第5話

 改めて全身びしょ濡れの花子さんに向き直る。

 手荒く引っ張られたのか、彼女のブラウスのボタンはいくつか外れていて前がはだけており、白いブラと谷間がバッチリ見えていた。

 

 向こうも俺の視線に気づいたのか、さっとブラウスの前を引き合わせるように握りしめて、胸元を隠す。 

 そしてまるで俺が下手人かのような目線を送ってくるためちょっと気まずい。

 変な沈黙が流れるが、ここで一発気分を明るくしようと先手を打って声をかけた。


「それじゃ、撮影はじめまーす」

「ぶつわよ」


 あんまり冗談が通じない人みたいだ。

 うすうすわかってはいたけども。

 とりあえずやり直し。


「……ふっ、なあに礼はいらないさ」

「なんてことしてくれたの?」


 ありがとう、あなたがいなければ今頃私は……とうるうる目でお礼を言われるかと思えば、すごい顔で睨まれている。

 花子さんは持っていた携帯を恨めしげに見つめながら、


「証拠として動画を撮っていたのに、台無しじゃない」

「ええと……僕がいじめっ子になっちゃう感じですか? クソっ、やるなお前……みたいにもうちょっと苦戦すればよかったかな」


 相手が弱すぎるのも悪い。

 でもあの程度で人様をいじめようなんて、ちゃんちゃらおかしいですよ実際。

 花子さんはそれには答えずに、


「私、助けてなんて言ってないけど? 余計なおせっかい、なんじゃなかった?」

「いや、仲間に入れてもらおうと思ったんだけどダメだった……」


 そう言いかけるとすごい目力で睨んできたので、やっぱり言い直す。


「別に助けたわけじゃないよ、なんかムカついたから……じゃなくて正当防衛。あ、もしかして今ので惚れられちゃったかな?」


 こんなイケメン様に助けられたら俺だったら一発で落ちるね。

 しかし花子さんは不愉快そうな顔で、吐き捨てるように言った。 


「私、あなたみたいな不真面目でヘラヘラふざけてる人は嫌いなの」

「じゃあやっぱりジャニーズとかが好き? 俺あのグループの人……映画とか出てる、名前なんだっけ? よく似てるって言われるんだけど」


 というか向こうが俺に似てるのだ。一歩間違えば今頃俺はアイドルだったかもしれない。まぁ俺歌とか超下手くそだけど。

 花子さんははぁ、と一度呆れたようにため息をつくと、再びまっすぐ俺の目を見て、


「正当防衛って言っても、さっきのはちょっとやりすぎよ。それにそんなモノ顔にかけたら、どうなるかぐらい想像つくでしょ?」

「え? かけたことないのでわかりませぇん。でも彼ら心がヨゴレているから、案外いい感じにきれいになるんじゃないかなって」

「ふざけないで」

 

 いじめっ子を撃退したヒーローのはずが、なぜかガチで怒られている。

 いやこれは重たい空気を明るくしようとしてだね……俺だって小学生じゃないんだから、そんなことはわかってるってのに。

 

「いやあのね、こういう場合、いかにこいつヤベーヤツだと思わせるかが重要でして……」

「それ、垂れてる。手、洗いなさい」


 花子さんは話を遮り、混ぜるな危険を持った俺の手を指さしてぴしゃりと言った。

 なんだか逆らえなくて、俺は言われるがままに水道でジャージャー手を洗う。その間じっと後ろで見てるという徹底ぶり。

 洗った手をぴっぴっとやってシャツの袖で拭っていると、


「ハンカチ持ってないの? もう」


 プリプリと怒りながらも、花子さんは自分のポッケからハンカチを取り出して、俺に渡そうとする。


「あ……」


 が、その寸前で手が止まった。

 というのは、そういう彼女のほうがよっぽど濡れているのだ。

 ハンカチもすっかり水を吸ってしまっていることに気づいて、花子さんはそのまま手をひっこめると、一瞬ちょっと気まずそうな、恥ずかしそうな顔をした。

 なかなか表情を崩さないはずがちょっとドジっ子っぽい感じがして、なんかかわいかった。


「出して」

 

 花子さんはそれをごまかすように元の無表情に戻ると、手のひらを上にして俺の目の前に突き出してきた。

 この状況で出せと言ったら……なんと今度は、まさかのトイレでカツアゲである。

 

