第6話
その翌日の、授業終わりのこと。
帰宅しようと教室を出ると、偶然廊下でマサと遭遇して自然と一緒に歩き始める。
どうも昨晩あたりから非常に頭を悩ませていることがあり、どうしたものかと迷っていた俺は、単刀直入に話を切り出した。
「ヤバイ。ついに俺、目覚めたかも知れない」
「何に?」
「愛に」
かぶっちゃってます、愛の兜。
もうそれは深々と。
「……どういうこと?」
「なんか俺、もう昨日からず~っと考えてる。授業もろくに頭に入ってこない」
「授業はいつもだろ。何を考えてるって?」
「いや、かの花子さんのことを」
「あぁ、トイレで濡れてたって言ってた子? にしても急な話だな」
突然の発熱。
自分でもビックリである。
「今日は俺、タバコ吸わなかったんだ」
「お、おう。それで?」
「えらい?」
「いや……別にえらくはないわな。普通?」
全然わかってない。それがどれだけの快挙か。
きっと花ならえらい、って言ってくれるに違いない。
なんせ言うとおりにしたんだから。
「それはその子がやめろって言ったからってこと? お前案外単純だな」
「素直と言ってもらおうか。でも彼女、俺みたいなふざけたヤツが嫌いなんだって。どうしたらいいと思う?」
「そりゃお前、ちゃんとしろ、としか」
「それは難しい話だなぁ」
お茶目で掴み所のないちょいキチボーイが俺のアイデンティティーであるからして。
嫌いの裏返しは超好き愛してるということもあるし。
俺の見たてでは、間違いなくあれはツンデレ属性あるね。
「嫌いなんだって、ってその割になんかうれしそうだな……。で、その子のどこがいいって?」
「なんていうか……女の子に面と向かって嫌いって言われたことなんてないし」
「そりゃなかなかないわな、それダメなやつじゃね?」
「あんなふうに怒られたこともないし」
「怒られたって、何をやってんの? それ」
「厳しいだけかと思いきやほめてくれたり急にドジっ子してきたり、もう俺の萌えポイントを的確についてくるわけよ」
やることなすこと効果は抜群なのだ。
それと見た目のことはあんまり言うとアレだが、それがまぁかわいい。こんな子同級生にいたのかと思うほどには。
やはりあのちょっときつめのかっこいい目が特徴的で睨まれるとたまらん。さらにそれが緩んだ時のギャップが好き。そして巨乳。
「でも珍しいじゃん、お前がそんな事言うなんて。それなら絶対行くべきだよ」
「だよな、だよな」
でもなあ、いきなり教室に押しかけていって話しかけるような勇気はない。
みんなからも注目されるだろうしなあ……これだから人気者は辛い。
仕方ない、ここはやっぱりこっそりストーカーするしかねえな、うん。
「そういうわけで俺はこれから愛に生きるから。ヒナにも言っておいて」
「なんだよそれは、自分で言えよ」
俺が自分で言うと、ヒナのことだから絶対やめとけっていう。
まあマサに伝言を頼んだところで、少しのタイムラグがあるだけだろうが。
「そういえばこの前ヒナって、お前んとこにいた?」
「この前っていつよ?」
「えっと確か……」
マサが記憶をたどるように目線を上に向けると、ちょうど反対側から歩いてきた二人組の女子のうちの一人が、急に何かにけつまずいてバランスを崩した。
するととっさに俺の体が勝手に反応し、廊下に転びそうになる彼女の体を抱きとめた。
「おっと!」
ナイスキャッチした女子生徒の目が、至近距離で合う。
「大丈夫?」
「あっ、ありがとう……ございます」
「こちらこそいい感触をありがとう」
彼女の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
その勢いで爆発したらやだなと思い、さっと体を離す。
「ど、どうも……」
ぺこぺこと頭を下げる彼女に、笑顔で「バイバイ」と手を振ってやる。
しばらく見送った後、回れ右をして再び歩き出すやいなやマサが、
「さすがの反射神経」
「まあ俺レベルになると脊髄と神経がつながってるからね」
「それ普通じゃね? むしろつながってなかったらヤバイぞ? まあ言いたいことはわかるけどさ」
テキトーなこと言ってもマサにはしっかり伝わるんだよなあ。
さすが親友。
「でもまあ、そういうとこだよな」
「何が?」
「さっきの子、お前の顔じーっと見てたよ。またそのうち、お手紙とかもらうんじゃないの」
「んなバカな」
恋に落ちやすいお年頃ってやつですか。
まったくそんな浮ついた……っと人のことは言えないな。
「でも知らない子にああいうなれなれしい感じ、よくできるよな? 俺そういうの苦手……っていうか無理だわ」
「ふっマサよ、そんなことではまだまだイケメンには遠いな」
一応そういうキャラだからね。
言うて俺もしんどいわけ。なんか変な汗出てるし指先ブルブルしてるしキンタマ縮こまるわで。
