ブラックサンダー

@shirayukiderera

ブラックサンダー

開幕直前、幕がゆっくりと上がっていくとき、僕の隣に腰掛けていたおじさんが、ブラックサンダーの袋を開け始めた。

がさがさがさ。

何故今開ける? 殴りつけたくなった。どこに前衛劇を鑑賞するとなってブラックサンダーを食べようとする人がいるというんだ。

がさがさがさ。

開けるのに手こずっている。そりゃそうだよ、暗いんだから。幕が上がりきって、奇妙に着飾った女性が、黒を基調とした上品な舞台装置の端に立っている。わずかにドラムのような音が聞こえはじめた。

がさがさがさ。

おもわず声が出る。あまりにもうるさい。注意しようと横を向くと、音は止んだ。

女性は、物憂げな表情を浮かべ、円形の舞台装置の上で踊り始めた。ドラムの音に、柔らかなピアノの音が……。

ばりっ。

たしかにブラックサンダーを開封したら食べるしかないだろうが、せめて音を立てるなよ。そんなに音はしないだろブラックサンダーは。

ばりばりっ。

大きくないか? ブラックサンダーのサイズ。二口くらいでいけるんじゃないのか? なんで何回も齧っているんだ? 絶対でかいサイズのブラックサンダーだ。などと考えていると、いつの間にか音は止んでいて、僕は首を振って再び舞台に集中しようと努めた。

知らないうちに男性が登場していた。相変わらずバックミュージックとして心地よいドラムが鳴っている。

べりべりべり。

まじでいってんの? 明らかに舞台に入り込む感じなのに、まだ開けるの? 横を向くと、薄汚い老人がブラックサンダーを食べようと大口を開けていたところで、老人の濁りきった眼がはっきりと見えた。舞台の光がブラックサンダーの袋に反射し、ちらちらと光った。なんでちょっときれいなんだよ。

ざくり。

ああ、おおきく一口でいきやがった。ブラックサンダーミニバーである。稲妻級のおいしさ。2017年からさらにうまくなったやつである。ゆっくりと咀嚼して、目を細めている。ごみを床に捨てる。老人自体は最悪だな。僕はいつのまにか老人の観察に夢中になっていて、大規模に舞台が転換しているのには全く気がつかなかった。小刻みに鳴るドラムと、それに沿った上品なピアノは、老人がうまそうに貪るブラックサンダーを引き立たせるようにすら感じてしまっていたのだった。

老人は手についたチョコをなめとると、(汚いな)座席の下から袋を取り出した。説明は不要だろう。ブラックサンダーである。僕ははっとした。というのも、かなりでかいブラックサンダーなのである。先ほどミニを食べる前に食べていたやつに違いない。1本満足バーかとも思ったが、光をてらてらと反射する袋には、しっかりと刻まれている。ビッグサンダー 俺には俺の輝きがある。なぜかこの文言は、現実から逃げるように劇場に来た僕の目に、驚くほどするどく刺さった。俺には俺の輝きがある。僕の輝きとはなんだろう? 巨大な稲妻が僕を襲った。

べりべりべり。

人生の分岐路に立つ看板が、音をたてて破かれていった。ココアの匂い。そうかココアにチョコをブレンドしているのか。僕の鼻は劇場の匂いとココアの匂いを一身に浴びて、躍り上がらんばかりなのだった。

ふと舞台をみると、黒いエキゾチックな服を着た女性が激しく踊り出していた。ドラムの音はいつのまにか稲妻のように激しくなり、それに合わせて女性は体を極端に折り曲げるのだった。

ばきん。

ビッグサンダーは二つに折られ、老人の口に消えていった。しかし同時に老人は座席下から新たなサンダーを取り出しているのだった。

舞台上の女性はいなくなり、代わって白くひらひらとした衣装の女性があらわれていた。老人が手にしたブラックサンダーを見て、僕は咳き込んでしまった。

ハニーバターサンダー。

べりべりべり。

こんなものがあっていいのか? 黒くクールな稲妻は、蜜蜂にかき乱されてハニーバターな稲妻になってしまったとでもいうのだろうか。包み込むような白さと、そこに飛ぶバターを持ったハチは、僕に「ゆっくりしましょ」とささやいている。かくまでに優しい稲妻があったか?

ほのぼの雷神と名乗るだけのことはあるが、しかし、彼もまた雷神なのだとわかると、僕はいいしれぬ恐怖を覚えた。

ざくり。

老人は幸せそうにほのぼの雷神をかみしめていた。彼の口のうごきは、ハチミツを伴うほのぼの雷神が、彼の舌鼓を甘く打ち鳴らしていることを示していた。バックグラウンドのドラムも、次第にゆっくりしたテンポに戻っているのだった。

白い女性が退場すると、緑色の服をまとった女性がふたり軽やかにあらわれた。ひとりは背が高く、緑一色を身につけた妖艶な女性だが、もうひとりは緑基調に白をあしらったかわいらしい服で、背が小さめの女性である。頭に月桂樹の冠をつけており、香り立つような美しさである。

老人の手にも、二つの雷神が握られている。ブラックサンダー宇治抹茶と、ブラックサンダーミニバー抹茶ラテである。期間限定のものと、新発売のもの。そもそも、期間限定の、めっ茶雷神ことブラックサンダー宇治抹茶と、新発売のまっちゃの雷神ことミニバー抹茶ラテを、同じ抹茶であるからという理由で同時に舞台に上げてしまうのはナンセンスであり贅沢すぎるのだ。宇治抹茶と抹茶ラテを同時に飲む人間がいるだろうか。ミニバー抹茶ラテの、抹茶パウダーとミルクのようなホワイトチョコを螺旋のように混ぜて織りなした味は、まろやかでありながら、やはり黒き雷らとも並ぶ雷神たる威厳を覗かせているのである。一方でブラックサンダー宇治抹茶は、100パーセントの宇治抹茶に、雷神の印籠であるザクザクとした食感が、「イナズマ級のおてまえ」となって襲いかかるのである。雷神の持つ無骨さに似た荒々しさと、かつて稲を実らせるとされた恩寵としての雷様の、完全なる集合体なのである。へそでもなんでも差し出してやる位にはうまい。老人はそんなことを思っているのだろうか、見直したことに、交互食べなどという愚かなことはせずに、一つ一つ味わって食べていた。




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