「すいません、今持ち合わせなくて……勘弁してください」

「タバコ」


 そう来たか……。正直お金取られるより痛いなぁ。

 どこで売っているかわからないし、誰かが買ってきてくれるわけでもないので。

 しかし微動だにせず待っている彼女に圧をかけられ、俺は吸おうとしていた一本をポケットから出して、手の上にちょんと乗せる。


「もっとあるでしょ?」

「すいません、今月はこれが精一杯で……」

「ふざけてないで早くだして」


 ああ、ケツの穴までむしられる。

 花子さんはまた地蔵モードに入ってしまって、これはもうラチが明かないと思った俺は、ふてくされた顔で残りのひと箱ごとぐっと手に押し付けた。

 すると花子さんはわずかに表情を緩めて、


「よし、えらい」


 やった褒められたうれしい……じゃなくて、そんなんでだまされないんだからね。

 まったく、俺からタバコ取って何の得があるのか。もしや自分で吸うつもりか。


「姉御、火は大丈夫ですか」

「私が吸うわけないでしょ、これは没収。捨てるから」

「変な人だなぁ」

「何よ?」


 びしょ濡れの自分より、俺のタバコを没収するほうが優先らしい。

 その時ふと、彼女が引っ込めた手首のあたりが、血で赤く滲んでいるのに気づく。

 おそらくさっきの騒ぎでひっかかれでもしたか。


「その手、大丈夫? 血出てるよ」

「このぐらいなめておけば治る」


 言いながら花子さんは傷口を舌でなぞった。うーんワイルド。

 それにさっきから俺のことばかりに気を取られているせいか、またも胸元がはだけかけてブラがモロ見えである。

 いやぁ眼福眼福……はいいんだけど、この後どうするつもりなんだろうか。


「あのさ、その服……」

「すぐジャージに着替えるから大丈夫」

「でもそれ、パンツとかまで濡れてない?」

「替えを持ってきてるから問題ない」

「そこまで準備してたの? すごいなぁ、それともおもらし用?」


 これはまたぶたれる。

 そう直感して身構えるが、花子さんはふいっとそっぽを向いてしまい、そしてそのままトイレを出ていこうとする。

 

「待った待った。俺が着替え取ってくるよ、その格好じゃ出られないでしょ」


 濡れ濡れで胸元ははだけてるし、それで昼休みの廊下とか歩いたら、そんなもんもうエロテロリストですよ。

 すると花子さんは立ち止まって、少し驚いたように俺の顔を見たが、


「別にいい。人に貸しとかそういうの、作りたくないから」

「え、お礼にお菓子作ってくれるの?」

「だからそういうのいいから」


 どうあっても菓子を作りたくないらしい。

 女子力低そうだもんな。


「いや別に俺がやりたいからやるだけ。着替えはロッカーとかに入ってるの?」

「入ってるけど……でも」

「何年何組の何番? あ、ていうか名前教えてよ」


 便宜的に花子さんと呼んでいたが、まだ彼女の名前すら知らないことに気づいた。

 しかし花子さんは名前を答えるのすらすごく渋りながら、


「水無瀬花(みなせはな)……。二の三の二十三番」

「水有花子じゃないの? ぜんぜん違うじゃないか」

「なに? それは……」

「こっちの話」


 とはいえ花子さんならぬ花さんだったとは少し驚きである。

 それとなんとなく年上かなって思ってたけど同級生だった。


「二の三の二十三……ちょっと待っててね」

「え? ち、ちょっと!」


 花の制止を振り切ってトイレを飛び出ると、ダッシュで二年三組の教室付近までやってくる。

 そして廊下に並ぶロッカーから花の番号を見つけて、ためらいなく扉を開けて中から体操服入れを取り出した。


 念のため袋の中を確認すると、ジャージの他に準備のいいことにちゃんとタオルまで入っている。

 さらに小さな袋に入っていたパンティとブラもしっかりあらためた。ごっつぁんです。


 ちょうど近くにいた女子にぎょっとした顔ですげえ二度見されたけど気にしない。

 袋を抱えて急いでトイレまで戻ると、個室の戸をノックしながら中にいるであろう花に声をかける。

 戸を開けて出てきた花は、若干困惑したような顔をしていた。

 

「お待たせ、ちゃんと中入ってるの確認したから」


 が、そう言うなり顔を赤らめながら強引に俺の手から袋をひったくり、再度個室に入ってやや乱暴に戸を閉めた。

 下着を見られて恥ずかしいのかな?

 

「着替え手伝うよ」

「い・ら・な・い!」


 ちっ、流れでいけるかと思ったら。 

 すぐに中から衣擦れの音がして、ここで立ってたらやっぱ変態かと思ってトイレを出ようとすると、


「……ありがと」


 戸の向こう側から、小さく花の声が聞こえた。

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