相手が男だったらなんとも思わないんだけども。
「じゃあな、うまくいくといいな」
下駄箱前の通路で、体育館の方へ向かうマサと別れる。
マサは背が高いのでバスケ部である。次期キャプテン候補らしい。
俺はあまり背が高い方ではないので、帰宅部である。役職とかは特にない。
色々と言ったけども、結局花に対して何かアクションを起こすわけでもないヘタレ野郎なので、そのまますごすごと帰宅するしかない。
靴を履き替えようと下駄箱を開けると、なんとマサの言う通り手紙が入っていた。
厳密には折り畳まれた紙切れだが、こうなるとアイツ予知能力でもあるのかも知れない。
さっきの子だとしたら、あの後すぐさま作成して投函とは凄まじいスピード感だ。
それでちょっと雑な感じなのかと、どれどれ、と広げてみる。
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
ラブレターではなく呪いの手紙だった。
一枚の紙に左上から右下まで、「死ね」の文字が黒のインクで埋め尽くされている。
やっぱりこれだけの文字量を手書きするとなると疲れるのだろう、よくよく見ればパソコンで打ったのをプリントアウトしているだけだ。
しかしこれでは気持ちがこもってない。
ファンがいればその分アンチもいるということだ。
やはり人気者は大変だ。
そのまま下の下駄箱に入れて帰ろうかと思ったけど、白田くんがかわいそうだからやめた。
手紙を捨てようとあたりにゴミ箱を探すと、ふと視界の端に見覚えのある横顔が見切れた。
ん? あれはもしや……花ちゃんではないか!
こうしてる場合じゃねえと、俺はすぐさま靴を履き替えて後を追いかける。
昇降口を出た先で追いつき、前に回り込むと、立ち止まった花は不審者でも見るような顔でぼそりと言った。
「……何?」
「や、やあ……今日は濡れてないね」
昨日最後にデレたかと思いきや全然そんなことはなく、完全にリセットされている。
俺の方も気の利いた挨拶のつもりが、軽く煽っているような感じになってしまった。
違う違う、こんなことを言おうとしたんじゃない。
ここはスマートに、デートの誘いを……。
「あ、あの……そんへんで、ちょっと……お、お話とかどうかな?」
何言ってんだコイツみたいな顔されてしまった。
しかもぐだぐだで噛んだ。見知らぬ女子も一発で顔真っ赤にしてしまうイケメンどこ行った。
「話って言っても、あなたのことよく知らないし」
「い、いや、だからこそ話すんじゃない? ……と言いながらも俺のこと、知ってるでしょ? 実は」
「知らないけど」
「二の一の白鷺拓美です。今後ともよろしくお願いします」
ボクシングとか興味ない人はないんだな~やっぱ。
確かに誰々さんが卓球でベスト4になりました! とか集会で言われても、俺だって顔と名前までいちいち覚えたりしないしなあ。
売れない芸人が僕ちょっとテレビとか出てるんですけど? みたいにチラチラしたようですごい恥ずかしい。
「……よろしく。それじゃ」
「あ、あぁっ、ちょっと待って! 今いい壺があるんですけど……」
「……何か落ちたわよ?」
言いながら花はその場にしゃがんで、ひらりと落ちた紙切れを拾い上げた。
立ち上がって紙面を見るなり、顔をしかめる。
「何? これは……」
「僕のラブレター。返して」
「あなたが作ったの?」
「まさか。そんな暇じゃないよ」
彼女は俺の顔と呪いの手紙を、交互にまじまじと見つめた。まさか花に見られてしまうなんてとんだ失策だ。
慌てていたとはいえ、さっさと捨てればよかった。
こんな手紙もらってるってバレたら、いっそう嫌われてしまう。
もうゴミでも見るような目をされるかと思ったら、意外にも花は少し柔らかい口調になって、
「職員室行く?」
「どうして?」
「どうしてって……」
俺が不思議そうな顔をしたのが向こうも不思議だったのか、花はわずかに眉根を寄せて、
「これ、この前の連中の仕返しなのだとしたら、私のせいでもあるから」
「いや、関係ないよ」
「どうして言い切れるの?」
「もっとずっと前から配達されてたから」
この手の手紙をもらうのは初めてじゃない。
というか何度も何度も間違い郵便が届いて困っている。
「あのーそれで、ど、どうですかちょっとお散歩でも……」
こっちはもうドキドキでそれどころじゃないのに。
しかし花は俺のことよりじっと手紙を見ていて、全然聞いてないようだった。
やがて顔を上げて難しい表情を作り、
「あなたのこと、ちょっとよくわからないんだけど」
「うん」
「話ぐらいは、聞いてあげてもいい」
そう言ってくれた。
やったぜ。無事デートのお誘い成功だ。
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