矢でも鉄砲でも持って向かってきてくれりゃいいんだけど。見えないところでこそこそやられるともうお手上げだよね。はっきり言って」

「やけにあっさり言うのね。……あきらめてるって、こと?」

「まあそうなのかな。でも、俺のことが憎くて憎くて殺したい奴が、どこかにいるんだって思うと」


 ぐっと視線を上げて虚空を睨んだ。

 自分でもどこを見ているかわからなかった。

 噛みしめた奥歯から、言葉をひり出した。


「嫌だなって」


 目線をテーブルの上に戻すと、静かな部屋をぐるりと一周させて、花の方へ向ける。

 そして神妙な面持ちで黙っている花を見て、はっとなった。


 やっちまった。

 気づいたら正直にすらっすら喋ってしまった。こんなこと、誰にも言ったことないのに。

 いきなりこんなヘビーな話したらもう終わりじゃん。ドン引きじゃないですか実際。もーやだ、帰りたい。 

 ため息混じりにがっくしと首をうなだれると、


「……そうだよね」

 

 聞いたことのない、柔らかな声音がした。

 伸びてきた花の手が俺の背中に触れて、ゆっくり撫でた。

 

「大丈夫……」

「え?」

「大丈夫だから」


 花はそう言って、横から俺の肩を抱くようにしながら、頭を撫でてくれた。

 思いもよらない彼女の行動に驚いて一瞬体がこわばったが、すぐに緩んで俺は彼女に体を預けていた。

 花は包む込むように俺を優しく受け止めて、「よし、よし……」と静かに繰り返し耳元でささやく。

 温かくて柔らかくて……すごくいい匂いがして、逆だった神経が、すぅっと落ち着いていく。

 花の手はゆっくりと上下に背中をさすりながら、時折ぽんぽんと軽く叩いてくれていて、すごく心地が良かった。

  

「あっ……」

「何?」

「たった」

「は?」

「ちんこ立った」


 両手で思いっきり肩を突き飛ばされた。

 たまらずごろっとソファーから転げ落ちると、花はあさってのほうを見ながらすっくと立ち上がった。


「帰る」

「あっ、ち、ちょっと! 誤解してる、誤解してるって!」

「結局、そういう目的なわけよね」

「ち、違う違う、今のはクララが立った的な意味で、感動の場面……」

「どこがよ! バカ!」


 花は肩を怒らせてどたどたと大股に部屋を出ていってしまった。

 つづけてガチャ、バタン! とこれみよがしにドアが開いて強めに閉まる音が聞こえる。

 ……うーん、素直すぎるのも考えものだ。

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